土曜日, 3月 27, 2010

Bremenからこんにちは(83)簡単に戻って来れなくなるとき

ドイツに住んでまだ一年半くらいですが、たまに遭遇する事。
ドイツ語での表現が先に出てくる事。(これは中国語VS日本語でも起こり得た)日本語でなんと言うべきか分からなくなる事。まあ、ドイツ語の一般名詞内で生活していると、うまく日本語に変換するのが不可能だったりするから仕方ないけど。
それから、インターネットや新聞等、書かれたものが目に映るとき、ドイツ語でも日本語でも、同じような見方をしている事。文字が目に映ってちょっと経ってから、「あ、これはドイツ語だった」と感じ、気合いを入れて見ないと理解できないので、それでやっと頭を切り替える事。
ここで生活する上では喜ばしい事、と考えていいかもしれません。

でも、恋しくなるのは日本のテレビ番組。動画サイト等でチェック。酷い時等は半日見続けている事も・・。そういう時間が長く続くと、その後こんなことが起こります。“戻ってくるのに時間がかかる”つまり・・。
日本のニュースやサイトや話題や動画や・・日本語環境に対応するのは“日本語の私”。こちらの生活に適応しているのは“ドイツ語の私”。長時間の日本語漬けは、日本語の頭からドイツ語の頭に切り替える(戻ってくる)のに時間を要する原因となります。
これは、私が思うには、プラスの現象だと考えます。
なぜかと言うと、戻るべきドイツ語の私のレベル(語学レベルとかではなくて馴染み度とか深さのようなもの)が、まったくの表面層ではなくて、次の段階に達したのではないか、と思うからです。表面をうろうろしている間は、日本語に浸っても(日本語領域行きは、当然ですが簡単です。30年使って来た言語ですかから)、さっと行ってこれる。でも今ドイツ語の次の層に居ると仮定します。その第二層から、一旦“ドイツ語表面層”を経て日本語領域に戻ったら、表面&第二層の間の界面を再突破して“今居るべき正しきドイツ語領域”に帰ってこないとならないわけで、だから“戻ってくるのに時間がかかる”。同時に“戻ってくるのに困難を伴う”のではないか、と。
そうであれば嬉しいです。そして、今後進むべき理想の段階としては、ドイツ語のもっと奥領域へ進み、けれども、日本語領域とは簡単に行き来する・・に近づくこと。まあ、今後幾つも越えるべき山があるんでしょうけれども、日本語は好きなので、(もう衰えて来ただろうけど)能力は保ったまま、ドイツ語を伸ばしていければいいなあ・・と、ドイツ語初級者ながらも・・思う訳です。

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