人には大きさを把握する能力が備わっていて、かつ、大きさに対する固定概念を持ちがち。と言うようなことを何処かで書いた気がする。
だから通常、高いところにある標識が、目から差ほど遠くない位置にあると、
その大きさに驚く、と言うような。
今、ふと 興福時仏頭が頭に浮かんだ。山田寺の仏頭だ。それは今でこそ、間近に御尊顔を拝める、つまりそれが通常の大きさだと思い込んでいるが、実際は、「頭」だけだったわけでなく、なんとか言う名前のある「仏像」だったわけだ。脱線するが、ミロのブィーナスは両腕がないが故に、いろいろ想像をかきたてられるーという話を教科書時代に読んだ気がするが、まあそれはさて置き。
仏頭が仏像だったら。頭のインパクトの弱さ、貧弱さに
驚くかもしれない、そもそもあれほど有名になることはなかったかも
しれない。
頭だけだから、そして“あの”顔だからこそ・・。
はっきり言って、割れてしまった、破損してしまった仏像なんて
かなりの数があるはず。腕だけ、足だけ、胴体だけ。
そべて破損品として十把一絡げにされているのではないのか・・。
なのに、山田寺の元仏像だけ、「仏頭」という格上の名称を与えられて
どうどうと興福寺の国宝館(やったかな?)に飾られている。
面白いものだねえ。
火曜日, 4月 22, 2008
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