水曜日, 6月 10, 2009

Bremenでの・・・コト(219)初依頼!?



4月だったか、「物々交換」で成り立つ団体に所属したことを書いたと思います。あらゆるサービスを時間で計算し、団体独自の通貨で支払うというシステム。食事の提供だったり、車での送迎だったり、掃除洗濯だったり、コンピューター関係だったり、引っ越しだったり、庭仕事だったりを提供する(手伝い)、それに要した時間により、独自通貨Tidenが得られます。
この団体のオフィスが私の通う教会に設置されている事もあり、教会でちょっと奉仕をすると、Tidenで払ってもらったりしていました。
私の提供しているのは、いつもお使い物にしている“クッキー”を焼く事と、日本語会話をしますよ、というのが大きなところ。
これら各人の提供サービスは月ごとの会報誌に掲載され、メール等で全員に配られます。参加者はこれを見て各自でコンタクトを取り、依頼し、詳細を詰めます。
はっきりいって見知らぬ人に頼むのは結構な勇気がいります。なので、3ヶ月に一度くらい、みんなが集まれるフリーマーケット的な集まりがあるようです。
(これはまだ行った事がありません)
私は幸いにも、教会関係でTidenを稼げていました(別に稼ぐ必要はありませんし、サービスを提供してもらうばかりで、Tiden残高がマイナスになることも、罪ではありません)。でもなかなか個人的な依頼というのは難しいものです。
しかも、クッキー・・。味は普通だし、これといって特徴はない。しかも毎週教会の礼拝には携えて行く・・というクッキー。そもそも食べた事のある人しか、得体の知れない日本人の焼くクッキーなど食べたくないだろうし、食べた事のある人=顔見知りは、依頼せずとも教会の礼拝で食べれるし、ということで、依頼などゼロでした。
しかし・・。教会で働く男性のお友達が食べたいから、一袋作って。と依頼が来たのです。
今までですでに200回くらい焼いたのではないでしょうか、そして方々にお使い物として持って行っていました。その苦労が・・(苦労してないし、好きでやっていますが)報われた感じです。一回に50個ほどしか焼けないオーブンを使用しているので、あまり依頼があると困るし、結局現金収入にはならないので、作るたびにマテリアル費マイナスですが、なんだか嬉しい!気分になりました。

味は普通 と書きましたが、個人的には普通に美味しいと思います。(自分で言ってたら世話無いけど)こちらのバターが美味しいから、単にその理由かな、と思ってます。

金曜日, 6月 05, 2009

Bremenでの・・・コト(218)今日の発見




なんと、グラス回収コンテナと衣類回収コンテナがこんなことに。
なんだか可愛い絵柄に変身!!
色の取り合わせは、清潔感溢れるとは言いがたいですが、元のボディが“白”だったことと比較すると汚れが目立たないかもしれません。そしてここに捨てにくるのが楽しくなる?かもしれません。
他のところは確認していませんが、確か450のコンテナ設置箇所があるはず。すべて塗り直しされたのでしょうか????単一色と違い、この柄への塗り直しは相当の労力を要すると思うのですが。また確認しておく事にします。
殺風景からにぎやかに・・。柄がありすぎて景観を損ねる結果にならねばよいですが。

Bremenでの・・・コト(217)ドイツにいるからたまには。



ドイツへ音楽留学に来ている人も多いというのに、所謂“クラシック”という音楽をブログで話題にした事がないような気がする。音楽と言えばいつも“ゴスペル”とか“歌のレッスン”の事ばかりで・・。

ちょっと興味深い話を勉強しましたので、ちらりと書き留めます。
ブラームスの「Ein Deutsches Requiem」(ドイツ・レクイエム)について。ご存知の方も多いでしょう。(私はあんまりピンと来ませんがブラームスは知っています。詳しくは知りませんけれども)このドイツ・レクイエムがブレーメンで初演され、その成功をきっかけに、ブラームスはドイツ音楽の三大Bとも称される存在になっていくのだそうです。
レクイエムとは、オーケストラと合唱、およびソプラノ・バリトンの独唱による宗教曲。日本語では「鎮魂歌」と訳されます。カトリック教会におけるミサ曲のことです。しかし、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」は、ルター訳のドイツ語聖書の中から歌詞を取っている、つまりプロテスタントの考え方が盛り込まれた楽曲という事です。だから、特に礼典用に作曲されたというよりは、純粋に演奏するための作だといえるそうです。
ブレーメンでの初演は1868年4月10日。この初演にいたるまでには、ブラームス自身の“性格”も含み、様々な偶然が重なりました。
1866年にチューリッヒで曲を完成させたブラームス。お披露目の機会を探していました。そして1867年交遊のある人たちに曲を紹介するため、友人のアルベルト・H・ディートリッヒにオリジナルの楽譜を送りました。“オフレコに”と厳重に言い渡して・・。しかし、ディートリッヒはこの曲にいたく心を動かされ、ブラームスの忠告を顧みず、ブレーメン大聖堂のオルガニストであったカール・ラインターラーに渡してしまいました。
 しばらくの後、こういう事態になっていることを知らないブラームスは、楽譜をもう一度手元に戻したいと思い、バイオリニストのヨセフ・ヨアヒムに「返して」と迫ります。
「??」。ですね。
忘れっぽいところのあったブラームス。自分が楽譜を渡したのが誰であったかもすっかり忘れていたのです。彼の楽譜を手にした事など無いにもかかわらず、楽譜を無くしたと、根拠の無い疑いをかけられたヨアヒムでしたが、ブラームスの新曲のことは聞いており、幸いにも、ヨアヒムの力により、オリジナル楽譜の行方は明らかになったのでした。
ブラームスとラインターラーの間で交わされた手紙が残っており、それによると、(この楽譜騒動の経緯から)最初のやりとり(人間関係は)いまいちだったようですが、後に友好的になり、ブレーメンでの初演のためにお互いに尽力したことが書かれています。
ちなみに、この初演。ブラームス自らの指揮で演奏され、大成功を収めました。
さらに。このブレーメン初演の段階では第5曲にあたるソプラノソロの「Ihr habt jetzt Traurigkeit」は無かったのだそうです。この部分の作曲の理由に“ブラームスの母の死が影響”が挙げられる事がありますが、母の死が1865年であることを考えるとこの説は間違いだ・・とも指摘されています。

以上、ブレーメン大聖堂からのプチ情報です。

火曜日, 6月 02, 2009

Bremenでの・・・コト(216)ベルリン写真館




途中でカメラのバッテリーがなくなり、携帯での撮影になってしまいましたが・・とりあえずベルリンの写真。こういう回もあってよいでしょう。
ブランデンブルグ門
私のベルリンは森鴎外の「舞姫」を中心に回っています。無意識の意識に悩み続けた豊太郎に対し、私はドイツに来ることで、やっと無意識の意識に忠実になることができ、その意識が存在を感じる事の苦痛から逃れる事が来た気がします。
鴎外曰く、ウンテルデンリンデン。Unter den Linden 。なるほど・・。複数3格。
鴎外記念館。月から金のみ開館。
壁後はこんな感じ。ブランデンブルグ門は東側。それをくぐったところに壁があったようです。
壁はこうして、販売。尽きる事はないのかな?でも単なるコンクリだからいくらでも偽が製産できる??(あってほしくないけれど)

ま、ベルリンは大きい。またいつかゆっくり来たいと思います。

Bremenでの・・・コト(215)首都初体験




ドイツの首都ベルリンへ行ってきました。主な目的はここで開かれるカーニバルに参加する事。またもブレーメンより参加するチームの手伝い役です。今回は、私の団体が個別に参加するのではなく、ベルリンのサンバチームと合同でパレードをしました。Sapcaiuとかいうチームで。
金曜夜にベルリンに到着し、土曜日の合同練習をはさみ、日曜日がパレード。もちろんパレード以外にも様々なステージが催されていました。
地下鉄の車内広告には700000人の人手がどうのこうのと書かれていましたので、相当数がベルリンを訪れていたようです。
確かにパレードはかなり大規模でした。参加グループ約100。どのグループも山車的な車を動員してパレード。地下鉄の駅5つ分くらいの距離を4時間以上かけて練り歩きました。最初のグループが動き出したのが12時半。終わるのが22時頃。道路は一日中封鎖・・。
私は高脚コスチュームグループのヘルパー、と写真係。はっきりいって、パレード脇から写真を撮るのと、パレードの本道から写真を撮るのでは全然ストレスが違います。パフォーマーが私のカメラに表情を作ってくれるし、顔を向けてくれるし、観客の頭や手が入らないし。撮りたい放題だし。ということで、またもや1000枚ほどの写真を撮ってしまいました。
今回のコスチューム。昨年のカーニバルで使用されたもののようですが、とっても目を引く奇麗な衣装。
そしてみんな“役者”さんなのです。普段は、無口だったり、どんくさそうに見える人たちなのですが、本番になると「さすが〜〜」の動きなのです。役者さんってこういうものなのかもしれません。
精神的にも身体的にも結構疲れてベルリンのカーニバルは終わりました。

さて、もちろんベルリンの街も見学・・・・(ほんの少しだけですが)しました。ベルリンといえば「壁」。とりあえず壁。一緒に行った仲間は私より年上がほとんどで、ドイツ統一の記憶がしっかりある人ばかりでいろいろ話してくれましたが・・。もともとベルリンの壁って私にとっては不思議な存在です。孤島となっていた西ベルリンに、しかも壁で取り囲まれた西ベルリンに、壁を越えて入り込もうと試みた人たちがいたって。大から小へ。自由から束縛への感覚ですが、実際東と西ってそうじゃなかったのでしょう。なんだか上手く言えないけど。で、壁との生活って想像できません。窮屈じゃないの??って。はっきりいって不思議な感じです。
それが取り除かれてから、統一ドイツになって、で、普通にみんなドイツ人として暮らしてる。心はどうなの?心穏やかならざる感覚はないの?まだ20年前のことでしょ?
残念ながら私には、ここの人たちがどのように思い、壁と、人と向き合っているのか理解できませんが、ただただ不思議な感覚です。
ベルリンの感想としては、やはり大きな街だということです。そして、何かしらの目的があるのでしょうか?国際的なイベントの会場になるような??工事現場が以上に多い。そして雑多な感じ。汚い。ドイツって他の都市もこうなの?ベルリンだから?首都だから??全く落ち着かない。
ブレーメンって本当にいいところです。(またまた)改めてブレーメンの優しさを感じました。

ちなみに、ブレーメン観光で真っ先に訪れた「森鴎外記念館」は休館でした。また来ます〜〜。