木曜日, 5月 29, 2008

構造上&使い勝手上?

何故か トイレの話つづけます。
(別にトイレが好きなわけではありません)

会社近くのショッピングセンターのあるフロアのトイレ。
数は多いんだけど、めちゃくちゃ使いにくい。
理由は ドアの開閉がうまくいかない。

そのトイレは、洋式。扉は、引き込み(個室内から見て)。
便座の向きは正面。です。
しかし便座の一番手前からドアまでの距離がめちぇくちゃ狭い。
個室の横幅も狭い方。(トイレ床面積内に最大の個室を
作ろうと努力して最小サイズの横幅を選択したトイレって感じ)
でで、どうなるかというと、個室に入ってドアを閉めようと
すると、ドアと体が必ずぶつかります。体をうまい具合に
すりぬけさせてやっとドアが閉められる。体をよける
スペースがないのです。
よって個室から出るときも然り。体が邪魔でドアが開かないくらい。
トイレの壁やドアって特に触れたいものではありません。
その上、コートを着ていたり大きな荷物を持っていたりしたら
最悪です。開きません。
自分の体でドアが開かない!なんて、それが例え構造上の問題で
万人が体験することだとしても、なんだか悲しくないですか??

その点、和式は、どれだけ便器の手前からドアまで狭くても
大丈夫です。便器の上の空間が足は付けないにしても
空いているので、そこに体を避難させることができるから。
和式と同じサイズで洋式トイレの個室を考えるのは辞めてください。

それから、個人的に、
洋式、和式ともに、横にドアがあるタイプが好きです。
正面向きはま、許せます。
和式で時々、ドア側にお尻を向けて使う方向に
設置されているトイレがありますが、あれは、
知らず知らずドアが開いていても気が付かない恐れがあるので
使っているときドキドキ、不安が募るので嫌いです。

混んでいるトイレ、閑散としたトイレ、
観察してみると、
トイレの向きとドアの方向に何かしらの規則性があるかもしれません。
トイレメーカーの方、お願いします。
長い目で見てユーザーを増やすデータが収集できるかもしれません。

水曜日, 5月 28, 2008

勝手にしないで

トイレの話です。(別に好きなわけではないです)
トイレは進化しています。
洋式がほとんど。便座が温かいのはあたりまえ。ウオッシュレットも
普通。メーカーによりいろんな機能が付いていて
なかなか楽しい。

子どもと一緒に入れるトイレ、障害者用トイレ、など充実。
着替えたり、ストッキングを履き替えたりする台があることも。
すばらしい。

しかし、私が許せないのは自動洗浄。
これはなんのため?? 流すのを忘れる人がいるから??
昔、教科書を学校に置いて帰ることを「おきべん」といい、
誰かが「トイレを流さずにおくこと」と勘違いしていた
人がいたが。。。さておき。
なぜ勝手に流れるの??
流れて欲しくない理由。
1.自分の排泄物は確認したい(健康上の理由でこれは大事では?)
2.もし、便器に何か落としていたら拾いたい。
大きい物なら詰まる可能性があるし、それを防ぐためにも拾いたい。
しかも、落としたか落としていないか確認する間も与えず流れる。
勝手すぎる。
センサーや時間で流れると、格好によっては水しぶきの
可能性もある。(メーカーはしっかり使用の実験している??)
便座をしめる→流れるならよろしい。
なぜなら、便座をしめるということは、便器の使用終了を意味するから。
(そのあと蓋を閉めた便器を机代わりにつかうとか、上に座るとか
いう用途は、トイレ本来の用途とは異なるので含まない)
もちろん、便座をしめない場合は、手動で流さないといけない。
そして、流し忘れたら、「流してください」と注意を促すメッセージが・・。
→こんなん言われたら、恥ずかしくて(外の人に聞こえるだろうし)次から
絶対流すの忘れないだろうし。

ということで、勝手に流れるトイレはいりません。

日曜日, 5月 25, 2008

コレステロール

コレステロールってどうさげるの?
総コレステロールがメタボ並。

確かにカスピ海ヨーグルトを飼いだして10年くらい
食べ続けています。
海外へ越したときも、しっかり持っていきました。
株は何度か変わっていますが・・・。

でで、善玉が高いのはいいとして、総コレステロールも十分
危険数値。中性脂肪も。
ま、これはかの病気のせいでしょうか??

さておき、コレステロールを下げる食事というものをいろいろ見てみました。
私をよくご存じの方は、分かると思いますが、
豆製品大好きです。
毎日2〜3杯のみそ汁。(塩分採りすぎ説も・・)
具は基本的に豆腐&油揚げ
そして寒天&きな粉がけ がマイブームで毎日のお昼ご飯。
魚は大好き!。内臓でも骨でもなんでもこい〜!状態。
丸かじりお手の物。皿の上には骨すらも残さない魚のたべ方をします。
そして我が家は畑もしています。つまり自家製野菜の宝庫。
少し前まではタケノコ。今はスナックエンドウなどの季節。
そのうち夏の野菜がしこたま収穫できて、毎日野菜のオンパレード
な食卓になります。
こんな食生活なのになんでコレステロールが高いの??

やっぱあの病気のせいでしょうな・・・・・・・・・・・。
見た目はだませても血はだませないってことです。
でも治りつつあるこの病気。次の血液検査が楽しみです。

金曜日, 5月 23, 2008

あいふく

寒がり。かもしれない。体の芯から冷えている。
その筋の方には、見た目で血行が悪いのが
まるわかりらしく、よく指摘される。
体を冷やさないように。とよく言われるが
あんまり冷やしている感はないし、冷たい物もとくに
飲まないし、生野菜より温野菜が好きだし、
とくに何で冷えているのかさっぱりわからない。
善玉とはいえ、血液中のコレステロール値も
高すぎるらしいので、体質改善にのりだすべきかは。

で、そんなこんななので、なかなか冬服から脱出できない。
毛 もの をいつまでも手放せない。上着も。
と思っていたら、
なんともう夏日ではないか。
一回半袖着てみたら、凍えずに生活できた。
ということで、冬からあいふくを飛び越えて
一気に夏の格好へ。

ま、私のせいというより、おかしな気候のせいなんだろうけど。

木曜日, 5月 22, 2008

じゃあどうすべしかは?

路線バス。運転席列の後方、最後列座席の一つ前に非常口があります。
この非常扉の前にも通常椅子があって、
「非常の時は云々・・」と書いてあります。
その文面はバスによりけり、非常扉の制作会社によりけり
なんだと思いますが、読んでみました。
かみ砕くとこんな感じ。

(椅子の背もたれを前に倒してドアを開けるようになっているので)
急ブレーキで背もたれが前に傾くことがあるので
気を付けて下さい。
お立ちの方は、(背もたれが可動式になっているこの椅子ではなく)
その他の物におつかまりください

という。おいおいおいおいおい。
背もたれが可動式 なのは許す。→そうじゃないと非常扉が開けにくい。
急ブレーキごときで背もたれが傾くってどういうことやねん。
しかも、傾いて当たり前的な言い方は何故??しかも乗客に
どう気を付けろというのでしょう。
運転手の目の前に「非常扉前の椅子の背もたれは急ブレーキにより
傾く可能性がありますので気を付けましょう」と貼っておくほうが筋では??

しかも、
お立ちの方は「別の物(この座席以外)につかまれ」と言っておきながら
しっかり、背もたれの所に、輪っか(立っている人がつかむための)が付けられている。しっかり「ここをつかんで下さい」と宣っているではないか。

不思議なことが多すぎる。

水曜日, 5月 21, 2008

大人になったなあ

さて。大人になったな・・と思う瞬間之1。
古いタイプのトイレ(これを古いタイプと言わなければならないほど
トイレは進化している)のペーパーがうまく交換できるように
なったとき。
このペーパーは、私世代で言えば学校のトイレのペーパー。
芯あり、で芯の中を通すものが プラスチックで直径2センチくらいで、
伸縮できるように、ギャザーがはいっているやつ。両端にはもちろん
突起がついていて、これを差し込んでペーパーを固定させる。
これ。
この突起部分はあからさまな突起ではなく、かなり控えめ。
なので、うまく溝に嵌めないとペーパーを支えきれず、
且つうまく回らず落ちてしまう。
片方の突起を片方の溝に嵌め、縮めて反対側の突起を溝に嵌めるのだが、
うまく設置できたかどうか、あまり音が鳴らないのでわからない。
カチッと言わない。
なので、これがスムーズに取り付けられるようになったということは、
かなりの経験を積んだ証拠。
これは芯ありのペーパー。
さて、昔の家では、コアノンロール用のトイレだった。
芯の詰まったタイプのペーパーを使うタイプで、
芯の部分に、太い鉛筆のような似非芯(注射器みたいな形)
を差し込んで設置する。これは左右対称ではなく、片方が
かなりうまく伸縮するようになっているので、簡単に設置できた。

以後20年くらいトイレは進化し続けているが、
最近、ペーパーの芯分だけ空間の空いたコアノンノール足るものが
我が家にやってきた。芯が詰まっていないコアノン。
へえ、こんなものもあるんだ。
ただ、芯がないのに、ペーパー設置の為、芯分の空間を
つぶれないように維持しないといけないので
結構巻きが詰まっている。
ソフトではない。

ソフトでコアノン求む。(我が儘?)

火曜日, 5月 20, 2008

直ぐ忘れる

いつも、「おっ良い話題!」と思って
書くタイミングを見計らっているのに、
そのトピックをすぐ忘れてしまう。
頭にひらめいて、ほくそ笑んで、
パソコンの前に歩をすすめた時点ですでに忘れている。

非常に悔しい。

家の中にいてもこうなのだから、外にいるときに
思い浮かんだ話題など、日記として文字にできるほうが
少ない。

あ、思い出した。
今。トイレットペーパーのことやわ。
トイレットペーパーの付け替えと、
芯ナシロールのいろいろ。について。
コアノンロール? コアレスロール?
レスじゃないか?? ま、次の機会に譲ろうっと。

日曜日, 5月 18, 2008

HomeとHouse

犬の葬儀と埋葬が終わりました。収骨もしました。

さて、最近つくづく、実家がHomeでないと感じます。
帰らないといけないのに、あまり帰りたくない。
これってすごく不幸なことです。
ただの箱=Houseに帰っているという感じ。
生活に必要なものが揃っているから仕方なく帰っている
といってもいいかも。

今まで、あまり定住したくない ってことで
場所を転々としてきましたが、
「定住の地」を探そう という意識は全くありませんでした。
どこでも「住めば都」で良い場所ばかりだったのですが、
どこもここも「ここは私のHomeにするつもりはない!」と
いう前提のもとで生活を開始することばかりでした。

でも、今度旅立つときは、
「定住の地、自分のHome」を見つけるつもりで
行きたいな。
期待しすぎかな・・・。

土曜日, 5月 17, 2008

時は流れます

飼い犬が死にました。元は母親の実家が飼っていた犬で、
祖父の死去などの理由で、こちらにいた犬です。
残念ながら私はほとんどかわいがっていません。ごめんなさい。

捨て犬を祖父が拾ってきて、それから・・結構長寿だったのでは?
乳腺癌のような感じで、今日は朝から痛みできゅんきゅん
鳴いていました。今日初めて痛みをこらえきれずに
鳴いていました。

たまの散歩と餌やりと・・ほとんど何もしてあげられませんでした。
晩年は目も見えず、耳も聞こえず・・・でした。

でも大好きだった祖父のところに行ったのかな・・って
思います。

血が流れなくなると一気に体温が下がるんですね。
生きているって素晴らしい。
生きたい 生きていたい と「生」を求める気持ちを
やっと最近持てるようになったので、
生きます。

祖父とその犬の時代が終わりました。
次の時代がやってきます。

金曜日, 5月 16, 2008

寄付など

寄付とかボランティアとかは基本的に嫌いです。100%自分のことを省みずにすることができないから。自分の経験になるとか、何かのプラスになると
考える事自体が「ボランティア」の趣旨に反する気がするから。

発展途上国に学校を作ろう と 番組での活動をしている けど、
あれも自分自身 いいことなのかわからない。
実際ああいう国に行って、観光客と会話できる地元人と触れあうと
いい人もいるし、騙してくる人もいるし。でも普通に幸せそう。
悩みはありそうだが、それは私たちが常日頃抱くちっぽけな悩み、
例えば、太ったとか、友達と喧嘩したとか、親の具合が悪いとか
そんな感じ(国や経済レベルが違えば、悩みも自ずと変わってくるけど)
道ばたに簡易コンロみたいなので屋台をだしているところでは
くみ置きの水で調理するし、食べ終わった後の皿は
つけおきして、残飯が取れたら汚い布巾で拭き取って
次の人に使う。飲み水は別だが、そのコップは、飲み残しの
水で洗って使い回し。私はこれでも別に違和感は感じない。
でも、こんなの耐えられない・・って思う人が大半、だと思う。
でも地元に人にすると、それが普通。そして
それが普通の国に、普通でないものが外部の力で創り上げられる。
外の世界を否応なしに魅せられる。自分が実は幸せではないのかもしれない、
という考えがよぎる。
これって、そこの人々には幸せなこと?????それが分からない。
もし、外の世界を知って、出て行きたいと思っても、やはり
弊害が大きく、実現できない。実現できるのはほんの一握り。
そして格差が広がる・・。これって幸せなこと??

地域格差は日本にもある。
都会と田舎。田舎に住んで、便利なところのことを知るから
余計に虚しくなる。田舎にいるとやはり、何に対しても機会が少ない。
「少ない」のは都会に対して、で、もし自分の田舎が自分の世界全てだったら、そういう悔しさとかは感じないはず。
それと同じだ。私たちは、そこらへん、比較的恵まれているので
何とかなってしまうんだけど。
でもこの豊かさも、私たちの手で築いたものじゃあないんだよねえ。

規模の大小は違えど、「助ける」ことのタイミングや内容って
かなり慎重にならないといけないって思う、決して自己満足に
なってはいけない。

さて、なんだか話がそれましたが、寄付を初めてしました。
といっても義捐金とかじゃあないんですが。
高校の同窓会費と大学への寄付をしました。
なんでか分かりません。経済的に余裕があるわけではありません。
毎日カツカツです。
何故そんな気分になったのでしょう???
自分の過去をやっと肯定できるようになったのでしょうか?
自分の存在を自分で認められるようになってきたのでしょうか?
「過去を見つめる」「過去を認める」「過去を肯定する」
自分の歩んできた道を見つめること・・・・・。そういえば、
この10年間私を苦しめ続けている症状が少し緩和しているのは事実。
失われた10年じゃあないけど、この無駄とも言える10年も
自分自身の10年として、認めることができるようになってきたのかも
しれません。そして、けっこう気分良く過ごしています。

何を書いているのか分からなくなってきましたが、まあ
そういう事です。
発展途上国の人々も、自分の暮らしを振り返ったとき、
これはこれで幸せだと思っているのかもしれません。
こればっかりは本人・当事者でないとわからないものです。

水曜日, 5月 14, 2008

久しぶりに読書をしている。
全5冊の文庫本。厚さは2−3センチでぶあつめ。
但し、新しい文庫なので、文字は非常に大きい。
先週金曜日に1冊目を読み始めたが既に4冊目。
フルタイムで働いているわりには結構なペースで
読んでいる。

本を読むときはストーリーの面白さが頭に残るか
は別にして、何かの知識を得られればいいと思っている。
ストーリーとは関係なくても。
東郷平八郎とか大山巌さんが私のアイドルになったり、
バラナシに行きたくなったり、
読書の影響って結構大きいです。

今回は、組版のことが気になり。
改頁した最初の一文がある章の最後の一文で、しかも
かなり衝撃的な事実を伝える重要な一文、でした。
章が変わっても、改頁、改丁する方針の本ではないので、
白ページが残らないので、章最後の一文を前のページに収まるように
手を加えたりはしない(はず)なのですが、
この一文が改頁されるために、多分結構な労力があったのでは?

と 妙なことを詮索しちゃいました。

今週中には読み終わる、べし。

日曜日, 5月 11, 2008

免許更新&汗

今日は一人で 汗を流しに行きました。
それだけ。
あ、免許の更新にも行きました。(そーだった)
2度目の期間前更新。
無事故無違反なのに。2回も初回更新をしているし、
免許更新状況はなかなか独特です。
しかも、事前に公安(警察)に問いあわせた内容と
食い違うところが・・・・。どちらが正しいのか
わかりませんが、きっと免許センターの人の言うことが
正しいのです。日本の公安もあたになりませんね、明日文句の一つでも
言いにいくことにします。
備忘録として事実をしたためます。
・期間前更新とはその名のとおり、期間前更新で、
更新期間の2ヶ月(誕生日の1ヶ月前から1ヶ月後まで)に
更新できない場合、それを証明するなにか(結構適当でよいみたい)
を揃えて更新。
ここで気を付けたいのが、1年のカウント。
わたくし9月生まれなので、5月に更新すると、
今日から今年の誕生日までが1年とカウントされてしまいます。
なので、5年の期間がほぼ4年になってしまいます。
これは仕方のないことですが。
注意したいことが、更新は誕生日が基準で有効期限が基準ではないということ。
警察に確認すると、誕生日の1ヶ月後まで有効祈願があるので、
それを過ぎないと、新しい1年とカウントされない。って言われたんですが、
実際は、誕生日を過ぎていればいいということ。(免許センター談)
よく考えれば当り前で、誕生日を過ぎてしまってから更新したら、
そもそもが誕生日を基準にした有効期限なので、免許センターの言うことは
当然ですねえ・・・。
やられた。
ま、でも私は更新の為に誕生日までは待てないので仕方ないです。

はじめてのゴールド免許。これからもボチボチのエコ運転で
頑張ります。今日もめっちゃころがし運転愉しみました。
省エネですよん。

水曜日, 5月 07, 2008

庶民とオーダーメード

庶民はオーダーメードには向きません。
決して「自分」というものを持っていない訳ではないのですが、
どうも落ち着きません。
それが1万円しないようなものでも、なかなかつくれません。
それは何故でしょう。
1.最終的な金額が分かりかねる
(調子に乗って、あれこれ注文を付けていったら、気に入るものが
できるのは嬉しいが、高く付いた、という結果になるのが怖い)
2.どんなものが欲しいのかわからなくなる。
(ある程度基準が欲しい。自分が基準だ! という自信と
何が起こっても揺らがない自分のこだわりを持ち合わせていないと
どうしても、他人の意見や、世の中のスタンダードに合わせたくなる。
例えば、私はアンコが好きなので、銅鑼焼きを模した形の鞄を
作りたいと思っても、使い勝手とか、他人の目とか気になってしまう、残念ながら)

ということで、既製品を売る店というのはとても有り難い。
知らず知らず、世の中の潮流を消費者に示してくれている。

レストランとかでも同じで、メニューとして示してくれているから
スムーズに注文できるが、
何でも好きなものをと言われると、とたんに何を頼んでいいか
分からなくなる。知識のないカクテルとかさらにそう。

旅行とか塩のこととかヨーグルトのこととか。
ある程度慣れている。慣れと先達。

何事にも先達はあらまほしきことかな。

火曜日, 5月 06, 2008

仙太郎もなか

病は一日では治りません。
10年の病の完治には20年かかるでしょうか。
でも、もしかしたら
1日で治るかもしれません。
禁煙した時も1回は一週間で挫折しました。
でもその次はうまくいきました。
そうであってほしいな。
(ベールで包まれた日記は今日も続きます・・)

悦ばしいことは、
仙太郎もなか。
最近これを食べました。これが商品化された経緯はいざしらず。
仙太郎には敬意を表したいと思います。
最中の皮。これははっきり言って あまり味がしません。
存在を主張する物でもなければ、旨い不味いで
論争になることも少ないパーツです。でもこれが
被さっているからこそ、最中は最中たり得るのです。
そこで、仙太郎もなか。
皮がなければただの「餡」です。どうやら餡は90g
(ホームページを拝見しました。)
結構な量の餡が、うすーい皮に包まれています。
つまりつまり、餡が売りたいが故に(でも餡だけむき出しでは
なかなか売れない。粒あんとして別の用途にどうぞ・・という売り出し方以外ではなかなか買い手が付かない・・・・でしょう)
仕方なしに最中の皮で包んだ、というべき品です。

そしてこれが絶品。甘さ控えめ、ではなく。つややか小豆が
旨い。
私なぞは、「別に皮が無くてもいいのに」と思ってしまう。
しかし、あの量の餡をつかった最中なら食べていても
普通ですが、餡だけをむさぼっていたら、
「餡だけ食べるには尋常ならざる量やで、あんた」と
ストップかかること必至。
その防衛線を貼りつつ(仙太郎が前もって考えてくれている)最中を
いただく。
幸せですね・・・・・。

冒頭の悩みはどこへやら。さ、また明日から
とりあえず1週間はがんばりましょう。
今日の敗因は。
1人行動を無理矢理したこと、です。

月曜日, 5月 05, 2008

がんばってる

詳しくは書きたくないけど。
とりあえす、1週間頑張った。
増えてもいい、それで普通。
普通、普通。
もう少頑張ろう。生きたいから。
軌道修正できる最後のチャンスかもしれない。
一生つきあうのかと思っていたけど、この1週間頑張れたではないか!
すごいよ・・すごいことです。

日曜日, 5月 04, 2008

悪くはないが

屋台のような車両を乗り物、商売道具(店)、家 として
使って生活している人もいるだろう。
すごく効率的な生き方。職住がいっしょになっている。
そしてとても自由。
所有物にも拘らない。
松尾芭蕉はそういう所有物に拘るな、という生き方だったらしい。

私は荷物が多すぎて、捨てられ無くて、
そこがいかん、と思っているが。さて。
先日、普通の乗用車にしこたま荷物を積んで走っている
夫婦(らしき2人)がいた。
荷物とは、「運ぶ荷物」ではない。
「生活の荷物」だ。つまり乗用車が生活拠点らしき
荷物の積み様なのだ。
後部座席にまでいっぱいに詰め込まれた「何か」。
まさに「何」というわけではない荷物だらけ。
(だとおもう。一瞬目に入っただけなので)。
しかし、それは商売道具のようには見えなかったので、
乗り物、住居が兼用でも、それが収入源にならない
限り、移動するメリットがどこにもなく、却って
ガソリンを消費するだけで無駄なのだが、
いったいあの乗用車は、バックミラーで後ろも見えない状況で
なんで走っていたのだろう。

金曜日, 5月 02, 2008

川をきれいに

こういう抽象的な看板が
多いなあ・・・。と 大木こだまひびき的
なんの脈絡も関係もないことを突然思ったりします。

「川をきれいに」。じゃあどうすればいいの?
→でも、具体策を示されないと、動けないやん!って
つっこみたくなるのは、「日本人の良心というか一般常識」に
欠けつつある証拠なのかねえ。

看板で思い出したが、「飛び出し注意!」の人型(走行中型)には
拍手を送りたい。お役目をしっかり果たしている。
あれは、「あんな“いかにも”な走り方をして飛び出して
くるヤツいーひんわ」
と思わなくもないが、その問い自体が愚問。
飛び出し注意人型が目に入る→人か??(何かが交差点に
見える)→スピードゆるめなきゃ
の思考で事故を防ごうというもの(に違いない。)
←こういうふうに思えるようになったのは、
車をよく走らせるようになって大分たってからです。
注意喚起。危険予測。
ふむ。