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3年以上ぶりの個人旅行だろう。こちらに来てからもうすぐ丸3年。過去何度も家を数日にわたってあける事はあったが、いずれもグループでの行事参加等であり、自分で手配し、支払い・・する旅行は今回が3年ぶり・・。 訪問地はドレスデン近く、チェコとの国境に広がるザクセンのスイスと呼ばれる奇岩山岳地帯。ここには様々なトレッキング、ハイキングコースがあるが、その中でも新しい「画家の道」を歩いてきた。なんでも白亜紀の堆積層が隆起・浸食を繰り返して形成された奇岩地帯。樹海のなかにボコボコと顔を出す奇岩。断崖絶壁を形成する奇岩・・。自然の絶景が満喫できるところ。ドイツ・ロマン主義の画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒらが、歩き、創作した事から設定されたコース。全8日に分けられたコースで全長112キロ。私は日程の関係上1日目をのぞく7コース。100キロ超を歩いた。(実質はもっと歩いているはず) 心配はリュック。全荷物を肩に担いで、アップダウンの激しいコースも狭いコースも、悪天候の中も過ごさねばならない。何が何でもその日のゴール地点までたどり着かねばならない。宿の事もあるし、次の日の事もあるから。ということで荷物は極力少なく・・を心がけた。幸いリュックのチョイスがよかったのか、身体に上手くなじんで、”肩に食い込むリュックに・・”なんて事態はなし。靴も友人が貸してくれたが、ジャストサイズ。水ぶくれ、靴擦れ等に悩まされる事無く日程を終えた。最後の2日間は、比較的平坦コースで雨。つまり、森ではないので雨を遮る物が無くすべてレインコート直撃。びしょびしょ。写真も撮れないし。ま、その2日間の写真枚数が少なかった事で、1400枚程度の写真量に収まった、そうでなかったら・・と思うと恐ろしい。 標識はとっても不案内。何度も迷い、時には引き返し、(でも荷物があるし、一日の終盤は疲れてくるので、引き返すのも簡単ではない)・・しながら、なんとか7日乗り切りった。道中80%以上の山中は孤独。誰にも会わず、追い抜き、追い抜かされ、すれ違い無し。一人で山で迷った時は本当にどうしようかと思った・・・。携帯は繋がらないし、繋がった所で自分の居場所を告げられる自身は無いし。まあ、いずれも今となってはいい思い出。 でも、一人でトレッキングしている人、ほぼ皆無。傍目には無謀に映るのかもしれない。でも自分としてはこれで極めて普通・・。で、ちょっと自信になったかなあ。 この画家の道。登山ではないので、一日のうちに何度も上り、下り、を繰り返し、絶景ポイントをはしごして行く感じです。一つ目の奇岩の頂上に上り、下り、隣の奇岩の上に上り、下り・・の繰り返し。そして一日のゴール地点へのコース取りに”無駄”が多い。(直線、最短距離ではなく。如何に”つまならない景色”を避けるかに重点が置かれている。だから回り道ばっかり。まあ、景色を楽しむ事が目的なので無駄ではないのだが。) うーん・・でも”もうすぐ(岩の)頂上”って時の”心はやる”感。頂上からの景色を眺めた時に”疲れが吹っ飛ぶ”感。すっごく壮快・・・だった。 写真は・・こっちに40枚アップしてます。 http://www.facebook.com/media/set/?set=a.150518885025671.37672.100002026825156
今日は眼鏡をかけて過ごしてみた。ダテ眼鏡である。学生時代〜集めていて、ずいぶん長い事おさらばしていたが、昨年末の一時帰国の際に持ってくる事ができたのだ。 先週の日曜日、有無を言わさず着用しないとならぬ機会があり、うっとおしさを感じながらつけていた。でも今日。 今日は(結果論として)眼鏡が必要だった。眼鏡をしていないと、”目からすべてを読み取られそう”な感じだった。何か崩れて行きそうなものを守る為に、今日は眼鏡が必要だった。強くあるため、強く演じるため、ちょっと自分でないような自分を演じるため、今日は眼鏡が必要だった。そんな”心の弱い、脆い”日だった。 それを予め本能で察して、無意識に眼鏡を装着したのだろう・・・。よかったよかった。 ま、親譲りの能天気さ?も比較的持ち合わせているので、しばらく続くであろう”弱い”時期は、そのうち眼鏡無しでも十分過ごせるようになるんだろう。人間の適応力ってすごい。
昔から空を飛ぶのが夢だった。飛行機とかヘリコプターとかそういう”道具”を使うんじゃなくて、身体だけで飛ぶ。百歩譲って、タケコプター的な道具で。低学年の頃、”空飛ぶ鏡”を持つという友達の話を本気で信じていた。それぐらい飛びたかった。かといって、空の世界に憧れがある(あった)訳でもない。なので、そういう仕事を目指した事は特にない。 でも飛行機を見ると思う。”飛びたいなあ”って。この感情は、素直に”非日常感”を味わいたいという思いと、(今は)”望郷”の念の両方。 今日、朝っぱらから空港に2時間滞在。お見送りをしてきた。人が去ってくのにはいつも寂しさがあり、残された虚しさがあり、自分も”飛びたい”(上記2つの意味で)けど飛べない悲しさがあり・・となんとも複雑な思い。 初めて足を踏み入れた展望台で、飛び立って行く飛行機を見送って帰ってきた。天気悪し。 ま、Good Luck!!。 今度飛行機に乗れるのはいつかな〜〜〜〜。
”出世払い”と人は言います。私は、まあろくに仕事もしたことのない人間(と言われる。反論の余地無し(汗))なので、”出世払い”と称し、まあ、様々支援を受けてきました。そして今も、助けられています。 幸いな事に学生の身分として働く事ができるので、それで金銭を得、物質的には回りに助けられています。こんな生活もほぼ1年になりました。 こんな助けられてばかりの私が、初めて”金銭的”に人を助けました。嫌らしい意味では全くなく、”寄付”的な意味。もちろん今までは、金銭的負担が出来ないので、労力で返していた(それは今も然り)けれど、今回はまさに私の所から”金銭”がでました。 ”出世払い”って出世してお金を稼げるようになったら、借りた本人に返すというより、次は助ける側になるってことなんちゃうんかなあ・・と感じた次第。 銀行口座がマイナス、ゼロではないとうだけで、決して裕福な生活はしていません。日本の年金だってある・・。でも、無いなりに、もっと無い人(お金の必要な人)を助ける事ができました。 そうやって”お金”は天下を回っていくんだなあ・・と。 もっとも、普段はこんな”金銭的寄付”はしません。理由:単にお金がない。でも、今回は例外中の例外。 この行動が、私の恵まれた環境(過去(日本に産まれた事〜すべて)も現在も)と今まで、現在、これから・・私を助けてくれる人たちへの恩返しにもなるのではないか、とも思うのです。「ありがとう」の一言に尽きます。
「私は自分の事よくわかってる」 「あなたは自分の事しか知らない。私は100人のシェフを知っている」 という (感じの会話) のは、ドラマ:王様のレストランの中で私が好きなシーンの一つ。シェフの静と千石さんのやり取り。 昨日は、ひょんなことから参加する”羽目”になったバンドでのステージがあった。教会所属(というか練習等の部屋がある)のバンドなので、教会の音楽夏祭りに参加しただけだが。しかし、こういうふうに、ステージの機会がちょこちょこあるので得をしてるといえばしてる。さておき。 突如キーボードの音が鳴らなくなる(しかも今日初めて触るキーボード)。という問題。シンセサイザーは効果音にしていて&即座にピアノ音への設定が分からず、ブラス系の音で奏でる羽目になる・・しかも大音量過ぎたり・・ペダルが機能しなかったり、ケーブルと格闘するも虚しかったり・・ということが次々と、ステージ上で曲目が進んでいるのにも関わらず襲いかかる〜〜〜ってなことがあったけれど、見ている人はほぼ顔見知りの教会関係者だったので、顔面蒼白にならずにはすんだ。なんせ、音が鳴るのか鳴らないのか分からないキーボードと音は鳴るが、曲にあわないような音を奏でるシンセを抱えていた物だから、弾き出すタイミングが合う訳も無く、心地よく響いていたとは思いがたい・・。がとりあえず終了。 終わって種あかし。(キーボードの不具合はやらせだった・・・とかではない)。 どうやら、プロデュースをする的な人がリーダーの手により招かれていたらしい。(そういえば、私は聞いていたような。がすっかり忘れていた。なんか見たことない似つかわしくない人がでーんと座っているなあ・・と怪訝に思って見てた) 彼は、いろいろに私たちバンドをポジティブに評価し帰っていった。 だから私の頭の上は大きな大きな”はてなマーク”。私以外のメンバーは、プロを始め、腕を持った人たち。そうでなくても、”魅せる”能力のある人たち。プロデューサーが本物なら、第一に「キーボードを外せ」と言わなくちゃならん。しかも一人女性&黄色(人種)なので、それだけで目につくはずなのだから。しかし、彼は私をもこき下ろす事無く済ませた。 疑わしい。疑わしい。疑わしい。疑わしい。彼は本物なのか???????????? 見に来ていた人にも、特にキーボード&シンセの不快音は気にならなかったらしい。本人は不快で不快で不快で・・できれば弾かない方が良いんじゃないか・・と思っていたので。 (余談:まあ、すごいな、と思ったのはキーボードが鳴らなくなって、「待って」とリーダーに小声で訴えても、ステージを続行した事。その時は「なぬっ」って思ったけど、show must go onである。すばらしい。) 要するに、自分が気になっている事も、回りは特に気にならない(可能性がある)という事。キーボードが上手く弾けているとは決して言いがたい、アフリカのリズムもなかなか慣れない、バンドの中の落ちこぼれだが、回りにはそうは見えないらしい。不思議だけどそういうこと。 でもまあ、メンバーは全員分かっているので、ちょっとずつでも上手くならないとね。迷惑かけないように。彼らの音楽を壊す事だけは避けたい・・・。 個人的にはグループの構成にはいろいろ役割があって、技術の人、統率力の人、頭の人、人柄の人、精神の人・・っていろいろだと思う。私は”Seele”の部分を担っている、と思ってる。それでいいと。役割分担役割分担。(それと(教会関係は他のメンバーよりも詳しいし、なんせよく動く、よく気がつく・・で今まで生きてきた人なので)リーダーの腹心的右腕&雑用係) いずれにせよ、こうやって次の日に思い返せるだけ余裕があるという事なので、今月初めのライブよりずっと楽しめました・・。 で、土日3回の(別々のグループとの)ステージを難なく・・こなして・・ああもう7月だ。もうすぐ夏休み・・。