火曜日, 3月 30, 2010

Bremenからこんにちは(84)ちょっとした自信??

今日、友人につれられてランチ。なぜか?中華屋がチョイスされました。私もたまにはアジアの味が嬉しいですが・・。
そこのレストラン。従業員はアジア系っぽかったです。中国人ではなかったとしても華僑であることはほぼ間違いない感じ。そのレストランのテーブルに置いてあった紙ナプキン。
歓迎光臨 ===ようこそおいで下さいました
イ尓(下に心)好 ===こんにちは
請イ尓(下に心)慢用 ===どうぞごゆっくりお召し上がりください
謝謝 ===ありがとうございます
の4つの文。ここまでは多分OK。しかし頂けないのが、同時に添えられているピンイン(漢字の読みを表すアルファベットです)
普通なら以下のようであるべき。
huan ying guang lin
nin hao
qing nin man yong
xie xie
しかし・・・。
huan ing quang lin
ning hao
chin ning man jou
・・と。???????

もしかしたら、これは何処ぞや特別な地域のピンインの付け方??ドイツに移民した華僑の(もしくはこのレストラン経営者先祖の出身地域の)ピンイン?
「光」という字のピンインがquang になっているのは、なんとなく上記にように思いを馳せれば納得ですが、「請」のchinには驚きです。語尾に「g」がつくかつかないか(発音だって微妙に違う)は、絶句とか律詩とかが書かれていた時代から「平仄」云々で韻を踏むのにかなり重要なポイントなので、これが入り乱れているというのは致命的だと・・。
まあ、知らない事はまだまだあるはずなので、大きな事は言えません。もしかしたら、予想もつかない事実が隠されているのかもしれませんが。「用」のjou tろyongの異動は何か臭います。

引き続きまして・・同じく知人の紹介で、市場調査に参加。謝礼が頂けるというので参加して来ました。テレビと広告についての調査で、テレビ番組と広告を見てから、7つの質問冊子に怒濤のようにマークしていく・・という簡単なもの。でも、以外と割り当てられた時間が少なく、中には“記述”アンケートもあったりして、ドキドキしながらでしたが、なんとか謝礼はゲットして帰って来ました。匿名調査なので、これ以後、回答が不完全!ということで謝礼が没収されたり、問いただされたりすることは有り得ないので安心しておきます。

ただ、プロジェクターで映し出された映像のナビに従い、結構な量の質問冊子を、経験値ゼロの状態で、質問事項を理解し、ドイツ人同等のスピードでやってのけたことは、少しの自信となりました。

土曜日, 3月 27, 2010

Bremenからこんにちは(83)簡単に戻って来れなくなるとき

ドイツに住んでまだ一年半くらいですが、たまに遭遇する事。
ドイツ語での表現が先に出てくる事。(これは中国語VS日本語でも起こり得た)日本語でなんと言うべきか分からなくなる事。まあ、ドイツ語の一般名詞内で生活していると、うまく日本語に変換するのが不可能だったりするから仕方ないけど。
それから、インターネットや新聞等、書かれたものが目に映るとき、ドイツ語でも日本語でも、同じような見方をしている事。文字が目に映ってちょっと経ってから、「あ、これはドイツ語だった」と感じ、気合いを入れて見ないと理解できないので、それでやっと頭を切り替える事。
ここで生活する上では喜ばしい事、と考えていいかもしれません。

でも、恋しくなるのは日本のテレビ番組。動画サイト等でチェック。酷い時等は半日見続けている事も・・。そういう時間が長く続くと、その後こんなことが起こります。“戻ってくるのに時間がかかる”つまり・・。
日本のニュースやサイトや話題や動画や・・日本語環境に対応するのは“日本語の私”。こちらの生活に適応しているのは“ドイツ語の私”。長時間の日本語漬けは、日本語の頭からドイツ語の頭に切り替える(戻ってくる)のに時間を要する原因となります。
これは、私が思うには、プラスの現象だと考えます。
なぜかと言うと、戻るべきドイツ語の私のレベル(語学レベルとかではなくて馴染み度とか深さのようなもの)が、まったくの表面層ではなくて、次の段階に達したのではないか、と思うからです。表面をうろうろしている間は、日本語に浸っても(日本語領域行きは、当然ですが簡単です。30年使って来た言語ですかから)、さっと行ってこれる。でも今ドイツ語の次の層に居ると仮定します。その第二層から、一旦“ドイツ語表面層”を経て日本語領域に戻ったら、表面&第二層の間の界面を再突破して“今居るべき正しきドイツ語領域”に帰ってこないとならないわけで、だから“戻ってくるのに時間がかかる”。同時に“戻ってくるのに困難を伴う”のではないか、と。
そうであれば嬉しいです。そして、今後進むべき理想の段階としては、ドイツ語のもっと奥領域へ進み、けれども、日本語領域とは簡単に行き来する・・に近づくこと。まあ、今後幾つも越えるべき山があるんでしょうけれども、日本語は好きなので、(もう衰えて来ただろうけど)能力は保ったまま、ドイツ語を伸ばしていければいいなあ・・と、ドイツ語初級者ながらも・・思う訳です。

水曜日, 3月 24, 2010

Bremenからこんにちは(82)サイクリング日和・・で こぎまくり

太陽は気になりますが、外に出るのが楽しい、陽気な春がやってきました。ということで、自転車での遠出・・が“ドイツ的な余暇の過ごし方”ということで、ドイツ語の授業の無い私は、つい最近仕事を辞めた友人につれられて、サイクリング。日本で自転車で遠出する事など、大人になってからはあまり無かったけれど、結構こげるものです。30キロ以上は走ったのではないでしょうか?一応簡単に赤線で辿ってみました。
ブレーメンの中心から北側のブロックランドへ。そのあと西に走って、フェゲサックまで。そして家のあるノイシュタットまで戻って来ました。筋肉痛もなし。
まあ、トラムに乗らず自転車で移動する事を心がけている(それぐらいしか運動が無い)ので、自転車で使う筋肉は鍛えられている、もしくは、要領の良い(疲れない、筋肉を使わない、消耗しない、手を抜いた)自転車の走らせ方を知らぬ間に習得したのかもしれません。

そして今日は、ブレーメンから20キロちょい離れたウ゛ォルプスウ゛ェーデという芸術家のあつまる街まで遠出します。昨年の夏の日焼けも取れきっていないうちから更なる日焼け。顔から汗(特に鼻の下)をかく体質なので、本当に困る・・。

ま、生活するだけでいっぱいいっぱいなので、こうやって連れて行ってもらわないと自分からは出かけられないから、有難い話なんですが・・。

さて、もう次の週末からはサマータイムの導入です・・。

土曜日, 3月 20, 2010

Bremenからこんにちは(81)やっと巡り会えた

図書館通いが習慣になっている私です。というのも、ドイツ語の授業が無いので、何も無ければ家でパソコンで遊ぶ毎日・・が続くから。少しでも規則正しく!ということで図書館通い。DVDもレンタルが出来るので、めぼしい作品を見つけたら、借りてみることにしています。
しかし、その書架ならぬDVD架がなんともいただけない。一応シリーズ物(テレビドラマ作品)、ロマンス、サスペンス・・というように、区切られてはいますが、実際はいたって無秩序。しかも、タイトル順、監督順・・にアルファベットで整列・・などということはないので、何かみたいDVDがあれば、とりあえず全てをチェックする必要があります。一旦誰かが手に取って、別の場所に移す・・こともあるので、シリーズものがラブロマンスのコーナーにあることもしばしば。誰が元に戻す訳でもありません。いたって原始的なDVD架。
オンラインで書籍やDVD等メディアの検索は出来ますが、DVDに関しては、あまり役に立たない。貸し出されているか、図書館にあるか、の判断は出来ても、どのDVD架にあるのか・・は不明。自力で探すしかないのです。借りても、外身と中身が別作品だった・・ということもありました。どういう事やねん〜〜。
私が、一年くらい前?にDVDで見始めて中途半端になっていた作品が「ロード・オブ・ザ・リング」。「旅の仲間」「二つの塔」までなんとか借りる事ができましたが、第3部の「王の帰還」がいっつも貸出中。おまけに、メディア紛失中・・で貸出可能な本数が少ない。事前予約すると、ばからしい事にお金を取られるので、いつか見つけてやる・・と思っていました。それがやっと借りれました。
朝9時20分、家のパソコンでオンライン検索したら、「借りれる状態」になっている。こんなことは初めて。ということで急いで支度し、10時の開館後すぐにコーナーへ。たった今棚に戻されたばかりのような状態でおいてありました。一つのDVD借りるのがこんなに大変な事だとは・・って感じです。早速見ましたが、DVDは傷だらけ、画像が止まりまくり、スキップさせまくり。何度も諦めようかと思いました・・。でもとりあえず物語は終了しました。

ついでに、これも借りる必要があった「ナルニア国物語」のDVDも見つけました。「モモ」も。無秩序なDVD架を探す時間があると、いろんな作品、子どもの頃に本で読んだ、「大泥棒ホッツエンプロッツ」(ドイツの作品やったんや〜〜って)とかケストナーの作品とか、リンドグレーンの作品とか・・を見かけます。ああ懐かしい。

土曜日, 3月 13, 2010

Bremenからこんにちは(80)映画で見るブレーメン

映画ファンでもなんでもない人間がドイツ映画を見る機会って少ないかもしれません。私も、特に映画に詳しい訳ではないので、日本で見た事のある“ドイツ映画”は
「Das Leben der Anderen」邦題で「善き人のためのソナタ」の一本。(ドイツ好きの片鱗も感じさせない・・現実(笑)。
そしてこちらに来て、「Good Bye Lenin!」(邦題:グッバイ、レーニン!)や「Lola rennt」(邦題:ラン・ローラ・ラン)を見たぐらい。先の2本はいずれも、東西ドイツを描いた“内”の作品です。
しかし、私が住むブレーメンが登場する映画を借りました。
「Auf der anderen Seite」(邦題:そして、私たちは愛に帰る)、(ファティ・アキン/2007/ドイツ、トルコ)。監督がドイツ・ハンブルク生まれのトルコ系移民の2世。ドイツが抱えるトルコ系移民問題を背景にしながら、トルコとドイツを舞台にストーリーが進んでいく“外”の映画です。世界が注目する監督の作品であり、この作品も数々の賞を受賞するなど、その評価は私が書くまでもありません。
私はそれよりも、何故「ブレーメン」が選ばれたか、に興味があります。時々映像では、名前だけは使うけれども実際に撮影は別のところで・・ということが頻繁にあります。(でもそれなら、もっと有名なドイツの都市はいくらでもあります)しかし、この映画では、故意に“ブレーメン”を感じさせる風景が映り、ブレーメン市民にも不自然の無いブレーメン(街並とか家の感じとか)が見られます。監督はハンブルク出身。映画にもちろん絡んでくるハンブルクですが、ドイツのシーンの多くはブレーメン。ハンブルクとブレーメンは近いので、監督自身もブレーメンに馴染みがあった・・と言えば、ただそうなんですが・・、私には他にも意図があるような気がしてなりません。ブレーメンだからこそ、この地を選んだ、という確固とした理由が。
まず、対になるトルコの都市はイスタンブール。古くより東西交通の要所となった都市です。そのような役割を果たした都市として、ブレーメンはふさわしかったのでしょうか。ウェーザ−川沿いにあり、北海方面への交通、貿易等で、内外と交流も持ち、栄えたブレーメン。イスタンブール相対して据えるにはぴったり(ちょっと小さい??)との思惑があったのでしょうか。
それから、ブレーメンの象徴であるローラント像も映し出されました。市民が自由と独立を古くから勝ち取っていたブレーメンという都市。この像のシーンをほぼ冒頭に取り入れる事で、この映画に登場する人物の“独立性”を暗示していたようにも思えました。
とにかく、“ブレーメン”がこの映画に果たす役割も決して少なくない!と思うのです。こんなレビューは少数派だと思いますが。(あくまで私の思いつきです。本当のところは?誰かご存知でしょうか?)
それから、印象に残ったのが“乗り物”というか“移動・動くもの”。飛行機、乗用車、近距離列車、市電、船から、競馬、徒歩・・まで。飛行場や駅、ガソリンスタンド、競馬場など、乗り物と関わる場所も映し出されます。交差する時間軸、を不自然なく表現するため?もしくは、進むしかない(放っておいても過ぎていく、進んでいく)時間、人生、運命を表現しているのでしょうか。まあ、これはあまりブレーメンには関係ないですが・・。

ちなみに、“ブレーメン”を取り入れた、と言えば、「ブレーメンの音楽隊」。このメルヘンに関しては逆に、ブレーメンはお礼を言うべきですね。この童話がなければ、“ブレーメンの名”がここまで世界的に知れ渡る事はなかったでしょうから。グリム兄弟によるこの童話が“ブレーメンの”になったのには理由がありました。4匹の動物がブレーメンを目指したわけ・・それは、グリム兄弟が滞在し、民話等を収集、童話を編集したというカッセル(ヘッセン州)は、ウェーザー川の上流にあたります。当時、ウェーザー流域にあって、下流のブレーメンは最も栄えた裕福な都市でした。サクセスストーリーではないですが、「ブレーメンに向かう」「ブレーメンの音楽隊」という設定が既に、庶民に夢や希望も感じさせてくれるわけです。
余談(?)ですが。

ブレーメン云々抜きに、「Auf der anderen Seite」(邦題:そして、私たちは愛に帰る)は素敵な映画でした。(注:ブレーメン宣伝映画ではなく、人間の愛や対立や・・を描いた作品です)

水曜日, 3月 10, 2010

Bremenからこんにちは(79)いつかきっと・・“サンティアゴ巡礼道”



私が2008年9月ドイツに来た目的(出だしからテーマが重いですが・・(汗))。ワーホリで1年。そしてそれが終わったら、「“サンティアゴ巡礼道”を歩こう。」でした。キリスト教の巡礼の道。サンティアゴ・デ・コンポステーラまで、どこかしらから歩いて(フランスからピレネーを越えて〜〜と漠然と)、最後にスペインイベリア半島西の海沿いのフィニステレ岬で、全部を捨てて、生まれ変わりたい・・と思っていました。巡礼の道を歩く事で、きっと何かを得るはず、そして、生まれ変われるはずだと信じていました。そしてそんな“再生”が必要な状態にいました。
私がこの巡礼道を知ったのは、この道を歩いたという、俳人の黛まどかさんにお会いしたのがきっかけ。2005年のことです。巡礼を通して彼女が人間的に生まれ変わったとか、そういう訳ではないけれど、道すがら詠まれた俳句からは、(その時の感覚はあんまり覚えていないけれど)、パワーを感じた気がします。もともと、旅行好き、バックパック個人旅行好き・・と来れば、単なる好奇心だけでも挑戦したくなりますよね(ってならないかな?)。私はとりあえず興味津々で、でも特に何をする訳でもなく、ドイツ行き2008年を迎えました。
幸か不幸か、ワーホリのビザが切れて以降もここに留まっています。そして、巡礼の旅に出かける予定はありません。ブレーメンが、ここの生活が、私を十分にいい方向に導いてくれたので、自分再生への苦行が、さしあたって必要な状態を脱した事がその理由。でもきっといつか・・そう思っています。
先のブログに書いた「映画を見た」って話題。この映画でまた再認識。「いつかきっと歩くぞ」と。

但し。人間と言うか、聖なる事柄を道楽や商業的観点で見る人間っていうのは、愚かだな・・とつくづく思います。
「サンティアゴ巡礼道」とは、イエスの使徒ヤコブの遺骸があるとされる聖地「サンティアゴ」への道です。日本語ってややこしいですが、サンティアゴ=聖ヤコブ(元言語が異なるだけで、同一の単語)です。そして、この道は、一つではありません。というか、一つな訳がない!。フランス各地から、イタリア、スイスから方々から延びています。普通に考えたら分かりますよね。キリスト教の巡礼道ですよ・・、パリからしか詣でられない!なんて馬鹿げた話がある訳が無い!!!!!!のです。
そして、もちろんドイツからも。そして“北のローマ”と言われたブレーメンからも“巡礼の道”は続いています。ドイツ語では「Jakobsweg」(ヤコブスウェグ=ヤコブの道)。元聖地巡礼者の集まる場所(宿泊所かな?)だった建物には聖ヤコブの像があり、巡礼道であることを示す“ホタテ貝のマーク”(ホタテ貝は聖ヤコブのシンボル)がついています。そう、ブレーメンからだって巡礼を始めることは出来るのです。
でも、世の中の潮流に操られた人間って不思議ですね。「ピレネー山脈を越えてスペイン北部を西に歩く」こうするのが“正式”と思い込んで、周りに目がいかなかったりしませんか?それ以外は巡礼道としては邪道!!なんて思ったりしませんか?聖なる事に、国境の概念や、観光面の話等がくっついてくるのでややこしくなるのです。

ブレーメンだってちゃんとした巡礼道の中の一カ所。(巡礼の証明のノートとかはないし、スタンプもないはずだけど、こういうのって過去あったのものじゃ無いしねえ。(もちろん私はしっかり集めたいけど))
私が「いつかきっと」と歩く時は、ここから始めようかなあ・・。気が遠くなりそうやけど。

日曜日, 3月 07, 2010

Bremenからこんにちは(78)日本語映画

昨日2つ目のテストが終了。これは一般常識テストというか、IQを測るようなテストで(ってよく知らんけど)、簡単な計算問題やら、言葉の関係を解いたり、ある法則に従って図形を当てはめたり、数字の並びに法則性を見いだしたりする“核テスト”と、大学での勉強したい学部により受験科目が変わる“専門”の2種類。専門と言えども、これから勉強する学部の専門知識は必要ではなく、簡単な文章の読解や関連性の読み取り、文構造の解釈等(私の受けた専門はそうで、その他経済とか理数系とか計4種類)、“高等教育を受けるには必ず持っているべき基礎?学力”を問われるテスト。これの外国人向けバージョン。(つまり、語学力はある程度ついたけど、そもそも君たちはドイツ人が大学へ入るまでに初等教育で学んだようなことは、もちろんやって来たよね?と問われているわけ)でもテストはドイツ語で受けます。(英語の選択も可)
それがまあとりえず終わって(時間が過ぎて)、借りてからそのままになっていた映画を2本見ました。外国の映画ですが、日本語字幕。日本発売の日本購入のDVD。一つ目が「サン・ジャックへの道」サンチャゴ巡礼道の旅で人間模様、社会の縮図を描いた作品。二つ目が「リトル・ミス・サンシャイン」。小さい娘のミスコン出場のため、1000キロ以上も旅をする家族の物語。どちらもある非日常のイベントや出来事を通じ、それを乗り越える事で、お互いの絆が深まり、人間的により成長する、“等身大”の人間を描いた作品です。
基本的に私はこういう類いの映画がとても好きです。“雨降って地固まる”的な。そうでもしないと物語が起きないのだけれど、“巡礼道”や“ミスコン”など、普通に暮らしている場合にはあまり遭遇しない事をモチーフにし(わざと、爆弾を仕掛けて、物語のスタートを切らせる感じ)、それから巻き起こる問題を“結”に向かわせるその過程を見せる映画。それと同時に目に見える(設定された困難)だけではなく、個々が抱いていた問題も一緒に解決していく・・・。
じゃあ、日常では有り得ない事?って思うけれど、決してそうでは無くて、映画と言う娯楽であり、千差万別の人間が鑑賞することを見越し、メッセージをより分かりやすく伝えるための“非日常”であり、ちょっとちた問題や困難などの“でこぼこ道”は日常生活で十分起こりえる事。そして、誰が主役、というわけではなく、登場人物一人一人が物語を、人生の背景を持っている。これはまさしく、人生そのもの。
久しぶりの日本語映画で、面白くなかったらなんと言って返そうかと考えていたのですが、そんな心配は杞憂で、2本まとめて一気に見ちゃいました。

私の大好きな映画「12人の優しい日本人」がちょうどこんな具合。当時は、有り得ない設定、「日本に陪審員制度があったら」ということでスタートしますが、各登場人物が一人一人丁寧に描かれていて、問題が起こって解決に向かう。問題の解決と同時に、人間問題や各個人の持つ問題も消え、“大円団”で終わる。こういう映画、大好き。見終わると心がすこーんと、クリアになる。鑑賞する事で、一緒に問題に立ち向かう事で、鑑賞者の“心のグチャグチャ”も洗い流しているのでしょう。

今見たばかりの映画の話に戻りますが、忘れちゃいけないのが「失ったもの」の存在。2本の映画に出て来たみんなは、貴重な体験をし、得る物がたくさんあった。でもそれと同時にいっぱい失った。その事実からは目を背けてはいけない、と思う。
きっと人間のキャパって決まってるんだろう。何かを得る時には、何かを捨てないと“持てない”。“徳”の代償に“毒や悪”を捨てたらそれは100%“徳”か?と言うと、そうでは無いかもしれない。少しの幸せを、それよりちょっと多い幸せに交換(捨てて、得て)して人間って歩んでいくんだろう。

かくいう私は、現在ちょっと病気の具合が思わしくなく、悪のスパイラル中。もともと病気を捨てたつもりは無かった(捨てられると思っていなかった。でも捨てる事に対する不安もあったのか、と思う)けど、しっかり、病気とつながる手綱は握ったままだった。今、十分幸せだけど、この幸せは、病気の一部を捨てた代償で得たもの。もっと大きな幸せを得るためには、病気の根源から全部放棄しないと駄目なのかも。でも、その根源には、少しの“プラス”がくっついている、と思ってる。そのプラスを失うのが怖いんだろう。自分が病気であったこと、病気が完全には治っていない事、を自覚し、証明することができるという“プラス”。これはきっと“似非プラス”であり、捨てるべき“プラス”で、乗り越えるべき事なんだろうなあ・・・。

と、まあ映画を見て、一晩おいていろいろ考えました。

水曜日, 3月 03, 2010

Bremenからこんにちは(77)初続き。

「ドイツに来て初めての」ってこと、まだまだいっぱいです。
お世話になっている人に、先日「寿司」を食べに連れて行ってもらいました。日本人ではなく、ドイツ人。お友達が働いている、ブレーメンで唯一の普通の寿司屋。お寿司、日本のお寿司、日本のビール、お味噌汁・・・・。すべて一年半ぶり。でも“懐かしい〜〜〜〜”っていう気は、思っていたより少なかったです。なんでだろう。日本食にそれほど飢えていなかったから?一日3杯は飲んでいたみそ汁とお別れして一年半。これを気に“みそ汁が無いと生きて行けない!”状態に戻るかと思いきやそうでもない。ほっと一安心。“どこどこの国の料理”と捉え、ここで食べられるもの食べられないもの、と特別視するではなく、単なる“その日の食事”と認識できた、ということでしょう。まあ、喜ばしい事です。(ちょっと上手く書けないなあ・・この感覚が)(あ、今思い出しましたが、寿司は親が来た時にフランクフルトで食べたような・・私のリクエストというより、親が恋しがった)。それから初めてのこと。議会の建物に侵入。3階からマルクトプラッツを眺めました。その日は南アフリカからお偉いさんが来ていたとかで・・。なかなか一人では入ろうと思わない建物であり、なかなかマルクトプラッツを階上から眺める機会もないので、私の目に映った初めての景色でした。
それから、5月に友人がこちらに来てくれる事になりました。友人というのでしょうか??分かりませんが、妙なご縁のあった方。一緒に過ごした時間2日くらい。1999年の8月半ばの出来事。それ以来10年ぶりにお会いできそうです。楽しみ。そう、知り合いが日本から来る、というのも初めてです。

まだまだ“初”はいっぱい。