金曜日, 8月 07, 2009

Bremenからこんにちは(5-4)Bremenからではないですが・・・。

では、どんな仲間がいるのか紹介しましょう。団体の設立者は現在も精神科医としてブレーメンで働くお医者さんです。25年の年月が流れているので、もちろんメンバーは入れ替わっているようですが、目の見えない人もいますし、足の悪い人もいます。頭が少し弱い人もいます。性格的にかなり個性的な人もいます。対人関係を築くのが苦手そうな人もいます。私もどちらかと言うと、人とべったり関わるのが苦手なので、ドイツ人だからか、この団体の人間だからか、ある程度のわがままが許されてしまうのです。というか、それで当然、といった具合です。一緒に行動しなくても、団体行動中に少し外れた行動をとっても、それは本人の自由で、一つの権利として認められている感じです。例えば会議中に余裕で席を立ったり(日常茶飯事)、そもそも参加しなかったり、外部団体との共同でのディスカッション中でも出入り自由、トイレ喫煙入退席自由、飲食自由・・でそのうち先方に切れられるんじゃないか、と思うくらいの態度。話を聞く姿勢も、様々。目上の話は姿勢を正して聞く、などという考えはないのでしょう。思い思いの格好で、楽に聞いている、もしくは聞き流している、もしくは聞いていない。なのに、しっかり意見だけは言う。感心すべき態度です。だから私がやっていけるのかもしれません。
3週間ほど、ドイツ人と飲食を共にした訳ですが、驚く事もあり、私が細かいだけか、と思う事もあり。
まず、夜に風呂に入らず眠る人が多い。朝シャワーが主。湖で泳いだりした日でもそのまま眠る子も・・。洗濯はいつしているの??と思うくらいの洗濯物数。私はすべての下着は毎日手洗いし、部屋にほしているけれど、誰も洗濯していない・・。全行程参加する人は一人では運べないほどの荷物を持って来ており、大量にクリーニングしているひともいました。面白いのは、チューブ状の旅行携帯用洗剤があること。小袋の洗剤と違って使いやすいなあ、というのが感想。
部屋での着替えに恥じらいなどなし。全裸に近くてもどうってことない。もちろん共同のシャワールームなどは、日本の温泉や銭湯と同じですが、タオルで前を隠すとか、そういうこともなし。
湖に気軽にタオル一つで泳ぎに行き、その場で着替え、泳いで、戻る・・のが普通。砂まみれになる事・・とかどうってことないみたい。
土足だけれど、部屋を裸足で歩き、そのままベットに入るし。
きれいと汚い、外と中の境界が私とはかなり異なります。ドイツ人は家庭では靴を脱ぐ人が多いのですが、それは寛ぐためであり、客人が家に来たときは脱ぐ必要がないことが大半。寛ぎたければ脱いでください、というレベル。だから、家の中は「中」なのか「外」なのか分からないのです。つまり、屋外の地面に食べ物を落としたら、食べるのを少しためらうけれど、絨毯やフロアの上だったら、まあいっか、で食べる・・のが私のやり方ですが、それは家の中が「中」だから。ドイツではだから中か外か分かりません。でも、玄関の空間がない住居ではやはり家の中でも中だという気がしません。
話がそれましたが、まあ、この参加者の常識がドイツの常識であるかどうか、は確かめるすべもなく、聞いてよいのかどうかも分からず、だし、常識通りに振る舞う事が正しいとは限らないので、この団体でのやり方、であるのだ、と単に受け止めておく事にします。

Bremenからこんにちは(5-3)Bremenからではないですが・・・。

ベルリンでは、まず、ナチスドイツ時代の精神病者の生き残りの女性に関するフィルムと本人による講演を聞いたのが参加1日目。翌々日には野外拠点を撤収し、次の都市ブランデンブルグに移動したのでベルリンには数日しかいませんでしたし、主活動には参加していません。ナチスがユダヤ人を迫害した事は有名ですが、ユダヤ人だけではなく、精神病者も対象であった事はあまり知られていません。私も2004年にダッハウヘ行ったときに初めて知りましたので。その生き残りの方の講演でした。翌日、ベルリンの運河にラクダを走らせ、太鼓をならし、キャラバンをアピール。
ブランデンブルグ。旧東ドイツの都市。私にとって初めての東ドイツでした。これほど東西で差があるとは思いませんでした。簡素と言うか寂れていると言うか、寂しいというか。まあ、統一前は街に色がなかったのですから仕方ないのかもしれませんが、20年経った今も、西との差は明らかです。ここでは、精神病患者の病院・生活園的なところを訪れたり、精神病者が迫害された歴史を勉強したり・・しました。ラクダももちろん活躍し、今度は街を練り歩きました。元市長さんも歓迎してくれました。
一週間の滞在後ヴォルフスブルグに移動。運河を船で移動しました。ここはかの有名なフォルクスワーゲンの都市。ブレーメンを取り囲む州、ニーダーザクソンの一都市ですが、さすがに裕福!!ブランデンブルグとの違いに驚くとともに、世界的有名企業のお膝元であることのすごさを感じました。ここでは、失業や労働環境に付いて、企業側と戦う藤堂組合と行動を共にし、パレードやディスカッション、そしてフォルクスワーゲンの企業工場?見学にも訪れました。
ブランデンブルグとヴォルフスブルグで2回ショーの出し物をしましたが、その際に、「Die Blaue Karawane は私なしでは成り立たない!」という団体代表の有難いお言葉をも頂き、(とくに思想的な行動をしている訳でもないし、労働組合云々はあまり考えた事のないテーマだし、あんまり関わりたくないような気もするけど)ブレーメンがますます離れがたい都市になっていくのを感じました。

Bremenからこんにちは(5-2)Bremenからではないですが・・・。



滞在都市はベルリン、ブランデンブルグ、ヴォルフスブルグ、そしてDie Blaue Karawaneの拠点であるブレーメン。それぞれ一週間から10日滞在。宿泊先以外の野外に拠点となるテント等を設置し、そこで料理をしたり、集ったりするのです。共同の荷物はドラックで運びます。
私の役目は、このキャラバンの出し物のひとつであるショーへの出演。台本がなかなか定まらなかったけれど、4月から何度も顔を併せ話し合いを続けて来たショーです。それから、キャラバンの新聞をレイアウトする事。これは事前の集まりで、代表の人と話し合いをしていたのですが、キャラバン出発の前日に、その代表が、この組織を去ると言う不測の事態が発生し、このほぼ日刊にしたい新聞発行がどうなるか危ぶまれましたし、はっきりいって上手く機能しているとは言いがたいのですが、とりあえず人目につく形で印刷ができ、ブレーメンへの移動道中で参加者に配布する事ができました。

それからそれからキャラバンの音楽隊(太鼓隊)への参加。太鼓などたたいた事がなかったけれど、他にやる人がいない&併せて歌う(テーマソング)人がいないので・・?強制的に太鼓隊へも参加。なんやかんやと重要なポジションに居ります。
性格からか、かなり働くので、(力仕事も、理解力は100%ではないのに・・頭仕事も)、喜んで仕事をくれます。そして、それが私にできるなら、喜んで引き受けたい・・という気になるのです。理由は、タダで宿泊し、ほぼタダで飲食。追加で個人的に飲食したり買い物したりしなければ、財布を触る事ってすごく少ない。なのに、毎日本当にたくさんのことを得ているのです。感謝、そしてだからこそ私の出来る事はしたいなあ。と思うのです。
こんな感覚は日本では味わった事がないし、大勢で旅する事、食事する事、何かを一緒にする事が、こんなに楽しいとは思いませんでした。自分の思い通りにいかない事ばかりで、窮屈・・イライラが募る・・ばかりだというのが私の考えだったので。
すごく生きているなあ・・と実感し、ドイツにいる事、キャラバンにいる事、誰かを必要とし、誰かに必要とされている事を実感するのです。本当にありがたいことです。
旅を続け、分からないなりに活動に参加し、講演を聴いたり、ディスカッションに参加したり、毎日の会議に出たりしていると、だんだん活動趣旨が分かってきました。この団体の精神の是非は、判断しかねますが、(理解で着ていくにつれて、また様々疑問もわいてくるので)とにかく、これだけいろんなものを見聞きするチャンスは自分ではなかなか得られないでしょう。

Bremenからこんにちは(5)Bremenからではないですが・・・。

ブログの更新がかなり滞っていました。以前から何度となく書いていますが、7月18日から8月9日までとある“キャラバン”に参加していました。「Die Blaue Karawane」という団体で、「Blau」(青)をイメージカラーとする組織。空や海のように境界のない社会を・・ということで、精神的な障害を抱える人と普通の人、身体的な障害のある人とそうでない人、仕事のある人ない人、老いも若きも、男も女も関係なく、一緒に過ごせる社会の確立を目指す社会的な組織です。(多分)。この団体は1985年に組織され、今回で4回目のキャラバン。ベルリンからブレーメンまで、川や運河を伝って移動します。
我らのシンボルとなっているのが、青いラクダ。ウ゛ムナと言います。キャラバンにつきもののラクダ。私たちのラクダは青く、基本的にはボートに乗せて、水上を行くラクダです。そのラクダを都市の港に泊めて活動を行います。時には、地上を引っ張って移動させます。大きな大きなラクダで、これを分解し、地上に乗せ、組み立て・・の作業も一苦労です。また、ラクダ用のボート、ラクダの後ろにくっついて行く舞台ボートもあります。普通の船ではないので、(船舶免許を大勢の人が持っているとはいえ)移動させるのも困難が着きまといます。
テストが終わってから、長期部屋を開ける準備をして、何が起こるのか、どんな集団生活が待っているのか分からないままに参加。一人旅はよくしたけれど、集団で、しかも外国人と長期にわたって寝食を共にし、社会的活動も行う・・。不安ばかりでした。さらに、この団体の活動趣旨もはっきりいって正確には理解できていなかったので。
でも、その不安ははっきり言って杞憂でした。参加者はみな親切。そして、何よりもこの団体には、“少し変わった人”が多いのです。それが更に心地よい。何事も強制される事はないし、活動のスカジュールも緩い。結構のんびり過ごせます。尤も、毎朝朝食後に会議がありドイツ語が飛び交うし、会話はいつもドイツ語だし、日本語を話したり聞いたりして“耳口を休める”ことも出来ないけれど、キャラバンの一員である事がとても気持ちがいいのは事実です。
さて、具体的に何をしたのかといいますと。もろもろについては回を分けて書いて行きます。

金曜日, 7月 17, 2009

Bremenからこんにちは(4)それでもやっぱり凹むこと これあり



ブレーメンに来て、ブレーメンで暮らす。そしてまた一年滞在が延長になりました。得る物は大きすぎるほど大きかったのですが、(人生経験とかそういうものではなく、精神的な安らぎ・居場所みたいな、生きていくための基本条件みたいなものでありながらなかなか手に入れられないもの)、やはり失う物もあったみたいです。職やそれまでの環境を失うことは覚悟の上でした。でも友人関係だけは、“物理的距離は関係ない”というのが信念だったので、これまでと同じように続ける事ができるだろうと思っていました。中国で1年、シンガポールで3年日本を離れた時もそうやって乗り越えて来たし。
個人的には結構筆まめな方だと思うのです。そのマメさが重いのかな。ここに来て2人の友人と疎遠になりつつあります。連絡頻度が限りなくゼロに近い、というのは“疎遠になりつつある”に入りません。お互いが、いつ連絡しても大丈夫的な心構えを持っているような気がするし(これももしかして独りよがりなのかな?)。私の不注意な言動で怒らせてしまったということが一つ。もう一つは、いつもこちらからの一方的な連絡ばかりだったのに嫌気がさして、連絡を取らずにこちらに来てしまった・・・ということ(その人の携帯メルアドの変更を知らせてもらえなかった事もショックだったし)→もしかしてそもそも友人と思っていたいたのは私だけ??
声が聞きたい、メールでどうなのか問い合わせても、返事もなく、無視されるのが返事だと受け取るべきなのか、とも考えたり。でもでも、何の連絡も無く、いきなり音信不通になるなんて、なんだかすっきりしなくて。電話しようかな。もう友人と思われてないから、関わらないベキ? 私的には白黒はっきりさせたい。
ああ、なんか人間関係に自身無くなって来たなあ。
電話してみようかな。明日にでも。