定年というのは「定」と「年」という漢字がそもそも持っている
以上の意味がある、ということで理解されているようだ。
それはよい。
ある一定の年齢で、それまでの生活に区切りをつける。
毎日毎日同じ電車で帰宅するおじさんがいました。
生理的に受け付けないタイプで、
非常に血の気の薄い、体温の低い、無機質なタイプの
おじさん。勤務中は老眼鏡をかけているのか、
耳の上にその跡がくっきりのこっている。白髪で小柄。
どうみてもあまり仕事ができなさそうで、感情の起伏もなく、
出世欲もなく、何十年と同じ職場・勤務地で大過なく
勤めてきた感じの人。
私はどうもそのおじさんが苦手で・・。というのも、
いつも情けない顔をし、電車からバスに乗り継ぐ(私も
同じように乗り継ぐ)際も、明らかに間に合うのに、小走りする。
その小心者的行動が、「もっとしっかりしろ・・(イライラ)」と
私を不機嫌にさせるから。
何ヶ月もずーっと、私とおじさんは同じように帰路についていました。
私が退社時間をずらさない限り。
でも、ある時おじさんはいつもより多めに荷物をもっていました。
ある時、私服を着ていました。
あれ、なんだかこのごろいつもと様子が違うな・・と思っていたら、
とたんにいなくなりました。
「定年」ではないでしょうか?異動のあるような年齢にはみえません。
おじさんが必ず存在した私の生活時間に、そのおじさんがいなく
なりました。(受け付けないタイプなので、いなくてスッキリ
なのですが)そのことに、どれだけの人間が気が付いているでしょう?
おじさんがいつもいた時間から消えていったことに、どれだけの人間が
「虚」を感じているでしょう。
おじさんがいなくてもいつも通り時間は流れ、もちろんおじさんの職場も
滞りなく業務が遂行されている(はず)。
おじさんだけが、毎日の業務から排除された。「定」を迎えた
という理由で。
そんなんでいいのかなあ。
人の日常を無情にも奪う決まりに思えてならない。
「定」の前後でいったい何が変わった?何も変わらないのに。
「定」なんて勝手に決めないで欲しいよね。自分を限るのは
自分だけでありたい。そうじゃないと「定年」数年前から
スピード落としたくなるよね。どうせならゴールまで全速力で走りたい。
ゴールテープを切って初めて速度をゆるめたいよね、
きっとおじさんもそうだと思う。
だから私が接した数ヶ月、あんなにも
無感情だったのかなあ。。。。
金曜日, 6月 06, 2008
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