日曜日, 6月 12, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(50)

血は争えない。・・・・という意味とは似て非なる物だけど(しかもこんな言い方しないけど)
「星は争えない」と思う。
気がつけば回りに、同じような誕生月、星座の人が集う。周波があうんだろうか、類は友を呼ぶ。

姉妹しか持たない私を、妹のように思ってくれている人が少しはいる。彼も多分そうだ。私と同い年の彼女のいるアフリカ人の男性は、私とは多分妙な関係だ。
お互いドイツ語以外を母国語とするし、お互いドイツ語レベルはたかが知れているので、また、二人ともおしゃべりなほうではないので、特に会話はない。おしゃべりも盛り上がらない、というか挨拶以外まともにしゃべらない、しゃべろうとしない。まあ、顔をあわすのは週に一度、多くて二度だが。
しかし、彼は、何かと私を気にかけてくれる。気にかけてもらって、”太鼓持ち”しないといけないような人物ではないので、さらりと流せばそれでしまいなのだが、そうはいかない何かがある。
多分それは、”星間”でしか分かり合えない何かのような気がするのだ。彼の私に対する態度、立ち振る舞い、言葉無しの表情、発せられた少しの言葉等が、私のところに届く。そして私は理解する。何を考えているのか、何となくわかる。とても自然に。理解する為の苦労が無いから、とても楽。多分逆も然りなように思う(と思いたい)。

頻りに礼拝への参加を(アフリカ人中心の教会の礼拝は、私のいつもの教会で行われているが、時間帯も、しきたりも、牧師さんも・・主催団体が異なる)勧めてくる。この礼拝はパワフル過ぎてなかなか着いていけないのだが、彼が「来なさい」と言うのなら、「行こうかな」と思う。もしかしたら、私がちょっと”病み気味”なのを彼は見抜いていて、救おうとしてくれているのかもしれない。

私にとって兄のように思う存在の人たち(とりあえず男性で親ほど年上ではない)には、どうあがいても”適わない””見透かされてる”感のある人ばかり。このアフリカ人男性には、私の中では”Säß”という言葉がぴったりの”兄”なので、(”Säß”はギャルがなんでもかんでも”カワイー”ってうのに似た感じの形容詞)そういうことはないだろうと思っていたけれど、意外や意外・・、意外と見られているのかもしれない。

で、この男性の存在が、私の去就問題を(私自身の中で)ややこしくする一因でもある。

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