日曜日, 12月 27, 2009

Bremenからこんにちは(57)歳の瀬に思ふ

見聞きするだけで無性に悲しくなる言葉がある。「就職氷河期」。
私はいわば、“ロストゼネレーション”の人間。
(今の時期の事も将来的には何かしら命名されて、酷い時代であったと解雇する事になるのかもしれないが)
大学卒業時、多分、職にありつけるチャンスは比較的少なかった。留学した関係で、5年大学に通ったが、同級生の卒業時も、自分の卒業時も、遡っては4年前の姉の卒業時も、そして2年後の妹の卒業時も。ずーっとずーっと氷河期だった(と思う)。でも、みんなちゃんと職について、賃金を得て、自立して、普通に生きている。
私は????
はっきりいって、就職したくなかった。モラトリアム期が欲しかったのではなく、ドイツに行きたかった。実現できるか出来ないかわからないけど、とりあえず、就職活動をまじめに行わない理由の筆頭に、“ドイツ”があった。思考回路を書くと・・。
卒業後ドイツに行きたい→え??あなたの専攻は中国語だったよね?中国に1年も留学してましたよね??で、何故ドイツ??? 必然的にそうなる。ドイツが私の人生に登場するのは大学入学よりももっと前、高校一年生に遡ってしまう。片鱗はもしかしたら小学5年生からあったかもしれない。だから、大学の事だけを見て、“ドイツ”“??”と言われるのはお門違い。(という私論あり。)→人がなんと言おうと、“ドイツ”。しかし、親の金で大学へ通い、留学し、ほんでもってドイツ渡航費用まで負担してもらえる訳が無いし、そんなつもりは毛頭ない。よって資金がいる。→働かなくてはいけない。では3年は働こう。働いてお金を貯めて、3年後ドイツだ。(自分の中での将来設計)決定!→ならば新卒!就職活動!→世は就職氷河期まっただ中。3年で辞める気満々。辞める事前提。もしかしたら、仕事を通じて興味深い事に出会うかもしれない。でも、ドイツを上回る物は出現してはいけない!!という歪んだ目、意固地な目での就職活動。そんなやる気のなさを見破れない人事はいない。というか、目はいつも“ドイツ”を見ていた。→そんな状態で、競争率の高いこの就職氷河期が乗り切れる訳が無い。→案の定卒業を迎える時にも仕事無し。→ちょっと計画が狂ってきた、と焦る。金を貯める手段すらない・・。バイトなどなどしつつ・・。職歴も手に出来ず、お金もそれほどたまらない。→そんな空虚な毎日は、海外へ目を向ける事で慰められた。ドイツに今行くのは無理。ならば中国語の出来るところへ。→そしてシンガポールの現地会社に就職。私の海外熱は満たされた。しかし、ドイツからまた大きく道を逸れたことには少なからず精神的打撃あり。(のはず)→3年。幸いシンガポールは永住に値するところではなく(私には)、元々定めた3年で日本へ帰国。妹の結婚式出席の使命を終えたらさて、ドイツだ!と意気往々と帰国。→しかし、ここで家族の猛反対に遭う。卒業以来、そのときまで“ドイツ”を具体的に話した事はなかったかもしれない。親に“どうするん?”と聞かれたら、適当に流していた。親もこのタイミングで“ドイツ”が本格的にでてくるとは思わなかったらしい。“今が最後のチャンス。これ以上歳をとると日本で就職不可能になる。取り返しがつかない!!”とのこと。一理あり。→ということで、ぐだぐだしながら、日本で、なかなか決まらぬ職、合わぬ職を転々とし、一応“月給”を貰って、厚生年金を払い、保険証を所持して働く。→ただ、(この→文章の最初ぐらいからの精神的&身体的病はどん底の状態)身も心もボロボロ。→そして、暗闇をさまよう期間が続く→そんな私を病気から救ったのが、ゴスペルだった。→いっぱい勇気と幸せをもらって、30歳と言うギリギリの年齢でドイツへ。→そして、その後は、去年からブログに書いている通り。

はああ、ドイツにたどり着くまで長かった。まったく“就職氷河期”とは関係のない話・・のようだが、とりあえず、以下のように無理にでもこじつけておく。
“就職氷河期”の話題が苦手なのには理由がある。
1.就職できなかった自分を擁護しているだけなのでは?実際、周りは普通に就職できていたし。自分の不甲斐なさが強調されてしまう。
2.新卒就職できていたらどうなってただろう?3年で辞めてた?ドイツ来てた?病気は治ってた?と取り戻せない過去の分岐点の別の道を思い描いてみたくなる。
3.しかし、就職出来なかった事を、親は私の所為にしない。彼らも“氷河期”が現実に存在した事を認めている。
だから余計に申し訳ない。私の責任だ!自己責任だ!と言われれば、反発もできるし、反省もできる。しかし、自己も周りも、“世”に責任を押し付けて納得してしまっている。だから、怒りのぶつけようがない。

時代の波に左右された、ロストゼネレーションの人間。いや、誰しも、自分の力でどうにもならない社会の動きに翻弄されているはず。出征した人、ベビーブーム、安保、バブル、団塊、ゆとり・・。人が時代を造り、そして時代が人を導き、造り上げ、そしてその人間が、社会を回す・・。それが時代になる。そんな渦中にいる大多数の人間。
“就職氷河期”。これが無ければ、私はドイツに居なかったかもしれない。私が10年来夢を見、ようやくの思いで叶えたドイツも、もしかしたら時代の産物にほかならないのかもしれない。

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