月曜日, 9月 28, 2009

Bremenからこんにちは(16)類は友を・・?9月27日




ブレーメンで2度目の誕生日を迎えました。昨年はこちらに来て1ヶ月たたないうちに迎えたのですが、“客”という立場で祝ってもらえました。(詳細は省略)今年は、親交の深い人たちに祝ってもらう事が出来ました。(誕生日を言いふらすのは日本人感覚的に変な感じなので、黙っていて、今日いきなり告げてもしっかり祝ってくださいました。ありがとう)
基本的に、ドイツの誕生日の祝い方は、日本の子どもの誕生会を催すような感じで、自分で他人を招待しないといけません。切りのいい年齢になる時は、かなり盛大に祝います。出費も嵩むようです。
さて、私の誕生日はさておき、本当に私の周りには、9、10月生まれが多いのです。乙女座から天秤座が。クワイアの一人が21日誕生日で40になるからと宴を26日に催し、オーナーが22日誕生日なのでと26日に祝い(土曜日なので)共に招待されましたが、26日23時前に出先からブレーメンに戻ってくる事になっていたので無理だなあ・・と思いきや、参加団体の幹部の一人が27日に還暦を迎えるので26日から夜通し祝う、ということでこれには参加。“明日は私だ〜〜”と思いながら。
そして今日。
仲良くしているクワイアの一人に電話をかけて、明日の火曜日、クワイアの練習前後に時間があったら飲みましょう、今日誕生日だから・・と話したら。彼女は27日が誕生日、と判明。明日(29日)一緒に祝う事に。
さらに、月曜日が練習の別のクワイアの今日の練習にシャンパンとジュースとつまみをもっていって(自分が用意するのが普通なので)祝おうとおもったら、クワイアの代表が27日誕生日、と。
この短期間に3人の27日生まれを知ってしまいました。かなりすごいことでは無いでしょうか・・。
明日の報告はまた今度。

私の好きな香港スターのアンディも9月27日生まれです、ちなみに。

木曜日, 9月 17, 2009

Bremenからこんにちは(15)戦利品





規準を超える容量の庭ゴミ、小さな電化製品や建築資材、金属、粗大ゴミなどを持ち込んで捨てる場所がリサイクルステーション。そのリサイクルステーションに隣接するリサイクルショップに行ってきました。衣服、食器、電化製品・・なんでもあり。品揃え実に豊富。ゴミの収集所に隣接しているからといって、ゴミ袋やゴミのタンクから救出された品物ではありません(念のため)。不要になった人が、捨ててしまうのではなく、誰かに使ってもらえれば、と持ち込んだ品物です。自転車も売られています。
 布製品と食器をいくつか購入しましたが、どれもキレイなものです(使用感あまり無し)。フリーマーケット(のみの市)と違うのは、商品の美しさ。売りさばき感がありません。どの品物も大切にされているのが感じられます。セカンドハンドのお店ともちょっと違います。商売の匂いがしません。商品は寄付で持ち込まれていること。値札がなく、値段交渉が可能な事(好意でお金を払ったり、職員がつける値に従ったり。法外な値はつきません。もともとゴミですから)。支払うお金が、私たちの生活に還元されていそうな気になる事。(公に金を支払う感覚)。
 ゴミ、セカンドハンドと言えば、先日粗大ゴミとして捨てられている、タンスの引き出しと椅子を、貰ってきました。ベットの下に収納するのにぴったり!!セカンドハンドの不潔感とか、ケチ臭さ感とか、新品を買えない不甲斐なさとか、そういったことをドイツでは一切感じません。如何に、いいものを格安で手に入れたか、そしてそれをどれだけ大切にするか。その商品を捨てずに、次の使い手を探そうとした元所有者の思いをどれだけ引き継げるか・・そんな気持ちになります。
 中国では、誰かが新しいモノを持っていると、「いくらした?」とすぐ聞きます。「どれだけ安いか!」を競うのです。でもそこに「質」の概念が含まれず、それを大事に使おうなどという考えはありません。
 今月、いろいろと“中古”を手に入れましたが、どれも(きっと)愛着がわきそうなモノたちです。戦利品いっぱい!

水曜日, 9月 16, 2009

Bremenからこんにちは(14)Domネズミ





日本で魔除けと言えば何でしょう?節分の柊鰯とか、社寺のお札などでしょうか。“魔や災い”というのは、降りかかって欲しくはないけれど、有難い事に“入り口”で防ぎ止めれば侵入はしない、と考えていいようです。玄関、入り口というのは、やはり建物の中と外を結ぶ重要な地点なのですね。
 さて、ブレーメンのシンボルとも言うべき大聖堂=ドーム。大きな大きな教会で1200年の歴史を持っています。このドームも実は小さな小さな動物によって守られているのです。それがドームネズミ。中世にはネズミは魔除けのシンボルであり、入り口、とくに教会の内部へ一歩足を踏み入れる、その地点に“居る”ことが多かったようです。
 このドームのネズミですが、知っている人に連れて行ってもらって、指し示してもらわなければ絶対に気がつかない場所にいます。スポットライトが当たっている訳でもなく、矢印で居場所が示されている訳でもなく、案内板がある訳でもなく、人だかりが出来ているわけでもなく。ただでさえ暗い教会内部ですから見つけるのは一苦労。(私も1年間知りませんでしたし、今年5月に友人に“ドームにはネズミがいるよ。奥の方。探してごらん”と言われ、一度あちらこちらと見渡してみましたが、見つからず、それっきりにしていました。今回、新しく用意された見学客向けのプリントに、ネズミの場所が示されているのを見つけ、それでネズミがやっと発見できた次第。)そして、幸か不幸か教会というのはとても不案内なのです。基本的に見せ物ではありませんので、見学客の呼び込みやガイドがしっかりいるわけではありません。しかし、公に門戸を開いた教会ですので(広く一般に公開せざるを得ない。特定の宗教の信者だけに限定はできませんよね。)、クリスチャンのみならず、ありとあらゆる信仰を持った人が来ます。そして、純粋に“教会”に来ている人には、その祈りを妨げる教会職員の言葉は迷惑です。しかし、“観光地”として訪れる人には、説明や案内があると嬉しいものです。しかし、教会には普通は何もありません。「教会で何をすべき、何をすべきでない(何を見るべき、どう観覧すべき)」は定まっていません。そもそも“観光地”ではないので。ただ人がしたいことをすればいい、という感じ。教会は良くも悪くも“とても自由”です。
 前置きが長くなりましたが、実際どこにいるかというと、西側正面入り口から見て一番奥にいます。東の内陣、向かって右側の扉の柱の根元に後ろ足で立ち、前足で柱にもたれたような姿で。11世紀後半からずっとドームにいるのです。でも・・本来入り口に存在するべき魔除けが、建物の一番奥に存在するのはおかしい!と感じるかもしれません。しかしこれには訳があり、東の内陣の扉はもともとは西正面玄関の扉だったのだそうですが、1220年頃、西側正面玄関が2つの塔と共に新しく設置されたのに伴い、東の内陣に移設されたとのことです。
ちなみに、このとき作られた西側正面玄関扉が、現在の扉ですが、柱にネズミはいません。一建物に付きネズミ一匹の決まりでもあるのでしょうか、それとも、古参ネズミに配慮したのでしょうか。
 ネズミの立ち上がったが不自然だなあ・・と、最初に見た時には思いましたが、もしかしたら、全身で「ドームの柱、しかも一番重要な玄関の柱を支えている」の図だと理解していいのかもしれません。

そして、幸か不幸か教会というのはとても不案内なのです。基本的に見せ物ではありませんので、見学客の呼び込みやガイドがしっかりいるわけではありません。しかし、公に門戸を開いた教会ですので(広く一般に公開せざるを得ない。特定の宗教の信者だけに限定はできませんよね。)、クリスチャンのみならず、ありとあらゆる信仰を持った人が来ます。そして、純粋に“教会”に来ている人には、その祈りを妨げる教会職員の言葉は迷惑です。しかし、“観光地”として訪れる人には、説明や案内があると嬉しいものです。しかし、教会には普通は何もありません。「教会で何をすべき、何をすべきでない(何を見るべき、どう観覧すべき)」は定まっていません。そもそも“観光地”ではないので。ただ人がしたいことをすればいい、という感じ。教会は良くも悪くも“とても自由”です。
 前置きが長くなりましたが。ドームネズミ。どこにいるかというと、西側正面入り口から見て一番奥。東の内陣、向かって右側の扉の柱の根元に後ろ足で立ち、前足で柱にもたれた姿で。11世紀後半からずっとドームにいるわけです。本来入り口に存在するべき魔除けが、建物の一番奥に存在する訳は、東の内陣の扉はもともとは西正面玄関の扉だったのだそうですが、1220年頃、現在の西側正面玄関が2つの塔と共に備え付けられたのに伴い、東の内陣に移設されたとのことです。
ちなみに、新設の西側正面玄関扉の柱にはネズミはいません。一建物に付ネズミ一匹の決まりでもあるのでしょうか、それとも、古参ネズミに配慮したのでしょうか。
ネズミの立ち上がったような格好が不自然だなあ・・と思っていましたが、もしかしたら、全身でドームの柱、しかも一番重要な玄関の柱を支えている−の図だと理解していいでしょうか?

Bremenからこんにちは(13)呼ぶタイミング??




大聖堂ミュージアムにて、10月末まで特別展「GEIST GLAUBE KUNST DER RELIGIOESE BLICK WORPSWEDE 1882-2009」(「精神・信仰・芸術 宗教的視点から ヴォルプスヴェーデ1882-2009」が開催されています。
説明しましょう。芸術の都パリにも勝るとも劣らない?村が、ドイツに、しかもブレーメンから北東20キロほど離れたところにあります。ヴォルプスヴェーデという村です。そこに集った画家が、フリッツ・マッケンゼン、オットー・モーダーゾーン、フリッツ・オーバーベック、パウラ・モーダーゾーン・ベッカー、ハインリッヒ・フォーゲラー、ライナー・マリア・リルケなど。画家のみならず、詩人や建築家などあらゆる分野の芸術家が、都市の喧噪をから逃れて移り住み、田舎の素朴な風景の中で親交を深め、制作活動を行いました。
彼ら芸術家のヴォルプスヴェーデでの生活の中心には教会があり、彼らはキリスト教的モチーフを自分なりの解釈で作品の中に取り込みました。生活の中に自然があり、信仰があり、芸術があった、彼らの生活を“宗教”と(少し)絡めつつ紹介しよう、と言う主旨なのでしょう(恐らく)。彼らが好んで題材とした風景画と共に、キリスト教モチーフの絵画も展示されています。

とりあえず、ドイツでは(北ドイツでは?)よく知られた画家に関わる展示です。12日から始まった特別展で、私は今日が初日。もちろん監視役でその場に居ましたが、客も少ない事だし、とじっくり説明のボードを読ませてもらいました。今回のボードは難解な言葉が少なく、比較的理解できました。気分よく鑑賞していると、電球が点滅し始め、(多分)消えました。暗くなったように感じました。
「おいおい、展示替えをしたときに豆電球の取り替えとかしなかったのかいな??」(通常でも電球がすべて点灯していることの方が少ないけれど、事情がよく分かっていないため、もしかしたら故意に照らさないようにしているかもしれない、と思い報告せずにいる。その場に居合わせる入り口担当も結局はボランティアなので、何も判断できない。でも今回は明らかに暗くなったと感じたので)と、ひとまず入り口まで戻って、担当に電球が2つ切れています、と報告。そしてもう一度持ち場に戻ると、また他に数個点滅ム切れ。もう一度入り口に戻り、「2個でなく4個」と報告し直し。また持ち場に戻ると、なんだかすべてがおかしい。電球全部の明かりが消えていくような・・そんな気配。「消えるんやったら全部消えてもいいから、ことの顛末を見届けてから、幾つの電球が必要か報告すればいいや〜〜。窓からの明かりがあるから、とりあえず真っ暗ではないし」と静観・・・。していたら・・。
なんだか焦げ臭い匂いが。そして煙が・・・。ショートというのでしょうか、一つのケーブルに電球が配線されていますが、うまく電流が流れていなかったのでしょう。もくもく白い煙&焦げ臭い匂い。
煙を見て、とりあえず、入り口へ。非常ベルを押すべき?ともちらりと思いましたが、「火」が無いこと、どこがボタンか知らない事、火災探知機が自動作動していない事、の理由から入り口担当に報告。そこから従業員に報告・・の手順をとってもらいました。電気を消せばとりあえずは済んだ話で、大事にはなりませんでしたが、煙を見た時はちょっと焦りました。火花が散ったら?&絵がむき出しで展示してあるんだけど、ということを思いました。
美術品のことに思いを馳せる事ができたことに対して、(当たり前ですが)(自分で)褒めておきます。でもこういうことが起こりうるから
1)素人めいた美術館に価値の高い絵画を貸出し、展覧会をすることができない(嫌がられる)2)美術館は、社会的施設として、作品を公開する事が求められるが、作品保存の観点からすると収納庫で眠っているのが一番いい。美術館は常に矛盾を抱えている。
なんだなあ、と改めて。
もう一つ考えたのが、消防車を呼ぶタイミング。火がおこってもこれくらいなら自力で消せる!と思えば呼ばないだろうし、呼んでいるうちに消火活動して鎮火した頃に消防車が来たら申し訳なくない??とか考えたり。(実際、家の中で調理中何度か、「やばいっ」と思う“火”を出した事があります。)でもこういう迷いや、消防車、消防士に対する余計な気遣い?が火事を酷くするのかもしれません。
地震雷火事オヤジ・・といいますが、火事は本当に怖いです。気をつけなくっちゃ。

でも基本的に、ブレーメン界隈の知識がまたちょっと増え、今までの知識とリンクし、総合的に知っている事が増した感じがしました。“学ぶ”ってこういうことですよね、きっと。

金曜日, 9月 04, 2009

Bremenからこんにちは(12)運のいい人&一年経って・・。



一週間に1回くらいのペースで“監視”をしている大聖堂のミュージアム。たまーに日本人の方も来られ、(基本喋りませんし、日本人かどうかも決定的根拠が無いので話しかけない)ます。
ですが今日・・会釈をした事がきっかけで、だらだらと話し込む羽目になり、3時頃から9時半頃まで延々とおしゃべりをし、お食事をご一緒させていただきました。
もうすぐ80歳になる女性。お一人でご旅行・・とのことです。3ヶ月も。年齢や今まで歩んでこられた人生への感嘆や敬意はさておき、見習うべきことがありました。
「私はいつもとてもラッキー。いつも運がいい」と自分で断言されるのです。「運がいいから職に就けた」「運がいいから雨には困らない」「ラッキーだから、遅れたはずのバスにも乗れるし」「ラッキーだから、私に会った人はラッキーになるのよ」と。
これってすごい事だなあ・・と感心したのです。運を天に任せて脳天気に生きているようにも見えますが、そうではなくって、日常の中で自分に起こる事はすべて“LUCK”なのであり、何一つ自分で努力して成し遂げたモノではない、と謙遜し、身に起こる出来事一つ一つに感謝している姿勢を感じるのです。そして何が起こっても“ラッキーだから”と、プラスに考える事の繰り返しが、大きな“ラッキー”を運んで来ているのではないか、と思う訳です。
そしてその前向きな姿勢が、周りをも幸せにし、“ラッキー”をもたらす結果になっているのだろう、と。
数時間ご一緒し、宿へ戻られましたが、はっきりいって私も「ここに居る事だけで幸せ」と言う人間で、身に起こる事はすべて“有難い事にさせてもらっている”“みんなのおかげで生きていられる”とドイツにおける“運”(運というより私は奇跡だと思ってるけど)はかなり感じている方です。なので、9月3日は、二人のラッキーな人間が出会った日でした。
さて、別れて戻ってくると、ウェブ上で抽選していた(例の)イタリアンオペラのファイナリストコンサートのチケットが当選していました。あらあら、抽選運などほとんどない私が・・。これも、この女性が運んで来た“運”なのでしょうか。とにかくありがとうございました。お会いできてよかったです。

で、今日9月4日は、私がブレーメンに降り立った日です。1年過ぎました。これから何が起こるのか・・分かりませんが、私は“ラッキー”だから大丈夫、って思っていようと思います。

とりあえず小さく写真・・。個人情報?なので。