日曜日, 7月 24, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(55)

3年以上ぶりの個人旅行だろう。こちらに来てからもうすぐ丸3年。過去何度も家を数日にわたってあける事はあったが、いずれもグループでの行事参加等であり、自分で手配し、支払い・・する旅行は今回が3年ぶり・・。
訪問地はドレスデン近く、チェコとの国境に広がるザクセンのスイスと呼ばれる奇岩山岳地帯。ここには様々なトレッキング、ハイキングコースがあるが、その中でも新しい「画家の道」を歩いてきた。なんでも白亜紀の堆積層が隆起・浸食を繰り返して形成された奇岩地帯。樹海のなかにボコボコと顔を出す奇岩。断崖絶壁を形成する奇岩・・。自然の絶景が満喫できるところ。ドイツ・ロマン主義の画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒらが、歩き、創作した事から設定されたコース。全8日に分けられたコースで全長112キロ。私は日程の関係上1日目をのぞく7コース。100キロ超を歩いた。(実質はもっと歩いているはず)

心配はリュック。全荷物を肩に担いで、アップダウンの激しいコースも狭いコースも、悪天候の中も過ごさねばならない。何が何でもその日のゴール地点までたどり着かねばならない。宿の事もあるし、次の日の事もあるから。ということで荷物は極力少なく・・を心がけた。幸いリュックのチョイスがよかったのか、身体に上手くなじんで、”肩に食い込むリュックに・・”なんて事態はなし。靴も友人が貸してくれたが、ジャストサイズ。水ぶくれ、靴擦れ等に悩まされる事無く日程を終えた。最後の2日間は、比較的平坦コースで雨。つまり、森ではないので雨を遮る物が無くすべてレインコート直撃。びしょびしょ。写真も撮れないし。ま、その2日間の写真枚数が少なかった事で、1400枚程度の写真量に収まった、そうでなかったら・・と思うと恐ろしい。

標識はとっても不案内。何度も迷い、時には引き返し、(でも荷物があるし、一日の終盤は疲れてくるので、引き返すのも簡単ではない)・・しながら、なんとか7日乗り切りった。道中80%以上の山中は孤独。誰にも会わず、追い抜き、追い抜かされ、すれ違い無し。一人で山で迷った時は本当にどうしようかと思った・・・。携帯は繋がらないし、繋がった所で自分の居場所を告げられる自身は無いし。まあ、いずれも今となってはいい思い出。
でも、一人でトレッキングしている人、ほぼ皆無。傍目には無謀に映るのかもしれない。でも自分としてはこれで極めて普通・・。で、ちょっと自信になったかなあ。

この画家の道。登山ではないので、一日のうちに何度も上り、下り、を繰り返し、絶景ポイントをはしごして行く感じです。一つ目の奇岩の頂上に上り、下り、隣の奇岩の上に上り、下り・・の繰り返し。そして一日のゴール地点へのコース取りに”無駄”が多い。(直線、最短距離ではなく。如何に”つまならない景色”を避けるかに重点が置かれている。だから回り道ばっかり。まあ、景色を楽しむ事が目的なので無駄ではないのだが。)

うーん・・でも”もうすぐ(岩の)頂上”って時の”心はやる”感。頂上からの景色を眺めた時に”疲れが吹っ飛ぶ”感。すっごく壮快・・・だった。

写真は・・こっちに40枚アップしてます。
http://www.facebook.com/media/​set/?set=a.150518885025671.376​72.100002026825156

木曜日, 6月 30, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(54)

今日は眼鏡をかけて過ごしてみた。ダテ眼鏡である。学生時代〜集めていて、ずいぶん長い事おさらばしていたが、昨年末の一時帰国の際に持ってくる事ができたのだ。
先週の日曜日、有無を言わさず着用しないとならぬ機会があり、うっとおしさを感じながらつけていた。でも今日。
今日は(結果論として)眼鏡が必要だった。眼鏡をしていないと、”目からすべてを読み取られそう”な感じだった。何か崩れて行きそうなものを守る為に、今日は眼鏡が必要だった。強くあるため、強く演じるため、ちょっと自分でないような自分を演じるため、今日は眼鏡が必要だった。そんな”心の弱い、脆い”日だった。
それを予め本能で察して、無意識に眼鏡を装着したのだろう・・・。よかったよかった。
ま、親譲りの能天気さ?も比較的持ち合わせているので、しばらく続くであろう”弱い”時期は、そのうち眼鏡無しでも十分過ごせるようになるんだろう。人間の適応力ってすごい。

また、まだ、ずっとブレーメン(53)

昔から空を飛ぶのが夢だった。飛行機とかヘリコプターとかそういう”道具”を使うんじゃなくて、身体だけで飛ぶ。百歩譲って、タケコプター的な道具で。低学年の頃、”空飛ぶ鏡”を持つという友達の話を本気で信じていた。それぐらい飛びたかった。かといって、空の世界に憧れがある(あった)訳でもない。なので、そういう仕事を目指した事は特にない。
でも飛行機を見ると思う。”飛びたいなあ”って。この感情は、素直に”非日常感”を味わいたいという思いと、(今は)”望郷”の念の両方。
今日、朝っぱらから空港に2時間滞在。お見送りをしてきた。人が去ってくのにはいつも寂しさがあり、残された虚しさがあり、自分も”飛びたい”(上記2つの意味で)けど飛べない悲しさがあり・・となんとも複雑な思い。

初めて足を踏み入れた展望台で、飛び立って行く飛行機を見送って帰ってきた。天気悪し。
ま、Good Luck!!。

今度飛行機に乗れるのはいつかな〜〜〜〜。

火曜日, 6月 28, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(52)

”出世払い”と人は言います。私は、まあろくに仕事もしたことのない人間(と言われる。反論の余地無し(汗))なので、”出世払い”と称し、まあ、様々支援を受けてきました。そして今も、助けられています。
幸いな事に学生の身分として働く事ができるので、それで金銭を得、物質的には回りに助けられています。こんな生活もほぼ1年になりました。
こんな助けられてばかりの私が、初めて”金銭的”に人を助けました。嫌らしい意味では全くなく、”寄付”的な意味。もちろん今までは、金銭的負担が出来ないので、労力で返していた(それは今も然り)けれど、今回はまさに私の所から”金銭”がでました。
”出世払い”って出世してお金を稼げるようになったら、借りた本人に返すというより、次は助ける側になるってことなんちゃうんかなあ・・と感じた次第。
銀行口座がマイナス、ゼロではないとうだけで、決して裕福な生活はしていません。日本の年金だってある・・。でも、無いなりに、もっと無い人(お金の必要な人)を助ける事ができました。
そうやって”お金”は天下を回っていくんだなあ・・と。
もっとも、普段はこんな”金銭的寄付”はしません。理由:単にお金がない。でも、今回は例外中の例外。
この行動が、私の恵まれた環境(過去(日本に産まれた事〜すべて)も現在も)と今まで、現在、これから・・私を助けてくれる人たちへの恩返しにもなるのではないか、とも思うのです。「ありがとう」の一言に尽きます。

月曜日, 6月 27, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(51)

「私は自分の事よくわかってる」
「あなたは自分の事しか知らない。私は100人のシェフを知っている」
という
(感じの会話)のは、ドラマ:王様のレストランの中で私が好きなシーンの一つ。シェフの静と千石さんのやり取り。

昨日は、ひょんなことから参加する”羽目”になったバンドでのステージがあった。教会所属(というか練習等の部屋がある)のバンドなので、教会の音楽夏祭りに参加しただけだが。しかし、こういうふうに、ステージの機会がちょこちょこあるので得をしてるといえばしてる。さておき。
突如キーボードの音が鳴らなくなる(しかも今日初めて触るキーボード)。という問題。シンセサイザーは効果音にしていて&即座にピアノ音への設定が分からず、ブラス系の音で奏でる羽目になる・・しかも大音量過ぎたり・・ペダルが機能しなかったり、ケーブルと格闘するも虚しかったり・・ということが次々と、ステージ上で曲目が進んでいるのにも関わらず襲いかかる〜〜〜ってなことがあったけれど、見ている人はほぼ顔見知りの教会関係者だったので、顔面蒼白にならずにはすんだ。なんせ、音が鳴るのか鳴らないのか分からないキーボードと音は鳴るが、曲にあわないような音を奏でるシンセを抱えていた物だから、弾き出すタイミングが合う訳も無く、心地よく響いていたとは思いがたい・・。がとりあえず終了。

終わって種あかし。(キーボードの不具合はやらせだった・・・とかではない)。
どうやら、プロデュースをする的な人がリーダーの手により招かれていたらしい。(そういえば、私は聞いていたような。がすっかり忘れていた。なんか見たことない似つかわしくない人がでーんと座っているなあ・・と怪訝に思って見てた)
彼は、いろいろに私たちバンドをポジティブに評価し帰っていった。
だから私の頭の上は大きな大きな”はてなマーク”。私以外のメンバーは、プロを始め、腕を持った人たち。そうでなくても、”魅せる”能力のある人たち。プロデューサーが本物なら、第一に「キーボードを外せ」と言わなくちゃならん。しかも一人女性&黄色(人種)なので、それだけで目につくはずなのだから。しかし、彼は私をもこき下ろす事無く済ませた。
疑わしい。疑わしい。疑わしい。疑わしい。彼は本物なのか????????????

見に来ていた人にも、特にキーボード&シンセの不快音は気にならなかったらしい。本人は不快で不快で不快で・・できれば弾かない方が良いんじゃないか・・と思っていたので。
(余談:まあ、すごいな、と思ったのはキーボードが鳴らなくなって、「待って」とリーダーに小声で訴えても、ステージを続行した事。その時は「なぬっ」って思ったけど、show must go onである。すばらしい。)

要するに、自分が気になっている事も、回りは特に気にならない(可能性がある)という事。キーボードが上手く弾けているとは決して言いがたい、アフリカのリズムもなかなか慣れない、バンドの中の落ちこぼれだが、回りにはそうは見えないらしい。不思議だけどそういうこと。
でもまあ、メンバーは全員分かっているので、ちょっとずつでも上手くならないとね。迷惑かけないように。彼らの音楽を壊す事だけは避けたい・・・。
個人的にはグループの構成にはいろいろ役割があって、技術の人、統率力の人、頭の人、人柄の人、精神の人・・っていろいろだと思う。私は”Seele”の部分を担っている、と思ってる。それでいいと。役割分担役割分担。(それと(教会関係は他のメンバーよりも詳しいし、なんせよく動く、よく気がつく・・で今まで生きてきた人なので)リーダーの腹心的右腕&雑用係)

いずれにせよ、こうやって次の日に思い返せるだけ余裕があるという事なので、今月初めのライブよりずっと楽しめました・・。
で、土日3回の(別々のグループとの)ステージを難なく・・こなして・・ああもう7月だ。もうすぐ夏休み・・。

日曜日, 6月 12, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(50)

血は争えない。・・・・という意味とは似て非なる物だけど(しかもこんな言い方しないけど)
「星は争えない」と思う。
気がつけば回りに、同じような誕生月、星座の人が集う。周波があうんだろうか、類は友を呼ぶ。

姉妹しか持たない私を、妹のように思ってくれている人が少しはいる。彼も多分そうだ。私と同い年の彼女のいるアフリカ人の男性は、私とは多分妙な関係だ。
お互いドイツ語以外を母国語とするし、お互いドイツ語レベルはたかが知れているので、また、二人ともおしゃべりなほうではないので、特に会話はない。おしゃべりも盛り上がらない、というか挨拶以外まともにしゃべらない、しゃべろうとしない。まあ、顔をあわすのは週に一度、多くて二度だが。
しかし、彼は、何かと私を気にかけてくれる。気にかけてもらって、”太鼓持ち”しないといけないような人物ではないので、さらりと流せばそれでしまいなのだが、そうはいかない何かがある。
多分それは、”星間”でしか分かり合えない何かのような気がするのだ。彼の私に対する態度、立ち振る舞い、言葉無しの表情、発せられた少しの言葉等が、私のところに届く。そして私は理解する。何を考えているのか、何となくわかる。とても自然に。理解する為の苦労が無いから、とても楽。多分逆も然りなように思う(と思いたい)。

頻りに礼拝への参加を(アフリカ人中心の教会の礼拝は、私のいつもの教会で行われているが、時間帯も、しきたりも、牧師さんも・・主催団体が異なる)勧めてくる。この礼拝はパワフル過ぎてなかなか着いていけないのだが、彼が「来なさい」と言うのなら、「行こうかな」と思う。もしかしたら、私がちょっと”病み気味”なのを彼は見抜いていて、救おうとしてくれているのかもしれない。

私にとって兄のように思う存在の人たち(とりあえず男性で親ほど年上ではない)には、どうあがいても”適わない””見透かされてる”感のある人ばかり。このアフリカ人男性には、私の中では”Säß”という言葉がぴったりの”兄”なので、(”Säß”はギャルがなんでもかんでも”カワイー”ってうのに似た感じの形容詞)そういうことはないだろうと思っていたけれど、意外や意外・・、意外と見られているのかもしれない。

で、この男性の存在が、私の去就問題を(私自身の中で)ややこしくする一因でもある。

木曜日, 6月 09, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(49)

人って簡単には変われないんでしょうか。
三つ子の魂百までですか????

私はここに来て少しは変われたかな?と思っていたけど、本当は何一つ変わっていないのかもしれません。

なんでこうなるの?????(注:コント55号のノリではありません)

土曜日, 6月 04, 2011

1億3千万の声 from the world

日本では現在95の団体が呼びかけ団体となって脱原発等を訴える「原発さよなら署名」が行われています。誰でも(団体所属でなくても)署名できるようなので、これに賛同する形で、私も署名を集めるべく動き出そうと思います。題して「1億3千万の声 from the world」プロジェクト。
はっきり言って”ついに狂ったか??”的数字を掲げたプロジェクトです。とりあえず意思を固めない事には動き出さないので。企画段階から始める事にします。

まあ、その署名の第一次集約期日には間に合いそうにありませんが、脱原発を求める事に期限等関係ありません。時間をかけて取り組んで行くべき事です。私は特につい先日まで「脱原発」をはっきり口に出せずにいました。そのエネルギーのお陰で日本は回っている。原発に頼れなくなったらやはり何かしら悪影響が生じるのでは?原発関連で働く人々は職を失うかもしれない。経済が停滞するかもしれない。国土も狭く、自然資源もない日本はやはりそういった超人的なエネルギーに頼らざるをえないのでは?と。
でも・・関西の友人が被災地にボランティア行くと聞くと、心配になる。親族が関東に住んでいるので心配。できれば止めてほしいと思う。でも声に出してなかなか言いにくい。だって、現地に、原発の周りに住んでいる、普通の生活を送っている人がいる訳だから。その方々の生活はどうなの?ってなってしまう。でも、普通に考えて、私の友人や親族に対する感情は正直なものだと思う。とすると、その原因となっている物は何か・・つまり「原発」。これが根元の悪。これが無くなれば、もっとすっきり一から再スタートできると思う。
(日本のニュースもあまり把握していないので曖昧だが)今日本は、脱原発というより、なんとかこの局面を乗り越えて・・的な段階で、廃炉にすることはあまり考えていない様子。臭い物に一旦蓋をして、表面だけ取り繕って、(如何にももとの生活に近いであろう)日常生活を取り戻させようとしている。でもそれでは根元の悪は眠ったまま。休火山みたいなものです。
原発を廃炉にするのかどうか、それを決めるのが国のお偉いさんたち、政府。でも・・・彼らが国民のことを国の事を本気で考えているようには見えない。なぜ今のタイミングで”内閣不信任案”ですか????今すべき事は、自分の党が与党になることですか?入閣する事ですか???今回の震災に対して、そんなにも党同士で意見がぶつかりあうことあるんですか?? まあ、諸々利害が絡むとあるのかもしれないですが、そういうのを一旦端に置いておいて、党を越えて協力すべきときじゃあないんですか?????????はっきりいって唖然としました。首長が頼りないなら、お飾りでもいいではないですか、回りでバックアップして、首を縦に振らせて、被災地の方々、国民に有益に事が運ぶようにしてくれないと困ります!!!!!!!!

ということで、日本の政府は当てにならん!!と思いました。寄付金も集めました。でも本当にお金を直接末端の人に渡さない限り、お金って「公」を経てしまう気がします。市町村などの。市町村も国の政策に逆らえない部分が少なからずあるでしょう。すべての日本が、”どうしようもない日本政府”の下にある限り、その悪影響を受ける訳で、地方分権と言えども好きなようにできないかもしれません。つまり、お金だって”怪しい”。どうしようもない日本政府にいいように使われてしまうかもしれない。

だからといって、政府をどうにかしろ〜〜とは思いません(諦め??)。毎度の事ですよね。誰が首相になっても同じです。いったい戦後何人首相が変わるんですか??振り回される庶民は迷惑です!!!まあ、小さな事ならいいけれども。「原発」は大きな事です。この日本のどうしようもない政府(首相が変わったとしても、いずれにせよ”どうしようもない”)に、「脱原発決定」をして欲しい。

決める方にしても大きな決断でしょう。経済が衰退し、電力不足が生じ、失業者が増え・・闇の世界になるかもしれません。でも、「原発」という悪を封印し、不安を抱えたたまま、復興を目指すより、脱原発方向で復興を目指す方が、最初は辛いかもしれないけれど、未来は明るくないですか??雨降って地固まる・・急がば回れみたいな。「原発をちゃんと制御できるようなテクニックがちゃんと開発されるから大丈夫だ」と言う人もいるかもしれない。でもその「悪」有りきの考え止めましょう。そういうテクニックを開発できる力とお金と頭があるなら、原発なしのエコエネルギー導入について考えてください。「生活が不便になる」とか「放射能云々の影響なんて、自分たちの生きている間はでてこないはず。今からならちゃんと寿命全う出来るし」と言う人もいるだろう。でもそれでいいんですか??今の日本の豊かさも、数えきれないほどの人々の犠牲の上に成り立っているはずです。今の時代を生きる人は、(残念だけれど)その不便さの犠牲になるしかないのでは??でもその犠牲は、「脱原発」というよい方向への犠牲です。胸を張っていいのでは??

日本は今、脱原発をする大きなチャンスです。人間は自然とは共存していかざるを得ませんが、超人的な”物”との共存にはやはり無理があるのです。訳の分からない怪物”原発”とおさらばするチャンスです。
世界でも様々「脱原発」の動きがあります。でもその動きは、(恐らく)自国の「脱原発」の訴え(もしくは全体的な)でしょう。なので、私は、現在95の団体が呼びかけ団体となって脱原発等を訴える「原発さよなら署名」に賛同し、世界の人々から、日本の首相である(今は)菅直人内閣総理大臣へ向けて、署名を集めたいと思います。世界中の人に「日本の脱原発」を賛成してもらう。
もし、日本が脱原発できれば、日本がモデル国となるでしょう。模範となるでしょう。国土が小さい資源の無い、災害の多い、山がちな・・島国、日本が脱原発に成功すれば、世界的な契機になるはずです。

私はそれを信じて、長期的に署名を集めて行こうかな、と思います。
ひとまず、意思表明まで・・。(こうやって一回書くことで自分の気持ちを整理しています)
ハードルの高い署名活動(オンライン署名ではないので)。どうやったらスムーズに運ぶか思案中。
ちなみに、1億3千万としたのは・・別に1000人でも1万人でも(すでにそれでもハードル高い)いいんですが、日本人口くらいの署名があつまったらすごいなあと思ったから・・。
まあ、何かお気づきの点あったら教えてください。(タイトルも含めて)

また、まだ、ずっとブレーメン(48)

初ライブ終了・・・。バンドって大変なのね・・・・。ってしみじみ。
事が大きすぎる。各設備が、ケーブルとの格闘・・・。そして不具合の多い事多い事。そして人手のいることいること・・。
結局7時間以上を要した、舞台設営とサウンドチェックも上手くいかず、散々な状態で本番。上手く行く訳が無く、本人たちが一番本人の音が聞こえていない状態。
用意していったメモも、いっさい見えず、”始まりと終わり”の感じの曖昧な事ったらありゃしない(汗)。
アフリカの人たちのアバウトさ、時間感覚、おしゃべり好き・・にさんざん振り回された感あり・・です(大汗)。まあ、働く時はしっかり働く彼らなので、批判はしませんが、結構「時は金なり」的な”せくせく”感で生きている私には、”いらいら”の種にもなります。ただ、自分としても、「何もしない時間」を楽しむ「時間を無駄にすることを楽しむ」のも大切かなあ・・と思うので、まあこれはこれでよかった事にします。

昨日のライブの問題は。自分自身がいっさい楽しめなかったことです。何でだろう・・。アレルギー的鼻炎に前日から悩まされたから????うーむ。
確かに酷い間違いもいっぱいしたけど、これだけが原因では無いような。

もしかしたら、早速「クビ」になるかもしれませんが、まあ、それはそれでいいとします。
といいいながら来週は前説で演奏します。
この話が来たとき私の頭に浮かんだ物は・・・・・・・。


「ガリットチュウ」。(これで何の事か分かる人は、多分同じ物見てます)。

彼らと同じ事やるんですよねえ。でも前説があるのと無いのとでは、客席の暖まり方全然違います。今回私たちのライブにも前説の人がいたのですが、(私たちよりプロ)盛り上がってましたし、いい状態でスタートできたのです。
この「ガリットチュウ」を来週やります〜〜。ああ、また不安要素大。客のキャパで言えば、ライブ会場と比べ物にならないくらい大きいから。

日曜日, 5月 01, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(47)


こういうことになっている(汗) そしてこれから自力で(写真撮影も自力だが)ポスターとかちらしを作る、らしい。 以外とこういう時、少しかじったことが役立つ&出来ないなりにこういう作業は好きだ。

土曜日, 4月 30, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(46)

何の因果だろうか。

私は音楽を聴かない、音楽も作曲家も作詞家も、歌手も、ミュージシャンも、音楽のジャンルも・・音楽に関わる言葉も・・そういった類いの知識が極めて少ない。(と思う)。
音楽は嫌いではない。むしろ好きだろう。曲を聴かない訳でもない。ただ、居間に曲が流れている環境で育たなかったからだろう。音楽が常には無いのが普通だ。だからBGMというのもあり得ない。
音楽は嫌いではない。そう、歌は歌う。合唱団やら音楽の選択授業やらで歌はよく歌ってた。家でも絶叫してた。声を出すのは好きだ。つまり、音楽=歌う事につながるので、現代社会の日常生活では成立しがたい方程式になってしまっている。音楽し”ながら”他の事をすることが出来ない。音楽がある=十分人に迷惑をかけるくらいの声量で歌う。となる。つまり、歌う以外にすることが無いとき、また歌える環境にある時だけ音楽を聴く事になる。よってなかなか音楽が聴けない。よって音楽の事はさっぱり分からない。
でも、音楽を聴かない、というのもそんなに悪い事じゃなくて、よく言えば”無垢”。真っ白だからどんな音楽でも受け入れられる。先入観もあまりない。

ということで、何の因果か、バンドのメンバーになってしまった。しかもキーボード。
おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい。(汗)(大汗)(滝汗)

まあ、私を迎え入れてくれるバンドなどよほど低レベルか、よほど寛容な人たち・・に違いない。実際そうなのだが、別にごり押しで加入した訳ではないので・・。
もちろんちゃんと説明しました。
10年以上ピアノを習っていたが、まともに弾けた試しが無い。発表会が楽しかった記憶も無い。練習は苦痛だった。ピアノの習い事から解放されてからピアノを触る事は皆無だった。かれこれ10年以上ピアノとは無縁の生活・・だったことを。全然弾けない事を、音がとれない事を、言いました。

でもそれでいいって。バンドのリーダーがそれでよい、と言っているので、それでいいんだろう。彼らの音楽は、私も知り合いの繋がりで数度ライブに言ったが、心に心地よく響く。だからもちろん、やっていて楽しさはあるけれど、実力の無さをカバーするだけの”楽しさ”、”気持ち”など、実際はあり得ない。

練習に参加し始めてもう一ヶ月が過ぎた。即席で仕上げた8曲で短い出演もこなした。練習の参加が苦痛ではない(これ実は重要)。家でも頑張って練習しよう、という気になる。だんだん慣れてきた。次は大きなライブが控える。彼らの音楽を壊さないように・・。めちゃくちゃにしないように。これが目標。

ま、ピアノが分からない(らしい)バンドリーダーが率いているので、キーボードのパートはとっても簡単なのです。実際・・・。(じゃないと私が弾けるわけがなかろう)




火曜日, 4月 26, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(45)

出頭要請・・かと思った。(汗)
ポストをのぞいたら、差出人がハンザ都市ブレーメンの市政府から。
よくない事が頭をよぎった。
「何か悪い事したっけ?」「学生の身分使うだけ使って授業に出てないから??」
筋違いなことを考えながらおそるおそる封を開けると、
それは招待状。5月13日に市庁舎でパーティをします。市長があなたを招待しています、とのこと。
あああああびっくりした。
関連団体の25周年を祝う催しらしい。その団体自体は私的な物なのに、招待状が市政府から来る・・という仕組みがいまいち理解できないが、まあ、団体の25周年は喜ばしい事であり、自分が招かれた事も喜ばしい事。
とにもかくにも、何事も無くてよかった・・・。

また、まだ、ずっとブレーメン(44)

イースターが終わりました。今年のイースターは結構方々に借り出されました。
イースター。金曜日に十字架に架かって死んで、墓に葬られたイエスが日曜日の早朝には復活していた・・ということを祝う祝日。受難の金曜日と日曜、月曜が祝日です。
これをもって、カーニバルから数えて40日のほどの断食(甘い物とかお肉とかを控えたり。。)期間は終わります。春の到来する時期でもあり、街は陽気な雰囲気。
私のイースターの予定。元々イースターの日曜日に開かれる礼拝では、年間計画の段階で、教会所属のゴスペルクワイアが音楽を担当する事になっており、参加するつもりでした。午前11時から。ところが・・つい最近(チャリティイベントで)知り合いになった独日協会の代表経由で、ブレーメンの大聖堂の牧師から依頼がありました。イースターの夜礼拝、つまりはまさに復活したであろうその日曜早朝午前5時ごろから行われる礼拝で、聖書の一部を日本語で読めないか、と。もともと聖書の音読はどの礼拝でも行われるのですが、この大聖堂におけるイースター礼拝では、いくつかの言語でやりたい、そしてこの時勢をふまえて、今年は日本語を・・ということだったらしい。まあ、礼拝の流れも分かっているし、日本語聖書も持ってるし、賛美歌だってメジャーどころはだいたい歌えるし・・(いつもの教会で、普段礼拝に参加しているのだから、始めて礼拝に参加してあたふた・・ってことは無いはず)で、まあ、比較的”礼拝事情”に精通した”非キリスト教徒”だと自負している。だが、疑問。
まず、独日協会のお偉いさんは、他に日本人を知らなかったのか??????という疑問。私は協会のメンバーでもないが、協会自体はいちおう組織として成り立っているのだから、日本人の名が連なっていてもいいのでは?そして彼は代表だ・・。日本人ネットワークがあってもいいのでは?ということ。次に。大聖堂の牧師さん。かれが協会の代表にお伺いを立てたようだが、大聖堂といえば、ブレーメンの中心、最大と言える教会である。教会に出入りする人間もしくは教会の横の繋がりで、日本人の名は他にあがらなかったのか、という疑問。
まあ、よい。少し朝早いけど、真っ暗なとこからスタートして、ろうそくをともしていく礼拝は幻想的に違いない。ということで、日曜日は朝早くから借り出される事になった。
・・と思っていたら、土曜日の夜に、そのイースターの夜礼拝を執り行う教会があり、クワイアの任数が足りていないのでヘルプを求む、との情報が入った。この教会は、私のクワイアのピアニストが個人的に所属する教会。お世話になっていることもあり、友人と二人で参加する事にした。前日、金曜日のリハーサルを含め2日にわたって。
ということで、土曜日の夜、日曜早朝、日曜午前・・と3回もの礼拝に参加し、いっぱいいっぱい・・。

聞いた所によると、ラジオの街頭インタビューで、20代くらいの10人に、イースターの前の金曜日が何の日なのか、またイースター自体の意味を質問して回った所、そのうち正確に答えられたのは2人。「キリストに関わる事???」的な「?」を掲げる人が多かったらしい。うーむ。こう考えると、かなり教会暦に従って生活している私は、よっぽどキリスト教徒っぽいのかも。
でも、日本でも仏教的な暦、節句とか彼岸とかに従って生きているけど(それが日常生活であり、特段「仏教徒だから」的な理由を持つ人は少ないのでは?)、私の場合、それと同じような感じで、こちらの教会暦に従ってます。

土曜日, 4月 23, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(43)

堅信を受ける33人の14歳の研修旅行に同行した。
いわば、自分の洗礼や信仰を確認する儀式が堅信で、それが5月の末に行われる。礼拝のとともに。大人になっていく証みたいな位置づけもあるのかなあ。
日本の13参りみたいなものか???
この堅信者(Konfirmanden。以下コンフィと書きます)はこの研修旅行で、信徒信条などを学び習得して行きます。一語一語細かく考えて行く事で、私も信徒信条はほぼ諳んじれるようになりました。
研修の内容はさておき、というか研修旅行・・など名ばかりで、ほぼ自由。やんちゃというか我が儘というかやりたい放題、集中力も無く、団体行動の基本もなっていない14歳には唖然呆然。それを率いる牧師さんの権威の無さ。私は立場的には牧師先生のやり方に従う必要があり、尤も、私が頑張る必要はどこにもないので、コンフィのやりたい放題は静観。王様のような振る舞いに、国民性なのか、時代なのか・・と考えた。日本の中学生はもっとちゃんとしているのでは???もしくは、中に一人くらい真面目で、騒ぐ輩を戒める奴がいてもいいのでは???と疑問ばかり。
まあでも当然のように33人いろいろで。狡猾というかとにかく切れる子、すごく大人びた子、幼い子、静かな子、何にも興味がない子、一人が好きな子・・。好き放題、大人顔負けの言動をするかと思えば、ホームシックにもなる。ケーキとパンを焼く機会があって、立ち会ったが、作り方が分かる!!と意気込んでいてもやぱりむちゃくちゃ。パンにいたっては知らない。でも私が指示ずるケーキやパンの焼成過程には目を輝かせて着いてくる。出来上がりにも驚いてた。中身はやっぱり14歳。私も・・決して無駄には歳をとっていないようだ、と感じた。

驚く事もしばしば。自分の意見をしっかりいう。これは教育方法の違いや国民性の違いもあるのだろう。議論とかはやっぱり好きみたい。コンフィが堅信を受ける礼拝で集まった寄付をどこに寄付するか、もコンフィ次第。寄付の行き先???私なんて、赤十字か足なが募金くらいしか思いつかない。なのに、このコンフィたち。小さなものから地元密着の団体まで様々な選択肢を挙げてきた。これには驚いた。そして(私がいた所為ではないけど)日本まで。こんな末端にまで日本の惨状は伝わり、助けようという気持ちがあることに、日本人としてありがたい・・と思った。

さて、4泊5日の日程でコンフィとの旅行は終了。すっごく仲良くなったとは言いがたいけど、これでまた33人の知り合いが増えた。彼らの堅信の式には是非参加したい。どんな顔をして前に発つのか。どんなにお洒落してくるのか。楽しみでならない。きっと教え子を見守る教師ってこんな感じなんだろうね・・。

いつもの事ですが、クリスチャンでもない私を用いてくださる事に感謝します。

また、まだ、ずっとブレーメン(42)

私はキリスト教信者ではない。洗礼も堅信も受けていないという意味で。ただゴスペルは歌うし、教会に出入りするし、礼拝にも参加すれば、聖餐にも参加する。
もちろん信徒信条も唱えるし、主の祈りの言葉をもって祈る。wikiから借用すると、
信徒信条
我(われ)は天地(てんち)の造成者(つくりぬし)、全能(ぜんのう)の父(ちゝ)なる神(かみ)を信(しん)ず。
我(われ)はその獨子(ひとりご)、我等(われら)の主(しゆ)耶蘇(イエス)基督(キリスト)を信(しん)ず。即(すなは)ち聖靈(せいれい)によりて胎(みごも)られ、處女(をとめ)マリヤより生(うま)れ、ポンテオ、ピラトのもとに苦(くるしみ)を受(う)け、十字架(じふじか)につけられ、死(し)して葬(はうむ)られ、(陰府(よみ)に下(くだ)り)第三日(だいさんじつ)に死者(ししや)のうちより復活(よみかへ)り、天(てん)に昇(のぼ)りて、全能(ぜんのう)の父(ちゝ)なる神(かみ)の右(みぎ)に座(ざ)し給(たま)へり、彼所(かしこ)より來(き)たりて生(い)ける者(もの)と死(し)ねる者(もの)とを審判(さばき)たまはん。
我(われ)は聖靈(せいれい)を信(しん)す、聖(せい)なる公同教會(こうどうけうくわい)すなはち聖徒(せいと)の交通(こうつう)、罪(つみ)の赦(ゆるし)、身躰(しんたい)の復活(ふくくわつ)、永遠(かぎりなき)の生命(いのち)を信(しん)ず。アーメン

主の祈り
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン

・・・こう書いていて、自分で非常に違和感を感じる。
私がしているのはこんな事じゃない。
nicht getauft, konfirmiert だけど、Gottesdienst Abendmahlにはいるし、GlaubensbekenntnisもVaterunserもとなえる。

Ich glaube an Gott, den Vater, den Allmächtigen, den Schöpfer, des Himmels und der Erde…

Vater unsere im Himmel geheiligt werde dein Name, dein Reich komme, dein Wille geschehe wie im Himmel so auf Erden…

これだ。
私はクリスチャンではないので、日本で礼拝に自主参加する事はほぼゼロに等しかった(子供の頃で入りしていたようだが)。だから、教会で普通に使われる言葉は、私にとってはドイツ語がすべて。他の表現だと違和感を感じる。
子供が言葉を習得したりするのと同じだろう。私にとってはドイツ語表現が普通だ。
そんな私が、堅信を受ける33人の14歳の研修旅行に同行した。

木曜日, 4月 14, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(41)

こんなに嬉しい事は無い。妹に第二子、女児が産まれた。この喜びは、ここドイツに現地人とでもwかち合える。でも、冒頭に書いた嬉しさは、日本語を解する人としか難しい。
名付け・・の候補に、私と同じ”読み”が入る名が挙がっている、という。同じ部首を持つ別の漢字を使った・・・。妹家族に近しい親族内で、その”読み”の所有者は私である認識があったのだろう、妹は”どう?”と聞いてきた。「そんなことは聞かんでよろしい」と答えたものの、実際”涙涙”だった。嬉しくて。妹からの打診があったことが嬉しかったのではない。(私がその名前の所有者であることの認識を妹が持っていたことが嬉しかったのではない)。自分の子供の名前の候補として、私と同じ”読み”の入った名前が、しかも同じ部首を使った漢字の名前が挙がっている事が、何よりも嬉しかった。飛び上がるほど嬉しかった。
三姉妹の中で、この部首、糸偏、の漢字を使う名前を持つのは私だけ。その一つの部分を、自分の妹の子が持つ・・。感激だ。実際、姉の娘の名前も糸偏がある。この時も、めちゃくちゃ嬉しかった。遠くは慣れた姉妹の中に、ちゃんと自分が生きている気がした。そして私の両親も、そばに”糸偏”がいるのは嬉しいんじゃないかな、って思う。
尤も、候補なので、どうなるか分かりませんが、名前って親からの最初のプレゼント、一生大事にできるプレゼント。何をもらっても嬉しいはず。
もし、この候補の名前に決まれば、妹が私を呼んでいたように(妹には姉が二人いた計算になるので、私は”お姉ちゃん”と呼ばれたことは無く、いつも**ちゃんでした)、娘を呼ぶ事になるんだね。これもなんか嬉しいなあ。

火曜日, 4月 12, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(40)

チャリティイベントのことを書いておこう。
私の思いは、(会場となり全面協力をあおいだ)教会から方々へ送られた。牧師さんに手直しをしてもらったが、はっきり言ってほぼ訂正が無かった。(これはこれで素直に嬉しい)
全文を挙げておく。

Pray for Japan

Benefiz-Veranstaltung im Gemeindehaus Zion am 9. April 2011 ab 16.00 Uhr

„Mein Name ist KOBIRU. Ich komme aus Japan. Eigentlich habe ich kein Heimweh nach meinem Land. Hier in Bremen lebe ich sehr menschlich in der Gemeinschaft der Deutschen. Deswegen konnte ich mir vorher nicht vorstellen, dass ich so „traurige“ Gefühle bekomme. Das waren die Katastrophen in Japan, die am 11.März geschahen und immer noch die Betroffenen quälen.

Ich war und bin sehr traurig. Es tut mir sehr leid, dass diese Ecke Japans einfach wie Spielzeug kaputt gegangen ist. Sicher glaubte ich jedoch sofort, oder musste (wollte) ich tief glauben, dass Japan den Katastrophen und Schaden entgegentreten kann, wir dafür genug Kräfte haben.

Seit alten Zeiten haben wir Japaner immer ähnliche Katastrophen. Zu jeder Zeit besiegten wir sie, weil wir einfach mochten, dass wir in der Heimat lebten. Wir hatten keine Möglichkeit, dass wir wegen Katastrophen unsere Heimat verlassen. Für uns, Japaner, ist Japan nicht nur „physisch“ sondern auch „psychisch“ Heimat, so meine ich.

In dieser Heimat passierte jetzt das Schlimmste. „Was kann ich jetzt machen?“ fragte ich mich. Dann ist mir eingefallen, dass ich eine Benefiz-Veranstaltung organisieren möchte, um Spenden für die Katastrophenopfer in Japan zu sammeln.

Dank vieler Freunde und Bekannter um mich, Dank sehr netter Freundschaft und Bekanntschaft von mir, konnte ich so ein buntes Programm gestalten.
Viele sagten sofort „Ja, ich bin dabei!!“, „Ja, Ich will helfen!!“
Das Programm existiert mit Mitgefühl und Kraft von vielen Menschen.

Am 9.April kommen hoffentlich noch viele „herzliche“ Stimmungen dazu, dadurch dass die Zuschauer sie mitbringen. Dann wird das Gemeindehaus Zion von Hoffnung beseelt sein.

Ich bedanke mich herzlich bei allen Menschen, die diese Veranstaltung mitdenken und mitmachen und mir helfen. Ich lade Sie und euch herzlich zu der Veranstaltung ein. Sie beginnt am Samstag, dem 9. April um 16 Uhr im Gemeindehaus Zion, Kornstraße 31 in der Bremer Neustadt.
Vielen Dank.“

KOBIRU

Mitarbeiterin im Gemeindehaus Zion


とまあ、こんな具合。書いた事は地震の日からぽつぽつこのブログに書いていた事をまとめた感じ。

このチャリティイベントをやろうと思ったのは・・私には何が出来るかな、と考えたとき、私自身たくさんの団体に所属するので、その私が関わる人間を一同に介せれば、一つの形になる、という自信があったこと。「私」を接点に、皆が集まれば、その皆は押し並べてグループで、出し物がでいる人たちなので、それぞれが発表すればそれだけでイベントになる、と。
たくさんのグループに出演してもらいましたが、その交渉はいたって簡単だった。こんな時だからなおさら。その後も、ちらほら、立候補してくるグループもいて、「なるほど」と思った次第。自分たちのグループだけでコンサートをしようと思うと、労力も費用もかかる。でもこういう機会で発表できれば、自分たちを売り込むチャンスにもなる。密かにどのグループもこういう機会求めてるんだな、というのが正直な感想。
とりあえず集まってもらったのはずべて現地の人たち。でも、現地の日本人コミュニティと協力してやることに意義があるのでは?との意見から、ブレーメン独日協会とコンタクトをとり、ブレーメンに住む日本人にも(直接ではないけれど)声をかけました。結果、独日協会の代表さんは来てくださったものの、他は無反応でした。まあ、この結果は、身から出た錆というか(別に態度が悪い訳でも、失礼な事をした訳でもありません。そういうことをするほど距離が近くないので、私が悪いのかどうかは不明)、日頃から日本人社会と繋がりが薄いので仕方ないのかもしれませんが、残念なことは残念。
イベント自体はもともとの私の行動範囲にいる人間が支えてくれましたので、大きな問題はなし。でも不思議な感覚でした。日本人が日本のために立ち上がった、声を上げた事に対し、周りの皆が”私の思い”に対して立ち上がってくれた事。実際、ブレーメン以外の都市、オールデンブルグやオスナブリュックからの人手もありました・・。”ああ今日も生かされている、ありがたいことだ”じゃないけど、本当にそんな感じ。ありがとう、以外の言葉が無い。
私は本当にここで、素敵な仲間に囲まれている、と思う。
同郷人との繋がりは薄いけど、まあ、ここは日本じゃないしね。
・・って考えた。一年以上の海外滞在は3度目。中国、シンガポール、そしてドイツ。学んでいないようで実はちゃんと学んだのかな。海外での身の置き方。日本人社会にどっぷりつかっていても広がっていかない、ってことを。日本の中でもそうであるはず。関西から関東に引っ越しても、関西弁を捨てず、同郷人としか関わらなかったら???それはおかしい、住む所は関東なのだから。(言葉はさておき)それと同じだ。留学生仲間(日本人以外も含む)としか仲良く無かった中国時代。日本、日本語に関わる人々のこじんまりとした社会で過ごしていたシンガポール時代。今現地に行った時、現地人で迎えてくれる人が何人いるか・・・。限りなくゼロに近い。でもここ、ブレーメンではどう??間違いなく150人以上の現地人が私を取り巻いて蠢いている(私を中心に考えた場合)。それだけの人と関わっていること、自信に思っていいと思う。(普段は自己卑下の強い私だけど、この点に関しては胸を張ることにする)。
でも驕らず、年長者の言う事をよく聞き、正しい事を見極めながら、進んでいこうと思う。
日本の家族へ。大変な時に不在でごめんなさい。こちらのことは心配しないで。私はこれだけの人間と持ちつ持たれつ生きています。

月曜日, 4月 11, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(39)

母方の祖母が亡くなった。”また”日本にいない。母方の祖父が亡くなったときも、父方の祖父が亡くなった時も日本にいなかった。”また”だ。
姪が産まれたときも、甥が産まれたときも、日本にいなかった。次も”また”日本にいない。
こうやって私はどうやら家族内の世代交代を体感しない者として、その流れから取り残されつつある。
大変な時に、手伝えない親不孝を許してください。

お祖母ちゃん、安らかに。
お母さん、この日が来る前に還暦祝いができてよかったね。
でも、これで、家系が途絶える事になるんだね。まあ、母親が嫁いだ時点で予想のついた事だけど。なんだか寂しい気持ちになるのはやっぱり日本人だからかな。

とにかく、お祖母ちゃん。一緒に過ごした楽しい時間をありがとう。

日曜日, 4月 10, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(38)

みなさんどうもありがとう。私が言い出したこのチャリティイベント。いっぱいいっぱいの協力のおかげで、とりあえず無事に終わりました。
募金がどれだけ集められたか、とそういうことはさておき、一人の日本人が言い出した事に、周りが喜んで手を貸してくれた事が素直に何よりも嬉しい。
自分の周りにある人間関係を誇りに思っていいと思う。
一緒に考え、働き・・してくれたのは皆ドイツ人を始め日本人以外の方々。日本人として、日本人以外の人々からこれだけの助けを受けたこと、ここに2年半しかいない私に、これだけの人がついてきてくれたことに、感謝します。
本当に有り難うございました。至らぬ点もありましたが、次の機会があれば・・・もうちょっと上手にやります。
まあ、手伝ってくれた人、臨席してた人はこの”日本語”のブログは読めないんだけどね・・・。
さ、明日、明後日からは”御礼行脚”になるのかな、まずは。
また改めて今日の事は書きたいな、と思います。
とりあえず深夜1時半になるので寝よう・・・っと。

火曜日, 3月 29, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(37)


特例発動中。
遅ればせながらやっとポスターとちらしを撒き始めた。 参加してくれる人のためにも、日本のためにもいっぱいの人が来てくれたらいいなあ・・ということで、友人関係の店舗以外にも飛び込みでポスターが貼れないか、チラシを置かせてもらえないか尋ねて回る。自転車でこきこき。あっちやこっちや。
何度か基地に戻って、ちらしを調達しまた出かける、の繰り返し。
ほぼ一日で、5000枚刷ったちらしのほぼ半分が消えた(人の手に渡った・・彼らが次の人へ配る訳なので、末端まで届いた訳ではない)。250枚のポスター(上層部には100枚もいらない、といわれたところを大幅に背いたつもりだったが)も基地にはもう20枚ない。これは由々しき事態だ。どうするか・・・。増刷には時間がかかるし金もかかるし。 ま、それは考えるとして。
尋ねる先どこででも、
「もちろん」と即答。「今回は特別」「こんなときだから協力するよ」と言ってもらえる。ありがたい。
そしてポスターのドイツ人受けが頗るよろしい。

喜ばしきかな。

写真を後承諾でクレジットもなしに使わせてくれた写真家の方に御礼。
そして、(何も複雑な技術は使っていないので恐縮だし、まあ、写真が命のポスターなのは当然の事実だが)構成した自分自身にパチパチ。

明日も頑張ろう。さて、どこを回ろうかな。

で、くどいけどポスターをもう一回。

水曜日, 3月 23, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(36)

日頃の行いの”つけ”が回ってきたか・・という出来事がちらほら。
まあ、仕方ないのかなあ・・・。
何事も上手くはいかない。
ここを”八方美人”的に何とかしよう!というのが天秤座のいい所で悪い所かもしれない。そして姉妹の間に挟まれて育った中間子の。
四方八方うまくつきあって生きていくことが出来る人なんて限られているのだろう。大多数の人は、そういうこと考えることすらないのかもしれない。
だから私もあんまり考えないほうがいいのかも。
とりあえず、「私が○○だったのかもしれない」と反省しつつ、自分を責めすぎないようにしよう。もちろん人に責任転嫁するのはもってのほか。誰も悪くはないし、責められるべき人はいない。
器用に生きられなくてごめんなさい。

でも幸せだなあ・・と思う瞬間のほうがずっと多い。
今はこういう時期なのだ。
感謝すれども嘆く事はない、と思おう。

日曜日, 3月 20, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(35)


ちょっと遅いけど。
日本の為に、小さなものから大きなものまで、”心”が動いてる。物資も動いている。お金も動いている。
私は何ができるか、考えた。

答えはこれ。
私がここでお世話になっている人、関わっている人、私の周りに集う人、私が周りに出没している人、とにかく自分に関わりのある人、場所を使って”事”を起こそう。


前途多難っぽいけど、だいたい大枠は決まった。
大分遅いけど、開催も遅いけど。


でも足りないのが人の手。もし開催を手伝ってくれる、もしくはまだ詰められていない部分を一緒に考えてくれる人がいらっしゃいましたらどうぞご連絡ください。

japan.benefiz@googlemail.com


注:ポスターの細かい部分。。変更になる場合あり、です。
小さくて見えないかな?

土曜日, 3月 19, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(34)

前をのみ見つめながら歩く。
無性に「坂の上の雲」(ドラマ)の主題歌とナレーションが聞きたくなって検索した。
なんだか元気が欲しくて。
進んでいきたくて。
自然に涙がでる。
少し前はこうだったんだよ、日本は。

何があっても土地を離れず一所懸命。土着の農耕民をルーツにもつ(が多い?)日本人。私たちは日本を捨てない、という気になる。

前を見て歩いていこう。

土曜日, 3月 12, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(33)

日本が大変な事になっている。こちらでも方々から「家族が大丈夫か」の電話やメール、言葉をもらった。本当に有り難い。
私の家族や親戚は(ほぼ)何事も無かったとはいえ、国自体は大変なことになっている。
生まれ育ったところから遠く離れなじみの無い地域を襲った地震とは言え、自分の母国の参上には言葉もでない。
でも信じたい。日本はもう一度立ち上がる、と。私だったら、こんなに壊滅的な打撃を受けたらそのまま力尽きてしまうだろう。立ち向かう気力も失ってしまうに違いない。でも、日本は、日本国民はこの困難に皆で立ち向かえると、その資質と気力体力を備えていると信じたい。今までもそうやって生きてきた。そうやって発展してきた。絶対、絶対、日本は大丈夫だ、と信じたい。

(「頑張れ」という言葉は、「気を張る(少し無理をしてでも)」ことを強いるようで好きでは無いが、今回は)、「頑張れ、頑張ろう」と言いたい。

そして私は何が出来るか、考えよう。

火曜日, 3月 08, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(32)

とっても今更だが新しいパソコンになって、(ほめられて事ではないと知りつつ)動画が見れるようになった。ということで、あんまり興味がなかった”キングオブコント”の2009と2010を視聴した。
関西人??だからかお笑い好き。漫才大好き。なので、あんまり”コント”は”ピン”とこなくて、”コント師”とかいう言葉を聞くと、何か違和感を感じる・・という理由で、この番組には全く興味がなく、ただ、優勝者が誰であったかをニュースで知るくらいで、大会の執り行われ方とか、決勝進出者とか全く知らなかった。決して多くはないM1について知っている事に比べても、キングオブ・・への知識は限りなくゼロに近かった。
まあ、暇つぶしをかねての視聴・・。

結果・・せいぜい笑わせてもらいました・・・。ただ、”?”はてなマークをつけたくなるような評価がたくさんあった。同じように戦った芸人が、決勝進出者を採点するのだから、目は確かというか、優勝した者も敗れた者も納得の順位にはなるのだろう、と思う。ただ、視聴者はこれで納得なの?という点数がちらほらあった。
”笑いのツボ”とか”好き嫌い”で片付けてしまえばそれまでだけれど、そうとも思えない。例えば、「関西の笑いと関東の笑いは違う」とかで、関西人は東京の芸人を毛嫌いする・・というのは事実。ただこの風潮はもう過去の事になりつつあるような気がする。(私の中では、爆笑問題が東京で売れ始めた頃は、彼らは確かにすごかったので、面白い!と思っていたけれど、他の東京の笑いは。。と嫌悪していた。でもこれももう過去の話だ。)
なので、私がキングオブ・・を見て面白かった順と、芸人のつけた順位のさが、この地域差にあるとはもはや言えないと思う。そこで・・・思うのは、プロと芸人の差、と言う事。
多分、プロには、素人が思いもつかない視点(今までこんな目線でコントを見た事なかった!!!というような)があって、そこも評価の対象になっているんだろう。素人では減点対象、加算対象にならない事も、プロは見ている。コントの構成や流れやオチや・・素人は表面だけ(完成に近づいた形、演じられるコントそのもの)を見ているが、プロはその奥にある苦労や工夫や・・を見ているんだろう。そして、その観点は、プロでないと分からない所で、でも決して素人に明らかにすべき所ではない。もしかしたら、暗転のタイミングが絶妙とか、小道具のリアリティとか、衣装のセンスとか、選曲と挿入のタイミングとか、笑いとは直接関わらないようなところまで評価対象になっているんだろう。そう思わされた。だって、そうでも思わないと「東京03」や「キングオブコメディ」があんなに高得点を出した理由が分からないから・・・。個人的には比較的笑えない部類に入ったので。

両年通じて印象に残ったのは、
ピースのハンサム男爵のコント。(彼らのコントをたくさん見た事はまだないけれど)ピースのコントはなんだか温かい気持ちにさせてくれるので、いいですね。すっきり!快感!的なコントではなく、ほんわか〜〜〜〜って。
サンドの床屋のコント。やっぱり抜群の上手さ!!!と思った。M1のピザのネタもアンケートのネタも、コントでやったらもっと面白いんだろうねえ〜〜〜。
あとしずるもロッチも見直しました。へえすごいやん、って。
ジャルジャルは・・野球のネタは好き。しりとりのネタもいいね(なのに評価いまいち)。他、4分持たせるにはなんだか厳しい・・というネタも。
まあ、こんな感じです。

ということで、私の中では、「アメトーーク」町工場芸人で初見した(綾部さんだけだけど)ピースの地位が確立。ロッチの株も上がりました。コカドさんって実はNSC14期生らしい。フットの後藤さんと同期・・。へえ・・・芸歴長いやん。・・で、チュートとかブラマヨが13期やから・・と考えて。”え????” フットがM1の2003を制したって、ほんならすごいことやってんな〜〜〜〜。とごちゃごちゃ考えた。はい。というのも、M12010放送前の、「視聴者が選ぶM1決勝の好きなネタベスト100」(という感じの題名の番組を併せて)見ていて、いろいろ思うことがあったからです。1位はやっぱり”チリンチリン”。2位が・・忘れた。ブラマヨの”格闘技習う”ネタやったかな??3位”鳥人”。1、2位は納得。「堺まで行かないと終わらない押し出し」が今でもツボです。”鳥人”はどっちでもいいです。笑い飯は(チュートの福ちゃんも言ってたけど)”奈良民俗?博物館”が好きです。

どうでもいいことなので、そろそろ辞めます、が。最近上記のコンビのネタあんまり見ません。それが残念。なので、M1優勝しても、次の大会に臨んだノンスタイルとかパンクってすごいな〜〜と感心。

締め。
吉本でも人力舎でもホリプロでもワタナベ・でもどこでも、この際どこでもいいので、ブレーメン興行でもしてくれないかなあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。(願)(祈)

土曜日, 3月 05, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(31)

この時期日本で話題になるのが受験の事で、それと同時に思い出すのが自分自身の受験の事。あの結果が違えばきっと今も違っただろうと。別に現状に不満がある訳ではないが。
今年の受験シーズンは携帯電話による不正で盛り上がっている。「机の下左手で操作」と見出しが並ぶ。はてはて。この見出しの感じだと「普段は右利きの者が、右手は机の上に出して自然を装いつつ、(器用にも)左手で投稿した。(左手で携帯を扱う練習もしたのではないか)」と読める。しかし・・・私はそうでもない気がする。
当の私は、平凡な平凡な右利き人間。鉛筆も箸も右。何をやらせても右手、右足が左以上に動いて左をカバーする人間。しかし、携帯電話使用については、なぜだか不明だが左手でしか使えない。右手では持つ事さえおぼつかない。右手で持つときは左手を添えないと不安定。ボタン操作等もってのほかで、すぐに落としてしまう。握るときの力の入れ具合、手の開き、閉じ具合が右手が分かっていないらしい。だから、通話も、メールも左。左で入力するから必然的に左耳で通話する。(でも家の固定電話は、右手でプッシュして左耳にあてる。みんなはどうですか??)
こういう人間多分・・多いと思うんだけど。
まあ、左手で携帯が使える(右手では絶対に使えない)利点。利き手が自由に他の事に使える(何かを食べながら操作するのに便利)ことかな。
どうでもいいことでごめんなさい。

月曜日, 2月 28, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(30)


忙しかった2月が終わる。2月は月末のカーニバルに向けて、嫌でも回ってくるバイトや教会の仕事以外のすべての時間をカーニバルの準備、主にコスチューム作りに当てた。 まあ、半分はお気楽なヘルパー、半分はカーニバル美術監督の駒であり腹心、それとカーニバル主催団体に片足突っ込んだ形での参加である。 まあ、役に立っているのか、いないのか・・は考えないでおく。

こちらに来て2年半。3回目のカーニバル。今回は前2回よりももう少し突っ込んだ形で関わる事が出来た。特にオープニングセレモニー中。一度目は地上でパレード参加者に温かい飲み物を配っていた。昨年はクレーンで上空(荷台の中)におり、セレモニーを鑑賞すると共に、セレモニー中の役割を演じた。そして今年。中心フィギュアの”ウサギ”をまとって、(地上フィギュアではあるが)セレモニーに登場できた。楽しかった〜〜〜〜、としかいいようがない。


そしてすべて去って・・今日。なんだか寂しい。

月曜日, 2月 21, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(29)

ちょっと音信不通の友人から連絡があった。とりあえず生存確認できた感じで素直に嬉しかった。携帯にメールしても返事が無いし、スカイプにも現れないし、もしかして何かあったのでは・・と最悪の事態まで想像していた。携帯ももう解約されたと。ご両親との面識は無いし、家の電話に連絡してみるのも憚られたから。
よかったよかった。
私には多分、幼なじみ・・とかではないレベルから知り合って、今も”思いついたように”連絡を取る、女性ではない人たち(日本人)がいる。(私が)娘相当の年齢差の人から、妹相当、ほぼ同世代まで。(そういえば年下はいないかも)
一番困るのは、最後の同世代。どんどん結婚して家庭を持ち始める。子供ができる・・。もちろんお相手の方とは面識が無い。そういう場合、どれだけ連絡していいのか正直迷う。
見聞きするに、妻は夫の女性の知り合いの存在にも心穏やかではない・・とか携帯メールはチェックする・・とかあるし。女性とメールのやり取りをすることなんてもってのほか〜!!という人もいるだろう。全員が全員そうだとは思わないけど、夫の女性の友人を快く思わない妻が居る事は確かで、その事実をふまえた上で、私はどの程度 ”軽く” ”いままでどおり”メールしたらいいのか、とっても迷う。奥さんに不快感を与えないように、格式張った文で、業務連絡宜しく書いたほうがいいのか??だって読まれる可能性もある訳で。
「私は多分、”女性の友達”というより”同性の同士”だと思う」と主張したところで信じてもらえないだろうし。私にも100%の自信はない。

ま、あれこれ考えていても仕方ないので、とりあえず今まで通り振る舞わせてもらいますが、各ご家庭にご迷惑をかけるのは本意ではないので、何かあればすぐに言ってください。改めます・・(非常に残念なこと、と言わざるを得ないけれど)

・・・ちなみに、我が父親宛に、私と同世代とおぼしき女性からメールや年賀状が届くと、実際に心の奥がざわつく。きっと部下なんだろうけど。その”不穏”の原因に私がなっている可能性があるわけなので、”(私が)娘相当の年齢差の人” に対してもいろいろ気にしないといけない訳????

ああああああ面倒・・。ここが日本人の長所で短所な気がする。

土曜日, 2月 19, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(28)


結局ベルリンには行けなかった。 2月は月末までカーニバル関係でバタバタしているのだ。 今日はブレーメンの北にあるフェゲサックという町でのカーニバル。ブレーメンのカーニバルに便乗する形で開始されたもので、今年で2回目。 ブレーメンからのサンバグループやコスチュームに身を包んだ団体のパレードが街を練り歩く。 ブレーメン側としては、ブレーメンのカーニバルの一環としても捉えていて、前哨戦みたいなもの。まあ、今年お目見えするコスチュームは、ブレーメンのカーニバルがが初披露の場となり、フェゲサックのカーニバルでは過去のものを使用する事になっている。 規模的にも比べ物にならない大きさ。 ということで、パレードに参加して来た。 自分としても本番は来週の土曜日だ。 明日は、お世話になっている(た?)役者さんの所属する劇団(トリオ)の舞台を見に行く。今日チケットを前売りで買おう(ぴあのようなところで)としたら、売り切れ。。。とか言われた。 行く約束をしていたので、電話をして、行けない旨伝えようと思ったら、「売り切れのはずは無い」と。もしかしたら、その代理店が押さえている分だけが売り切れないのかもしれないが、結局招待客リストに載せてもらうことで落ち着いた。ありがとう。

月曜日, 2月 14, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(27)

ベルリンに行きたい・・。17日午後に行って、18日午後にはまたブレーメンに居ないと行けないけど。
でも電車で普通に行くと100ユーロくらいかかる。
乗り合い・・という手もあり、普通によく使われてる手段だけれど(赤の他人と乗り合いする)、時間の合うのがない。

あああああああベルリン行きたい。
ベルリンという街に行きたい訳ではなく、自分の関わった映画のベルリンでの上映があるから臨席したいだけ。

数日前に書いた事だけど、まだ結論が出ていない。
「行かない!」で済む事なんだけど。

20日の日曜日は、お世話に?なっている役者さんの新作発表があるので、(大病から復活)見に行って久しぶりに会う約束をしたし、
これにチケット代がかかるから、他の出費は控えないと・・ってところなんだけども。

まあぐだぐだ言っている間に17日が過ぎそうだ・・。

土曜日, 2月 12, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(26)

ふむ。
とくに書くことなし。
昨日は寝違えたのか、今日は肩が鬼ほど痛かった。

最近。。ご褒美に通うパン屋のカフェ(何のご褒美かはさておき)の店員が、(とっくに覚えられてはいたけど)話しかけてくるようになった。
彼女もアジア人、インドネシアの人らしい。
彼女は比較的新しいバイトの人で、私はその前から通っていたし、他の従業員はとっくに私を認識していたはず。
でも、最初に話しかけてきたのは彼女だった。
アジア人同士は話しかけやすいのか。はたまた、ドイツ人にはやはりアジア人に対する少しの見下しにも似た感覚があり、基本的に余程の親アジア家か、興味のある人しか、交わろうとしないという現実があるからか。まあ、分からなくもない。我らと交わったところで特にメリットがないし。
もしくは考え過ぎで・・ドイツ人が人見知り??

まあ、パン屋でのこんな些細な事を気にする必要もないので、どーでもいいんだけど、やっぱりなあ・・と思った次第。

金曜日, 2月 11, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(25)

ベートーヴェンプロジェクトという映画をDVDでみた。エストニア出身の指揮者パーヴォ・ヤルヴィとブレーメンのカマーオーケストラによるプロジェクトのドキュメンタリー。
ベートーヴェンの交響曲の新解釈や録音、そして総決算として2009年ボンにおけるベートーヴェン音楽祭で4夜に渡り9交響曲を演奏するというまさに”マラソン”のような忍耐力と体力を要するコンサートを敢行した、その姿を綴った映画だ。
ブレーメンの街を眺める映画としても使える、と思う。

・・・と、このドキュメンタリー映画を見て、私の関わった”プロジェクト”のドキュメンタリー映画が今度ベルリンで上映されるのに、出向くかどうか迷っていることをまた思い出した。どうしようかな〜〜。電車代が高い&速攻帰路につく必要があるのがネック。
個人的にはDVDは購入したし、ブレーメンでの上映の際には鑑賞したので、見ることへのこだわりは無いが、プロジェクトの中心団体が私の所属するブレーメンの団体である事、映画の制作クルーがベルリンの人間であり、ブレーメンでの上映の際には臨席していなかった事、そしてベルリンでの上映の際にはブレーメンからの出席者が居るのが筋ではないか、と思う事、が理由。
行くなら17日午後。戻り18日午前。電車賃100ユーロ。宿泊多分ただ。さて。

また、まだ、ずっとブレーメン(24)

新しいパソコンというのはなかなか厄介だ。
よくわからない、使いこなせない。
忘れないように、しないといけないこと。
・古いマック時におそらく使っていたであろうアドレス帳(メールを書く際には
返信すればよかったので、特にアドレス帳にお世話になった記憶は無いが、新しいマックでは、
メルアドが分からずメールを出すのが億劫になっていたりする)
・古いマックの時に購入して使用中の外付けハード。パーテーション分けして、Sliverなんちゃらで自動的にバックアップをとれるようにしていた部分と、手動でライブラリ等の重要データを保存する部分に分けていた。新しいマックにつないでデータを取り出そうとすると、必ず聞かれる。「タイムマシン云々で・・このハードディスクを使いますか?」と。いつも「後で決める」を選択しているが、果たして、新しいマックのバックアップ先に、古いマック時使用の外付けハードを使っていいものか。それよりも何よりも、タイムマシンとやらの機能をどう使用すべきかは。

コンピューター関係のお尋ね先はいつも決まっている。遠隔操作で快適にしてもらおうかなあ。

モニターも買いたいし、ふむ。考える事いーーーーーっぱい。

まあ、無いよりはいい、ということにする。

http://www.radiobremen.de/mediathek/index.html?id=042650

http://www.youtube.com/watch?v=ZTrP7bRodZA

水曜日, 2月 09, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(23)

特にデジタルな人間ではない。が、所属するところによっては、普通の“現代人並み”のデジタル度を持つ人間と化してしまう。

例えば固定電話以外に通信手段を持たない人の集まり、とか。

そういう人との連絡等にはやはり労力がいる。

昔は(私の記憶のある程度の昔)そうだったんだよなあ・・とシミジミ。

話は変わって

計画しようかと思っていた旅行。

サンチャゴ巡礼道を歩こうと思ってガイドブックを買った。ルピュイからコンクあたりまでを前後移動を含め2週間くらいの旅行で歩けたら・・と。

飛行機も比較的安い。と半ば本気。

諸々計算し出した。他にかかる経費は何か。宿代、食費、旅行の用意。

おそらく、10万くらいは余裕でかかるのではないか。

さて。

そういえば、年末年始に散財したばかりだった。

今遊んでいる場合ではないのでは??????????その旅行は何へのご褒美????

自分への甘やかしにすぎないのでは、いやそうだ。

旅行にいくならせめて夏までは我慢。ということで断念というか、行かなくて正解。というか当たり前。いつか歩こう巡礼道。でもでも、ブレーメンからぼちぼち目指すって言うのはどう??ブレーメンでも巡礼者のパスポートは入手できるみたい。ここからスタンプ集めする方が素敵かもしれない。

火曜日, 2月 08, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(22)

毎週火曜日はゴスペルクワイアの練習日。別に定期的にコンサートがある訳ではないけれど(突発的に予定が入ったりするけど)、歌う事が楽しいので、マメに参加している。

コンサートや、教会で歌う機会には、ほぼ“幹”のメンバーになっている。というのも、ほぼ皆勤、教会の事もよく知っているから、という訳。

私が参加してからもう2年半ほど。ブレーメン生活の全日数マイナス10日くらいがクワイア参加日数。クワイアの中でも見渡せば・・新顔が増えた。古参メンバーの中には、なかなか来られない人も居る。ということで、私もすっかりその“古い”メンバーの仲間入り的な感が漂っている・・。新しい人がパートの音が聞きやすいように歌うこともできる立場。思えば遠くに来たものだ・・。

日本で始めたゴスペル。そのクワイアの参加年数よりもとっくに長くなってしまった。

何の成果を求める訳でもない。ただ歌う事が楽しい、歌っていたい、それだけ。

月曜日, 2月 07, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(21)

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.....と耳にタコができるほど聞くので、その度に、登録して管理が面倒なものはもうこりごり(過去に大変なめにあっている)・・。日本版のフェイスブック?mixiを細々やっているくらいが、ちょうど可愛らしいと断っていた。

が、あまりにも、周りに蔓延しているこの現実。ちょうど、メールアドレスの取得が境だった頃(微妙な表現だが。電子メールアドレスが“ある派”“ない派”が存在し、“ない”ことが珍しくなかった頃で、どんどん電子メールアドレス取得者が増殖中のその渦中。また、今後は電子メールが無かったらお話にならない・・感が漂っている頃)に似ている。フェイスブックのアカウントは、今や電子メールアドレスや携帯電話みたいに、無くてはならないツールとなってしまっているようだ。で、そのフェイスブックの波には相当乗り遅れている(そもそも乗る気なし)が、耐えられなくなって参加した。本名じゃないと駄目なのね。ふむ。

・・

するとおせっかいにも、自分の友達かもしれない候補が出てくる・・・。元職場の人、高校生のときの友達・・懐かしい名前が連なる。何で分かるの??????プロフィールには何も登録していないんだけど。あ、メルアドから??

で、その友達リスト(私の)を見て驚くのが、中華系の人の名前の多い事多い事多い事。まあ、中華圏に関わりがあったとはいえ、その数半端ない。中華系人口が地球人口の5分の1ほどを占めている事を考えると、驚きの量ではないが、登録者自体が圧倒的に多いのだろう。中華民族おそろしや。

ま、今後使いこなせるか不明ですが、とりあえずアカウントだけ・・・。

日曜日, 2月 06, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(20)

すっかり北ドイツの人間でしょうか?毎冬にグリューンコールとピンケルを食べないとなんだかしっくりこない。今日は友人らとグリューンコールの集い。お肉はあまり好きではないけど、このグリューンコールとピンケルは大好き。

これが無いと冬が超せない!感じ。すっかりブレーマーです。

金曜日, 2月 04, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(19)

毎日バイトかカーニバルの手伝いで、特に変わった事がない。はっきりいって休み無く働いている感じ。なので、カーニバルが終わったら、一回一週間くらい旅行に出ようかと思い始めた。ドイツ人の休暇にしては短いけれど、日本から一週間から10日ほどののヨーロッパって言うのはパック旅行ではありがちだし、実際ドイツ10日で北から南まで縦断した旅行もした事がある。

どこかゆっくり観光でもしながら一週間過ごせないかなあ。ブレーメンに来てからというもの、旅行熱はすっかり冷めて、ブレーメンに居る事に満足しているのですが、久しぶりに海外(といってもデンマークやポーランド、ラトビアや国境の町ではあれどオランダ等連れて行ってもらったのであながち出国していないとは言えない)の空気を吸うのもいいかなあ。

候補。・・・・・。金銭面を考えると東欧???

ま、金銭的に余裕があるわけでは無いので、そこまで積極的ではないのですが、生活保護を受けている人でも“休暇〜休暇〜”としっかり休暇の権利を行使しているドイツなので、私も少しは浮かれて旅行したって罰は当たらないかもしれません。

どこがいいかなあ〜〜。旅行は計画段階が一番楽し。ただ、そんな計画などたてる前にする事が山ほどある、というのが現実です。

火曜日, 2月 01, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(18)

頭が痛い。肩こりの延長かとも思うけど、そうでも無い気がする、ということで、心配性なのは父親譲りか、今日医者にかかってきました。

結果、(まあ、精密検査をしたわけではないので楽観はできないけれど)、肩こりから来ている可能性が大きいということで、普通の頭痛薬を詳報するとともにマッサージの処方箋まで頂いてしまいました。保険の範囲でマッサージに通える、ということです。しかも6回も。

フライベートでかけている保険なので、もし下りなかったら??の不安も残りますが、とりあえずは至福のときを過ごさせてもらう事にします。

でも、頭痛の解消が無い場合は再度専門医にて精密検査。杞憂に終わるといいけれど。

また、まだ、ずっとブレーメン(17)

昨日の1月31日は、ラクダの団体の知り合いの誕生日会。90歳。

盛大に祝われました。私もそこにゲストで参加。仲間からのいろいろな出し物に、そのラクダグループ自慢の料理チームによる食事・・素敵なパーティでした。

私は、最近この団体になかなか顔を出せないこともあり、一風変わった仲間たちとの時間を楽しみました。

どちらかというと、というか、絶対・・自分の身体を痛めつけている、傷つけている、そして酷使している私ですが、こうやって90歳をみんなで祝えるってありがたい事だろうなあ、とシミジミ。

彼女はまだ車の運転もするし、字も書くし、当たり前のように普通に話すし、道化芝居グループでの活動も行っています。いい家の育ちで、昔からの栄養状態がいいのかもしれませんが、驚きの生命力!!!

一緒の部屋に宿泊した事もありますが、耳が少し遠い意外は、まったくもって普通。見習いたいとうか、いろいろこれからも世話になりたいものです。

日曜日, 1月 30, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(16)


今日はこれを書こう!と思いついていた事を忘れてしまう事ほど気持ちの悪い事はありません。

なんだか少しくすっとする面白い話題だったのに。

ということで進捗状況。カーニバルコスチュームもウサギらしくなってきました。

で、今度この団体の人とグリューンコール(ケールのようなものでピンケルというソーセージと頂く北ドイツの冬の味覚)を食べよう!ということになりました。ちょっとした予定(行っても行かなくてもどっちでもいいような)が入ってたけど、それは取りやめ。

というのも、3年目の冬の今年はまだグリューンコールを食べに行く予定が無かったので、飛びついた、というわけ。これを食べないと冬を越せないというか、しっくりこないというか、そんな風になってしまっているようです。

土曜日, 1月 29, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(15)

コンを詰めて働きすぎなのでしょうか。肩はこるし、頭もこっています。

肩は今までからもカチカチにこっていたけど、先日今までに無い痛みを感じ、一晩寝たらすっきり・・と思っていたら今度は頭。

普段頭痛なんて感じた事が無いので、この頭痛が俗にいう頭痛なのか、こっているのか、はたまた危険な病気のシグナルなのか判断ができない。

歯の神経云々問題で、もう頭内部ちゃうん・・ていうくらいの根っこの先まで弄くったから、どこかおかしくなったかな?

頭左側後ろがわんわんと痛いというか、何か感じる。

肩こりのようだといえばそうだけど。

うーん。これって何かねえ。

金曜日, 1月 28, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(14)

前回まで馬鹿でかい字だったようなので改めます。

今年で3回目になるカーニバル。その準備に携わるのも3回目。カーニバルの美術監督をつとめる人の作業所でのコスチューム作りが主な作業です。

ブレーメンに来てまだ2年半であることを考えれば、こちらに来てすぐの段階からこの関わりをスタートさせた事になります。

最初はカーニバル時期だけのつながりから、その美術監督率いるパフォーマンスのグループと通年の関わりを持つようになり・・今に至ります。

そして今日目にしたカーニバルのパンフレット。

いつも“コスチュームの作業所ヘルパー”の欄に名前を掲載してもらっていて、初めてのカーニバル2009年の時は、歴史に名を刻んだと喜んだ覚えがあります。月日は流れ2011年。今年は・・・私の名前は・・・その欄のトップ。今年はそのグループにインターンの学生ヘルパーさん(一日中働く)がついていないので、最も長時間働く人間が私です。また、通年の活動や、作業所、地下倉庫等の勝手を知り、鍵の所持・・もしているのは事実です。

出世したってことですね。まあたかがヘルパーですが。

バイトリーダーみたいなもんかな。(あ、なんかツボにはまった漫才“バイトリーダー”のネタがもう一回見たいなあ〜〜。誰のネタやったっけなあ。)

木曜日, 1月 27, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(13)

ラクダの団体と私が分かりやすく呼ぶ「Die Blaue Karawane」。ここでちょっとした劇グループに参加してもう2年近くになろうとしている。

昨年夏に、この団体の25周年を祝う催しで披露した劇を他のところに売り出そう!!!そしてもう一度舞台に立とう!!となぜかみんな乗り気で積極的。

私はどうでもいいな・・・と思いつつ、まあ、何かを作り上げるプロセスは楽しいので、あえて反対せずにいる。

そこで、公に売り出すべく、素人撮影のビデオを編集し3分のプロモにまとめた。(早速間違いを発見したが・・時既に遅し)また、売り込みのための書類と言うか、劇団の紹介マップみたいなものの制作も請け負っている。まあ、コンピューター&紙メディア関係は団体内では詳しい方に分類されてしまうので、その役割が与えられてしまっている。

今日の久しぶりの会合で、作った3分ほどのPVを披露したところ(外国人の解釈&文字挿入で、誰の校正も入ってないのに)、すでに公のものと化してしまったらしい。

そのついでに、ここにもそのURLをのせておく事にする。(半ばヤケ??)

興味のある人は是非どうぞ。字幕はついていませんのであしからず。

http://www.youtube.com/watch?v=ZTrP7bRodZA

水曜日, 1月 26, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(12)

今日はちょっと仕事を休ませてもらってコンピューター仕事とメールを数通書いた。親の携帯への返事くらいは数行で済むけれど、しっかりメールを書こうと思うと手書きほどでは無いにしても、また日本語であっても数分はかかってくる。

明日から月末までバイトが続く。

非ユーロ圏の学生として働けるのは年間90日の720時間。このことを念頭に置かないといけないようで、なんか面倒・・。

大学の方はとりあえずこの学期は捨てた。一度にドイツ人に課された事をすべてやろうとしたのが間違いだった模様。学科の担当者に聞いたところ、とりあえず次の学科は先に進み、またその次の冬学期に、この冬履修しクリアすべきだった授業をこなせばいいとのこと。また、時間がかかってもいいのであればマニュアル通りに履修する必要はいっさい無く、自分のペースでよい、と。少し安心。この学生支援の学科担当者はすごく親切なので、彼女と話すと安心できるし、学科変更はとりあえず辞めよう、という気になる。

ま、いずれにせよ、もうこの学期の終わりも間近。結局何も勉強しなかったに等しいけれど、仕方なし、

火曜日, 1月 25, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(11)

朝6時半に家を出て、11時頃まで戻って来れない日が続くと、ブログなど書いている間が無い、というのは許される言い訳でしょうか・・。携帯で移動時間中に・・とか言いたいけれど、移動はもっぱらちゃりんこなのでご勘弁願いたい。

とまあ、この数日バイトの給料と、報酬金と社会保険関係と税金関係で大学の相談室や国際科や、財務局や労働商工会議所や、とたらい回しにされて・・結局誰もちゃんとしたことが言えない始末。

結局、税理士さんにお世話になって、すべて明らかにしてもらい、今後の身の振り方を定めてもらった。

詳しくは書けないけれど、とっても不確かなグレーな理解だったのが、ほぼクリアになって安心できた。罪を犯しているのではない、ということが分かっただけでも十分安心。

こういう問題が発生するのも、真っ当に、明細書や受領書といった証拠となるものを介してお金を戴いている、比較的クリーンに稼いでいる証拠だと思うし、まあ、それに馬鹿正直に対応すべきなのか・・という疑問はさておき、正攻法で立ち向かってクリアにするのは悪い事じゃない、というのが感想。

感謝すべきは、注意喚起してくれた人はもちろん、分からないながらに、バイトの労働基準法めいたものや税関係と立ち向かう私に暖かく手を差し伸べて協力してくれた人たち。

本当に周りの人に恵まれているなあ・・としみじみ。

今日はここまで。詳しくはいつか“情報”としてまとめておいた方がいいような気もします。

月曜日, 1月 24, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(10)

今日はブレーメン近郊都市のオールデンブルグの友人宅にお邪魔し、近況報告と情報交換。

彼女の頑張りには頭が下がる・・とともに、自分の情けなさが浮き上がる・・。しかも、ちょっとした課題?早急にクリアしておくべき事が明るみになって、またまた頭いっぱい。キャパ、余裕超え。でもそれに気がつかせてくれた彼女には感謝です。

知らずにスルーしてしまっていることってやっぱり多い。ドイツ語の書類とか契約書とか約款めいたものとか100%読んではいない(日本語でも読んでいない)けど、外国人であるという立場をわきまえつつ、やる事はちゃんとやっておかないと・・・。ちょっと今週もごたつきそうな予感がします。はあああああああああああああ。

とにかく、そうやって注意喚起というか、情報提供というか、がもらえる人がいるというのは、本当にありがたい事です。お世話になります、いつも・・。と、この場を借りてお礼・・。

土曜日, 1月 22, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(9)

一番仲良しのドイツ人女性から電話がかかってきた。「元気か」と。毎週一回は顔を合わすのだが、先週は彼女の都合で会えなかったので、「どう?」と。いろいろ考える事があって頭がいっぱいで、いまいち・の気分だと正直に答えると「また一回話しにおいで」と。いつもこうやって彼女は私を励ましてくれます。まさに親のような存在です。

その他にも、私の調子の悪さ、しゃきっとしなさ、を気にかけてくださる人が他にもいます。

本当にありがとう。

見るべきは現実。私は今直視すべきものが分かりません。というか見たくないだけかな。

なんとも詰まらぬ心の声の吐露ブログは果てしなく続く・・・・。(汗)

金曜日, 1月 21, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(8)

早速一日書けなかったらしい。わお。

気の沈む毎日。やる事があるのでかろうじて考えずに済む時間が多いけれど、いったい私はこの後どうなるんだろう。

出入り先団体にはかなり重宝されていると思うし、自分でも“一家に一台”的役回りの人間だと思う。

なのに、仕事を見つけるとなると(それがドイツでも日本でも)一気に無用の人間となる。そのことがつくづく嫌になる。逃げて帰ってしまいたくなる。でもここで築いた人間関係や人脈はブレーメンの人でも驚いているくらいだし、それは自信もっていいんだよな・・・。でも仕事となると話は別。

大学学部をここで卒業したら、それがプラスに働くとは到底思えないし、今間違った事をしているとも思えない。

私がある程度安心して不安無く生活できる日は来るのでしょうか。

水曜日, 1月 19, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(7)

ブレーメンに戻って一週間が過ぎた。みんな、「待ってたよ」と迎えてくれた。が、しかし、実際の所どうなんだろう。

ここにあるつもりだった、自分の居場所、居心地のいい場所、その場所は年末年始少し不在にしたくらいでは、消えてしまうものではなかったけれど、どれくらい“空け”たら、風化してしまうんだろう。そう考えた。今までは私が居て然るべき時間、状況に、私が居なくなる。最初は不自然でもそのうち慣れて、いつしか居ない事が普通になってしまう。そうやって人は周りの環境に適応していく。私のブレーメンの場所は、みんなの中ではすぐに“思い出”になってしまうんだろう。誰かがすぐに、その場所に取って代わるんだろう。それって悲しい事だし、それを望んでいる訳ではないけれど、いつか、それを決断しないとならないときが来るのかもしれない。

そう思えば、やっぱり家族ってすごい。○○家の娘である事実は誰に取って代わられるでもなく、いつまでもそのまんま。ありがたいね、本当に。

火曜日, 1月 18, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(6)

なかなか何事も進まない日が続きます。

今新しいマックのiMovieと格闘中。50分の劇のプロモーションビデオ?らしきものを作りたいとかで、年末に頼まれていたもの。新しいマックになって、それがネットに繋げるようになったら(オンラインで調べつつやらないと倍の時間がかかるのでオンライン環境必須)から考えようと思っていて、やっと数日前から着手。

素人の劇を、公開最終リハーサル時に素人が撮影したものなので、画像のクオリティは極めて低い。それを、その劇の事、内容、劇団の事を全く知らない人間に分かるように3分にまとめる作業。うーむ。なかなか難しい。

動画の一場面を静止画で取り込みたいのだけれど??

動画の台詞だけ使って、画はいらないのだけれど?

アフレコする・・なんて無理だよねえ・・・。

観客うるさい!

手ぶれし過ぎ!!!

等々疑問や文句と戦いながらもまあ、楽しく編集中。

新しいマック・・。素直に嬉しい。どうぞ末永くよろしく。

月曜日, 1月 17, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(5)

今日は、いきなり重病になって余命宣告された女性のお見舞いに行ってきました。彼女が病院で検査を受け、事の重大さを知るほんの10日前まで、私とは頻繁に会っていました。もし日本一時帰国が無ければ、その2日前までは共に過ごしていたであろう、そんな女性です。病院に行ったときにはすでに、手の施しようが無いほどの“病”に犯されており、彼女は手術も化学療法も拒否、自宅で最期を迎えることを決断したそうです。

こういう人には何という言葉をかければいいのか、日本語でも分かりません。今日はたわいのない話をして帰ってきました。

自分の容態を語る彼女に涙は無く、それほど悲観的にも見えませんでした。宣告を受けてから2週間ほど。その間に悲しみも涙も枯れてしまったのでしょうか、私の前で強がったのでしょうか。

人の上に立ち、説教したりする立場にいる人でした。その威厳というかは未だ失われて居ませんでしたが、この短期間に9キロも痩せてしまったそうです。でもそれほどげっそりとしたようには見えなかったので、私にも不思議と“絶望感”はなく、ただただ(日本から帰って来たという意味で)再会を楽しみました。まだ実感が湧かないのかもしれません。彼女が死を待っている、ということの。

今までさんざんお世話になった人です。私には何が返せますか?何をすべきですか?祈る事だけですか?

私はただ、彼女の穏やかな最期を願ってやみません。でも、私はまだもっと彼女とお話ししたい、もっと彼女との時間が欲しい。まだ、その時じゃない!から。

また会いにいきます。

日曜日, 1月 16, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(4)

毎日ブログを更新するとか、一日何回ブログを更新するとか、つぶやくとか、公言したり、記録を作ったりしている人もいますが、そういうのを抜きにして、私は、書ける時は書くことが無くても書くことにします。尿意、便意がなくてもとりあえずトイレに行っておいたり、眠さはとっくにピークを越えていて眠くはないけど、疲れているはずなのでとりあえず横になって目をつぶっておく・・とかそういうのと似てるかな。(どうでもいいけど)。動画を見たりネットをしたりしている時間があるので、それをブログに当てれば、今後も“書けない、時間がない”なんてことはあり得ないのだけれど、まあ、こういう事態は往々にして起こりうるでしょう、はい。予告しておきます。

今日は特になーんてことない日でした。

日本から山崎豊子さんの「運命の人」文庫本を三まで購入して持ってきました。彼女の作品ってこんなにすいすい進むものばかりでしたっけ???今回は異様に読むスピードが早いような気がします。内容が薄いのか、本が薄くてフォントがでかいのか・・・。気持ちしては、勿体ぶって読みたいのにこの調子では、日本語の本を楽しめる期間が速攻終わってしまいます。しかも文庫本4の最終巻は2月発売。発売して送ってもらえるのはもっと後になるし。うずうずしそう。

読書と言えば、この年末年始、録画してあったNHKの「坂の上の雲」を見ました。原作を読んだのは結構前ですが、大好きな作品です。原作が好きな場合、映像版が好きになれなかったりしますが、そんなこと全然ない・・。役者陣も素敵、音楽も、語りもいい。渡辺謙の声で読まれる“のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう”が最高に“美しい”と感じ、ぞくっとします。言葉がいいですね。(ということで、このドラマは私の中では冒頭で既にピークを迎えている、という訳。)一つ、映像にもの申すとすれば、個人的な意見ですが、(我がアイドル)東郷さんを演じるのが渡哲也さんだというのがいただけない。めちゃくちゃ格好いい役所なのだから、巧い人が良かった・・・・(涙)。

日本に居る人でさえ、続きは年末までお預け。私が“広瀬さんが死んだ後”の回を見るのはいつのことになるかなあ。

土曜日, 1月 15, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(3)

もうこの季節です。日本に帰国している間に、自身3回目となるブレーマーカーニバルの準備が着々と進んでいます。

今年は劇めいたカーニバルをモットーにウサギさんが登場します。卯年なのでちょうどいいですね〜〜。

この作業所への手伝いが頻度を増すので、というか増やしたいので、もうとりあえず学業は端へよけておくことにします。

ブレーメンに戻り次第、出入り団体である協会、青いキャラバンとラクダの団体、このカーニバルの中心団体には挨拶を済ませ、数人は電話で挨拶しました。ここに戻ってくるのを喜んでくれる人がいるというのは素直に嬉しいことです。

だからブレーメンから離れたくないん・・です。でもこのままじゃいつか決断せねばならない時が来る。今の状態じゃそれに目をつむって先延ばしにしているだけなのかなあ。

あ、結局後ろ向きな内容・・。

金曜日, 1月 14, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(2)

何はともあれまず、日本に居る間に相手をしてくださった皆様に感謝します。数人の友人、お世話になりっぱなしの人生の諸先輩方、妙な縁のある方々・・・よくもまあ、こんな得体の知れない私の一時帰国につきあってくださったものです。感謝します。

そして家族。私のいないことが日常となり、すっかり一日のタイムテーブルが私抜きで出来上がっている中に入り込んだ私の我が儘振る舞いに目をつぶり、要望を極力かなえようと尽力してくれました。ほぼ2年半ぶりの日本、しかしそれぐらいで忘れる訳がない“家の勝手”であるものの、時間の流れはとうに、私の存在は無いものとして成立している。実家であり、嫁いでもいないので、まだ私の家ではあり、主導権を持っていてしかるべきなのだけど、やはりそういう訳にはいかない。それにもどかしさを感じ、時の流れを感じる。そして自分の不甲斐なさをも感じる。

ここにいてもそう。大学の授業に出る気が湧いてこないことで、自分がすでに“脱落者”であり、“敵前逃亡者”であることを感じる。ドイツという外国で生活していてすごい、という周りの盲目な評価を鵜呑みにしているわけでは無いのだけれど、私のやっていることは逃げでしかないのか????????

言い訳を書いておくと、大学にはそもそも何の興味もなかった。できれば避けて通りたい道だった。でも滞在許可のために・・と通いだしたけど、課題は多いし、着いていけないし、特に面白くない。それで、身体が、心がおかしくなりそうだった。何でこんなことせんとあかんのやろう、って。滞在を続けるためには、我慢しないといけないことなのかもしれないけれど、私にはこの大学生活が耐えられなかった。やっぱりただ逃げているだけですか????

考えてみれば、今までの人生も逃げてばかりの私。これだけは逃げたくない!譲れない!っていうのが“ドイツにとどまること”。これを実現するには、大学生活から目をそらしてはいけないのですか?そんなに大事なのですか??社会とのつながりは十分にもっているつもりだけれど・・これはただの都合のいい解釈ですか??だんだん分からなくなってくる。

周りではちゃんと大学に通っている人も大勢いる。そういうすごい人を見るにつけて、自分が脱落者であることをひしひしと感じ、情けなくなる。でも私には大学は無理そう。気力も体力もない。それでもいいですか???そして今すべきことは何ですか?・・・分からない。

日本でリフレッシュどころか、自分の立場のあやふやさを確認するには時間十分の滞在期間があった。何も(ほとんど何も)言わず、ただ見守ってくれる方々にただ感謝します。

ここに居座りたいのだけれど、その手の打ち方がいまいち分からない・・。万策尽きた???感も無くはない。ブレーメンへの執着をなくすこと。できるとすればこれかなあ。最終手段にしたい手なのだけれど。

木曜日, 1月 13, 2011

また、まだ、ずっとブレーメン(1)

2011年になった。この年末年始日本に一時帰国し、英気を?養ってきた。そして昨日またブレーメンに戻ってきた。少し更新のなかったブログをまた新たな気持ちで始めようと思うが、続けられるのか想像がつかない。

大学の授業も行っていないし、学期末テストに申し込まない間に申し込み期間は過ぎ去ったし、お世話になっている人の重病の知らせは届くし、部屋の水道ガス光熱費がバカ高いことが判明するし、新しく調達したパソコンのファンクションキーショートカットがシステム環境設定と異なり、いまいち納得できないし、日本から携えて帰ってきた荷物の置き場所がないし・・・、簡単なドイツ語単語も忘れ去って思い出せないし、でなんだかすっきりしない再ブレーメンの初日だ。

明日からもうちょっとがんばろう。