金曜日, 12月 11, 2009
Bremenからこんにちは(47)幸せをかみしめる
語学学校の宿題がないだけで、やっぱり時間的に余裕ができます。
先日戴いた教会の記念誌。200ページほどの本ですが、なんとか読破しました。素晴らしい。
読みやすい理由としては、読み切りの寄稿で成り立っているということ。素人が書いているので、文章が平易であること。(理解できなくても先に進める。)
が挙げられます。
(でも文章の難解さには、かなりの個人差が見受けられ、中には、ほぼ理解不能は難しい文体の人もいます。)基本的に、“私が”“私が”と自分と教会の関わりを中心に構成している人の寄稿は平易で、教会の歩みを客観的に捉えた文章は分かりにくい、という傾向にあります。
“私が”文章は、基本的に主観的で一方的。感情的。
私もそのような寄稿をした張本人ですが、まあそこは小学生レベルのドイツ語能力しか無い人間だからという事で許していただくとして、(でも、こんな“自分本位な”文章を教会の記念誌に載せるのは、私だけかと思っていましたが、普通に皆さん“自分と教会の出会い”“教会での体験”など自分主体に構成してはります。
とにかく読み終わりました。こんな理由で、非常に読みやすく、共感できる部分が多く、一人一人の歴史、教会の歴史を紐解く感じで面白かったです。そして、自身が確実にこの教会の歴史の一ページとなったことを感じました。
最近新聞もちょくちょく読むようにしていますが、物語等と比べて遥かに理解がしやすい。事実であろうことが書かれているから、発生しうる事が想像しやすいからでしょう。(分からない単語があっても、状況から判断できるけど、ファンタジーでは何が起こるか予測不能ですので)
さて、こちらにきてもう1年以上経ちましたが、ずーっと思っている(た)こと。“幸せすぎる”ということ。そして自分が“幸せ”だと感じる事が出来ること自体が“幸せ”だと。ここに来る前の10年、本当に酷かったし辛かった。この辛さを抱えたままの自分と上手く付き合ってコントロールして生きて行く事もできるし、そうするしか路はないと思ってた。現にそういう精神的な病とともに生きている人は多いだろうし。一生付き合う病気でだろうと思ってた。でも、私はそれから(現実には、“ある程度”の条件付き。気分的には“全解放的”)逃れる事ができた。それってよく考えたら、本当に贅沢。病気とさようなら〜〜出来ただけで、まさに“奇跡”で贅沢なことなんだろうな。
本当に日々生きている事に感謝します。
この幸せ気分はいつまで続くか・・それは一つの不安でもあります。人生山あり谷ありだから。所詮10年苦しんだだけだし。ま、周りと、自分と、上手く付き合う術が分かって来たので、次の“谷”期は違った感覚で迎えられる事を望みます。日々の感謝していれば、“谷”も“谷”と認識しないまま生きられたりするかな?
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