土曜日, 4月 30, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(46)

何の因果だろうか。

私は音楽を聴かない、音楽も作曲家も作詞家も、歌手も、ミュージシャンも、音楽のジャンルも・・音楽に関わる言葉も・・そういった類いの知識が極めて少ない。(と思う)。
音楽は嫌いではない。むしろ好きだろう。曲を聴かない訳でもない。ただ、居間に曲が流れている環境で育たなかったからだろう。音楽が常には無いのが普通だ。だからBGMというのもあり得ない。
音楽は嫌いではない。そう、歌は歌う。合唱団やら音楽の選択授業やらで歌はよく歌ってた。家でも絶叫してた。声を出すのは好きだ。つまり、音楽=歌う事につながるので、現代社会の日常生活では成立しがたい方程式になってしまっている。音楽し”ながら”他の事をすることが出来ない。音楽がある=十分人に迷惑をかけるくらいの声量で歌う。となる。つまり、歌う以外にすることが無いとき、また歌える環境にある時だけ音楽を聴く事になる。よってなかなか音楽が聴けない。よって音楽の事はさっぱり分からない。
でも、音楽を聴かない、というのもそんなに悪い事じゃなくて、よく言えば”無垢”。真っ白だからどんな音楽でも受け入れられる。先入観もあまりない。

ということで、何の因果か、バンドのメンバーになってしまった。しかもキーボード。
おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい。(汗)(大汗)(滝汗)

まあ、私を迎え入れてくれるバンドなどよほど低レベルか、よほど寛容な人たち・・に違いない。実際そうなのだが、別にごり押しで加入した訳ではないので・・。
もちろんちゃんと説明しました。
10年以上ピアノを習っていたが、まともに弾けた試しが無い。発表会が楽しかった記憶も無い。練習は苦痛だった。ピアノの習い事から解放されてからピアノを触る事は皆無だった。かれこれ10年以上ピアノとは無縁の生活・・だったことを。全然弾けない事を、音がとれない事を、言いました。

でもそれでいいって。バンドのリーダーがそれでよい、と言っているので、それでいいんだろう。彼らの音楽は、私も知り合いの繋がりで数度ライブに言ったが、心に心地よく響く。だからもちろん、やっていて楽しさはあるけれど、実力の無さをカバーするだけの”楽しさ”、”気持ち”など、実際はあり得ない。

練習に参加し始めてもう一ヶ月が過ぎた。即席で仕上げた8曲で短い出演もこなした。練習の参加が苦痛ではない(これ実は重要)。家でも頑張って練習しよう、という気になる。だんだん慣れてきた。次は大きなライブが控える。彼らの音楽を壊さないように・・。めちゃくちゃにしないように。これが目標。

ま、ピアノが分からない(らしい)バンドリーダーが率いているので、キーボードのパートはとっても簡単なのです。実際・・・。(じゃないと私が弾けるわけがなかろう)




火曜日, 4月 26, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(45)

出頭要請・・かと思った。(汗)
ポストをのぞいたら、差出人がハンザ都市ブレーメンの市政府から。
よくない事が頭をよぎった。
「何か悪い事したっけ?」「学生の身分使うだけ使って授業に出てないから??」
筋違いなことを考えながらおそるおそる封を開けると、
それは招待状。5月13日に市庁舎でパーティをします。市長があなたを招待しています、とのこと。
あああああびっくりした。
関連団体の25周年を祝う催しらしい。その団体自体は私的な物なのに、招待状が市政府から来る・・という仕組みがいまいち理解できないが、まあ、団体の25周年は喜ばしい事であり、自分が招かれた事も喜ばしい事。
とにもかくにも、何事も無くてよかった・・・。

また、まだ、ずっとブレーメン(44)

イースターが終わりました。今年のイースターは結構方々に借り出されました。
イースター。金曜日に十字架に架かって死んで、墓に葬られたイエスが日曜日の早朝には復活していた・・ということを祝う祝日。受難の金曜日と日曜、月曜が祝日です。
これをもって、カーニバルから数えて40日のほどの断食(甘い物とかお肉とかを控えたり。。)期間は終わります。春の到来する時期でもあり、街は陽気な雰囲気。
私のイースターの予定。元々イースターの日曜日に開かれる礼拝では、年間計画の段階で、教会所属のゴスペルクワイアが音楽を担当する事になっており、参加するつもりでした。午前11時から。ところが・・つい最近(チャリティイベントで)知り合いになった独日協会の代表経由で、ブレーメンの大聖堂の牧師から依頼がありました。イースターの夜礼拝、つまりはまさに復活したであろうその日曜早朝午前5時ごろから行われる礼拝で、聖書の一部を日本語で読めないか、と。もともと聖書の音読はどの礼拝でも行われるのですが、この大聖堂におけるイースター礼拝では、いくつかの言語でやりたい、そしてこの時勢をふまえて、今年は日本語を・・ということだったらしい。まあ、礼拝の流れも分かっているし、日本語聖書も持ってるし、賛美歌だってメジャーどころはだいたい歌えるし・・(いつもの教会で、普段礼拝に参加しているのだから、始めて礼拝に参加してあたふた・・ってことは無いはず)で、まあ、比較的”礼拝事情”に精通した”非キリスト教徒”だと自負している。だが、疑問。
まず、独日協会のお偉いさんは、他に日本人を知らなかったのか??????という疑問。私は協会のメンバーでもないが、協会自体はいちおう組織として成り立っているのだから、日本人の名が連なっていてもいいのでは?そして彼は代表だ・・。日本人ネットワークがあってもいいのでは?ということ。次に。大聖堂の牧師さん。かれが協会の代表にお伺いを立てたようだが、大聖堂といえば、ブレーメンの中心、最大と言える教会である。教会に出入りする人間もしくは教会の横の繋がりで、日本人の名は他にあがらなかったのか、という疑問。
まあ、よい。少し朝早いけど、真っ暗なとこからスタートして、ろうそくをともしていく礼拝は幻想的に違いない。ということで、日曜日は朝早くから借り出される事になった。
・・と思っていたら、土曜日の夜に、そのイースターの夜礼拝を執り行う教会があり、クワイアの任数が足りていないのでヘルプを求む、との情報が入った。この教会は、私のクワイアのピアニストが個人的に所属する教会。お世話になっていることもあり、友人と二人で参加する事にした。前日、金曜日のリハーサルを含め2日にわたって。
ということで、土曜日の夜、日曜早朝、日曜午前・・と3回もの礼拝に参加し、いっぱいいっぱい・・。

聞いた所によると、ラジオの街頭インタビューで、20代くらいの10人に、イースターの前の金曜日が何の日なのか、またイースター自体の意味を質問して回った所、そのうち正確に答えられたのは2人。「キリストに関わる事???」的な「?」を掲げる人が多かったらしい。うーむ。こう考えると、かなり教会暦に従って生活している私は、よっぽどキリスト教徒っぽいのかも。
でも、日本でも仏教的な暦、節句とか彼岸とかに従って生きているけど(それが日常生活であり、特段「仏教徒だから」的な理由を持つ人は少ないのでは?)、私の場合、それと同じような感じで、こちらの教会暦に従ってます。

土曜日, 4月 23, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(43)

堅信を受ける33人の14歳の研修旅行に同行した。
いわば、自分の洗礼や信仰を確認する儀式が堅信で、それが5月の末に行われる。礼拝のとともに。大人になっていく証みたいな位置づけもあるのかなあ。
日本の13参りみたいなものか???
この堅信者(Konfirmanden。以下コンフィと書きます)はこの研修旅行で、信徒信条などを学び習得して行きます。一語一語細かく考えて行く事で、私も信徒信条はほぼ諳んじれるようになりました。
研修の内容はさておき、というか研修旅行・・など名ばかりで、ほぼ自由。やんちゃというか我が儘というかやりたい放題、集中力も無く、団体行動の基本もなっていない14歳には唖然呆然。それを率いる牧師さんの権威の無さ。私は立場的には牧師先生のやり方に従う必要があり、尤も、私が頑張る必要はどこにもないので、コンフィのやりたい放題は静観。王様のような振る舞いに、国民性なのか、時代なのか・・と考えた。日本の中学生はもっとちゃんとしているのでは???もしくは、中に一人くらい真面目で、騒ぐ輩を戒める奴がいてもいいのでは???と疑問ばかり。
まあでも当然のように33人いろいろで。狡猾というかとにかく切れる子、すごく大人びた子、幼い子、静かな子、何にも興味がない子、一人が好きな子・・。好き放題、大人顔負けの言動をするかと思えば、ホームシックにもなる。ケーキとパンを焼く機会があって、立ち会ったが、作り方が分かる!!と意気込んでいてもやぱりむちゃくちゃ。パンにいたっては知らない。でも私が指示ずるケーキやパンの焼成過程には目を輝かせて着いてくる。出来上がりにも驚いてた。中身はやっぱり14歳。私も・・決して無駄には歳をとっていないようだ、と感じた。

驚く事もしばしば。自分の意見をしっかりいう。これは教育方法の違いや国民性の違いもあるのだろう。議論とかはやっぱり好きみたい。コンフィが堅信を受ける礼拝で集まった寄付をどこに寄付するか、もコンフィ次第。寄付の行き先???私なんて、赤十字か足なが募金くらいしか思いつかない。なのに、このコンフィたち。小さなものから地元密着の団体まで様々な選択肢を挙げてきた。これには驚いた。そして(私がいた所為ではないけど)日本まで。こんな末端にまで日本の惨状は伝わり、助けようという気持ちがあることに、日本人としてありがたい・・と思った。

さて、4泊5日の日程でコンフィとの旅行は終了。すっごく仲良くなったとは言いがたいけど、これでまた33人の知り合いが増えた。彼らの堅信の式には是非参加したい。どんな顔をして前に発つのか。どんなにお洒落してくるのか。楽しみでならない。きっと教え子を見守る教師ってこんな感じなんだろうね・・。

いつもの事ですが、クリスチャンでもない私を用いてくださる事に感謝します。

また、まだ、ずっとブレーメン(42)

私はキリスト教信者ではない。洗礼も堅信も受けていないという意味で。ただゴスペルは歌うし、教会に出入りするし、礼拝にも参加すれば、聖餐にも参加する。
もちろん信徒信条も唱えるし、主の祈りの言葉をもって祈る。wikiから借用すると、
信徒信条
我(われ)は天地(てんち)の造成者(つくりぬし)、全能(ぜんのう)の父(ちゝ)なる神(かみ)を信(しん)ず。
我(われ)はその獨子(ひとりご)、我等(われら)の主(しゆ)耶蘇(イエス)基督(キリスト)を信(しん)ず。即(すなは)ち聖靈(せいれい)によりて胎(みごも)られ、處女(をとめ)マリヤより生(うま)れ、ポンテオ、ピラトのもとに苦(くるしみ)を受(う)け、十字架(じふじか)につけられ、死(し)して葬(はうむ)られ、(陰府(よみ)に下(くだ)り)第三日(だいさんじつ)に死者(ししや)のうちより復活(よみかへ)り、天(てん)に昇(のぼ)りて、全能(ぜんのう)の父(ちゝ)なる神(かみ)の右(みぎ)に座(ざ)し給(たま)へり、彼所(かしこ)より來(き)たりて生(い)ける者(もの)と死(し)ねる者(もの)とを審判(さばき)たまはん。
我(われ)は聖靈(せいれい)を信(しん)す、聖(せい)なる公同教會(こうどうけうくわい)すなはち聖徒(せいと)の交通(こうつう)、罪(つみ)の赦(ゆるし)、身躰(しんたい)の復活(ふくくわつ)、永遠(かぎりなき)の生命(いのち)を信(しん)ず。アーメン

主の祈り
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン

・・・こう書いていて、自分で非常に違和感を感じる。
私がしているのはこんな事じゃない。
nicht getauft, konfirmiert だけど、Gottesdienst Abendmahlにはいるし、GlaubensbekenntnisもVaterunserもとなえる。

Ich glaube an Gott, den Vater, den Allmächtigen, den Schöpfer, des Himmels und der Erde…

Vater unsere im Himmel geheiligt werde dein Name, dein Reich komme, dein Wille geschehe wie im Himmel so auf Erden…

これだ。
私はクリスチャンではないので、日本で礼拝に自主参加する事はほぼゼロに等しかった(子供の頃で入りしていたようだが)。だから、教会で普通に使われる言葉は、私にとってはドイツ語がすべて。他の表現だと違和感を感じる。
子供が言葉を習得したりするのと同じだろう。私にとってはドイツ語表現が普通だ。
そんな私が、堅信を受ける33人の14歳の研修旅行に同行した。

木曜日, 4月 14, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(41)

こんなに嬉しい事は無い。妹に第二子、女児が産まれた。この喜びは、ここドイツに現地人とでもwかち合える。でも、冒頭に書いた嬉しさは、日本語を解する人としか難しい。
名付け・・の候補に、私と同じ”読み”が入る名が挙がっている、という。同じ部首を持つ別の漢字を使った・・・。妹家族に近しい親族内で、その”読み”の所有者は私である認識があったのだろう、妹は”どう?”と聞いてきた。「そんなことは聞かんでよろしい」と答えたものの、実際”涙涙”だった。嬉しくて。妹からの打診があったことが嬉しかったのではない。(私がその名前の所有者であることの認識を妹が持っていたことが嬉しかったのではない)。自分の子供の名前の候補として、私と同じ”読み”の入った名前が、しかも同じ部首を使った漢字の名前が挙がっている事が、何よりも嬉しかった。飛び上がるほど嬉しかった。
三姉妹の中で、この部首、糸偏、の漢字を使う名前を持つのは私だけ。その一つの部分を、自分の妹の子が持つ・・。感激だ。実際、姉の娘の名前も糸偏がある。この時も、めちゃくちゃ嬉しかった。遠くは慣れた姉妹の中に、ちゃんと自分が生きている気がした。そして私の両親も、そばに”糸偏”がいるのは嬉しいんじゃないかな、って思う。
尤も、候補なので、どうなるか分かりませんが、名前って親からの最初のプレゼント、一生大事にできるプレゼント。何をもらっても嬉しいはず。
もし、この候補の名前に決まれば、妹が私を呼んでいたように(妹には姉が二人いた計算になるので、私は”お姉ちゃん”と呼ばれたことは無く、いつも**ちゃんでした)、娘を呼ぶ事になるんだね。これもなんか嬉しいなあ。

火曜日, 4月 12, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(40)

チャリティイベントのことを書いておこう。
私の思いは、(会場となり全面協力をあおいだ)教会から方々へ送られた。牧師さんに手直しをしてもらったが、はっきり言ってほぼ訂正が無かった。(これはこれで素直に嬉しい)
全文を挙げておく。

Pray for Japan

Benefiz-Veranstaltung im Gemeindehaus Zion am 9. April 2011 ab 16.00 Uhr

„Mein Name ist KOBIRU. Ich komme aus Japan. Eigentlich habe ich kein Heimweh nach meinem Land. Hier in Bremen lebe ich sehr menschlich in der Gemeinschaft der Deutschen. Deswegen konnte ich mir vorher nicht vorstellen, dass ich so „traurige“ Gefühle bekomme. Das waren die Katastrophen in Japan, die am 11.März geschahen und immer noch die Betroffenen quälen.

Ich war und bin sehr traurig. Es tut mir sehr leid, dass diese Ecke Japans einfach wie Spielzeug kaputt gegangen ist. Sicher glaubte ich jedoch sofort, oder musste (wollte) ich tief glauben, dass Japan den Katastrophen und Schaden entgegentreten kann, wir dafür genug Kräfte haben.

Seit alten Zeiten haben wir Japaner immer ähnliche Katastrophen. Zu jeder Zeit besiegten wir sie, weil wir einfach mochten, dass wir in der Heimat lebten. Wir hatten keine Möglichkeit, dass wir wegen Katastrophen unsere Heimat verlassen. Für uns, Japaner, ist Japan nicht nur „physisch“ sondern auch „psychisch“ Heimat, so meine ich.

In dieser Heimat passierte jetzt das Schlimmste. „Was kann ich jetzt machen?“ fragte ich mich. Dann ist mir eingefallen, dass ich eine Benefiz-Veranstaltung organisieren möchte, um Spenden für die Katastrophenopfer in Japan zu sammeln.

Dank vieler Freunde und Bekannter um mich, Dank sehr netter Freundschaft und Bekanntschaft von mir, konnte ich so ein buntes Programm gestalten.
Viele sagten sofort „Ja, ich bin dabei!!“, „Ja, Ich will helfen!!“
Das Programm existiert mit Mitgefühl und Kraft von vielen Menschen.

Am 9.April kommen hoffentlich noch viele „herzliche“ Stimmungen dazu, dadurch dass die Zuschauer sie mitbringen. Dann wird das Gemeindehaus Zion von Hoffnung beseelt sein.

Ich bedanke mich herzlich bei allen Menschen, die diese Veranstaltung mitdenken und mitmachen und mir helfen. Ich lade Sie und euch herzlich zu der Veranstaltung ein. Sie beginnt am Samstag, dem 9. April um 16 Uhr im Gemeindehaus Zion, Kornstraße 31 in der Bremer Neustadt.
Vielen Dank.“

KOBIRU

Mitarbeiterin im Gemeindehaus Zion


とまあ、こんな具合。書いた事は地震の日からぽつぽつこのブログに書いていた事をまとめた感じ。

このチャリティイベントをやろうと思ったのは・・私には何が出来るかな、と考えたとき、私自身たくさんの団体に所属するので、その私が関わる人間を一同に介せれば、一つの形になる、という自信があったこと。「私」を接点に、皆が集まれば、その皆は押し並べてグループで、出し物がでいる人たちなので、それぞれが発表すればそれだけでイベントになる、と。
たくさんのグループに出演してもらいましたが、その交渉はいたって簡単だった。こんな時だからなおさら。その後も、ちらほら、立候補してくるグループもいて、「なるほど」と思った次第。自分たちのグループだけでコンサートをしようと思うと、労力も費用もかかる。でもこういう機会で発表できれば、自分たちを売り込むチャンスにもなる。密かにどのグループもこういう機会求めてるんだな、というのが正直な感想。
とりあえず集まってもらったのはずべて現地の人たち。でも、現地の日本人コミュニティと協力してやることに意義があるのでは?との意見から、ブレーメン独日協会とコンタクトをとり、ブレーメンに住む日本人にも(直接ではないけれど)声をかけました。結果、独日協会の代表さんは来てくださったものの、他は無反応でした。まあ、この結果は、身から出た錆というか(別に態度が悪い訳でも、失礼な事をした訳でもありません。そういうことをするほど距離が近くないので、私が悪いのかどうかは不明)、日頃から日本人社会と繋がりが薄いので仕方ないのかもしれませんが、残念なことは残念。
イベント自体はもともとの私の行動範囲にいる人間が支えてくれましたので、大きな問題はなし。でも不思議な感覚でした。日本人が日本のために立ち上がった、声を上げた事に対し、周りの皆が”私の思い”に対して立ち上がってくれた事。実際、ブレーメン以外の都市、オールデンブルグやオスナブリュックからの人手もありました・・。”ああ今日も生かされている、ありがたいことだ”じゃないけど、本当にそんな感じ。ありがとう、以外の言葉が無い。
私は本当にここで、素敵な仲間に囲まれている、と思う。
同郷人との繋がりは薄いけど、まあ、ここは日本じゃないしね。
・・って考えた。一年以上の海外滞在は3度目。中国、シンガポール、そしてドイツ。学んでいないようで実はちゃんと学んだのかな。海外での身の置き方。日本人社会にどっぷりつかっていても広がっていかない、ってことを。日本の中でもそうであるはず。関西から関東に引っ越しても、関西弁を捨てず、同郷人としか関わらなかったら???それはおかしい、住む所は関東なのだから。(言葉はさておき)それと同じだ。留学生仲間(日本人以外も含む)としか仲良く無かった中国時代。日本、日本語に関わる人々のこじんまりとした社会で過ごしていたシンガポール時代。今現地に行った時、現地人で迎えてくれる人が何人いるか・・・。限りなくゼロに近い。でもここ、ブレーメンではどう??間違いなく150人以上の現地人が私を取り巻いて蠢いている(私を中心に考えた場合)。それだけの人と関わっていること、自信に思っていいと思う。(普段は自己卑下の強い私だけど、この点に関しては胸を張ることにする)。
でも驕らず、年長者の言う事をよく聞き、正しい事を見極めながら、進んでいこうと思う。
日本の家族へ。大変な時に不在でごめんなさい。こちらのことは心配しないで。私はこれだけの人間と持ちつ持たれつ生きています。

月曜日, 4月 11, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(39)

母方の祖母が亡くなった。”また”日本にいない。母方の祖父が亡くなったときも、父方の祖父が亡くなった時も日本にいなかった。”また”だ。
姪が産まれたときも、甥が産まれたときも、日本にいなかった。次も”また”日本にいない。
こうやって私はどうやら家族内の世代交代を体感しない者として、その流れから取り残されつつある。
大変な時に、手伝えない親不孝を許してください。

お祖母ちゃん、安らかに。
お母さん、この日が来る前に還暦祝いができてよかったね。
でも、これで、家系が途絶える事になるんだね。まあ、母親が嫁いだ時点で予想のついた事だけど。なんだか寂しい気持ちになるのはやっぱり日本人だからかな。

とにかく、お祖母ちゃん。一緒に過ごした楽しい時間をありがとう。

日曜日, 4月 10, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(38)

みなさんどうもありがとう。私が言い出したこのチャリティイベント。いっぱいいっぱいの協力のおかげで、とりあえず無事に終わりました。
募金がどれだけ集められたか、とそういうことはさておき、一人の日本人が言い出した事に、周りが喜んで手を貸してくれた事が素直に何よりも嬉しい。
自分の周りにある人間関係を誇りに思っていいと思う。
一緒に考え、働き・・してくれたのは皆ドイツ人を始め日本人以外の方々。日本人として、日本人以外の人々からこれだけの助けを受けたこと、ここに2年半しかいない私に、これだけの人がついてきてくれたことに、感謝します。
本当に有り難うございました。至らぬ点もありましたが、次の機会があれば・・・もうちょっと上手にやります。
まあ、手伝ってくれた人、臨席してた人はこの”日本語”のブログは読めないんだけどね・・・。
さ、明日、明後日からは”御礼行脚”になるのかな、まずは。
また改めて今日の事は書きたいな、と思います。
とりあえず深夜1時半になるので寝よう・・・っと。