月曜日, 10月 26, 2009

Bremenからこんにちは(30)ゴスペル礼拝



今ブレーメンではフライマルクトというイベントが行われており、その中に、“Hansezelt”という建物があります。言うなれば、ブレーメンテントともいうべき建物でしょうか。ただ飲み物を提供し、ステージがあり、音楽などを聴いてみんなで騒ごう的な小屋です。そこでこの日曜日ゴスペル礼拝が行われました。毎年、私の通う教会が出張して礼拝を行います。そして毎年私の所属するクワイアが歌います。ということで今年も参加して来ました。
昨年に引き続き2度目。
昨年はこの礼拝の日にやっと教会の牧師先生に顔を覚えてもらい、クワイアで歌っている日本人を認識してもらいました。そして今年。
教会関係者はもちろん多く参加します。そしてほぼ全員顔見知り。もう一つのクワイアからも幾人か見に来てくれていたり、そのクワイアのリーダーも来ていたり、キャラバンの団体からも一人見に来てくれていたり、(もしかしたら語学学校に同じクラスの人もいたかも)と、一年経って“広がった”ものを感じました。

併せて昨日のコンサートの前には、フライマルクトパレードが行われ、
いつものカーニバルの団体も出場。あいにく、少しだけしか一緒にいれませんでしたが・・。うーん毎日忙しいっっ。でも私の中で優先順位は決まってます。どれだけいろいろあっても、ゴスペル関係、教会関係をおろそかにしてはいけない、というかしたくない。と。私が今元気で居られるのはゴスペルの力が本当に大きいから。感謝します。

Bremenからこんにちは(29)私 頑張った・・ と思う。



ブレーメンで2つのゴスペルクワイアに所属しています。1つは去年ここに到着した9月から。もう一つは今年の5月から。2つ目のクワイアは、ブログにも何度か書きましたが、去年の12月から始まったマスクワイアとプロで唄おう〜!というプロジェクトで知り合った人たちが所属しているクワイアで、そのプロジェクトリーダーがクワイアのリーダー(アフリカ系の方)です。なのでクワイア加入は5月からですが、諸々の面々とは去年の12月から面識があります。
さて、24日土曜日はハノーファーという、ブレーメンを取り囲む州ニーダーザクソンの州都でのゴスペルコンサートでした。そのプロジェクトはブレーメン界隈のいろんな都市で行われており、24日がちょうどハノーファーでのプロジェクトの締めにあたるコンサートでした。どんな風の吹き回しか知りませんが、クワイアのリーダーが、自らのクワイアに、ハノーファーのコンサートに出て。と要請したのです。ということで、出演させてもらうことにしました。とりあえず、すべて久しぶりに歌う曲なので、前日のリハーサルにも参加しました。ハノーファー市民からすれば、いきなりやって来た、見知らぬ顔。なのに、慣れている。しかもドイツ人には見えない。不思議に思ったのではないでしょうか。でもドイツ人は、やはり日本人と違って外国人慣れしているので、(英語で話しかけたりはしないけど)フレンドリー。
そしてコンサート当日。ブレーメンのクワイアからも7人ほど出向きました。コンサートでいつも問題になるのが立ち位置。誰もが最前列に立ちたい。家族が見に来ている晴れの舞台だから・・。私は、後ろに行くとディレクションが見えないので、前の方に立ちたい(且つ、後ろからの声を聞いて外さないように唄うため)というのが常でしたが、今回は遠慮してよそ者だし最後列から歌えばいいか・・と思っていたのに、何が起こったのか、最前列でど真ん中を指定され、“歌詞もあいまいなんですが・・”と思いながら、まあ“視界がいい!”と喜びそれに従うことに。
ドイツで行われているアフリカ系主催のゴスペルプロジェクト。参加者観客のほとんどがドイツ人。そんな中で、ステージの最前列ど真ん中に小さな日本人が立っている・・ということを考えた時、嬉しく、誇らしくもありました。私、頑張ったかなあ。と。
こんないい位置で歌うのはやはり気持ちよく・・。最高の気分でした。

そして日曜日もゴスペルコンサートに出たのですが、この件は、次回に。時間がないので。

水曜日, 10月 21, 2009

Bremenからこんにちは(28)コーヒー



どうでもいいことなんですが、コーヒーってレギュラーとアメリカンがありますよね。日本にいるときからコーヒーは好きでしたが、アメリカンたるものの存在はなんとも許せない物でした。飲んだことありません。「アメリカン=薄い」という認識があり(実際そうなのでしょう)ましたので。
感覚としては、「薄いコーヒーなんておいしいの??需要はあるの??」と。最も胃を悪くしていたり、一日に何杯も飲むので、敢えて薄いコーヒーにしている、という人も居るでしょうが、“ここ一番のコーヒー!”を飲むタイミングで“アメリカン”を飲む人の感覚は分かりません。しかも、これって世界的に認められた飲み物なのか、アメリカかぶれした日本が勝手に作り出した飲み物なのか長年疑問でした。しかし。

今日授業で、各国の文化のような話題が出て、「長く海外生活をしても、朝食、寝室、風呂場はなかなか他国様式を受け入れられないかも」ということになり、大多数が納得。先生は「朝食に、濃いコーヒーで作ったミルクカフェがないとねえ」と言ったら、カナダの女性は「こっちのコーヒーは濃すぎる。もっと薄くないと飲めない」とのたまう。
それを聞いて、“アメリカンっていうコーヒーってそういうことだったのか!!”と目から鱗。アメリカやカナダの人はやっぱり、比較的に薄いコーヒーを飲む、ということが分かりました。なるほどねえ。「アメリカン」って言う名前は、アメリカへの憧れから来た名前じゃなかったんですね。ふむ。

月曜日, 10月 19, 2009

Bremenからこんにちは(27)ゲット


前回書きましたが、ブレーメンの高等大学の教授らが私の出入りしている団体を訪問。その時の手みやげを、私一人貰ってしまいました。ありがとう。Hochschule Bremenのロゴ入り。
最近、大学から高等学校への入学希望変更をしようと思っていて、且つ、この高等学校家から徒歩2分の近さで、親近感ありまくりで、諸々勝手が良さそうなので。まあ、どうなるか不明ですが。

昨年のみの市で買った自転車、最近やたらと漕ぎにくいと思っていたら、空気がほとんどなかった。パンクでないことを祈りつつ、ちゃりんこ屋に空気入れてもらいに行きました。タダでやってくれました。ありがとう。ほんでめっちゃ走りやすくなりました。今までよりスピード倍でそう。

日曜日は初めて方角的に家より南で開催されるのみの市へ。夏場はもっと大きいのだそうです。特に買う物は無かったのですが、場所だけ知っておくのもいいかと思い着いて行きました。ふむ。
ブレーメンでも知らないことはやっぱりまだまだいっぱい。

金曜日, 10月 16, 2009

Bremenからこんにちは(26)クワイアのメンバーとそれから。もろもろ。



先日の月曜日はクワイアの練習がお休みだったので、クワイアのメンバーのお家でおしゃべり。母親世代の人ばかりですが・・。
オニオンスープとFlammkuchenという薄焼きピザのようなモノを用意して下さっていました。
ゼクトやワインやらしこたま飲んで帰って来ました〜〜。

水曜日は、いつもお世話になっているキャラバンの団体に、ブレーメンの高等学校(大学レベルの)の社会学っぽい専攻の教授がユーロ圏の研究者らを招いて、ブレーメンの社会的な活動を行う団体を訪問する、というイベントがあり、我らの団体にもやって来ました。主に、今回夏のキャラバンの説明をするということで、私はなぜか、旅中に発行していた新聞の事について説明する役目を頂きました。参加者はドイツ語&英語を喋る面々。私はもう英語がドイツ語に取って代わってしまっているのでドイツ語で説明。それがドイツ人によって英語に訳されました。予め用意していた原稿を読み上げるだけでしたが、こういう機会が与えられるというのは本当に有難い事です。

木曜日。日本の免許証をドイツで有効な物に書き換えるべく役所へ。一ヶ月以上はかかるようですが、すでに臨時の免許証も頂いたので、公式にドイツで運転できるわけです。車運転したいよお。

日曜日, 10月 11, 2009

Bremenからこんにちは(25)そして当日・・収穫祭礼拝




先にも書きました。収穫祭の礼拝。半年くらい前から、収穫祭礼拝は、我ら?シニアクラスが担当し、装飾から礼拝後のカフェまで(まわりの援助を得ながら)取り仕切る事になっていた、と。私はシニアクラスの一員として、何かすることになっており、ピアノと歌、にしました。
この考えが出てくること自体、私には驚くべきことです。小さい頃、結構な長期間ピアノを習っていましたが、ピアノは大嫌い。もう何年も触っていませんでした。毛嫌いしていましたし、もう一生ピアノを弾く事など無いと思っていましたが、・・。不思議です。
しかも一番嫌いだった発表会さながら人前で弾く。恐ろしい心境の変化です。というとで、曲目は伏せますが、ポップの類いの曲を弾いて、歌いました。

不思議な事に?みんな喜んでくださるのです。下手なピアノで素人歌でも。しかも、本人が一番楽しんでいる、という・・。本当に有難い事です。そして調子に乗る訳ではないですが、もっと弾きたいし、もっと歌いたいと思い、練習したいという気になるのです。
あれだけピアノ嫌いだったのに。

ということで、シニアクラスの取り仕切った収穫祭礼拝は無事終わりました。礼拝後はこの季節のカボチャパンを食べ、歓談しました。
一仕事終えてほっと一息。
さて、次の曲も練習しようっと。わくわく。(下手くそなので練習段階はかなり恥ずかしいです。)

Bremenからこんにちは(24)二つの誕生日会と収穫祭礼拝




土日多忙。嬉しい事です。まず土曜日は毎週キャラバンのオフォスに行き、みんなで昼ご飯を作って食べる事になっているので、いつも通り外出。昼からは、日曜日の収穫祭礼拝の準備で教会へ。半年くらい前から、収穫祭礼拝は、我ら?シニアクラスが担当し、装飾から礼拝後のカフェまで(まわりの援助を得ながら)取り仕切る事になっていたので、その準備と最終打ち合わせ(シニアで80−90歳の方々が中心になってやるので、何事もちょっとずつ、無理無く、そして入念に・・と事前の集まりです)。
その後、まず一人の誕生日。キャラバンの団体創始者の奥さんの誕生日。自宅へ。4時からのはずが、いきなり7時からの集合になったらしいのですが、夜は夜でもう一つ誕生日があるので、早めから寄せてもらい、おしゃべり。
創始者の方はお医者さん。ブレーメンに私が留まりたいことは、周知して、相談には乗ってくださいますが、なかなか仕事となると難しいようです。でも私も私で努力が足りないのかなあ、と思います。働きたいけど、ここで大学を卒業してからだとあまりに遅すぎる・・とのことで、早急に仕事を探そうとしてしまっている・・のが顕著だなあ、と自分の発言を自分で聞いていて思います。語学もっと頑張らないと、ってことですよね。
さておき、7時からちらほら集まりだし、正式に食事が振る舞われたのは9時頃。食べて即失礼する事になったので、後から来た人とはあまり時を一緒に出来ませんでしたが、誕生日の人はがっつり祝ったのでよしとしましょう。お金持ち・・な素敵なお家でした。
2つ目は、カーニバルやStellzenのパフォーマンスのグループの代表の方で、来年のカーニバルに向けても動き出したばかりです。まず、プロのライブにその女性がゲスト出演し、その後(同時で?)別室でパーティ、と。知ってる顔から知らない顔まで幅広く集い、騒がしいパーティ。
残念ながら、一件目の誕生会に長居しすぎたのか、彼女の出演に、ギリギリ間に合わず・・でした。
彼女は日曜日が誕生日だったので、日を跨いで祝い、早めに切り上げました。

日曜日は、収穫祭礼拝だから・・と。
ピアノを弾いて歌う・・という使命があったので。

とにかくおめでとう。そしてお祝いさせてくれてありがとう。

土曜日, 10月 10, 2009

Bremenからこんにちは(23)初セメスターチケット



準備学生になりました。いいのか悪いのかは別にして、学費と言うか学校へいくらかの手数料を収める義務が生じます。それを収めれば、セメスターチケットというのが付いて来ます。ブレーメン市内のみならず、ニーダーザクソン州やハンブルクまでの中距離列車までそのチケットで乗れてしまうと言う驚きの切符です。学校に収めたのは203ユーロ。これで半年。まあ、語学学校生として毎月の学割定期を買う(33ユーロくらい×6ヶ月)のと、変わりがないのですが、
毎月買い換えの必要がない。
ちょっと遠出が出来る。
の安心感とメリットは大きいです。
ということで、郵便で届いたセメスターチケットを早速使ってみました。行き先はハンブルク。なんでもこちらに来て一年以上立つのに、在留届すら出していない、ということと、免許証の書き換えがしたい、ということで領事館に出向いた次第。2005年に旅行で訪れて以来4年ぶり2度目。
領事館で、在留届と免許証書き換えのための翻訳をお願いし、ちょっと観光して帰って来ました。教会をちょっと見た程度。お金が無いから、がっつり観光が出来ない・・のです。でも入場料金をとる教会があるのは、なんとも頂けないですね。(なので無料の教会だけ見た)
ハンブルク。前に来た時、ここで、人に会いました。今では連絡を取って這いませんが、もし居られたら・・と思いオフィスを訪ねてみましたが不在。置き手紙だけしてきました。果たして覚えて居られるかどうか。
街の感じなどは、やはり覚えていて、懐かしさを覚えて帰って来ました。

夜は、来年2月の第25回ブレーメンカーニバルの初の全体打ち合わせ。パフォーマンスをする人も、ヘルパーも、とりあえず集まりました。今年の2月にあった第24回カーニバルは、今年に入ってから1ヶ月間くらい手伝っただけで、その後、この団体にはしょっちゅう出入りしてコンタクトを取っていましたが、こいやって早い段階から声をかけていただけるのは大変有難く嬉しい事です。また忙しくなりますね。
つーか、語学学校もまた通うし、テストも受けようかな〜〜と思っているのに自分から忙しくしていいんでしょうか。ま、なんとかなるかな。

金曜日, 10月 09, 2009

Bremenからこんにちは(22)隠れアイテム

ワーホリの期間はすっかり終わりました。今は語学学生のビザってやつです。これは語学学校に通っていなければ、公共交通機関の学割定期も買えないし、アルバイトもできないし、という役に立たない滞在許可(ビザ)です。
私の本音としてはここで暮らして行きたい・・・なので、働いたりしたい訳です。外国人が外国に留まるためには、理由がいります。生きているだけでは駄目です。なぜ本国ではなく外国にいるのか、その尤もな理由が無ければ普通は滞在できません。学業が就業か。大きく2つ。婚姻もあります。難民等の身分もあり得る事はあり得ますが、日本人に難民適用は困難でしょう。私は日本を追い出された訳ではないし、ドイツで生活することを強要された訳でもないし、生活できないのならばどうぞ日本へお帰りください、ってなことです。
なので、ワーホリから滞在目的を書き換え、ここに留まるにあたり、私が目指したのはとりあえず“学生”の身分を得る事。しかも学生になるべく語学に専念する“準備生”の身分を得る事。つまり、学生と同等の権利を持ち、しかし授業は無い、という・・。
この道がなかなか困難でした。まず、ブレーメンの大学は、公に“準備学生”を用意していないのか、簡単にはその身分を作らないのか・・、とにかく大学に願書→即準備学生!にはなれないようです。(周り見てると、今さっき自国から来たばっかりの人でも、準備学生になってるんだけどねええ。困難やったのは私だけ?)
とりあえず、学生になる道にしかれている課題であるテストを受け、点数が足りず。準備学生になりたいんです!の申し出も、そのテストを受けた7月から懇願しているのに、なかなか受け入れてもらえず、この度やっと「語学学校のドイツコースを受講する事。その証明があれば準備学生の身分をあげよう」ということになりました。やっとです、やっと。晴れて準備学生っぽいビザになりました。
でも、この準備学生の身分を貰い、アルバイトの許可を得た・・のですが、これがまた曰く付きなんですけれども。ああ道は険し。

水曜日, 10月 07, 2009

Bremenからこんにちは(21)パン屋



ドイツでパン屋のパン焼きは職人です。しっかり修行を積んだ職人。なんでもユルゲン・クリンスマンたるサッカー選手がその職人の資格を持ち、実家がパン屋を営んでいるということで、それを見て来て!と指令を受けました。場所はStuttgart。ブレーメンを遠く離れた南の方。話を受けたのは大分前。その時は、「往復の電車代だけでひと月の生活費に当たる可能性あり」とのことで、即行せずにおりました。今回親との旅行に伴い、最終的にフランクフルトまでは南下するということで、少し足を伸ばしてStuttgartまで行って来ました。
パン屋のレポートは既に依頼者に送付済み。至って普通のドイツのパン屋でした。ちょっとインタビューめいたものをしようと思ったら(母親が店に居ると聞いていて、見かけた人がまさにそれっぽかったので)、「私はクリンスマンだけど、有名になりすぎて迷惑!」的に不機嫌に言われたので、本人の写真を撮るのも躊躇われ退散しました。なので、依頼者が私のレポート&写真で満足したかは不明。ま、パン屋を抜きにしても、Stuttgartはいい街でした。丁度土曜日で美術館がタダ。かなりのコレクションを誇る美術館に(電車に時間があるからと早めに切り上げても)4時間は居ました。ということで、親のおかげでこんな南まで来させてもらいました。
3人だったのがいきなり一人になって・・の旅行だったので、かなり寂かったですけれども。
これを書いている時点ではもうすっかり日常です。ご心配なく。(思い出すと寂しかったりしますが・・)

Bremenからこんにちは(20)思い出を綴っておく


日本では今年シルバーウィークたるものがあったようですね。その時期を利用して両親がドイツに私を訪ねて来ました。
「あんたの居るうちに」と。こう言っては中国にもシンガポールにも私の住んだところにはどこにも来ています。で、今回は・・。ヨーロッパなのにたったの5泊。しかも航空券ばり高。なのに、行ける時に・・ということでやって来ました。
来られても何も出来ません。金はない。時間しか無い。それでもいいとやって来ました。トランクいっぱいに、私が運び屋を頼んだ物品をつめて。
今回の目的はブレーメンを訪れる事。しかも時間がある私をブレーメン以降は伴わなくてはならない、だから全くの個人旅行。空港でも駅でも観光地でもホテルでも誰も助けてくれません。
私はもともとバックパック旅行の人なので、空港やバスターミナルで野宿!もいとわない旅をして来たので慣れていますし、個人旅行好きなので、ドイツで親と落ち合ってからの旅程は、まあ、心配はしていませんでした(もちろん予めホテルや電車は手配してありました)。心配は関空と乗り継ぎと、上手く現地の空港で落ち合えるか、ということ。
でもまあ、なんとか無事やって来てくれました。ツアーではないので、行動も自由。ブレーメンとケルンとライン川下りとフランクフルトの各都市を周り5泊。かなりの強行日程で世界遺産を3つも見る・・という内容。必然的に移動は全部電車。電車好きの父親には楽しかったようです。時刻表とにらめっっこしたりして後々まで楽しんだ模様。
本拠地ブレーメンではお世話になっている方々に会ってもらい、自分の交際範囲を紹介しました。一人ではない事に安心した様子。
ケルンでは(私も初めて)やはり大聖堂が圧巻!ブレーメンの大聖堂は完全に負けた!!と思いました・・。
ライン川では船に乗る前に古城ホテルに泊まり贅沢気分を味わいました。
そしてフランクフルト。お買い物も少し。
天気にだけは恵まれ、寒い思いをする事も、雨に降られてげんなりする事もなく無事旅行を終えました。

辛かったのはやはり別れ。こんなに悲しいならもう会いたくないよ〜〜と思うくらい。その後一日くらいは裕に寂しく・・。家族っていいなあ・・と改めて思った次第。 まあ、今回の旅行では(再会では)私は親に、今までで一番元気な姿(精神的にも身体的にも)を見せられたのではないか、と思っています。実際一番元気だし、生きていて幸せです。ここに居る事、自分が存在する事に満足しています。経済的に産むものは一切無いけれども、世界の、ブレーメンの歴史が営まれるその一部分に存在することを感じます。(←大きく出すぎ???)。ま、たまには、大口もいいかな?。
親的には、あれだけ反対していたドイツ。私が理由もなしにこだわりつづけたドイツ。そのドイツで一番元気に暮らしているのが、嬉しく、複雑だったのではないかなあ、と思います。
日本には実際あんまり帰りたくありません。でも両親のそば、っていうのはいいですね。やっぱり。あ、今回両親ともに一緒に飛行機に乗り旅行するにあたり、父親が財産分与の指示書?遺書?をしたためたようです。母曰く「あんたは、遠くに居るから不利やと思いや」と。ご最も。でも二人揃ってこういう大きな旅行をするって、本当に万が一の事もあり得るんやなあ・・と事の大きさには驚きました。
なんやかんやで旅行はあっと言う間に終わり、悲しみを引きずって、私はStuttgartへ行ったのですがその話は次に譲ります。

楽しい時間をありがとう。十分甘えさせてもらいました。

Bremenからこんにちは(19)贅沢品



妹からわざわざの誕生日プレゼントが届きました。部屋履き。こういうのって無ければ無いで済むのでなかなか本気出して入手しようとしない品です。ありがとう。
当たり前だけど、妹の方が稼いでるし、家庭持ってるし、で、姉と言っても早く生まれただけです。昔は姉なのに妹と一緒にカテゴライズされるのがめちゃくちゃ嫌だったけど、今となっては姉らしいことは一切出来ずにおります。尤も、全く違う生活をしているということ&病気との戦いから生還した?ことからくる“経験値”話くらいはできますが。
ということで寒い冬がやってきます。
何か書く事があってワードを立ち上げたんだけど、起動している間に忘れてしまいました。おりょ。

日曜日, 10月 04, 2009

Bremenからこんにちは(18)最近の事 ゴスペルゴスペル





こちらで生活を始めて一年経ったなあ、と改めて感じるイベントが終わりました。ゴスペルフェスティバルという名のコンサート。確か昨年も書いたはず。10月3日。ドイツ統一の記念日に毎年開催されている(準)自主ライブでかなり大掛かりなものです。
今年も昨年同様、自分のクワイア以外にもいろいろと出演しています。一つ大きく違ったのは、ワークショップが前日とコンサート当日に行われ、そのワークショップのクワイアもステージに立った事。主たる主催者が我がクワイアの為、しきりとワークショップ参加を勧められ(しかし無料ではない)、参加したいのはやまやまだけれどもそれに付いてくるお金がない..また語学学校に通う事にしたからなあ・・と思っていると、クワイアの中で一番世話になっているEVAという女性が、誕生日プレゼントの代わりに代金を出してくれたのです。「参加費だってそんなに安いもんじゃないから、これで参加しなさい」と。なんとも有難い話・・(本当に頂いてしまっていいのか??という疑問も残りますが)そしてワークショップにも参加し、このコンサートではワークショップのクワイアと通常のクワイアと2ステージに立ちました。
昨年より大分狭い教会が会場でしたが、関係者も、行われる事も、理解できる事が多くなったから、自分が成長したからでしょうか、余裕をもって事に望む事ができたのは事実です。

そして日曜。この週末を利用し、私の行っている教会で録音が行われていました。今度出版する教会の本(私も寄稿済み)に付け合わせるCDを創るためです。なぜなら、我が教会には、多くのバンドやクワイア、音楽学校が所属しており、そのそれぞれの音を録音するのです。いきなり決まったことで、クワイアメンバーはほとんどこれず、ピアニストも居らず、クワイアの歌声自体はさんざんだった気がしますが、クワイアと一般の教会の人々で賛美歌も歌い、これはす素敵なできばえになったのではないでしょうか。(この教会のオルガニストは私は大好きで、彼女の演奏を聞いていると気分よく、礼拝前の前奏を聞くだけで、「礼拝に来てよかった」と思うくらい。)私のドイツ語の発音は疑問ながら、なぜかマイクの真下に立つことになり、後で録音を聞くと、かなり声を拾われていました、発音がおかしい「RとL!」と後ほどクレームが出ないか心配ですが、まあ、いいでしょうか。いい記念になりました。

ということで前日からのワークショップも含め、数日歌いっぱなしでした。でも歌うって気持ちいい。
写真はワークショップとコンサートと録音。

木曜日, 10月 01, 2009

Bremenからこんにちは(17)さらにもうひとり・・?9月27日






さらにもう一人身近に9月27日生まれがいました。驚くべき事です。
さてさて地震の誕生日ですが
時間差で、お花などいろいろと頂きました。
10月に入ると、今のところ知っているだけで2人の誕生日がやってくるし、パーティもあります。日本でも2人。天秤座ラッシュは続きます。
昨日「午年?」という質問をされて考えました。午年の天秤座。天秤座って(占い的によると)バランス取るのが上手と言うか好きと言うか、です。午年生まれがそうなのかは知りませんが、12支で午は、右にも左にも傾かないところにいますよね。そういうのめっちゃ好きなのかな。自分の事ながらに不明ですがとにかく誕生日も過ぎ、10月になって年末へまっしぐら、といったところでしょうか。