土曜日, 3月 13, 2010

Bremenからこんにちは(80)映画で見るブレーメン

映画ファンでもなんでもない人間がドイツ映画を見る機会って少ないかもしれません。私も、特に映画に詳しい訳ではないので、日本で見た事のある“ドイツ映画”は
「Das Leben der Anderen」邦題で「善き人のためのソナタ」の一本。(ドイツ好きの片鱗も感じさせない・・現実(笑)。
そしてこちらに来て、「Good Bye Lenin!」(邦題:グッバイ、レーニン!)や「Lola rennt」(邦題:ラン・ローラ・ラン)を見たぐらい。先の2本はいずれも、東西ドイツを描いた“内”の作品です。
しかし、私が住むブレーメンが登場する映画を借りました。
「Auf der anderen Seite」(邦題:そして、私たちは愛に帰る)、(ファティ・アキン/2007/ドイツ、トルコ)。監督がドイツ・ハンブルク生まれのトルコ系移民の2世。ドイツが抱えるトルコ系移民問題を背景にしながら、トルコとドイツを舞台にストーリーが進んでいく“外”の映画です。世界が注目する監督の作品であり、この作品も数々の賞を受賞するなど、その評価は私が書くまでもありません。
私はそれよりも、何故「ブレーメン」が選ばれたか、に興味があります。時々映像では、名前だけは使うけれども実際に撮影は別のところで・・ということが頻繁にあります。(でもそれなら、もっと有名なドイツの都市はいくらでもあります)しかし、この映画では、故意に“ブレーメン”を感じさせる風景が映り、ブレーメン市民にも不自然の無いブレーメン(街並とか家の感じとか)が見られます。監督はハンブルク出身。映画にもちろん絡んでくるハンブルクですが、ドイツのシーンの多くはブレーメン。ハンブルクとブレーメンは近いので、監督自身もブレーメンに馴染みがあった・・と言えば、ただそうなんですが・・、私には他にも意図があるような気がしてなりません。ブレーメンだからこそ、この地を選んだ、という確固とした理由が。
まず、対になるトルコの都市はイスタンブール。古くより東西交通の要所となった都市です。そのような役割を果たした都市として、ブレーメンはふさわしかったのでしょうか。ウェーザ−川沿いにあり、北海方面への交通、貿易等で、内外と交流も持ち、栄えたブレーメン。イスタンブール相対して据えるにはぴったり(ちょっと小さい??)との思惑があったのでしょうか。
それから、ブレーメンの象徴であるローラント像も映し出されました。市民が自由と独立を古くから勝ち取っていたブレーメンという都市。この像のシーンをほぼ冒頭に取り入れる事で、この映画に登場する人物の“独立性”を暗示していたようにも思えました。
とにかく、“ブレーメン”がこの映画に果たす役割も決して少なくない!と思うのです。こんなレビューは少数派だと思いますが。(あくまで私の思いつきです。本当のところは?誰かご存知でしょうか?)
それから、印象に残ったのが“乗り物”というか“移動・動くもの”。飛行機、乗用車、近距離列車、市電、船から、競馬、徒歩・・まで。飛行場や駅、ガソリンスタンド、競馬場など、乗り物と関わる場所も映し出されます。交差する時間軸、を不自然なく表現するため?もしくは、進むしかない(放っておいても過ぎていく、進んでいく)時間、人生、運命を表現しているのでしょうか。まあ、これはあまりブレーメンには関係ないですが・・。

ちなみに、“ブレーメン”を取り入れた、と言えば、「ブレーメンの音楽隊」。このメルヘンに関しては逆に、ブレーメンはお礼を言うべきですね。この童話がなければ、“ブレーメンの名”がここまで世界的に知れ渡る事はなかったでしょうから。グリム兄弟によるこの童話が“ブレーメンの”になったのには理由がありました。4匹の動物がブレーメンを目指したわけ・・それは、グリム兄弟が滞在し、民話等を収集、童話を編集したというカッセル(ヘッセン州)は、ウェーザー川の上流にあたります。当時、ウェーザー流域にあって、下流のブレーメンは最も栄えた裕福な都市でした。サクセスストーリーではないですが、「ブレーメンに向かう」「ブレーメンの音楽隊」という設定が既に、庶民に夢や希望も感じさせてくれるわけです。
余談(?)ですが。

ブレーメン云々抜きに、「Auf der anderen Seite」(邦題:そして、私たちは愛に帰る)は素敵な映画でした。(注:ブレーメン宣伝映画ではなく、人間の愛や対立や・・を描いた作品です)

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