金曜日, 6月 05, 2009

Bremenでの・・・コト(217)ドイツにいるからたまには。



ドイツへ音楽留学に来ている人も多いというのに、所謂“クラシック”という音楽をブログで話題にした事がないような気がする。音楽と言えばいつも“ゴスペル”とか“歌のレッスン”の事ばかりで・・。

ちょっと興味深い話を勉強しましたので、ちらりと書き留めます。
ブラームスの「Ein Deutsches Requiem」(ドイツ・レクイエム)について。ご存知の方も多いでしょう。(私はあんまりピンと来ませんがブラームスは知っています。詳しくは知りませんけれども)このドイツ・レクイエムがブレーメンで初演され、その成功をきっかけに、ブラームスはドイツ音楽の三大Bとも称される存在になっていくのだそうです。
レクイエムとは、オーケストラと合唱、およびソプラノ・バリトンの独唱による宗教曲。日本語では「鎮魂歌」と訳されます。カトリック教会におけるミサ曲のことです。しかし、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」は、ルター訳のドイツ語聖書の中から歌詞を取っている、つまりプロテスタントの考え方が盛り込まれた楽曲という事です。だから、特に礼典用に作曲されたというよりは、純粋に演奏するための作だといえるそうです。
ブレーメンでの初演は1868年4月10日。この初演にいたるまでには、ブラームス自身の“性格”も含み、様々な偶然が重なりました。
1866年にチューリッヒで曲を完成させたブラームス。お披露目の機会を探していました。そして1867年交遊のある人たちに曲を紹介するため、友人のアルベルト・H・ディートリッヒにオリジナルの楽譜を送りました。“オフレコに”と厳重に言い渡して・・。しかし、ディートリッヒはこの曲にいたく心を動かされ、ブラームスの忠告を顧みず、ブレーメン大聖堂のオルガニストであったカール・ラインターラーに渡してしまいました。
 しばらくの後、こういう事態になっていることを知らないブラームスは、楽譜をもう一度手元に戻したいと思い、バイオリニストのヨセフ・ヨアヒムに「返して」と迫ります。
「??」。ですね。
忘れっぽいところのあったブラームス。自分が楽譜を渡したのが誰であったかもすっかり忘れていたのです。彼の楽譜を手にした事など無いにもかかわらず、楽譜を無くしたと、根拠の無い疑いをかけられたヨアヒムでしたが、ブラームスの新曲のことは聞いており、幸いにも、ヨアヒムの力により、オリジナル楽譜の行方は明らかになったのでした。
ブラームスとラインターラーの間で交わされた手紙が残っており、それによると、(この楽譜騒動の経緯から)最初のやりとり(人間関係は)いまいちだったようですが、後に友好的になり、ブレーメンでの初演のためにお互いに尽力したことが書かれています。
ちなみに、この初演。ブラームス自らの指揮で演奏され、大成功を収めました。
さらに。このブレーメン初演の段階では第5曲にあたるソプラノソロの「Ihr habt jetzt Traurigkeit」は無かったのだそうです。この部分の作曲の理由に“ブラームスの母の死が影響”が挙げられる事がありますが、母の死が1865年であることを考えるとこの説は間違いだ・・とも指摘されています。

以上、ブレーメン大聖堂からのプチ情報です。

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