木曜日, 12月 31, 2009

Bremenからこんにちは(58)今年も終わり

あと半日ほどで今年も終わります。日本と違い、クリスマスが終われば、もうあとは、普通の日常に毛の生えた程度の祝い方なので、こちらとしては、寂しい限りです。
大晦日。雪です。昨日から、大型物の洗濯と掃除・・いきなり雪が降ったので、前々からやっておけば良かった・・とか思いながら。
且つ、1月に受験する(であろう)テストが、傾向がよくわからないので、対策のしようがない。
ああ、イライラ。
そのイライラを解消すべく・・登場するのが・・DVD。2006年からのM1を収めた物です。
昨夜だけで3年分見ました。2006、2007は日本で拝見。2008、2009はニュースと動画で、探りつつ・・の情報入手のみ。いやあ、全部ノーカットで見られて楽しかったです。
まず、2006と比べて、2008,2009のテレビ、スタジオのつくりの豪華な事に驚き。テレビ局が軒並み制作費を削っている中、スタジオの造りは豪華になってるような・・・。まあ、出演者(審査員)ギャラとかも結構安いんでしょうか??でも生だし、収録放送では考えられないくらいの頭数と、何か発生した時のために備える人、物とか尋常な数じゃないと思うのですが。まあ、裏の事情は私の知った事ではなく、純粋に楽しめれば良いのです。
なので、昨日はノンスタイルの優勝、パンクブーブーの優勝、チュートリアルの優勝と3つのドラマを遡って拝見しました。
誰でもそうでしょうが、“好きなネタ”ってありますよね。(あくまで、私が伊これまで見た中で&こっちにきてから動画等でチェックした中で)
チュートなら、チリンチリンネタ。あれ以降、これを上回るネタを見てません・・。
ノンスタイルはエレベーターに閉じ込められるネタ。(昔のイキリネタも嫌いではないです)笑い飯だったら、奈良歴史博物館ネタ。今回の鳥人には100点が出たようですが、うーん、もう一回鳥人見てみよう!
2005のチャンピオンのブラックマヨネーズも、決勝のネタやったかな、相撲で押し出す下りが好きです。“南港までいかないと相撲が終わらん!”と(確か)。他、最近私はあまり見ないのですが、麒麟さんなら“田村隊長”ネタです。そうそう、2006年M1の司会アシスタントが眞鍋かおりさん。川島さんを並んでいるところが、なんだか新鮮でした。
それから・・。昨日映像で見たコンビを思い出していくと・・。トータルテンボスだったら、レストランと火災関係の(中華の部屋で滑ったりするやつ)?(記憶曖昧)好きです。他のコンビはあんまり数個のネタを比較出来るほど見た事がないです。

ま、要するに、大きな“漫才&お笑いシック”の渦中におります。そんなこんなで、年が変わろうとしています。
2010年。ここでの基盤を築きたいです。帰りたくないです。
でも、日本のテレビはしっかりかなり恋しいです。

では明けましておめでとう・・までもう少し。
(写真。外は雪)

日曜日, 12月 27, 2009

Bremenからこんにちは(57)歳の瀬に思ふ

見聞きするだけで無性に悲しくなる言葉がある。「就職氷河期」。
私はいわば、“ロストゼネレーション”の人間。
(今の時期の事も将来的には何かしら命名されて、酷い時代であったと解雇する事になるのかもしれないが)
大学卒業時、多分、職にありつけるチャンスは比較的少なかった。留学した関係で、5年大学に通ったが、同級生の卒業時も、自分の卒業時も、遡っては4年前の姉の卒業時も、そして2年後の妹の卒業時も。ずーっとずーっと氷河期だった(と思う)。でも、みんなちゃんと職について、賃金を得て、自立して、普通に生きている。
私は????
はっきりいって、就職したくなかった。モラトリアム期が欲しかったのではなく、ドイツに行きたかった。実現できるか出来ないかわからないけど、とりあえず、就職活動をまじめに行わない理由の筆頭に、“ドイツ”があった。思考回路を書くと・・。
卒業後ドイツに行きたい→え??あなたの専攻は中国語だったよね?中国に1年も留学してましたよね??で、何故ドイツ??? 必然的にそうなる。ドイツが私の人生に登場するのは大学入学よりももっと前、高校一年生に遡ってしまう。片鱗はもしかしたら小学5年生からあったかもしれない。だから、大学の事だけを見て、“ドイツ”“??”と言われるのはお門違い。(という私論あり。)→人がなんと言おうと、“ドイツ”。しかし、親の金で大学へ通い、留学し、ほんでもってドイツ渡航費用まで負担してもらえる訳が無いし、そんなつもりは毛頭ない。よって資金がいる。→働かなくてはいけない。では3年は働こう。働いてお金を貯めて、3年後ドイツだ。(自分の中での将来設計)決定!→ならば新卒!就職活動!→世は就職氷河期まっただ中。3年で辞める気満々。辞める事前提。もしかしたら、仕事を通じて興味深い事に出会うかもしれない。でも、ドイツを上回る物は出現してはいけない!!という歪んだ目、意固地な目での就職活動。そんなやる気のなさを見破れない人事はいない。というか、目はいつも“ドイツ”を見ていた。→そんな状態で、競争率の高いこの就職氷河期が乗り切れる訳が無い。→案の定卒業を迎える時にも仕事無し。→ちょっと計画が狂ってきた、と焦る。金を貯める手段すらない・・。バイトなどなどしつつ・・。職歴も手に出来ず、お金もそれほどたまらない。→そんな空虚な毎日は、海外へ目を向ける事で慰められた。ドイツに今行くのは無理。ならば中国語の出来るところへ。→そしてシンガポールの現地会社に就職。私の海外熱は満たされた。しかし、ドイツからまた大きく道を逸れたことには少なからず精神的打撃あり。(のはず)→3年。幸いシンガポールは永住に値するところではなく(私には)、元々定めた3年で日本へ帰国。妹の結婚式出席の使命を終えたらさて、ドイツだ!と意気往々と帰国。→しかし、ここで家族の猛反対に遭う。卒業以来、そのときまで“ドイツ”を具体的に話した事はなかったかもしれない。親に“どうするん?”と聞かれたら、適当に流していた。親もこのタイミングで“ドイツ”が本格的にでてくるとは思わなかったらしい。“今が最後のチャンス。これ以上歳をとると日本で就職不可能になる。取り返しがつかない!!”とのこと。一理あり。→ということで、ぐだぐだしながら、日本で、なかなか決まらぬ職、合わぬ職を転々とし、一応“月給”を貰って、厚生年金を払い、保険証を所持して働く。→ただ、(この→文章の最初ぐらいからの精神的&身体的病はどん底の状態)身も心もボロボロ。→そして、暗闇をさまよう期間が続く→そんな私を病気から救ったのが、ゴスペルだった。→いっぱい勇気と幸せをもらって、30歳と言うギリギリの年齢でドイツへ。→そして、その後は、去年からブログに書いている通り。

はああ、ドイツにたどり着くまで長かった。まったく“就職氷河期”とは関係のない話・・のようだが、とりあえず、以下のように無理にでもこじつけておく。
“就職氷河期”の話題が苦手なのには理由がある。
1.就職できなかった自分を擁護しているだけなのでは?実際、周りは普通に就職できていたし。自分の不甲斐なさが強調されてしまう。
2.新卒就職できていたらどうなってただろう?3年で辞めてた?ドイツ来てた?病気は治ってた?と取り戻せない過去の分岐点の別の道を思い描いてみたくなる。
3.しかし、就職出来なかった事を、親は私の所為にしない。彼らも“氷河期”が現実に存在した事を認めている。
だから余計に申し訳ない。私の責任だ!自己責任だ!と言われれば、反発もできるし、反省もできる。しかし、自己も周りも、“世”に責任を押し付けて納得してしまっている。だから、怒りのぶつけようがない。

時代の波に左右された、ロストゼネレーションの人間。いや、誰しも、自分の力でどうにもならない社会の動きに翻弄されているはず。出征した人、ベビーブーム、安保、バブル、団塊、ゆとり・・。人が時代を造り、そして時代が人を導き、造り上げ、そしてその人間が、社会を回す・・。それが時代になる。そんな渦中にいる大多数の人間。
“就職氷河期”。これが無ければ、私はドイツに居なかったかもしれない。私が10年来夢を見、ようやくの思いで叶えたドイツも、もしかしたら時代の産物にほかならないのかもしれない。

Bremenからこんにちは(56)めぐる メグル よ 時代は巡る

クリスマス祝日の2日目。26日は恒例の教会でのコンサート。ゴスペルクワイアと教会のオルガニスト一家が出演する事になっています。毎年の事です。はっきりいってほとんど練習をしていない、我がクワイア。だって夏以降いろいろ大変だったのです。
・事務方取り仕切りの代表が、ドイツを去った。→もろもろ諸連絡が行き届かない。何をするにも後手後手に回る。
・教会の牧師先生が退職。→ゴスペルクワイアは創立10数年。牧師先生は32年この教会で牧師として勤めました。牧師先生が立ち上げたクワイアとも言え、そこに、アフリカとの微妙な事情もからみ・・。(このクワイアはブラックゴスペル的なのを歌います)その生みの親が居なくなった今、教会や牧師さんに恩義を感じてクワイアにやってきていたメンバーの心境にも変化。クワイアは後ろ盾を失った感じ。
・夏以降、クワイアリーダーやピアニストの病欠相次ぎ。まともに練習できず。

ということで、26日の曲目(といっても何を歌うのか誰もいつも知らない。ステージ上でリーダーが勝手に進めるのについて行くだけ)中の2曲は全くの新曲。19日に行われたワークショップで始めて歌ったという全くの新曲、且つソロパートがほぼ無く、ソロの上手さでカバーできる曲ではない、且つ、3声ばっちり歌えないと、聴かせられん!という曲。別の2曲も、その夏以降のバタバタの中、2〜3回練習したっきり。歌詞もあいまい。

そんな中迎える事になった26日のコンサート。救いは入場料無料・・ということだけ。

そしてなんとか・・・観客の皆さんに助けられ、時間を1時間オーバ−して終了。終わった後に待っていたものは
“ピアニストとの別れ”。今までクワイアで弾いていてくれたピアニストさんは、分かる人には分かりますが、去年私とサプライズCDを作ってくれた方です。本当に若い才能に溢れた方で、彼の伴奏はそれだけで下手なクワイアの歌を、あたかも上手に歌ったかのように聴かせてしまう・・というもの。彼の伴奏で歌うのと、他の人の伴奏で歌うのは、心持ちが全然違います。それはメンバーの誰しもが分かっていた事。そのピアニストが、自身の将来のために、一旦我がクワイアを退きます。クワイアは他のピアニストを探さねばならないのですが、難航中。

これでまた、このクワイアは強力な求心力を失いました。私としては、クワイアリーダーとも歌いたいし、ピアニストとも歌いたい。しかし何よりも、私はクワイアのメンバーであり、且つ、クワイアが所属する教会にお世話になっている人間なので、この教会のクワイアには留まりたい訳です。でもきっと恐らく、上記3人の人間がクワイアや教会から去る事で、メンバーの中で疎遠になる人ももちろんいるだろうなあああああああああああ、と悲しい。ゴスペルの世界大会で2度も金メダルをとった過去をもつ(メンバーに当時の面影はほぼなし)ので、名前だけは有名なクワイア。歌のクオリティが、急降下することは間違いなく、でもそんな事情は、聴く方にはまったく関係なく、このクワイアの名前を引っさげているからには、それなりに歌えないと駄目な訳で・・・。でもそれほどのモチベーションを持って歌っている人間がどれだけいるか。プロじゃないし.余暇でやってる訳だし。
ま、私はとりあえず様子見ですね。(傍観者????)

とまあ長くなりましたが。昨日のコンサートで感じた事。
昨年ここに立ったときは、“広い。客が一杯”って思ったのです。でも、昨日の壇上から見えた教会の礼拝ホールはなんだかとっても小さく感じました。どこにもかしこにも知っている顔がいるからでしょうか。
もう一つ。コンサート後、正式にピアニストさんにお礼。当たり前だけど、誰も引き止める事無く、彼の門出を祝った感じです。
そう、誰しも己の道があります。誰も止める権利など無いし、邪魔することは許されない。メンバーもリーダーも、自分の気持ちをぐっと押し殺して、感謝の弁を述べました。何事も栄枯盛衰。同じ時・同じ状態っていつまでも続かない。当たり前だと思っていた事も、実は当たり前ではなくて、いろいろな偶然の上に成り立っている。彼がクワイアを去るなんて誰も考えもしなかったのに、現実に起こってしまった・・。
そう、もし、もし、私がクワイアを去る=ブレーメンを去る=ドイツを去る ことになっても、それはきっと“あの子の選択だから”と皆に受け止められてしまうのでしょう。もし、“本当はここに居たい!”と訴えたところで、“あの子の道だからねえ”と納得されるのでしょう。そうならない事を祈ります。

ああ、まとまらなくなって来ましたが、“時代は巡る”。私も、誰しも、その流れの渦中にいるのです。大げさですが、今回の夏〜クリスマスコンサートを通して“一つの激動の時代”を生きた気分になりました。

金曜日, 12月 25, 2009

Bremenからこんにちは(55)怒濤のクリスマス

師走。と人は言います。
本当に12月は早い。そしてここでは、クリスマスを迎えるというのは日本人感覚では新年を迎えるような気分。従って、やること山ほど。
まあ、基本的に家族のイベントなので、身寄りの無い私は暇〜〜なはずなのです。各種団体等でのクリスマス会は、12月に入ったあたりから順々に開催され、クリスマス前の最後の週は“予定なし”が普通なので。
私の場合。イブの前日も前々日も個人的に小さくクリスマス会。且つ予定外にせねばならないこと(11月のテストの点数がまた足り無かった・・。進歩無し。がっくり。自分の才能の無さに唖然。もう諦めるべき?・・と沈む数時間を経て、リセット・・などという時間がこの怒濤の中にも含まれる。しっかし、テストめ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。ということで、予定外の事とはこのテスト関連&次のテスト関連)が発生して、大わらわ。23日のクリスマス会は我が家で行ったので、掃除や仕込みやなんやかんやで、前日からその日の朝からばったばた。ふう、疲れた、けどかなり楽しかった・・・・。(準備もズベテ含めて)。客が帰ってから、深夜をまわりつつ、クッキーの仕込みとかしたりもして(職人のようです・・・(笑))。
そして迎えた24日。この日は3回礼拝があります。1回目の家族礼拝は子ども向け。ジュニアによる劇など行われたりします。この時間は、教会が“クリスマスを一人で過ごさないで”ということで、カフェ的なものを催したため、そのお手伝いに。一緒になって歌い、ケーキを平らげ、準備後片付けをしました。それが済んだら2回目の礼拝。本礼拝。
その後、クワイア仲間の家に押し掛け、(私が押し掛ける事になったので、家族だけしか集まらない予定だったのに、友人がいろいろ来る事になったらしい。ついでだから・・みたいに)、夕飯の手伝いとかしつつ。クリスマスディナー。
そして23時からの3回目の礼拝。その押し掛けた家族は別の教会に行きましたが、私はいつもの教会へ。ゴスペルクワイアの一員として礼拝で歌いながら25日を迎えました。
24日の礼拝には3回とも来る人、一回も来ない人、一回だけ来る人、様々ですが、それぞれのタイミングで“クリスマスおめでとう”挨拶。まさに新年のようです。
そして深夜を回って帰って来て、25日はまた朝から礼拝。基本的に、どこか一回に参加すれば事足りるのでしょうが、なんだか参加したい気分にになって行ってしまうのが常です・・。朝からまたクッキーを焼くべく早起きしたり・・(礼拝にクッキー持参で行くのが日課なので)。しかし、この25日10時の礼拝は5人ぽっちり。ま、昨年も同様でしたが・・。
そして礼拝後は、別のクワイア仲間の家にお邪魔しました。夫婦とそれぞれの母親、2人の息子と長男の彼女、という面々でのクリスマスの食事会に誘ってもらったのです。(無理矢理、“行っても良い?”とモーションをかけた)このご家庭は本当に裕福な家庭で、家の作りも、デコレーションも、とっても可愛い。会話に取り残されることもあまりなく、楽しんで来ましたが、あくまで“他人”なので、家族ってやっぱり良いなあ・・と。

25日夜。11月のような、風雨に見舞われるという最悪な気候が戻って来ました。さて、明日は教会のコンサート。何でも最近始めたばかりに新しい歌を歌うとか、大丈夫なんでしょうか。

日曜日, 12月 20, 2009

Bremenからこんにちは(54)今年もやってくる。

ブレーメンで迎える2回目のクリスマスとお正月です。やはり一年で一番大切な行事であるからか、この時期はクリスマスへ向けてまさしく“師走”感漂います。
9月からもうとっくに2巡目に入っているのですが、年末にかけてやっぱりしみじみ感じてしまいます。
今日はゴスペル関係の人のコンサート。素敵な才能がぎゅーーーーっとつまったコンサートでした。去年も同じような時期に、同じ教会で行われたコンサートです。
街を歩けば知り合いにあたる・・というブレーメンですが(教会とか、出入りの団体先とかは除いて、図書館とか、中心部のバス停とか、近所以外の場所で普通に出会う)、ゴスペル関連になると、その顔見知りの数がぐっと増えます。同じくワイアで歌っている人のみならず、いつも観客で居る人・・とか。
今日は、ステージに立つ面々がすべて顔見知り。プロのソリストを招いてのコンサートでした。
日本のクワイアでこの時期歌っていた曲が、同じようなアレンジで歌われました。日本を思い出すとともに、ここにまた今年も居る事が出来る事を本当に嬉しく思い、涙してしまいました・・。

ゴスペルってやっぱりいいなああ。

Bremenからこんにちは(53)クリスマスっていったいなあに?

この時期私によく向けられる質問が
「日本ではクリスマスを祝うの?」です。
日本でこの時期に起こっている現象について詳らかに説明するのは、うーん、難しい。だからだいたいこう答えます。「クリスマスは祝う。日本でキリスト教信者は比較的少なく、宗教的意味合いを持って祝う人は少数派。でも雰囲気はドイツと似たり寄ったり。」些か説得力に欠ける返答で、日本の状況を上手く表しているとは言えません。日本におけるクリスマス風習の変遷を辿るとなれば、一言で片付くとは思えませんが、何かいい言い回しは無いものかと・・そう考えていたところで、いい言葉を耳にしました。
「コカ・コーラ・サンタクロース」。
「日本にはコカ・コーラ・サンタがやって来てプレゼントを配る。そんな雰囲気のクリスマス。宗教的意味合いはない。」こう答えることで、日本のクリスマスは、信仰を問わず祝う行事であり、商業的な意味合いを十分に含んでおり、且つ、雰囲気がここと似たり寄ったりである事、欧米の影響を非常に受けた行事である事が伝わります。(実際に、コカ・コーラ社が、現行のサンタクロースのモチーフを定着させることとなったフィギュアを使い始める前に、日本でサンタクロースの風貌は知られていたそうですが、敢えて“コカ・コーラ・サンタ”を使用する事で、言葉だけは表しにくい“雰囲気”をも伝える事ができます)。

ドイツにはクリスマスに関わる2人の人物がいます。“ニコラウス”と“クリスマス男”です。もともとクリスマスは、キリスト教のお祭りではなく、冬至を過ぎたことへのお祝いだったそうです。で、ニコラウスがドイツで登場するのは16世紀で、ミラのニコラオスという紀元後300年頃に生きた聖人の伝説がもとになっています。彼の命日は12月6日。この日は、ドイツでは「聖ニコラウスの日」であり、子どもたちがちょっとしたプレゼントをもらえる日です。彼は大司教であり、祭服姿で十字のついた司教のかぶり物をしています。このニコラウスという“語面”が日本で言う“サンタクロース”であることは、見ての通り(読んでのとおり)です。しかし、クリスマスイブに赤鼻のトナカイと共にやってきてプレゼントを配る、日本の“サンタクロース”はこちらでは“クリスマス男”と呼ばれます。ドイツにおける“クリスマス男”像(サンタクロース)の外見もやはりコカ・コーラ社が定着させたという見方が強いようです。ドイツ(主に北)でも12月25日にはプレゼントを“クリスマス男”が運んできます。この習慣には日本と同じく“宗教的意味合い”は存在しないと考える方が自然かもしれません。
この“クリスマス男”(日本のサンタクロース)は、12月6日に命日を祝うニコラウスが起源だとされています。ドイツの “クリスマス男”が、日本では(あたかも、伝説上重大な人物であり、信仰に関わるような名)“ニコラウス=サンタクロース”と呼ばれている事実。これが面白いところです。

クリスマスの起源には非キリスト教的要素が十分に含まれているし、イエスキリストの誕生を祝う事とニコラウスの伝説やサンタクロースの逸話には・・そういえば関連性がみえてきません。クリスマスいったい何なの??

ドイツ人でもすべての自国の状況を説明する事はできないかもしれません。キリスト教でもないのに、クリスマスを祝うなんて〜〜(クリスマスは好きですが、キリスト教徒の人に面と向かって上記の質問をされるとなんとも居心地がわるく、悪い事をしているような気分になってしまうのです)・・ただデパートやレストランの広告に国民が煽られるだけの社会的現象なのでは?と思っていましたが、クリスマスってほんとうに、いろんな文化がごちゃまぜになった祭事で、“祝いたい人が祝いたいやり方で祝えば良い”のかもしれません。

土曜日, 12月 19, 2009

Bremenからこんにちは(52)その日が来た

日本人ながら、ブレーメンにはかなり馴染んで生活している部類に入ると思います。今日は26日のコンサートの為?にワークショップが開かれ、いつもとは違う先生に来てもらって一日歌いました。久しぶりに、日本で歌っていた“ハレルヤ”を歌い、懐かしい気分に。先生には「日本人?」と聞かれました。アジア各国の国民として尋ねられることが多い(韓国中国フィリピンなどなど)ので、なかなか驚きでした。
さておき、日本にはすっかり未練のなさそうな私ですが、まだまだしっかり日本人です。これがあるから日本人は辞められん!!と思うもの。それは“お笑い”。(逆に言うと、ドイツのお笑いに着いていけないから日本のお笑いが恋しい、とも言えます)。こちらに来てから、動画で漫才やトーク番組をチェックしており、特に、日本より8時間遅いこちらでは、金曜日の午後にいい具合に木曜日放送の“アメトーーク”がアップされるので、週末のお楽しみになっています。
日本では一切見た事がなかった(あんまり遅い時間の番組は見なかった)けど、ここでは楽しんでみています。漫才のコンビもまったく分からなくなって来てしまっていましたが、動画でいろいろと勉強することで主なところは着いて行けるようになりました。
先日わが故郷“滋賀芸人”とやらを見ました。(大分前に放送されていた)面々は、ナベアツ、宮川大輔、ダイアン、野性爆弾、ムーディー勝山(敬称略)。個人的にはあんまり好きな芸人さんは居ませんが、宮川大輔さんに限っては、ほぼ生活圏は“京都”とお見受けしました。(Wikiった)。まあ、彼がいるのと居ないのでは、インパクト的に弱い・・から無理やりにでもそうしたのでしょうか。
滋賀県出身ということなら、ダイアンには是非頑張ってもらいたいものです。

さて、話が進みませんが。この日がとうとうやって来てしまいました。M1。
始まった当時、私は日本におらず、日本に戻って浦島状態で訳も分からず見始めたのが2005。それから2007まではオンタイムで。2008からはまたブレーメンでその行く末を見守ることになっています。
別に、誰が優勝してもいいんですが、何が楽しみか・・というと、やっぱり戦いを勝ち抜いて来ただけのことはある“面白い漫才”が見れる、ということ。余計な小細工とか、他ジャンルのお笑いはなく、漫才だけ、というのが純粋に嬉しい。
今年の決勝進出者。聞いた事のある名前、テレビで既に活躍の面々が多いなあ・・という印象です。笑い飯は常連だし、南海キャンディーズとかハリセンボンなどは既に“売れ”てるし、ナイツもまた来たか・・という感じだし。今年の戦いは、“初めて見る驚きと新鮮さと面白さ”を出したコンビではなく、安定感のある面白さ(面白いものは何回見ても面白い。吉本新喜劇の定番のギャグのような)を披露したコンビが優勝するのでしょうか?
いくつか知らないコンビもありますが、変な先入観を排除するため、敢えて知らないまま“臨む”ことにします。(昨年のオードリーもまったく知らず、M1の動画で初めて漫才を拝見し、(彼らの思惑通り?)見事にいらいらさせられたのを覚えています)。
さて、日本ではもう20日に突入しています。妹君。ネット速報よりも早い、実況今年もよろしくです。

お正月にかけて、漫才やしょーもない?お笑い番組が増えるのでこういう時だけはちょっと日本が恋しい。芸能界の皆様は一番の“書き入れ時”ですね。(誰に向けてのメッセージでもないけど)頑張ってください。

わくわく。

金曜日, 12月 18, 2009

Bremenからこんにちは(51)終業式の気分




今日は出入りしているキャラバン団体のクリスマス会。準備もかねて早めから出向き、担当になっていた“クリスマス小話”の朗読(ドイツ語で)、それと太鼓グループの発表(私的には奏でたくないほど酷いグループのまとまり具合)をし、他の催し物を見、プレゼント交換をし、後片付けをして戻って来ました。
昨日からちらほら舞いだしていた雪が結構本格的に降り、帰る頃には数センチつもっていましたが、いつも通りチャリで帰って来ました。寒さにもチャリにも少しは慣れて来たようです(ドイツ的になってきたようです)。

キャラバン団体で働く人は仕事納め。毎週土曜日の集まりも明日が最後(私は不参加予定)、運営会議も、諸々の活動も年明けまでストップ。ということで、今日を境に新年まで顔をあわさない面々もいます。

ちょっと変わった人ばかり集い、タバコば吸う人ばかりで嫌悪したくなる環境ですが、それを我慢する必要がないし、何事も“しなればならない”ことが一つもない団体。秩序が無いようで、でもしっかりまとまって機能しています。 
私の今年の中下半期の大きな活動の舞台となった団体でした。
(日本人感覚的には、クリスマスが過ぎる前からの“歳末感”には違和感がありますが)クリスマス会を終えて帰って行く人との“お別れ”をしながら、今年一年への感謝の念と、ちょっと長い間みんなと会えなくなる(定期的に出向いていた訳ではありませんが、いつ出向いても誰かが居たので、冬休みとして、この団体自体が機能しなくなるのは、“何かが欠けてしまうような”不安感があります。終業式後、学校へいつも通り登校しても、授業も無ければ友達もいない・・みたいな感じ)寂しさを感じました。それとともに、自分が如何に、この団体に精神的に支えられていたかを感じました。本当に感謝。

ま、数週間後にはまた“日常”が始まるのですが。
では皆様、メリークリスマス&良いお年を。(ちょっと早いけど)

Bremenからこんにちは(50)シナリオのあるインタビュー



ブレーメンにはWESER KURIERという新聞があります。ブレーメンとその近郊のニーダーザクソン州の都市ではかなり読まれている地方紙では無いでしょうか。ドイツでは日本と違って、全国紙より地方紙の方が優勢!のイメージがあります。ブレーメンで紙のメディアと言えばWESER KURIERです。(京都では京都新聞ばかり、名古屋では中日新聞ばかり購読されている状況を思い浮かべてくだされば・・と思います。)
教会記念誌に寄稿し、その本が出版され、教会に出入りする人に、WESER KURIERの関係者(元社員?契約社員?契約ライター?)がおり、しかも、人物のポートレート的な原稿を書いている人で・・ということで、“一度記事に”とお声がかかりました。そして写真&インタビューが本日行われました。
昔ですが、逆の立場であった事があったので、まあ、勝手は分かっているつもりでしたが・・。インタビューを受ける立場になって初めて、自分のやって来た事がこういう事だったのか・・と思い知った次第です。
・取材者は構想を既に組んでいる。(寄稿文を読み、ある程度の原稿枠組みを作っている)→私もそうでした。先にほぼイメージで書いておき、足りないところを補うのが取材日。
ので、
・原稿がややこしくなる事は聞かない。話題は遮る。(自分の組んだ原稿の流れが崩れそうな事は聞かない)字数制限のある紙面だから仕方の無い事ですし、正しい!と思います。情報が増えると、増えただけ“嘘を書く確率も増えます”ので、あまり手を広げないのは正しい選択だと思います。
・一応、寄稿の内容を大まかに確認。本人の裏付けをとり、寄稿文からの借用ではなく、あくまで本人の口から聞いたのだと言う既成事実を作る作業。

どれもこれも、自分に思い当たることばかり。私もそうでしたので。

さて、どんな原稿に仕上がってくるのか楽しみですが、
・嘘は書かない。が原則だけれど、曖昧なところはどうしてもでてくるから、 “ぼかされ”、“どちらの意味にも取れるように”操作され、上手い具合に「事実ではないけど、嘘でもない」宙ぶらりんな記事になってくる予感がしてます。
まあ、他人の事を書く訳だし、自分の自分に対する興味と、他人の自分に対する興味は違う訳だし、他人が第3者に興味を持たせる記事になっていれば言い訳で、その辺のさじ加減ができることも含めて彼は“プロ”なのだろうし、私にとって“中途半端〜〜”でも構わないのかもしれません。

だって、話したい事ほとんど話していないし。(それだけの情報で書けるの?理解したの??って思った。)食事の事とか、旬が始まった北ドイツの伝統料理“グリューンコール(ケールみたいなやつ)&ピンケル”についても聞かれた。冬の間に紙面になるのでしょう。季節の言葉と組み合わせて記事が構成されることがバレバレ。
うーん。逆の立場にならないと分からない事っていっぱいですねえ。

ま、記事を楽しみに待つ事にします。原稿には一回目を通せるのかな??嘘が無ければいいけど。
(この新聞のレスポンス度合を確かめるいいチャンスにもなります。後学のため)

木曜日, 12月 17, 2009

Bremenからこんにちは(49)平和すぎる毎日



まず、火曜日15日。オールンデンブルグというブレーメン近郊の学術都市に行って来ました。ゴスペルを通じて今年の2月、5月と顔をあわし、なんだか仲良くなって、そんでもって先日のナイジェリア行きの説明会&オーディションで再会し、一度遊びに行きたい!&おいで〜〜がやっと実現しました。ま、気候も同じ、風習も似たり寄ったりの都市ですので、驚きはなかったですが、クリスマスマーケットを見て、街を歩いて、少し郊外にあるご自宅にお邪魔して来ました。(ちなみに、学生のセメスターチケットがあるので交通費はゼロです)
水曜日16日。教会シニアのクリスマス会。この日だけは通常の会には参加しない人も多数やって来ます。昨年もほぼこのクリスマス会からシニアと共におり、昨年もぱたぱたと動き回っていましたが、もうあれから一年。(夏にブレーメン不在の間を除き)毎週のようにシニアと活動した事になります。シニアの顔ぶれともすっかり馴染みました。
それから、金曜日はキャラバンの団体のクリスマス会。この団体で何が起こっているのか・・が分かっていた方が動きやすいということで、毎週の運営会議に出席しています。なので、必然的に“やるべき仕事”が回って来ます。討論・決定・実行の渦中にいるので、受け身的に、催されるイベントに参加・・だけでは駄目な状態にあります。クリスマス会の準備もせねばならない・・のですが、時間があわず、私のした事と言えば、“星作り”。これが“誰かがすべきクリスマス準備”の一環なのだから、“平和”です。

昨年は、日本へ結構な枚数のグリーティングカードを送りました。
今年は、作ったのはたったの6枚。身内と諸々・・だけ。なので、皆様ごめんなさい。今年はおくれません。経済事情もあり・・。(郵便って思いのほか高い。ハガキでも1ユーロ。×2計算の私にはハガキ一通200円、ということになります。)
その変わり、切手より遥かに安い、諸々を包んで、クリスマスのちょっとした贈り物を作りました。いろいろこの時期に会ってお茶したりする人がいるし、何が起こるか分からないので、とりあえずちょっとしたものを用意。
日本の交友関係に気を遣う前に、こっちの交友関係を気にし始めたあたり、頭の中の半分以上はこっち側の事を考えているってことですよね。
良いのか悪いのか。
(決して日本のこと、お世話になっている方々を忘れている訳ではないのです。時間的&心の余裕はありますが、如何せん・・切り詰めた生活のため、優先順位を付けざるをえないのです。ごめんなさい)

まあ、なんとも平和な毎日です・・。

土曜日, 12月 12, 2009

Bremenからこんにちは(48)13番 ナイジェリアへ



今日はオーディションの日。といっても簡単な選考ですけれども。
何度か書いていますが、参加するプロジェクト「singout」が、来年の夏にアフリカ・ナイジェリアを舞台に開催されます。何故ナイジェリアかというと、プロジェクトの代表がナイジェリア出身だから。(私のまわりにナイジェリア出身の方は確かに多いです)
日程は2010年7月下旬から8月にかけて十数日。ナイジェリアの3つの都市で、3、4回のコンサートを催します。2000人ほどの人が集まる教会などというものがあるらしく(どんなんだろう??)、そこでのゴスペルコンサート&神への賛美を行う。もちろん現地のクワイアとのセッションもあり。と。
参加費用は航空券&宿泊+朝食で700ユーロほど。他にビザ55ユーロ、予防接種?ユーロが必要経費であり、もちろんその他食費、こずかいの出費は絶対です。1000ユーロはかかるでしょう。
お金の心配はかなりありましたが、こんな機会でないと“ナイジェリア”を渡航国に選ぶ事は無いだろう・・と思い、且つ、ドイツで開かれたプロジェクトに、私が参加する事に、何かしら意義があるのではないか、と思い参加する事に。
でも。ナイジェリアに飛べるのは50人。参加希望者は200人超。ということでオーディションの開催、となりました。
実際、今日までに参加希望を取りやめた人、用事で来れなかった人、などなどいましたので、その場に居合わせたのは150人くらいだったでしょうか。

名前で選考するのは大変なので、番号制。私は13番。とりあえず全員が歌えるような歌・フレーズを使い、10人ずつ審査員(といっても顔なじみのプロジェクト代表者らであり、私にとっては個人的に参加するクワイアのリーダーであり、クワイアのピアニストであり・・と個人的にもお世話になっている方々で、私がどんな声で、どんな風に歌うのか、はほぼ知っている人たちですが)の前で歌いました。
顔見知りの前とは言えやっぱり緊張しました。

結果は・・まあ、いちおうは参加メンバーに入れてもらえました。めでたしめでたし。

でも後で、代表に「確実だよね?」と念押しされました。というのも、7月下旬からの旅程に参加するには、ドイツ滞在許可の再延長が必要。再延長するには、口座の残高がある程度必要(残高証明の役所への提出義務あり)。ということで、“資金無くして滞在延長無し”ということになっている訳です。なので、はっきりいって、7月末にここにいる事が出来るのかどうか、不明。もうすぐにでも航空券のブッキング作業等に入るので、そのへん確かめたのでしょう。(その事実を代表に話した事を覚えていたこと自体、私には驚きでしたが)
ま、お金はなんとかなると信じ、ドイツ滞在許可が取り消されても、どこかしらからフランクフルト経由でナイジェリアに飛べるように、なんとかすればいい訳だし・・と気楽に考える事にします。
だって、歌えるんだもん、ゴスペルが。その機会が与えられただけで感謝。(宗教チックになるけど、Jesusがナイジェリアに行くのを認めた、と信じます。なので、資金の問題は、とりあえず忘れます)。
これに参加する、という事実が、今後の行動の原動力になれば・・とも思うから。

ただ現実問題として。
寄付を募ります。一口100円、5口から。(笑)
1000ユーロ集めようと思ったら?1000ユーロ=130000円として。
130000÷500=260 260人からの5口寄付を貰わねばならないってことか〜〜〜。これは普通に考えて厳しい。日本に260人も知り合いはいない。ブレーメンにも150人いるかな〜〜?くらいだし。
ま、有り得もしないことで、苦手な数字と格闘するのは辞めます。はい。
(出世払い(この年で収入も無いのに、出世も糞もあるか〜〜〜!!!)を期待して融資(無利子で)をしてくださる投資家もいらっしゃいましたらお声かけください。)

ちなみに就職活動ですが、今まで数社数回履歴書を送ったり(もしかしたら、文面が酷すぎて、送られた側には“冷やかし”だと思われている可能性もあり)していますが、(書き方はネットや授業やで習う)、今日、キャラバンの団体の方が、願書作りを手伝ってくれました。職がないと帰らざるを得ない、という事実を知っている人たちで、できれば、ここに留まれるようなんとかしてあげたい!と思ってくださっている人たちです。本当に有難いです。
一緒に作った願書と経歴書を併せて送る訳ですが、まあ、でも簡単な文面でした。こんなんでいいんかな?と思うくらいの。
その人曰く、「下手な鉄砲数打ちゃ・・」の精神で臨むといいらしいです。個人的にもいくつかは出してますが、丁寧に「履歴書受けとリました。選考には時間がかかるので・・」と一回目のお知らせが来てそれで終わり、がパターン。自分の書いた履歴書や願書が読まれているのか、も不明。こういう返信って全く事務的なもんだと思うから。
ゴスペルの選考は、まあすんなり通りましたが、こっちのほうは前途多難です。でもでも、先日、派遣会社への履歴書は目を通してもらえ、派遣会社へ一度出向いてお話をすることは出来た(といっても、その派遣会社は肉体労働専門の派遣っぽかった)ので、あながち私の書いた履歴書が“酷すぎる”わけでは(ドイツ水準で)ない、と思っておきます。

ふう。婚活も同時進行すべき??

金曜日, 12月 11, 2009

Bremenからこんにちは(47)幸せをかみしめる



語学学校の宿題がないだけで、やっぱり時間的に余裕ができます。

先日戴いた教会の記念誌。200ページほどの本ですが、なんとか読破しました。素晴らしい。
読みやすい理由としては、読み切りの寄稿で成り立っているということ。素人が書いているので、文章が平易であること。(理解できなくても先に進める。)
が挙げられます。
(でも文章の難解さには、かなりの個人差が見受けられ、中には、ほぼ理解不能は難しい文体の人もいます。)基本的に、“私が”“私が”と自分と教会の関わりを中心に構成している人の寄稿は平易で、教会の歩みを客観的に捉えた文章は分かりにくい、という傾向にあります。
“私が”文章は、基本的に主観的で一方的。感情的。
私もそのような寄稿をした張本人ですが、まあそこは小学生レベルのドイツ語能力しか無い人間だからという事で許していただくとして、(でも、こんな“自分本位な”文章を教会の記念誌に載せるのは、私だけかと思っていましたが、普通に皆さん“自分と教会の出会い”“教会での体験”など自分主体に構成してはります。 
とにかく読み終わりました。こんな理由で、非常に読みやすく、共感できる部分が多く、一人一人の歴史、教会の歴史を紐解く感じで面白かったです。そして、自身が確実にこの教会の歴史の一ページとなったことを感じました。

最近新聞もちょくちょく読むようにしていますが、物語等と比べて遥かに理解がしやすい。事実であろうことが書かれているから、発生しうる事が想像しやすいからでしょう。(分からない単語があっても、状況から判断できるけど、ファンタジーでは何が起こるか予測不能ですので)

さて、こちらにきてもう1年以上経ちましたが、ずーっと思っている(た)こと。“幸せすぎる”ということ。そして自分が“幸せ”だと感じる事が出来ること自体が“幸せ”だと。ここに来る前の10年、本当に酷かったし辛かった。この辛さを抱えたままの自分と上手く付き合ってコントロールして生きて行く事もできるし、そうするしか路はないと思ってた。現にそういう精神的な病とともに生きている人は多いだろうし。一生付き合う病気でだろうと思ってた。でも、私はそれから(現実には、“ある程度”の条件付き。気分的には“全解放的”)逃れる事ができた。それってよく考えたら、本当に贅沢。病気とさようなら〜〜出来ただけで、まさに“奇跡”で贅沢なことなんだろうな。
本当に日々生きている事に感謝します。

この幸せ気分はいつまで続くか・・それは一つの不安でもあります。人生山あり谷ありだから。所詮10年苦しんだだけだし。ま、周りと、自分と、上手く付き合う術が分かって来たので、次の“谷”期は違った感覚で迎えられる事を望みます。日々の感謝していれば、“谷”も“谷”と認識しないまま生きられたりするかな?

木曜日, 12月 10, 2009

Bremenからこんにちは(46)大聖堂ヘルパークリスマス会&プレゼント




今日は週1回のペースで監視としてボランティアしているブレーメン大聖堂のクリスマス会。丁度語学学校のクリスマス会と重なったのですが、こちらの方が先に参加の返事をしていたので、学校を抜けて参加。
クリスマス会と言ってもコーヒーとケーキと雑談。以上。
ま、代表というか、ヘルパーを取りまとめる長からのいろいろ報告等あり、参加してよかったかなあと。なかなかみんなの名前が覚えられない(一ヶ月に一度会うか会わないかのレベルだから。一回の働きに付き、顔を併せるのは入り口の監視の人のみだから)のですが、本当にちょっとずつ馴染んで来た感はあります。何事も焦らず、焦らず。
さて、毎年ちょっとしたプレゼントがもらえるようで、今回は今年出版された大聖堂関係の書籍。ドームマウス(大聖堂のネズミ)についての調査、研究をまとめた本です。ざーっと読みましたが、ネズミの教会における宗教的意味合いだけではなく、動物学的、生物学的な観点にも言及したような本です(多分)。
具体的には、どんなことが書かれているかと言うと。ブレーメンのシンボルとも言うべき大聖堂=ドームの魔除け的存在であるネズミについてです。ドームが実は小さな小さなネズミによって、入り口でしっかり守られていると。中世にはネズミは魔除けのシンボルであり、入り口、とくに教会の内部へ一歩足を踏み入れる、その地点に“居る”ことが多かったようです。
このドームのネズミですが、知っている人に連れて行ってもらって、指し示してもらわなければ絶対に気がつかない場所にいます。西側の正面入り口から見て一番奥にいます。東の内陣、向かって右側の扉の柱の根元に後ろ足で立ち、前足で柱にもたれたような姿で。11世紀後半からずっとドームにいるのです。
でも・・本来入り口に存在するべき魔除けが、建物の一番奥に存在するのはおかしい!・・のですが、東の内陣の扉はもともとは西正面玄関の扉だったのだそうですが、1220年頃、西側正面玄関が2つの塔と共に新しく設置されたのに伴い、東の内陣に移設されたとのこと。ネズミの立ち上がった姿が不自然だなあ・・とも思いましたが、もしかしたら、全身で「ドームの柱、しかも一番重要な玄関の柱を支えている」の図だと理解していいのかもしれません。嫌悪されることが多いネズミだけれど、プラスな面も持ち合わせているのですね。
この本には、9月に両親と訪れたライン川下り中の“ネズミ塔”やサンクトゴアールにある教会の“ネズミ”にも触れられており、(未だ詳しくは理解せず)、この知識ありきで、その地を訪れていたら、もっと意味深かったのに・・と残念。
そんなこんなで、一度は購入も考えたこの本でしたが、購入を見合わせていてよかったです。こんなところで手に入るとは思いませんでしたので。どうもありがとうございました。今後もマイペースでボランティアします・・。
写真はネズミの居る扉&ネズミ塔@ライン川、そしてほぼシニアばかりの大聖堂ヘルパークリスマス会。

Bremenからこんにちは(45)フリマに参加するには



フリマ開催日に下見&役所に聞きに行って分かった事実を書き留めておきます。
1)フリマに出店したければ、当日商品を持って来るだけでよい
2)朝4時から。
3)机等必要な備品は各自持参を。必要スペースに応じて出店料を支払う事。車で出向いて駐車する場合はそのスペース代金も必要
4)食料品は基本禁止。自分で作ったパンや菓子やケーキも駄目。市販のパッキングしてある食料品なら目をつぶってもらえるかも。
5)食料品を売る場合は、フリマ主催者との契約が別に必要で、フリマ出店者とは別の屋台出店扱いになる。

ア)フリマでの食料品売買は基本的に駄目
イ)食料品売買には、営業活動許可の取得が必要で、専用に申し込む事が必要。
ウ)食料品売買と、屋台のようにそこで飲食が出来るような移動車両屋台を営む場合は、またまた別の申請が居る。
エ)いずれにせよ、明確な営業活動目的、意図、等が無いと、審査には通りません。

とのこと。
つまり、衣類や本屋、がらくたでのフリマ参加は簡単にできそうです。
A)荷物をどうやって会場まで運ぶか
B)そもそも何を売るのか
が、考え無しですが。日本から何か(大量じゃなくても、いろいろな種類を幅広く、ちょっとずつ買って)、日本的な物を売ってみる&要らないものを処分 感覚で参加する事を一度前向きに検討してみようかな、と思います。
でも寒い時期の早朝スタンバイは辛いなあ・・が正直なところです。

Bremenからこんにちは(44)クリスマス近し

2回目の待降節日曜日も過ぎました。クリスマスまでの一ヶ月は、街がうきうきします。同時に厳かな感じもします。やはり日本のクリスマスとは少し違いますが、商業的な匂いはぷんぷんします。
私もクリスマスにかけて、いくつか私的な催しに参加させてもらいました。まあ、今後もいくつか続きますが。ブレーメンのクリスマスマーケットは結構素敵なのですが、今年はまだゆっくり見る機会がありません。残念ながら。そう考えると昨年より遥かにやる事に追われていることになりますねええ。

まず、12月頭に、ゴスペルのステージがありました。ある財団の長?的なお金持ちの個人宅でのクリスマスパーティでのゴスペル披露を頼まれて(謝礼が支払われたよう)歌って来ました。さすがのお屋敷・・に圧倒されました。ま、とりあえず無事終了。
そして、先日。参加している教会シニアクラスでクリスマスプレゼント交換がありました。あまりお金をかけずに・・ということで、何をどうしたらいいのやら分かりませんでしたが、とりあえず、折り紙で箱を折ったりして、いつものクッキーとちょっとした飾り物を同封。交換をした感じでは、包みは立派でも中身は対した事無い・・のが多かったので、私ので十分だったかな、と思います。
もう一つ“家で要らない物を包んだ”プレゼントを持参すべきクリスマス会があるのですが、これは何を包もうか考え中。奇を衒ってもいいものか。

待降節。毎週一つろうそくに火をともしていきます。街にも巨大なクリスマスろうそくがお目見えし、(電飾ですが)、今週は2つ灯されている状態。各家庭でもこういう輪になったろうそくの飾りに灯をともしている訳ですが、我が部屋ではこれくらいの飾りが精一杯。
ちなみに、右端のツリーは今年、サンタクロースは昨年購入。ローテンブルク(Rothenburg ob der Tauber)のケーテ・ウォルファルト(K閣he Wohlfahrt)というお店の木のクリスマス飾りで、とても可愛いので気に入っています。(本当にたくさんのクリスマス飾りが売り出されますが、この商品は暖かくて好き。そして、2度目のクリスマスを迎えた記念&毎年一つずつ買い足したいな〜〜の思いを込めて贅沢しちゃいました)。後は貰ったりなんやかんやのクリスマス飾り。
今年は予算の都合上クリスマスカードも出さないし(すみません。もちろんお年賀も出せません)・・。
そんなこんなで、私もクリスマス前の季節を過ごしています。


この後は、
大聖堂のヘルパーの慰労クリスマス会(無償で働いているので)、キャラバンでのクリスマス会(準備にまで借り出される)、教会シニアのクリスマス会(密かに若い力があると何かと役立つようです。シニアより機敏に動けるので。)クワイアでのちょっとしたクリスマス会@練習日、クリスマス前のゴスペルコンサート(クワイアピアニスト&クワイアリーダー等出演の)、自分自身のクリスマスコンサート@教会・・とまあ、いろいろです。残念ながら、語学学校で催されるクリスマス会には時間の都合上参加できず。あんまり仲良くならなかった(話があわない、KYな人多すぎ)ので、却ってホットしました・・。

Bremenからこんにちは(43)最近はまっている(た)もの

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甘い物大好き。甘い物を一回の食事にすることもよくあります。
家の近所のパン屋さん。チェーンのようでそうでなさそうな個人商店的パン屋。
早朝からもちろん開店し、従業員の都合上か?13時に一旦閉まる。15−16時頃から再度開いて18時半頃には閉まる。なんとも使い勝手の悪いパン屋さん。店員も無愛想。あまりとっつきたくないパン屋さん。
でも、写真の商品。かなり美味しいのです。
一つは、フレンチクルーラーでしょうか。こちらではビクトリアという名前。他のパン屋が、まさにミスドのフレンチクルーラー的な生地&形&大きさをし、明らかに、出来合いの生地を使っただろうと思われる外見を持つのに対し、ここの商品は、生地から手作り感満載。そして一回り大きい。満足感たっぷり。

もう一つが、モーンベルグという商品。ケシの実のお山パン。日本にいるころ、京都にあるパン屋さん「マリーフランス」のあんぱんを父親が時々買って来てくれていました。皮が薄くて、パンというよりアンコを食べている気分に慣れる至福のあんぱん。私がかなりのアンコ好きだからです。それを思い出す一品。というのも、中身にぎっしりケシの実が詰まっています。ずっしり重い。そして大層甘い。
さすがに、3日連続で食べたり、一日2食に食べたりしていたら飽きてきましたが(あんぱんだとこいうことは無いのでしょうが、如何せん甘すぎでした)なかなか、私の“甘いもの好き”度合いを十分に満足させてくれました。

他にもこのパン屋さんには、美味しそうなパン(菓子的な物ばかり紹介したけど)が並んでいます。量産せず、どのパンも数個ずつしか並んでいません。いろいろ試したいのですが、些か値が張る、そして上手く開店時間中に訪れられない、というのが理由で、近くにありながらなかなか機会がありません。(家に一番近いパン屋なので、ここで購入しようと思ってパンを買わず戻って来て、閉まっていたらまた「戻ることになりますよね?それが面倒で・・。)

ま、あとはもう少し店員の愛想を良くしていただきたい〜!と思います。

金曜日, 12月 04, 2009

Bremenからこんにちは(42)英語に悩まされる



分かってはいましたが、英語がすっかり記憶の彼方です。
ドイツの大学等高等学校に通うためには、ドイツ語能力以外に前提条件があります。ドイツ語云々は外国人向けの前提であり、英語能力はドイツ人にも等しく課される前提です。普通に学校に通って来た人は、備えている能力と資格証明のようですが、如何せん別の教育システムの中で育って来た外国人には、その能力を証明するすべも無く、英語のテストまで課されてしまいます。TOFELやTOEICなどの点数証明で代用が効く物でもないようなのです。(そもそも私は持っていませんが)
学業をしたい訳ではないけれど、学生としての滞在許可しか下りないと思うので、学生応募の路は確実に歩んでいないとならないわけです。ということで、どんなものなのか試しに受験しようと思いでかけました。

そうそう求められるレベルはB1。基礎を一通り終えたぐらいのレベル。

ひとまずコンピューターテスト。そして簡単な英語インタビュー。
・・・・。
全く自分で驚くほどの語彙力。すっかし単語を忘れてしまっています。忘れているどころではありません。明日昨日机窓部屋・・・など名詞に加え、動詞も形容詞も。And、butなどの接続詞も。すべてドイツ語しか出て来ません。あああああおおおおおおお。(汗)。(でも、口から単語が出てこないだけで、見れば意味は分かるし、聞けば意味が分かるのです)
まあ、ドイツに来てから常に感じていた事なので、テスト前はちょっと英語慣れしてから行かないとなあ・・きっと思い出すだろうから、今回は下見がてら行ったのですが(年内はいつまで受験できるのかなどを聞くため)、流れで受験する事になってしまったわけです。図書館で対策用の本も借りたりしていましたが、開く気にもなれずそのままにしており、結局何もしないままの受験となってしまいました。

結果。一応B1の証明を貰いました。B1レベルを満たしたというより、潜在的な能力を買ってもらった感じです。実際、中学高校大学を英語を習い、基本的な文法や文の構成や単語を覚えた、その事実を認めてもらった感じ。担当者も、出身国を聞きましたので、情報として“日本では英語教育を行っている”事実を認識しているのかもしれません。

まあ、英語の資格証明には得ましたが、でもでも英語は出来た方がいいからねえ・・・。ちなみに、先日より受験しているドイツ語のテストでもとめられるのはC1のレベル。その差は明らか。
この事実が、英語が出来なくなってしまった度合いの大きさと、習得しなければならないドイツ語のレベルの高さ(といっても、大学の授業レベルにはほど遠く、両者ともに“外国語”としてのレベル)を物語っています。