

大聖堂ミュージアムにて、10月末まで特別展「GEIST GLAUBE KUNST DER RELIGIOESE BLICK WORPSWEDE 1882-2009」(「精神・信仰・芸術 宗教的視点から ヴォルプスヴェーデ1882-2009」が開催されています。
説明しましょう。芸術の都パリにも勝るとも劣らない?村が、ドイツに、しかもブレーメンから北東20キロほど離れたところにあります。ヴォルプスヴェーデという村です。そこに集った画家が、フリッツ・マッケンゼン、オットー・モーダーゾーン、フリッツ・オーバーベック、パウラ・モーダーゾーン・ベッカー、ハインリッヒ・フォーゲラー、ライナー・マリア・リルケなど。画家のみならず、詩人や建築家などあらゆる分野の芸術家が、都市の喧噪をから逃れて移り住み、田舎の素朴な風景の中で親交を深め、制作活動を行いました。
彼ら芸術家のヴォルプスヴェーデでの生活の中心には教会があり、彼らはキリスト教的モチーフを自分なりの解釈で作品の中に取り込みました。生活の中に自然があり、信仰があり、芸術があった、彼らの生活を“宗教”と(少し)絡めつつ紹介しよう、と言う主旨なのでしょう(恐らく)。彼らが好んで題材とした風景画と共に、キリスト教モチーフの絵画も展示されています。
とりあえず、ドイツでは(北ドイツでは?)よく知られた画家に関わる展示です。12日から始まった特別展で、私は今日が初日。もちろん監視役でその場に居ましたが、客も少ない事だし、とじっくり説明のボードを読ませてもらいました。今回のボードは難解な言葉が少なく、比較的理解できました。気分よく鑑賞していると、電球が点滅し始め、(多分)消えました。暗くなったように感じました。
「おいおい、展示替えをしたときに豆電球の取り替えとかしなかったのかいな??」(通常でも電球がすべて点灯していることの方が少ないけれど、事情がよく分かっていないため、もしかしたら故意に照らさないようにしているかもしれない、と思い報告せずにいる。その場に居合わせる入り口担当も結局はボランティアなので、何も判断できない。でも今回は明らかに暗くなったと感じたので)と、ひとまず入り口まで戻って、担当に電球が2つ切れています、と報告。そしてもう一度持ち場に戻ると、また他に数個点滅ム切れ。もう一度入り口に戻り、「2個でなく4個」と報告し直し。また持ち場に戻ると、なんだかすべてがおかしい。電球全部の明かりが消えていくような・・そんな気配。「消えるんやったら全部消えてもいいから、ことの顛末を見届けてから、幾つの電球が必要か報告すればいいや〜〜。窓からの明かりがあるから、とりあえず真っ暗ではないし」と静観・・・。していたら・・。
なんだか焦げ臭い匂いが。そして煙が・・・。ショートというのでしょうか、一つのケーブルに電球が配線されていますが、うまく電流が流れていなかったのでしょう。もくもく白い煙&焦げ臭い匂い。
煙を見て、とりあえず、入り口へ。非常ベルを押すべき?ともちらりと思いましたが、「火」が無いこと、どこがボタンか知らない事、火災探知機が自動作動していない事、の理由から入り口担当に報告。そこから従業員に報告・・の手順をとってもらいました。電気を消せばとりあえずは済んだ話で、大事にはなりませんでしたが、煙を見た時はちょっと焦りました。火花が散ったら?&絵がむき出しで展示してあるんだけど、ということを思いました。
美術品のことに思いを馳せる事ができたことに対して、(当たり前ですが)(自分で)褒めておきます。でもこういうことが起こりうるから
1)素人めいた美術館に価値の高い絵画を貸出し、展覧会をすることができない(嫌がられる)2)美術館は、社会的施設として、作品を公開する事が求められるが、作品保存の観点からすると収納庫で眠っているのが一番いい。美術館は常に矛盾を抱えている。
なんだなあ、と改めて。
もう一つ考えたのが、消防車を呼ぶタイミング。火がおこってもこれくらいなら自力で消せる!と思えば呼ばないだろうし、呼んでいるうちに消火活動して鎮火した頃に消防車が来たら申し訳なくない??とか考えたり。(実際、家の中で調理中何度か、「やばいっ」と思う“火”を出した事があります。)でもこういう迷いや、消防車、消防士に対する余計な気遣い?が火事を酷くするのかもしれません。
地震雷火事オヤジ・・といいますが、火事は本当に怖いです。気をつけなくっちゃ。
でも基本的に、ブレーメン界隈の知識がまたちょっと増え、今までの知識とリンクし、総合的に知っている事が増した感じがしました。“学ぶ”ってこういうことですよね、きっと。