木曜日, 4月 29, 2010

Bremenからこんにちは(92)次の 一歩 そして備忘録

今日みどりの日。ブレーメン大学の国際秘書課に、英語レベルの証明書を提出し、(2009年12月3日付けで取得したB1レベルのもの)し、これで全ての書類を提出し終わった事になります。後は、応募者数が受入数を上回る為に実施される選抜を経て、8月末に結果が来るようです。
先にも書きましたが、大学入学の流れを、別方面からまとめておきます。
ブレーメン大学 学部生応募 私の場合
1)2009年4月頃 
Uni-assistというセンターに、書類送付。大学入学資格を有する事の証明(私の場合、日本の大学学部卒なので、その証明等)と、各大学毎に用意されている願書。
(学部志願者はUni-assistへ、修士以降は大学への直接応募になります。つまり、このセンターで、“大学で学ばせていいものかどうか”が試験されます。)
2)2009年5月
Uni-assistから返事。Eingangsbest閣igung が届く。受け入れ許可のようなもので、書類の審査に通ったので、手数料なるもの55ユーロを払えと言うお達し。→払い込む
3)2009年6月初旬
更に、Uni-assistからメールと封書。このお達しは、ブレーメン大学に、「これこれこういう輩が、大学に応募している」旨が伝わしましたよ、という報告。
4)2009年6月中頃
Uni-assistから連絡を受けた大学が、私へBest閣igungを送りつける。いわば、応募受付の認可証のようなもの。
このBest閣igungは滞在許可延長云々の作業の際にも一役買います。
無事2009年7月1日 新滞在許可入手。但し、真の学生ではなく、“ただ勝手に応募したい気持ちがある人”なので、就労は認められず。
5)世の中夏休み
6)2009年10月
学生の身分はもらえないのか?の相談。1)の書類は、時期的に見て、2009/10の冬セメスター(つまり。2009年10月新学期)から学業開始の人と同じタイミングに送付したけれど、語学等必要な前提が欠けていたため、勿論、学生にはなれない。不合格。よって、1)〜4)の作業は無駄??になるかと思われた・・ところに登場したのが“準備学期”。外国人に認められた、語学力等の準備期間。準備学期の準備学生は正規の学生と同じ学費を払い、公共交通機関の切符をもらえます。
国際秘書課の言い分としては、今学期は間に合わなかったけれど、入学を目指して、語学学校に通っていれば、準備学生として受け入れてやろう。というもの。しかし語学コースをの開講は無いブレーメン大学。自分でコースに申し込み、その証明をもってして、Einschreibung 所謂入学許可、但し、準備学生としての。をゲット。
7)2009年10月
6)のEinschreibung しかし、正規学生ではない。お陰で、滞在許可に就労許可がつく。但し、語学学校等に通わないとならない身分であることは、そのEinschreibungからは明らかであるため、法律で定められた学校のお休み期間のみ可能という条件付き。そんな状態で、長期のバイトは・・・ということで仕事は無し。
8)2009年10月〜2010年4月
(落ち続けている)TestDaF、C1(この合格書で、ドイツ語力の証明書の代わりとする)、TestAS、応募学部により課される英語力、等のテストを受け、証書を集める。(テスト関連は、先のブログを)
9)2010年2月
4月からの春セメスターの学費を振り込む。それにより、学生証や、定期が送られてくる。同時に、Uni-assistで昨年査定されていた、私の全書類は、すべてブレーメン大学へ移送。以後、Uni-assistは関与しません、とのお達しを受ける。
10)2009年4月末
滞在許可延長の為、も含めたBest閣igungを入手。入学の為の全書類、全証書を大学側に提出し、後は、選抜を待つのみです、ということを認める手紙。お役所提出用。

やっと10)まで来ました。これで、滞在許可を延長する際に、恐らく、日数の制限はあれども、期間の制限は無いアルバイト許可が貰えるはず・・。選抜があるので、学生になれるかはおいといて。ただ、次の段階が目の前に来ている事は確か。気を引き締めつつ、喜びつつ・・。

これからドイツで学ぼう(学部で)と思っている方、短期留学や、交換留学、芸術系の大学でない方・・はまあだいたいこんな感じの流れだと思います。
ご参考までに。

月曜日, 4月 26, 2010

Bremenからこんにちは(91)すでに4度目。Ein alter Hase----

マスクワイアで歌うプロジェクトsingout。去年から参加し、そのプロジェクトリーダーが別に教えるクワイアで歌っている事もあり、すでに(プロジェクトの練習には参加しないけれど、最後のコンサートにだけ出させてもらう・・を含め)4回目のコンサート。これが24日の土曜日にありました。今回は、過去に、ブレーメンを初め、ニーダーザクソン州の各地でこのプロジェクトに参加し、それぞれの都市で過去に行われたコンサートに出て、プロジェクトの終了を迎えていた人も、追加の練習とワークショップに参加すれば今回24日のコンサートに出れる、というシステムがありました。ブレーメン界隈でプロジェクトが煮詰まった感があり、その北ドイツでの集大成的なコンサートだったことになります。
本来、通常半年続き、最後のコンサートで終了するこのプロジェクトに参加するには50ユーロかかり、今回の例外措置(追加練習とワークショップ(プロによる)&コンサート)だけならば25ユーロ・・が参加費でした。
他の参加者に言うと、怒られると思うのですが、私に対する例外中の例外措置。すべて無料でさせてもらいました。ありがたいことです。収入の無い事は、親しくしているプロジェクトリーダーも周知の事実で、それでも歌いたい気持ちだけは人一倍あり・・(このプロジェクトの一環でナイジェリアに行きます。この費用は払っています)、その辺の気持ちを汲んでくれているのです。
本当に有難い・・。
観客よりも、プロジェクト参加者のコンサートで歌う側が一番楽しんでいるであろうコンサート。はっきりいって、私。かなりディレクションに従順で、優秀な方なので、そこを買ってくれているのかもしれません。マスクワイアにはある程度のまとまりが必要で、好き勝手歌ってばかりでは駄目だし・・。歌っている時は、随時ディレクションをガン視。アイコンタクトとりまくり。比較的“使える”クワイアの一人・・なのかも、と喜んでいいのかも知れません。
ふむ。

水曜日, 4月 21, 2010

Bremenからこんにちは(90)なんかイライラする。なんかちょっと違うんだねえ。

誰しも、生活の中で身についたというか癖や習慣になってしまっている、言い回しや文調がある。だから作家さんの作品を読んでいても、読みやすい人、読みにくい人(あくまで自分から見て)がいたり、翻訳作品でも、上手い訳(自分が理解しやすい、読んでいて気持ちがいい日本語)の時とそうでない時がある。
でも、絶対的に(相対的にではなく)美しい日本語は、読んで気持ちがよく、声に出して読むと更に気持ちがいい。物を書く事を生業としている人は、こういう読み手の感じ方を考慮しながら言葉を選び、文を組み立てているはず。だから、不快な気持ちにさせる文を故意に書いたりもできる。(ンだと思う)。でも残念ながら一般人は、自分の言葉の、自分の文における特徴やそれが他人に与える印象等を、自分で感じることができない。周りからのフィードバックに頼るしかない。大半の人は多分、そもそも、特におかしな日本語を使っているわけでも、素敵な日本語を素敵な文を書いている訳でもない、あくまで普通・・だと思っている。
知人友人とはメールを介してのやり取りが主流になっているけれど、「性格上の書き回しかなあ〜〜」と思える程度の特徴を持つメールが大半で、きわめて普通のメール、文。尤もメールで奇をてらう必要は無く、必要な情報、お知らせが、誤解無く伝わればそれでいいわけなので、頑張って美しい日本語を書く必要はない。だから特に特徴のない文章になるのは、当然。

ただ・・。一人見つけた。ちょっと“違うんじゃない?”と思うメールを書く人を。仕事柄大丈夫なのか?と思ってしまう。
今まで気に留めていなかったけれど、その人のメールを“おかしな日本語。伝わらない日本語”であると定義すると、これまでの事がすべて納得できた。
それほど酷い状態ではないけれど、なんだかとっても理解しにくいメール。書くにも時間がかかる(話すより)のがメールなので、出来れば簡潔に誤解無く伝えたいはずなのに、その辺の考慮はなく、かといって長く書いてくる訳でもなく、情報不足の、どちらとも意味が取れるような、判断材料に欠ける、曖昧な、はっきりしない、短いメールを送って来る。いつも肝心なところを抜かして・・。疲れる。
私はどちらかと言うと“長い”人なので、そこは反省すべきところ。“大は小を兼ねる”ではないけど、書くべき情報を漏れなく網羅するためにそうなっているだけで・・(と自己擁護)。
ちなみに、我が母親は、時々ちんぷんかんぷんなメールのやり取りで笑わせてくれる。これは、もう仕方が無い、と諦めの域。その点父親は簡潔明瞭(感情隠しのため?)。対照的で面白い。

Bremenからこんにちは(89)それだけのことなのに

アイスランドの火山の灰でヨーロッパの空は、ある意味すっきり。でも人はそれを“交通マヒ”とのたまふ。
こういう火山噴火とか地震のニュースを見聞きする度に、高校の地学を思い出すのだけれど、(もろに文系の頭しか持ち合わせていないけれど、地学は好きでした)、まあそれは置いておいて。あ、高校で思い出したけれど、(あ・・・また話が脱線しそうな予感)高校1年やったか2年やったか・・の現代社会の夏休みの宿題で、「戦争体験の聞き取り」をしました。私は、未成年で出征し、終戦後もシベリア抑留を経て、終戦2年後(やったかな?)帰国した祖父に話を聞き、レポートにまとめましたが、思えばそんな辛い話をよく語ってくれたものです。思い出すのも嫌だったろうに。で、今思うこと。あの時書き留めた内容をあんまり細かく覚えていないこと。高校時代は未だ手書き時代。録音したりデータ保存していたりすることはありません。宿題として提出した用紙も未返還(これが本来ならおかしいのですが)。私の希望としては、あの用紙を返してほしい。そして祖父の語ったことをもう一回、少しはあの時より成長した自分の目で読み返したい(たいした内容にまとまっていないと思いますが)。もう他界してしまい、二度と同じ話を聞くことは出来ないから。もしくは、先生・・返してください。(あ、名前ど忘れした。)

話を元に戻して。15日からストップ状態の空の便が20日ようやく動き始めましたが、まだ完全な状態とは言えません。飛行機が飛べない・・ってこんなに大変なことだったんだな・・と思い知らされる出来ことですが、よく考えれば不思議です。飛行機が飛ばない。飛べない。それだけなのに・・。それだけじゃない。
人の移動手段といえばそもそも・・。走る、歩く等、身体機能に依存した方法。泳ぐ、流れる等も含む。次に動物に頼る=ウマ、ラクダ等。そして車輪に頼る=馬車、牛車等。多分平行して、風&帆に頼る=ヨットなど。車輪または帆&火力に頼る・・・と水陸移動の方法が発達し(多分)、そして、人類の転換期?とも言えるのではないかという、飛行機の発明。空の時代に。移動距離やスピードが飛躍的に発展し、グローバル社会の構築にかなりの影響を及ぼしているであろう飛行機。その最新に最も近い移動手段である飛行機(仮に移動手段ピラミッドの頂点に君臨しているのが飛行機としましょう)が、今、使えない。つまり、ピラミッドのさきっちょがちょっと欠けた状態。でもさきっちょがほんのちょっと欠けただけなのです。車は走るし、馬も走るし、船も走るし、人は歩けるし・・。ピラミッドの土台はかなり強固で揺がず。揺るがないはず。でもこの、不安定感というか、混乱の様はいったいなあに???
例えば、船も無く、車もなく、飛行機などもちろんなく、全世界の人が、一人一人別々に、畳一畳分くらいの小島に住んでいたとしましょう。隣の島は遥か遠い。隣に行くための手段は・・。泳ぐ。泳ぐ以外の移動選択肢しかなくなれば、慌てるのも頷けます。“歩くことすらできない”のであれば、移動手段ピラミッドはとっくに破壊しているので。でもでも、たかが飛行機・・。(されど飛行機か・・。うーむ)

そもそもきっと、いろんな“便利”に頼りすぎなんでしょう。飛んで当たり前の飛行機。ドイツから日本まで十数時間で到着して当たり前。輸出入品は、空を、海を越えて日々供給され、納品されて当たり前。それだけ“早く”事が進んで当たり前。“早い”ことが既に“価値”。私たちはその“便利”や“早さ”をお金で買っている。
ヨーロッパなんて、各国ほぼ陸続き。ユーロ圏内なんだから、国境もすんなり通れます。空交通が無く、すべて陸移動で動いた時代もあったでしょう?ゲルマン人だって移動したでしょう??陸だけで何かと出来るはずでは??って思うんは私だけ? でもそうしたくても、それを許さないのが、今の時代。
今回のこの出来事は、なんだかいろいろ見直すいい機会になった気がします。

それにしても、ここ数日、空は晴れ渡り、火山灰の影響はいずこ?状態の澄んだ空。そして、飛行機の離発着無し。静か。こっちのほうがよっぽどいいかも・・。

火曜日, 4月 20, 2010

Bremenからこんにちは(88)大学入学のために あくまで備忘録

4月20日。語学のテストが終わりました。世界中で同じ日にちに同じ内容で開催されるテスト。TestDaF(テストダフ)。ドイツにある大学等の高等学校で学びたい外国人が、語学力の証明として受験するテストです。外国人学部生はほぼみんなこのテストをクリアしています。私の受験は3回目。いい加減諦めればいいのに・・という域です。まあ、1月に受けた試験の合格書でもって、このテストダフ証明の免除を申請し、許可を頂いているので、大学入学時に提出すべき語学力証明は、既に不要。今回の受験はただ、自分の力試し&納得したい・・ただそれだけの受験。そのために175ユーロという、下手したら一ヶ月は生活できそうな大金をはたいて受験。
・・の割にはコケた感が漂ってますが、自分でも成長を感じられる部分は少なからずあったので、よしとします。前回の受験より更に、テスト全体を俯瞰した回答の仕方が出来た気がします。

ここからは読み飛ばすほうが賢明。////
一応主な大学等(ブレーメン大学を例に)の外国人向け入学前提を書いておきます。
1 テストダフにおいて、読解、ヒアリング、筆記、口述の4部門のいずれも、各TDN3(3点)以上、計16点(つまり、4部門各4点ずつでもいいし、3、4、4、5点という配点でも可)を獲得すること。年6回開催。結果は6週間後。
2 テストAS という、一般常識かSPIか・・的な、高等学習機関で学びたい人間ならば最低限持っているべき思考回路を問うような核テストおよび、大学で学びたい学部により問題が異なる専門試験(といえども、この学部を学ぶにあたり、最低限こういう“頭”を持っていてね、という難しくはないテスト)(*語学力を問う試験ではないので、英語での受験も可能)。年2回開催。結果は5週間後。結局2つのテスト(語学テスト部門の受験が必要な場合もあり(B2レベルの語学力証明で免除))を受けるのですが、核テストでパーセンテージランク50%以上もしくは、核テストと専門テストを合わせた、合計パーセンテージランク50%以上で、OKというのがブレーメン大学。この基準は大学により様々なはずです。
3 受験学部により英語の語学力証明。中高と英語を学んだ日本人なら普通は余裕でクリアできるレベルB1の証明。(学部により更に上が求められることも。B1は最低ライン)(*ドイツ語頭になってしまってからの英語試験はストレスでしかありません。受験タイミングの考慮を)
1〜3の試験で手にすることの出来る証明書は、原則的に生涯有効なので、思い当たる人は早めの受験を。B1の結果は即。

注1)1の語学証明の代わりに、ゲーテインスティチュートのC1試験や、DSHなどを認める学校、その証明書にて語学試験の免除を受けられたりもします。
DSHを開催している大学は、独自に外国人入学希望者を対象に語学コース等を開講している大学が多いようです。勝手な推測ですが、DSHという試験&それを念頭においた各レベルの語学コースを格安で提供する大学は、学期事の学費が高く、DSHや大学が独自に語学コースを開講していない場合(入学希望者は独自に語学学校を探すことになり、この私立の語学学校の学費は高い)は大学自体の学費は安い・・、というカラクリがあるのでは?と思っています。

注2)2のテスト受験の代わりに、ブレーメン大学では“PREPARE”という一般常識取得コースが開講されています。4月頃までの申し込みで、10月1日の入学を目指す人向けなので、もちろん開講は6月の年1回。このコース受講でテストは免除。但し。コース受講には400ユーロほどかかります。逆に、テストASは2010年の受験は無料。

注3)大学学部入学の願書は、各大学が個別に受け付ているわけではなく、センターがまとめて管理しています。そこには、各種卒業証明書などをも送付する必要があります(英文で可)ので、諸々早めに入手しましょう。そのセンターで一度、ドイツの大学で学ぶにふさわしい基礎学力?があるのか云々が試験されて、応募の旨がセンターから大学へ通知される仕組みになっています。そのタイミングと、直接大学へ示すべき、上記1〜3の書類が、晴れて入学できるか、来年まで持ち越しか・・の分かれ目になります。この待機期間というか、外国人の入学準備学生期間(語学試験にいそしむ期間)は2学期(1年)認められ、第2学期の学費等を応募大学に払い込むことにより、センターに送りつけた願書、各種個人の書類はセンターの元を離れ、大学側へ届く、とまあこういう流れのようです。

10月1日始まりの新学期に向けての応募の締め切りは、7月15日。余裕を持った受験を!

誰に向けて書いているのかわかりませんが、まあこういうことです。

土曜日, 4月 17, 2010

Bremenからこんにちは(87)竹でテント


更新が久しぶりになってしまいました。20日にテスト・・ということで許し下さい。
でも今日は、出入りする団体の25周年記念祝賀会が8月にある関係で、その日に自力で建設する“竹テント”の試建設を行いました。この団体に出入りするのは、変わった人ばかりなのですが、一人一人の長けたところが十分に生かされるような不思議な団体で、竹を組み立てて行く間も、(そもそも設計図も、建てる方法も、全員が熟知している訳ではない(数人しか理解していない)という状態でスタートする)、ただ、押さえるだけの人(ねづっちみたいや・・と思った(笑))、子どもと戯れているだけの人、うろうろするだけの人、喋るだけの人、いろいろ居ながらもとりあえず“試し”に建ててみました。このテント建設地であり、25周年記念祝賀会開催地は、団体が進める“住まいプロジェクト”建物の建設予定地として団体が購入している土地であり、自治体が新たに開発を進めていく区域にあります。この竹のテントはとりあえず3日崩れなければ大丈夫、とまあそういうことのようです。ちなみに、何故竹なのか・・は、素人でも扱いやすい事は然ることながら、この団体の存在意義とも深く関わる・っているのですが、(忘れました(汗))。用事があり、途中で退散しましたが、とりあえずこんな感じ。

春・・。タンポポやパンジーかな?いろいろと咲き誇っています。
火山の灰云々で騒がしいですし、ブレーメンも地図上ではしっかり“域”に入っているのですが、空は澄み渡り、空気も特に気にならない。でも飛行機は飛べないんだよねええ。イマイチピンと来ない。


(どうでもいいこと)
それから、ねづっち絡みで**トーークのことを書いておきます。先日やっとゴールデン自粛の人見知り完全版を見ることが出来ました。と同時に、ゴールデン人見知りの後半もようやくヒットして視聴しました。最後に女性ゲストが舞台の宣伝してましたよね。客席参加でストーリーが進んでいく・・みたいな。幅15センチあるかないかのパソコン上の映像画面では、舞台のポスターの細かい部分はもちろんわかりませんでしたが、女性ゲストのこの発言だけで、私はこの作品が誰の物か、どの団体が演じる物かピンと来ました。作品名で調べてみたらやっぱりそうでした。勘はまだまだ衰えてないようです。よかった〜〜。

日曜日, 4月 04, 2010

Bremenからこんにちは(86)アフリカの夜

イースター日曜日の前夜、アフリカの方々が集まる教会でコンサートがありました。友人知人が歌う、というので出かけました。ゴスペルです。
ゴスペル関連のコンサートに行くと、(今回はアフリカの方々の教会が主催であり、休暇の中日であり、大多数は黒人さんでしたが、それでも)知っている顔をちらほら・・見かけます。
アフリカ人の歌うゴスペルは本当にパワフル。人種の差による身体的能力の違い、育って来た環境、それから地域が抱える歴史的背景など、一言ではすまされないような“重い”ものを感じます。メロディ、リズム、ノリ・・体にしみ込んだ習慣なのか、天性なのか・・素直に羨ましいです。
特にゴスペルを歌って、神を賛美している彼らは、なんと言うか・・とてもリアリティがあるというか、真に迫っていると言うか、切実というか、本当に心から“歌って”います。一言一言が重い・・それでいて明るく、ポジティブな感じ。
背負っているものが違うから、私には到底たどり着けない領域なんだろう・・と改めて感じました。
さて、イースターの日曜日。今日は私の通う教会での礼拝で私の所属するクワイアが歌いますが、さてどうなることやら。ドイツ人にとっても“イースター”の意味は大きいですが、それでもアフリカ人のパワーには・・。

金曜日, 4月 02, 2010

Bremenからこんにちは(85)人生分のちゃりんこ?

ドイツ語の語学学校に通っていない私の最近の専らの遊び友達と言えば、職無しのおじさん。何でも、働くのは好きではないから、と働いては辞め、働いては辞め・・なのだとか。本人的にはそれで満足らしいので、それで善し。学のある人なので次の職も容易に見つかる、と。そう、知識のある人なので一緒にいて勉強になるし、いろいろ教えてもらえる。同時に、親のように小言が五月蝿い。まあ、そういう存在も大切かも。その男性と、そのパートナーと平日、週末を問わず出かけます(連れて行ってくれます)。
今の季節はサイクリング。20〜30キロ片道こぐのは最近ではもう当たり前の域。4月2日の今日は、ブレーメンから走る事20数キロのFischerhudeに行って来ました。川沿いの牧草地、でも今は水位が高くて水に覆われている・・の堤防を走りたどり着いた小さな村がFischerhude。サイクリングロードも村自体も本当にきれいなところでした。
水があるって本当に素敵。
ブレーメンにゆかりのある芸術家もこの界隈を沢山描いています。ブレーメンに美術館のあるパウラ・モーダーソンの夫であるオットー・モーダーソンの美術館や、詩人リルケにゆかりのあるカフェなどもあります。
モーダーソンの2人や同時期の画家が描いた、沼地や牧草地、村の小道、そして白樺並木・・水のある自然が今も残っています。先日自転車で訪れたのは、美術家の集まる集落Worpswedeでしたが、そこにゆかりのある、芸術家はこの村も好んで訪れたようです。(二つの土地は距離的に近い)。

今日は本当に天気がよく、本当に気持ちのいい一日を過ごしました。
そして少しのサプライズもありました。
皆さんは覚えていますか??(覚えている人がいたらすごい)。確か昨年5月に“通学中に、モップ犬(と私が勝手に名付けた)を散歩しているオジさんに毎朝会う。ちょっと友達になった”と書いた事を。その後、学校が変わってしまい、オジさんと会う事もなくなり、私もわざわざ会うために朝早く、通学路を走る理由もなく、そのままになっていたのですが、そのオジさん&犬と今日、再会したのです。ブレーメンを20キロも離れたFischerhudeで。驚きです。自転車で走っていて、「あ、久しく見ていなかったモップ犬(的な装いの)犬だ〜〜」(決して可愛くてつい見てしまうタイプの犬ではない)と通りすぎタラ・・なんと側にいたのは、そのオジさん。まったく偶然。世界ってやっぱり狭いです・・・。

ということで、キリスト受難の日は過ぎていきます。そして3日目に復活!!と。イースターですね。