何はともあれまず、日本に居る間に相手をしてくださった皆様に感謝します。数人の友人、お世話になりっぱなしの人生の諸先輩方、妙な縁のある方々・・・よくもまあ、こんな得体の知れない私の一時帰国につきあってくださったものです。感謝します。 そして家族。私のいないことが日常となり、すっかり一日のタイムテーブルが私抜きで出来上がっている中に入り込んだ私の我が儘振る舞いに目をつぶり、要望を極力かなえようと尽力してくれました。ほぼ2年半ぶりの日本、しかしそれぐらいで忘れる訳がない“家の勝手”であるものの、時間の流れはとうに、私の存在は無いものとして成立している。実家であり、嫁いでもいないので、まだ私の家ではあり、主導権を持っていてしかるべきなのだけど、やはりそういう訳にはいかない。それにもどかしさを感じ、時の流れを感じる。そして自分の不甲斐なさをも感じる。
ここにいてもそう。大学の授業に出る気が湧いてこないことで、自分がすでに“脱落者”であり、“敵前逃亡者”であることを感じる。ドイツという外国で生活していてすごい、という周りの盲目な評価を鵜呑みにしているわけでは無いのだけれど、私のやっていることは逃げでしかないのか????????
言い訳を書いておくと、大学にはそもそも何の興味もなかった。できれば避けて通りたい道だった。でも滞在許可のために・・と通いだしたけど、課題は多いし、着いていけないし、特に面白くない。それで、身体が、心がおかしくなりそうだった。何でこんなことせんとあかんのやろう、って。滞在を続けるためには、我慢しないといけないことなのかもしれないけれど、私にはこの大学生活が耐えられなかった。やっぱりただ逃げているだけですか????
考えてみれば、今までの人生も逃げてばかりの私。これだけは逃げたくない!譲れない!っていうのが“ドイツにとどまること”。これを実現するには、大学生活から目をそらしてはいけないのですか?そんなに大事なのですか??社会とのつながりは十分にもっているつもりだけれど・・これはただの都合のいい解釈ですか??だんだん分からなくなってくる。
周りではちゃんと大学に通っている人も大勢いる。そういうすごい人を見るにつけて、自分が脱落者であることをひしひしと感じ、情けなくなる。でも私には大学は無理そう。気力も体力もない。それでもいいですか???そして今すべきことは何ですか?・・・分からない。
日本でリフレッシュどころか、自分の立場のあやふやさを確認するには時間十分の滞在期間があった。何も(ほとんど何も)言わず、ただ見守ってくれる方々にただ感謝します。
ここに居座りたいのだけれど、その手の打ち方がいまいち分からない・・。万策尽きた???感も無くはない。ブレーメンへの執着をなくすこと。できるとすればこれかなあ。最終手段にしたい手なのだけれど。