



マルクト広場に立つローラント像。市庁舎の建物と並んで世界遺産に登録されています。中世文学『ローランの歌』に登場する英雄ローランの像という事だそうで、実在の人物ではないのでしょう。ブレーメンには(密かに)何体ものローラントがいるということです。
さて、ローランド。先日お手伝いの作業所でローランドのコスチュームを作りました。何度も何度も瞳に写っていたローラントでしたが、あれほど詳らかに見たのは初めてでした。まず、注目すべきは、ローラントの膝です。“とんがり”がくっついています。このとんがりの幅が、ブレーメンにおける昔の度量衡単位のElleで、商取引で使われたそうです。
そして、あまり気がつかないのが、ローラントの足の間にいる(踏まれている??刻印されているだけ?)人物です。この人物は自力では立って歩けない、身体に障害を抱えた男です。
でもなぜこんなところに??それに関しては面白い話があります。
慈悲深いエマという伯爵夫人がいました。彼女の夫(伯爵)の死後、遺産や所持品などの財産で、民に施しをする気の良い夫人でした。しかし、伯爵の弟にあたるベノ公爵はそれをよく思わず、彼女の死後には自分自身やその息子に受け継がれるであろう財産を残してほしいと願っていました。
ある時、ベノ公爵がエマ伯爵夫人を訪問し、2人と側近たちでブレーメンを通りかかったとき、ブレーメンの代議士たちはエマ伯爵夫人に、一周するのに一時間ぐらいかかる広い牧草地が欲しいと訴え、エマ伯爵夫人はそれを与える事を約束しました。
ベノ公爵は、エマ伯爵夫人に、「遺産で民に施しばかりするのではなく、守ることも少しは考えた方がいい」と進言。夫人は「神が与えた富ですが、あなたの言う事にも一理ある」とその忠告を素直に聞き入れました。悪賢い公爵は夫人が素直に従った事に驚きつつ、エマ夫人を策略にかけるべく、「今後、民への施しなど、財産の管理は私に一任してくださいね」と言いました。エマ夫人は、何の疑いも持たずそれに同意しました。
それを聞くや否やベノ公爵は元来た道を戻り、先ほどエマが施しをした物乞いの所まで駆けて行きました。驚いた事にその物乞いは身体に障害を抱える男でした。ベノ公爵は“今こそ、この物乞いに対し、エマ伯爵夫人が了承した事を実行する時だ(民への施しは自分に一任)”と物乞いに対しひどい仕打ちをしました。
見ていた市民は嘆きの声を上げ、エマ伯爵夫人はその男の肌に手を当てて祈りました。市民は疑いの目で見ていました。エマ伯爵夫人はその男が自力では立てず歩けず、毎朝夕誰かにつれて来てもらい、つれて帰ってもらっている事を分かっているのだろうか・・と。
エマ伯爵夫人はその男に対し、立ち上がるように促しましたが、もちろん男の足は機能しません。男は這い始めました。夫人の側近がその男の這う道筋に付き従い、100回這うごとに一本支柱を建てていきました。男は這い続けました。最初は見ていた市民も、見飽きて家に戻ってしまいました。しかし、午後になってもう一度そこまで出て来たとき、市民は見つけました。ずーっと遠く遥まで支柱が続いているのを。そして、男が引き返し、こちらにどんどん近づいてくるのを夜になるまで見守りました。
太陽が沈むころ、男は街に戻ってきました。そして彼の這った後は、ぐるりと支柱で囲まれました。この土地はまさに、市民が牧草地として求めた大きさそのままだったのです。これは1032年のお話です。
今でも中央駅の裏側は“B殲gerweide”(市民の牧草地)とう名称で、誰もが立ち入りできる場所になっています。(ただの広場と言うか・・に思えますが)ブレーメン市民はこの偉大な男に尊敬の念を抱き、彼の存在を心にとどめ、後世に語り継ぐために、ローラントの足の間に刻みました。
エマ伯爵夫人は夫の死後40年生き、死後は大聖堂地下に埋葬されたということです。
しかし、ローラント像は1404年に立てられた・・ようなのです。いつからこの“物乞い”像が刻まれていたのか・・は分かりませんし、何の関連もない二つの話と人物が、あたかも深い関連があるかのように存在するのはなんだか不思議です。
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