金曜日, 5月 14, 2010

Bremenからこんにちは(97)なるほど。こういうやり方も

友人に連れられて鑑賞に行ったのが、ブラウマイヤーという団体(障害者等と文化芸術的な活動をする団体)の催し物。
以前劇場で普通の舞台を見た事があったので、今回は場所が違い、屋外では有るけれども、屋外ならではの演出&夏だからということで、屋外舞台でのマスク劇なのだと思っていました。
題名は「Dem Himmel so Nah」。死を意識した題名で、老いや、死やといった暗くなりがちなモチーフをマスクを用い、ブラウマイヤー的に表現していました。
表現方法は、会場の特徴を存分に生かしていました。
まず、会場は、スポーツやキャンプや川遊びや・などを楽しむウェーザー川沿いの施設。道に面した管理棟を通り抜けると、森やスポーツ場などになっているのです。その各施設の建物や、平地を利用し、まさに動物園のように、縄で中に入り込めないようにした、各コーナーが設けられています。老いや死や、死後向かうであろうHimmel=空を意識した表現がそこにはあります。鑑賞者は、順路に従い、その各コーナーを歩いて巡って回るのです。万国博覧会のパビリオン的です。
老人ホームや、空に近づこうとする飛行機技師、掘られたお墓に飛び込むかどうか躊躇っている人、墓の中でけんかする夫婦、天国の天使・・キリストの昇天祭のこの日にまさにふさわしい催しでした。
驚くのは、演じているのは素人で、私の友人も何人かいるほど。マスクをして別人になりきりやすいとはいえ、その音楽に合わせたゆっくりとした動き、マスクの表情にぴったりの動作は、私を十分に感動させてくれました。さすがブラウマイヤー・・。音楽も、ライトも、大道具も、すべてがこの会場の条件にマッチし、素晴らしい!!の一言。“死”等の感じ方は人それぞれでしょうが、私はこういう魅せ方もあることを学んだ気がします。なるほど・・。

私の出入りするラクダの団体は、元はと言えば、ブラウマイヤーと共に、ある団体の傘下にあり、非常に強い関係をもっていたのですが、諸事情あり現在ではほぼ別団体として活動しています。でもラクダの団体と、ブラウマイヤーと両方に参加している人も多いのが現状。私も十分に興味はあるのですが、如何せん何かとやる事が多く・・叶わないのが現状。

月曜日, 5月 10, 2010

Bremenからこんにちは(96)母の日と父の日

母の日も終わってしまった・・と思ったら、やってくるのが父の日。間髪入れずに父の日。だって、ここでは父の日は(今年は)5月13日。6月の第三日曜日ではないのです。

私の住むドイツでは、母の日は日本と同じく5月の第二日曜日。しかし、父の日は、昇天祭というキリスト教の祝日そのものになります。イースターの復活祭から数えて40日後の木曜日にやってくる祝日。移動祝日になりますので、4月末から6月初旬にあたります。(簡単に説明すると、十字架にかかり、死に至ったイエス・キリストの復活を祝うのがイースター。その40日後に昇天したことを祝うのが昇天祭です)
 ただの日曜日に毛が生えた程度の“母の日”と、国民の祝日と制定されている“父の日”。ドイツにおいては、果たしてどちらの存在が大きいのでしょうか??
 “母の日”の“母”はあくまで“親族間の女性、母親”。それら女性への感謝を表す機会となる日です。逆に、“父の日”の“父”には、“親族間の男性、父親”の意味は感じられません。“父”すなわち、“天のお父様”“天の神様”なのです。国民皆でキリスト教における“父”を祝う。この時に用いる“父”という単語は、家族構成を表す“父”“母”とは切り離して考えるべきで、もはや、別格なのです。
 そうなると、“親族間の女性、母親”に対する“親族間の男性、父親”に感謝する日が存在しない事になりますが、そこにはやはり、どこにでも存在するであろう「家庭・家の内における“母”と“父”の役割の差」が物申しているのかもしれません。

父の日、という祝日だけれど、この日はとっくに、“家族で過ごす祝日”になっている・・と年配の方が言っていました。キリスト教関係の祝日は得てして“家族の”日にあたるのかもしれません。生命の、生活のベースに“天の神様、イエスキリスト、そして精霊”の存在が無意識に存在しているのでしょう。

Bremenからこんにちは(95)ダシの人。


お歳暮時期のハムの人、ならぬ・・・私は“ダシの、ダシ汁の人”だとつくづく思う。ここでは何を食べても何かが足りない。味に奥深さが無い。味は濃いのに。塩気たっぷりなのに。胡椒っ気もたっぷりなのに。
別に、本格的にとったダシの味を求めているわけでは有りません。顆粒のお手軽だしの素で十分なのです。このダシの味って、ブイヨンとかコンソメ等、野菜や肉系の味のベースと似て非なる物で、やっぱり“ダシ”じゃないと満足できない・・。
それってやっぱり、生まれ育った環境が大きく左右するのでしょう。“ここの料理はどれも大味で、味が表面的に感じる。ダシがないから”と言ったら、“マスタードなしでソーセージを食べるようなものかなあ?”とドイツ人。まあ、そんな感じでしょう。
この地にも中国人、韓国人を始めとしたアジア系の人間はそれなりにいるので、SUSHIという食べ物も比較的知られています。
ドイツ人の作った寿司、と韓国人の作った巻き寿司=所謂キムパブを頂く機会がありました。残念ながら、寿司はそれほど私の郷愁をそそらないようです。だって、寿司は濃い口醤油で食べるから。キムハブは醤油は使わないから。関西人の味付けは、ダシは、・・薄口醤油を使って仕上げる!!!!!薄口の味でないと、どうやら心には響かないようです。
薄口醤油をブレーメンで見かけたことはまだありません。あったとしても贅沢品なので買いませんけれども。

水曜日, 5月 05, 2010

Bremenからこんにちは(94)進歩 と思う事にする。なんか最近これ関係の話ばっかり。

こんな話ばかりでごめんなさい。本日5月5日こどもの日。こちらでは普通の水曜日。久しぶりに大学併設の役所へ。
滞在許可延長のため。原稿の滞在許可は7月1日まであるので急ぐ必要はまったくないけれど、
1)ぞろ目の日付が気持ちいい&行く気になった
2)ナイジェリア行きのビザ申請のためパスポートが徴収される“その日”がやってくる可能性がある
3)現行滞在許可に付随する備考頁の就労許可の条件を、普通の正規学生レベルに引き上げてもらい、あたらな備考頁を得るため
の3理由があったから。

私の装備としては
1)大学側が役所にあてた手紙「この人物は大学応募の条件を満たしており、学生選抜の結果が出るのを待つだけである」的な。
2)役所が提出を求める書類すべて
の至って普通。
担当官は、私が正式に学生として登録されていない(学生選抜に通れば晴れて10月1日より新学期が始まる)ことを理由に、9月30日までの滞在許可延長を許可しました。
なぬ〜〜〜〜〜〜〜〜。一年じゃないの?(怒)
と思ったかといえば、今回はそう思えない理由がありました。
担当官の思いは、
9月末までに大学側の答えが出ているだろうから、それをもってもう一度滞在を延長しろ、ということ。「もし、今1年延長して、大学に籍がもらえず、帰国(を私が望む事態)・・となったら、滞在許可1年延長費を無駄に払う事になる。この短期の延長はならば手数料15ユーロですむので、この子にはこの方が得だ」ということです。そして、学期の区切れとビザの区切れをうまくリンクさせてやろう.・・という担当官のプラス意図が読み取れました。
決して追い出される危機や、大学に正式に受け入れられていない輩に1年の滞在許可はやれない!という厳しい現実を感じる対応では有りませんでした。

ということで、延長はたったの5ヶ月分。そして正式に学業が始まっていない身分。だから今回も、学籍が確定し、学生になるまでは正規学生同等のアルバイト許可が貰えないだろう・・とちょっと沈んだのですが、最大の武器1)を携帯していたため、就労許可も頂けました。よかったーー。よく考えたら、学業もないし、むっちゃ働くチャンス??なのでしょうか。でも残念ながら、バイトの出来そうな時間はほとんどない。趣味関係の活動が多すぎる・・。どうしよ。
ま、今回の役所の対応は、すごく筋が通っていて、論理的で、分かりやすく、理不尽さが皆無。素直に納得&得心して戻ってきました。
さて、バイト探そうっと。

日曜日, 5月 02, 2010

Bremenからこんにちは(93)したためる 認める

「○○したため」
と読んだら、何を思うか? 私って少数派でしょうか?
本日、また日本へ逃避行・・的に動画サイトを見ていました。いつも同じようなジャンル、出演者の番組ばかり再生するので、サイト側が気を利かせて、
「あなたへのオススメ」をトップページに提示してくれます。その動画の小窓のしたに「Aを再生したため」と出ます。
つまり、「Aという動画を再生したことを理由に、あなたは、**系統の番組を好むと判断、よってBという動画をお薦めします」ということ。
この解釈にたどり着くのに、数ヶ月、いや半年?一年?かかったことになります。
ずーっと「したため」(認め)やと思っていました。動画サイトの表現になんだかそぐわないなあ・・という違和感はありましたが、こういう少し文語チック語彙は大好きなので、むしろ好感を持って眺めていました。
私の解釈はこうです。
「A動画をアップしている人が、動画を検索する人に気を利かせ、Aやそれに関連するBに同じタグを埋め込み、検索等にヒットするように、意図的に動画のURL等を操作してくれている状態」のことをが「再生したため」だと。AとB動画の関連付けを行うこと、そのタグをURLに“したためる”ことがつまり「再生したため」。
しかし「Aを再生したため」を私流に解釈する場合、格助詞「を」に違和感が残ります。「Aを」は不要だし、「タグ埋め込み済み」という意味を表したいならば、「再生したため済」等が適当なはず。文章的におかしい。けれども、“思い込んだら”的な性格のため、勝手に「A を(を・にも)再生したため」→「Aにも再生したため」と転じ、(つまり、画面に小窓状態であるのはお薦めされているB動画であり、過去に見たA動画は、無い訳だから)、「ここに表示されているB画像にももちろん“したため”てありますが、あたながかつて見たA動画にも実は“したため”があったのです。その“したため”つながりで今、ここにB動画があがってきています。決して怪しくはありません」。とまあ、こういう風に言われているのだとずーっと思っていました。
こういう風に思っていた人、特に少なくないのでは?と思うのは私だけでしょうか?

(最近写真が少なくてごめんなさい。カメラは順調ですし、撮影もしてます。しかしブログ用に携帯での撮影が減ってるかな・・。)