
3週間のキャラバン生活を終え、ブレーメンを拠点にした活動を終え、これですべてのプログラムが終了しました。参加前も、参加後も、この団体の活動方針を説明しろ!と言われたら、日本語でも上手く説明できませんが、(なんだか幅広すぎて・・)この旅が私にもたらしたものは、自分でも驚くくらい大きなものでした。
自分が一番驚いているのではないでしょうか。私は小さな小さな一人の人間です。なのに、自分が人にもたらしたもの、この団体にもたらしたものはとても大きかったようなのです。特別な事をした訳ではありません。ただ、私に出来る事を出来る範囲でやっただけ。そりゃあ少しは役に立ちたいという気持ちは十分にありました。なんせ、3週間ほぼただで食住満たしてもらっていたので。でも、「出来る事は精一杯こなそう」という気持ちが自然と湧いて来て、損得勘定無しに、気持ちよく働くことができたのです。働くだけではなく、団体の個々の活動にしろ、気持ちよく参加しました。
ややこしい心理作戦や、計算高い行動などは一切なく、心の赴くままに行動できた(この言葉が“私”という人間から出ること自体が不思議です。)結果、相当の軌跡を団体の活動に刻んだようです。
今回のキャラバンは私無しには成り立たず、深い印象を残し、今回のキャラバンの星!とまでの団体代表のお言葉を頂き、自分のパワーに自分が一番驚いています。
こんなに人に愛される人間だったでしょうか?こんなに愛される資格が私にはあるのでしょうか?
ドイツに来て私は本当に、良い方向へ転換したのかもしれません。
料理当番に「おいしい夕飯をありがとう」と言ったら、「食べてくれてありがとう。そしてその笑顔にありがとう」と返答。「私が 笑顔???」。日本にいたとき、親にさんざん言われていました。「恐い顔ばかりせず、笑っていろ」と。笑顔など忘れていたのに、ここではどうやら自然と笑顔がでているようなのです。そして人が集ってくれます。日本人であることの珍しさ抜きに、私がどうやら“あたたかいもの”を提供しているようなのです。
自分が一番信じられません。氷のような心しかなかったはずなのに、今の私の心はとっても豊かで温かいようなのです。不思議不思議不思議。
「人は変えられないけど、自分は変われる」。これも親にさんざん言われたことです。変わる必要ないと思ってました。冷たくって、人生斜めに見て、バリアを張って、強く(強がって?)生きて行ける自分が誇らしくもありました。でも、変わったつもりはないのに、自然に私は変わったようです。自分の居場所であるところを見つければ、人って変われるんですね。そう思います。無理に変わらなくても、意識しなくても。
ドイツで起こった事は、教会の事もクワイアの事も、キャラバンの(この団体のことも)奇跡のようです。ブレーメンでのプログラム中に、キャラバン参加者が、この数週間に及ぶ旅行の印象や活動内容などを説明しました。私もなぜか、その使命を課せられ、間違いだらけのドイツ語で用意もしていなかったのに、人前で、しかもマイクで話すはめになったのですが、「私が、何故ここにいるのか自分でもよく分かりません。ただここに居る事が奇跡のよう」と話しました。続いて、「昨日船の上で“私は生きている”と思いました」と話すと笑いが・・。大げさだったからでしょう。でも付け加えて、「10年以上ドイツに来る事を夢見ていました。でも機会がなく、昨年やっとその夢を叶えました。日本に居る時、病気を抱えており、一度死にたいと思った事がありました。だから、生きていることがすばらしい、と思ったのです」(注;ドイツ語で喋っているので、これは私が話したかった内容であり、もしかしたら、全然別の意味で解釈された可能性もあり)と話しました。正直な気持ちでした。当然のように苦しかった過去10年を思い出すとともに、生きている事、そこにいる事を思って泣いてしまったのですが、一応皆に私の気持ちは伝わったようでした。
ドイツに来てから奇跡ばかりです。人に助けられ、助けてもらっているだけのように見えて、実はしっかり人を助けている・・という生活。不思議ばかり。
ドイツに来て本当に良かった。仕事を辞め、将来の展望もなく、あてもなくドイツに来たけれど、それは、何故自分が10年以上もドイツにこだわり、ドイツを適えるまでは、他の事を続けてやる気にはなれない、それはなぜか、ドイツに何があるのか、何が私をドイツにこだわらせ続けるのか、その答えが知りたかった。その気持ちに背かずに、思い切ってドイツ行きを決断して本当に良かった、そう思います。残念ながら、“答え”は分からないけれど、私の今の気持ちが、私の決断が間違っていなかった事を証明している気がします。
30年の人生のうち、10年苦しみました。体に少しの“ガタ”は残っているし、病気は完治したとは言えないけれど、今、今までで最高に幸せな瞬間だと思います。そして、私はもっと生きたい。生きて行く中で、今後何度も、闇の時期を体験するかもしれません。それをどう乗り切るか、乗り越えられるのか、は分かりませんが、その闇は、かなり“人間的に成長した自分”で立ち向かえそうです。
キャラバン締めのブログが大げさになりましたが、(また今後もキャラバンの活動を続けていくので話題には上るでしょうし、今日から一人になって寂しくなって、キャラバンの思い出ばかりブログに綴るかもしれませんが)とにかく、終了です。
私をキャラバンに導いてくれたオットー、金の心配をせずに参加してね、といってくれた代表クラウスとみんなのお母さんアネ、劇グループのみんな・・・ラインホルド、アーノルド、アンディ、イエンツ、ハンチユーゲン、ミヒャエル、クリステル、ウウ゛ェ、パトリシア、劇指導の俳優マテン、太鼓グループのみんな・・ディートリフ、ウレ、ネレ、クララとリーダーのイラン人モッサン、私を見て、「おしんを見つけた」と喜んだイラン人ジャワット、ベリリンからずっと旅したベルリン市民ジモーネ、ウルリケ、ロタ、アンドレ、荷物をトラックで延々運んでくれたペーター、船が恋人〜〜のように船といつも会話してしていたキャラバン実質リーダー フィッツやラレ、おいしい料理を作ってくれた人、私がレイアウトするための旅新聞のための記事を書いてくれたマルコ、写真を撮るために一緒に旅したグレゴリー、フォルムチームのアネ、ブレン、テディ、各都市のプログラム遂行に当たり準備をしてくれた人、私がこの旅で関わった人々パウラ、リリー、クイニー、ビルギット、シャルロット、ラス、グレゴ、ユーゲン、マノエラ、ザビーネ、ホルガ、アンデレア、ヴォルフガング、ヘルガ、レインハルド・・その他いっぱい・・・(書き漏れがあったらごめんなさい)のすべての人々とすべての体験に心から感謝します。