金曜日, 2月 26, 2010

Bremenからこんにちは(76)注射王

7月末にナイジェリアへ行きます。旅行と言うかゴスペルを歌いに。ということで、練習をしていますが、個人でやらなければならない事もあります。
まず、ビザ申請&渡航のために有効なパスポートがある事。尤もこれは、現在有効な旅券を持って、外国人として滞在しているので問題無し。
次に予防接種、黄熱病、ポリオ、破傷風、ジフテリア、A型肝炎の予防接種が義務。黄熱病は所謂検疫所的なところで、その他は、普通の医者で出来るというので、とりあえず近くの医者に情報収集に出向いたら、
ポリオ&破傷風&ジフテリアは3回の接種で完璧になるとのこと。接種、一ヶ月後接種、6ヶ月後接種で、10年有効。で、6ヶ月目のやつを摂取したら、次回からは追加接種するだけでいいらしい。ということで、7月までに完璧に達するのはもう不可能である事が判明。早すぎるつもりが早くなかったみたい&そんなに効果が持続するとは・・驚きです。知らない事もまだまだ多い。
ということで、とりあえず、木曜日に両腕に一本ずつ注射。
黄熱病に関しても、渡航時期を告げ、予約を・・と思ったら、いきなり翌日に予約を入れられてしまいました。2日連続で接種。体的に大丈夫なのだそうです。
血は体は大変な事になってそうですが。 見知らぬウィルスを投与されてめっちゃ戦っているかもしれません。頑張れ〜〜。

つーか、まず“注射の証明本”を所持していない事に驚かれました。これって持っていて普通なの??母子手帳みたいなもんかな。
日本でも母子手帳には予防接種の欄があっただろうから、もしかしたら、破傷風とかの一回目の注射=基礎免疫はすでにあるのかもしれない・・三種混合ワクチンに含まれている、とか?・・大量の現金が動く事だし、母親に尋ねてみようっと。母子手帳に記されていても、日本語だから無効・・ってこともありえるだろうし。だって高いんだもん。マラリアの予防飲み薬も用意すると200ユーロは飛んで行くらしい。これにはたまげた。

ちなみに、欧米の注射と日本の注射では、使われている物が異なるようなので、日本語での情報は鵜呑みに出来ない、ということも理解。それから接種をするなら医者ではなく検疫所がベスト。医者は注射という行為はできても、どうすべきかの判断はできない、と。すべては検疫所に尋ねてくれ、ということのようです。保険で支払うなら医者で接種が普通のようですが。

とりあえず予防接種のことを考える生活スタート。この2日で両腕刺されまくり・・でした。そしてやはり少しだるい。

保険は利かないし、体に0.5ミリほどの液挿入するだけで、効いているのか効いていないのか分からない=金が消えたイメージしか無いけど・・もう後戻りはできないナイジェリア行き・・。覚悟を決めましょう。(行く気は満々、覚悟とは出費への覚悟です)

木曜日, 2月 25, 2010

Bremenからこんにちは(75)やっと見えた緑

近所の公園。バス停に行く時に必ず通る公園。その公園は年末から降った雪で、もう2ヶ月覆われたままでした。
ここ数日気温が5〜10度ほどまで上がり、おまけに雨。溶けかけては凍り、其の上からまた積雪・・を繰り返し、しつこい&こべりついた汚れと化していた雪からやっと、地面が見えました。色が見えました。
白と葉の無い木、枝の色&黒とも見える常緑樹の葉の色ばっかりだった世界に、鮮やかな緑。
春はもうすぐ。

日曜日, 2月 21, 2010

Bremenからこんにちは(74)ゴスペルチャリティーコンサート

土曜日はハイチへの寄付を募るゴスペルのチャリティーコンサートがあり、所属のクワイアと出演して来ました。私の所属するもう一つのクワイアのリーダー関連のクワイアや、キッズのクワイアなど数団体参加しました。急遽決まったコンサートという事で、宣伝もイマイチでしたし、練習もイマイチでしたし、メンバーの集まり具合もイマイチでしたし、本人的には喉がめちゃくちゃ思わしくなかったですが、とりあえず終わりました。
今までのコンサートと違ったのは、ゴスペル関係の知り合い以外に、カーニバル関連の知り合い、キャラバン関係の知り合い..と多方面の知人が見に来てくれた事です。ゴスペル人には、我がクワイアの名前はかなり有名なのですが、そうでない人には、無縁の世界。よってゴスペル関連のコンサートに来る人って大抵決まっていて、いつも同じ面々を拝見します。其の中で、今回は、私の周りではちょっと異色な観客が居合わせてくれました。
どうもありがとう。でもしっかり挨拶も出来ずごめんなさいです。

金曜日, 2月 19, 2010

Bremenからこんにちは(73)25周年

25年って四半世紀。短くない年数です。私の人生の6分の5。周りで25年がいっぱいあります。今年の8月に参加団体の「Die Blaue Kwrawane」が25周年。先日終わったカーニバルも25回目でした。またお世話になってる劇団も25周年記念公演をしてはりました。
で、この「Die Blaue Kwrawane」青いキャラバンの25周年祝賀会が8月末に予定されており、それに向けて、本当に少しずつ計画が進んでいます。
私の参加している劇グループ。夏に向けて新しい題目を・・ということで、月に3〜4回集まって、練習なのかそうじゃないのか分からない練習をしています。まあ、めちゃくちゃだけど、とりあえず“夏の舞台”という頭だけはあるので、きっとなんとかなるのでしょう。
個人的にはちょっとした演奏が出来ないか・・と滋賀から「よし笛」を取り寄せました。というのも、この団体は「青」を団体名に冠し、境界のない「水、海、空」のように、分け隔てのない共生社会を目指す団体です。日本人にとって「水」って、この団体に負けないくらい重要。島国日本、雨の多い国日本・の日本人が深奥で感じる「水」は、とてつもなく大きいものです。そして私の故郷「滋賀」。琵琶湖、MatherLake、母なる湖のある滋賀。水と私たちの生活の関わりの深さ・・は途方も無いです。ということで、それを何かしらで表現したいな、と思って、用意したのが「よし笛」。琵琶湖に生息する葦で作った笛。環境保全や水保全、そして生命の尊さなどを訴えるシンボルとして存在するよし笛。これをここで披露する事にしました。
といえども計画段階。笛が吹けるのか不明。一人でどうするのか未定。でも、一応その旨は団体に告げてあり・・、ま。頑張ります。こんな曲が素敵かも?というご意見お待ちしてます。簡単なものに限りますが。(汗)
写真は劇グループ、よし笛と団体のシンボルフィギュアの青ラクダ。

Bremenからこんにちは(72)どうにでもなれ〜〜〜

前回のブログで頼んでいた、関係団体からの“仕事の評価書”。とりあえず頂きまして、応募先に送付しちゃいました。
もうどうにでもなれ〜〜というところです。関わってくださった皆様ありがとうございました。ま、今後は何かしらに応募する時には、その評価書をも履歴書等と一緒に最初から送る事にしましょう。何事もドイツ形式で進めるのですから一つ一つ勉強です。普通の感覚では絶対にしないことですが、“全てが分かっている訳ではない”ことの強みが私にはあります。知らなくて当たり前だから、とりあえず突き進め〜〜と、まあこういうことです。挑戦はタダなので、ね。
その関連?という訳ではないですが、ブレーメンの観光スポットのガイドへの道にも踏み出しました。とりあえず、親会社への面談へ赴き、まず一度2時間のツアーに参加し、ポイントを押さえ、それをふまえ、ガイド内容を原稿に仕上げる、という課題を頂きました。ガイドが出来るにしても日本語もしくは、できたら中国語・・ですが、原稿はドイツ語で。それが出せたら、試ガイドツアーをする・・とのこと。まあいつのことになるか分かりませんけれど・・。というのも、ガイド内容の原稿を20〜25枚のドイツ語で、と。ふむ。日本語でもA420枚って少なくないです。尤も、案内すべき部分が沢山ある事、書く題材が沢山ある事を考えれば、驚くほどの枚数ではないのかもしれませんが、ドイツ語でのこの枚数は未踏の量。且つ、先日一般客に混じって参加したツアーですが、まあ、分かりにくかった事分かりにくかった事。ブレーメンの歴史とか案内内容は本を読めばいくらでも分かりますが、折角ツアーに参加したからには、まずその内容を理解すべき=それがガイドをする上で外せないポイントなのだから、です。レコーダーで2時間録音しましたが、それを聞いてもイマイチ理解できない。ということで登場するのが、私の現在のお勉強パートナー・・・的に助けてもらっている方。一緒に録音を聞き、解説と+αの知識を加えてもらいます。しっかし、ドイツ人ガイドがドイツ人に行うガイドを日本人が聞く、という事の中には、少なからず“無理”があります。生きてきた歴史、根本的な考え方、常識として頭の中にある事、阿吽で繋がる思考に些かズレがあります。なので、最初の10分にガイドさんが話した「ブレーメンの起こり&歴史」の理解だけでかなりの時間を費やしました。そしてこの日はここまで。聞き取りだけで相当時間を費やし&原稿にするのにまたまた時間を費やすのでしょう。その合間合間にテストがやって来たりして中断したり・・しながら。そして、考慮すべきは・・ドイツ人観光客と日本人観光客の興味範疇には大きな差がある、ということ。つまり原稿とガイド内容はまたまた異なる物になるということです。来るべきかどうかも不明な未来の話ですが。
まあ、ガイドが出来るようになる、というより、ブレーメンの歴史を勉強できるということが個人的には嬉しいです。一人ではなかなかする気になれないので。ちなみに、ガイドとしてブレーメンで登録している日本人、中国人ともに一人ずつ。仕事があるのかは不明ですが、英語とドイツ語以外は指名制、予約制・・ということです。

写真;雪が舞う中のツアーでした

金曜日, 2月 12, 2010

Bremenからこんにちは(71)同時進行

もうずっと同時に進めている事があります。それは、大学入学への道と就職への道。EU圏の人間や、トルコ、中国等特別な国以外の人間は、滞在にもかなりの制限があります。「ここに居たいから」では留まれません。長期滞在には、学業する学生ビザ。駐在もしくは就職先を見つけて会社の推薦を得て所持する就労ビザ。そして配偶者ビザ。この3つしか(大きく分けて)ありません。短くていいならば、ワーホリ、語学学生ビザとか、旅行者でも普通に3ヶ月は住めます。
学生ビザも永久という訳でもなく、勉強している間は滞在許可が下りますが、それが無くなれば、滞在目的が無いと見なされ、許可は居りません。
なので、学生している人は学業の期間だけここに住まい帰国して行きます。就労している人にも2種類あって、駐在さんと現地採用。駐在は会社命令できているので、会社命令が再度下れば帰国。一時のドイツ生活を楽しんではります。(多分)。現地採用者は、ドイツが好きとか・・そういうこと・・かな?つまり、何か強力な理由が無ければ、滞在許可は下りないという事です。

で、私が何に当てはまるかと言うと? どれにも当てはまりません。滞在しなければならない理由はどこにも無い。勉強したいわけでもないし、勤務を命じられた訳でもないし。ここでは働けないし。ドイツにしてみれば、貯金切り崩して生活するのが何が楽しい?誰も滞在をお願いしてませんけれど??何故帰らないの??日本でしょ??難民ではないでしょ?? てな具合。私にあるのは・・・ただ、ここに居たい。という独りよがりな理由のみ。
ということで、毎年の滞在許可の事を考える必要があり、一方で学生の身分を得るための勉強(学生になるにはドイツ語能力の証明が必須)と同時に、めぼしげな求人にはあまり求人情報を読まずに履歴書を矢鱈目ったら送りつけて就職への道も模索。下手な鉄砲数打ちゃ・・的に。履歴書を送るといつも「受領しました。選考には時間を要しますので、ご理解ください」と手紙が送られて来て、その後音沙汰無し、で終了。こっちも忘れてしまい風化。以上。(一見律儀に履歴書を送り返して来たところがありましたが)今回もあんまり求人条件を読まずに履歴書を送ったら、手紙で、「1年以内の勤務先からの評価書のようなものを送ってくれ」と通知が。応募者全員へ送信されている事務的な手紙ですが、とりあえず、動く事にしました。よく考えたら自分をアピールするいいチャンスだから。ここ1年働いていないし、ここは“送った者勝ち!”と考える事にしました。というのも、履歴書に少し華が添えれれば・・と、ブレーメンでいろいろ携わっている活動については、列挙しているからです。
まず、Die Blaue Karawaneに頼みました。私がこの団体でやったことへの評価書、証明書のようなものを発行できないか、と。
そしてブレーマーカーニバル協会へも頼みました。両者とも喜んで書いてくれるとのことでした。役に立っているのかいないのか、うろちょろとしているだけのような気もしなくはないし、仕事している、働いているというより、“やらせてもらってる”感が強い(誰も頼んでないし〜〜って言われそうやし)けど、「あなたのやっている事は少なくない」と言われ、小さなことばかりで、何をしたかというと文字にならない、具体的に言い表せない事ばかりだけど、評価に値する事をしている・・ということは素直に喜ぶ事にします。
後は、試験の結果とか、自分がココで書いた本や新聞への文章&記事、や取材して記事にしてもらった掲載紙とか、思いつくもの何でもかんでも一切合切送ってやろうと思います。この際だし。別に職に繋がらなくても、自分の存在をまた別の機関に知らしめる良い機会、と捉える事にします。(別に自己顕示欲の強い人間ではない、と思います・・が、今回も周りの力を借りているので、そのサポートを無下にはできない、と言う訳で・・。)
本当に人の力借りっ放し・・ですね。お世話になります。

Bremenからこんにちは(70)忌まわしの123 ??

さて。先日受験した試験。
なんと言うテストかと言うと ZMP とか C1とか言います。
私企業のはずなのに、公的な権限を持つゲーテ・インスティテュート(カタカナあってる??)の試験で、ZentraleMittelstufenPr歿ungの略。いわば中級の統一試験。中級と言えども、そんなに簡単な試験ではない、というのが、一般の認識。
25点満点の読解、ヒアリング、筆記、口述の4分野あり、口述以外の点数を合わせて、最低45点。口述で最低15点、計60点で合格ライン。後は獲得点数に合わせて、優+、優、良、可、不可となっています。
で、結論から言うと、合格ラインに達していました。今回は、前回書いたように手助けをしてくれた人、応援してくれた人が半端無かったので、極秘受験ならぬ公開受験だったため、プレッシャーも半端無く、みんなが私に費やした時間を背負っての受験だったので、なんとか報いたい・・一心でした。
とりあえず、ほっとしました。
でもこれで中級。まだまだ中級。でもこれで中級なの?????というくらい、喋るときはむちゃくちゃな文構造だし、話半分しか聞き取れないし、書く時はまだゆっくり考えれば文法間違いは見つかるし、読めば知っている単語も増えたけど、こんなんでいいんでしょうか。
まだまだまだまだ・・ですね。でもちょっと自信になったし、また頑張ろうという気になりました。
が、私を悩ませていたのが受験日でした。1月22日と23日。123。忌まわしい123。今まで過去2度受けて失敗していたTestDaFというテスト。これの受験番号は末尾が123でした。覚えやすくていいわ〜〜と思っていましたが、ある事を思い出してから嫌な気分に。123。(不快な思いをする人が要ると困るので、明言を避けます。)今回も123の日に受験。
どうなることかと思いましたが、ジンクスは破ったかもしれません。とにかくテストに運はつきもの。今回のテストではかなり運に恵まれたといっても良いでしょう。ああよかった。

お世話になった皆様どうもありがとうございました。

水曜日, 2月 10, 2010

Bremenからこんにちは(69)雪 雪 雪



今季はもう降らないと思っていたのに、また雪。今日は、教会のシニアとバスでブレーメンから20数キロ離れた村まで出かけ、冬の味覚グリューンコールとピンケルを食べに行く日になっていたので、朝起きて更に雪が積もっているのを見てびっくり。
中止になるのかなあ・・でも連絡がないし・・と思いながら集合場所である教会へ向かうと、みんなしっかり集まっています・・。脱帽。足下、視界の悪い中、90近い高齢者がちゃんと自力で集まっているのです。
そして無事出発。食事を楽しみ帰って来ました。

私にとっては、今日は初の雪撮影日になりました。今までタイミングを逃し、撮影のためだけに出かける時間的余裕も無く、冬が過ぎて行く・・と嘆いていたので、今日は良いチャンスになりました。
ただ、年末からの一度積もった雪がそろそろ溶けかけ・・それが凍った上に、今回の積もる要素たっぷりのサラサラ雪。危ないことこの上無し。地面はつるつる。そんな中、撮影のため1時間ほど歩き回りましたが、如何せん曇り空・・なので、なかなか思うようには撮影できませんでした。

さて、冬の仕事と言えば雪かき。ここでは義務なのだそうです。屋根の傾斜が激しいので屋根の雪かきは不要なようですが、道に積もった雪は、降った端からシャベル等で処理していきます。みなさん慣れた手つき。住宅街だと、自分のテリトリ(家の前)の雪かきを行うのが義務なので、作業したか否か・・がバレバレでなかなか面白い・・。

ということで、日本では節分も過ぎ、春・・。
今年は北ドイツブレーメンにとっても、例年になく寒く、雪の多い年のようですが、寒い分春が楽しみです。

火曜日, 2月 09, 2010

Bremenからこんにちは(68)ロマンというもの

ロマン。・・・甘美で“ハートマーク”などを思い描いてしまうのは私だけでしょうか? 日本語のロマン、ロマンチック などという外来語の使われるシーンと本来のロマンの使われるシーンの“差”をしっかり認識しておく必要があるかもしれません。
ロマン。本で言うならば、フィクションの小説の類いはここに分類されます。ひっくるめて“ロマン”。題材が愛であろうが、暴力であろうが、犯罪であろうが、“ロマン”。
ということで、ブレーメン中央図書館の“ロマン”のインターナショナル部、日本の棚のラインナップ。たったこれだけ。
渡辺淳一も、村上龍も、内田康夫も“ロマン”。み〜んな“ロマン”。

しっかし、この品揃えは、明らかに・・この棚が“誰かの寄贈による”ことを物語っています。もし、図書館の意向で日本ロマンのコーナーが設けられていたら、この作品が貴重な十数冊に選ばれる可能性は・・・極めて低いはずです。ドイツの人にもっと読んでもらいたい作品が、優先順位の高い作品が山ほどあります。ノーベル文学賞受賞者作品。外国語にもかなり翻訳されている作家の作品。
もし、これら十数冊をもって“日本を代表するロマン”などという考えを現地人が抱くとしたら・・・恐ろしい事です。精神文化の未熟な国と思われるかもしれません・・。(この作品が“酷い”という意味ではなく、(読んでいないし)、十数冊選んで、並べるなら“他”にすべき、と言う事)
日本語の本は読みたいですが、これはあまり読書欲をそそりませんでした。

ま、もし寄贈が受け入れられているのなら、帰国者から安く買い取って、並べてもらうのも手だなあ・・。自分の手を経た本で棚が埋まったら、これは結構光栄な事かもしれません。

月曜日, 2月 08, 2010

Bremenからこんにちは(67)本番はこれからですが・・ブレーメンでは終了




2月最初の週末はブレーメーカーニバルでした。昨年のカーニバルより(ほぼ)主催団体として参加しており、おもにコスチューム作業所で働いていました。コスチューム関連で最初の会議があったのが10月。2度のテストを挟んだため、少しお休みをしながら、関わり続けました。
今年のテーマは“Land Unter”地面の下。作っていたコスチュームに関しては何度かブログにも書きましたので省略します。
カーニバル関連のイベントはその前の週からちょっとずつ始まりますが、私が忙しくなるのは全日の金曜日から。この金曜日にはプレイベントとして各ライブハウスで参加団体によるサンバの演奏があります。それが真夜中を過ぎてもまだまだ続きます。私は控え室側で仕事。参加者へドリンクを振る舞う、と。かれこれ深夜1時頃まで滞在し、帰宅。
翌日の土曜日が本番のパレード。市の中心マルクトプラッツから東方向に100を超える参加団体がパレードします。開幕自体は12時ですが、8時半頃から現地集合し、準備。昨年は、地上で人ごみにまぎれながら順番を待っていましたが、今年は、その開会式での大役を仰せつかり、クレーンの先に着いた箱に居り、そこから大きい人形を操りました。この人形は海の乙女。開会式におけるメッセージの中で、彼女が喋り、海を泳ぐ・・それをクレーンの上から紐であやつる、と。複雑な造りではないので、金曜日午前中に行われたリハーサルでなんとかやるべき事を理解。敵は寒さだけ、でした。でも実際マルクトプラッツでクレーンを持ち上げた場合、各種電線が邪魔になり、常に一定の高さで回らない・・という事態に。まあ、予測できていなかったのでしょう、仕方なし、と。人(参加者)の山で何も見えなかった昨年と打って変わり今年は、クレーンの上から開会式の進行具合が眺められ、爽快・・・でした。高所大好きなので。それにしても参加団体の多い事多い事・・。観客より十分多かったのでは??と。
私のパレードでの役割は、ブレーマーカーにバル協会への寄付を募ること。寄付回収車がパレードないを走り(引っ張られ)それに付き従って、沿道から寄付を募る、と。上空にいる間に、寄付回収車がパレードの順番が来て出発してしまい、自力では降りられないので、下ろしてもらってから慌てて追いかけました・・。今回は魚の衣装を用意してもらいましたので、海乙女の格好(黒子的)から魚の衣装に着替えて・・ということでバタバタ。

無数の団体がパレードし、終点までたどり着いた後は、そこらへんで演奏が続きます・・。常に至る所が盛り上がっている状態。それが道路が通行止めになっている18時まで続きます。私はその時間まで、数分の食事時間をはさみながら、サンバのリズムと楽しみました。サンバのリズム・・音楽・・・大好きなリズムではないけれど、楽しめるようになって来たような気がします。
パレードでは、数人の知人に出会い、ここがこうなってああいうふうに繋がっているのね・・とブレーメンの小ささを改めて感じました。

夜はまたライブハウス。今度はカーニバル関係の売店の売り子。各サンバグループもCDの販売を希望するため、コミッション無しで代理販売。0時まで店を開け、その後は、サンバを2時まで楽しんで、帰宅。日曜日はお別れの朝食会&片付け・・。
まったく盛りだくさんの内容でした。今年はなぜか、(半ばギャグで)主催団体の人間である事を証明するIDを作ってもらって首から下げていたので、どこもかしこも通りたい放題。主催団体側の準備にはほぼ関わっていないので、良いのか・・という感じでしたが、まあそれなりに当日は働いたのではないでしょうか。

今年のカーニバルは25回目。ということでこの節目を記念し、パレード前日には市庁舎にて、市長の歓迎の言葉等を頂く会が催され、“生市長”を見て来ました。写真でみるよりやっぱり老けてました・。

いろいろ書く事がありすぎて、上手くまとまりませんが、今回考えたのは、
“見る事の大切さ”です。昨年は自分では出来なかったメイクも、今年は自分でとりあえずやってみる事ができました。この1年何度となく、カーニバル出演団体である高脚(Stelzen)の営業について行き、見ていたので。他にも、舞台表現に関しては、今年の8月に個人的に発表があるし(多分)、ゴスペルのステージは幾つもあるし、キャラバンの劇グループのこともあるし・・、人への魅せ方、構成を探るような目で今回はサンバのパレード&ステージを拝見しました。ためになることいっぱいでした。昨年、よく注意されたのです、「あなたの仕事は“見る”ことよ」と。「私は裏方が好きなので・・」と昨年は思ってましたが、その意味がよーく分かりました。(残念ながら今年は予め裏方仕事を割り当てられてしまいましたが)。
“見る”ことって本当に大事です。頭で理解できていなくても、目は見てるし、脳にはその絵が写ってます。私はこの歳になって、子どもの頃に沢山経験させてもらったことが“財産”になっているのを感じます。幼少期に“見”た物。事。その事実が、どこかしらで役に立っているのです。不思議です。その時は何も感じなくても。理解できなくてもいい・・。ただ“見”ていれば・・。

最後に。今年一番懸念されたのは天候でした。雪雪雪。最後まで道路は凍っていないか、雪が残っていないか、降らないか・・と心配でしたが、ぐっと冷え込む事も無く、雪や雨に降られる事も無く、無事終える事が出来ました。

今年も私にいろいろさせてくれた皆さん、いろいろ任せてくれたみなさん、どうもありがとうございました。

水曜日, 2月 03, 2010

Bremenからこんにちは(66)冬の楽しみ


先日友人カップルにつれられて、冬の味覚“グリューンコールとピンケル”を食べに行って来ました。
ケールと、いわばソーセージ。でもただレストランに食べに行くだけではありません。そこがドイツ流。シュナップス(ブランデー?ジン?)こそ無かったけれど、とりあえず歩く歩く。行きはほぼ8キロ。帰りもほぼおなじくらい歩きました。しっかり運動、そして食べる!というドイツ流。
友人と一緒に散歩する、というのはかなり重要な“友人関係の表し方”です。自転車によるサイクリングを予定していましたが、今年は例年になく雪が多く、走れる状態ではなかったため、歩いて・・。かなり良い運動になりました。
昨年もグユーンコールは食べましたが、やっぱり美味しいですね。特にピンケル。
来週は教会のシニアとのグリューンコールツアーwithバスです。
痩せないと・・とかいいつつ食べてばっかりかも。(汗)