日曜日, 11月 09, 2008

Bremenでの・・・コト(76)そこに住むということ



私の家の玄関です。そして、キッチンの天井窓からの眺めです。窓のすぐ外にプランターが設置されています。枯れています。春になったら花でも植えたいものです。(あまりガーデニングには(今のところ)興味がありませんが、部屋には緑でも飾りたいのが実際のところ。でも何を買うべきなのか分からないのです。冬場で寒くて死んじゃった〜〜なんていうのは酷い話なので。育てるのは今のところヨーグルトで手一杯??なのかな。)
さて、私にとってドイツは初滞在(旅行では先に2回)ですが、海外長期滞在は始めてではありません。でもよく考えたら、これだけ根を生やそうと頑張るのは始めてかも。(あんまり帰りたくないので。というか帰る場所がない。(汗))中国留学中は、あくまで留学生仲間の輪に常にいました。ほぼ、その国の言葉をネイティブに近いレベルで話す留学生にお世話になったので、語学の上達には良かったかもしれません。留学生同士では今でも緊密に連絡を取り合う仲間がいます。かれこれ10年くらい前の話ですが・・。でも肝心の中国に現地の知り合いがいるか、と言われれば「NO」です。おりません。あくまで行動範囲は留学生の輪の中。外国人としての自分がなくなることはありませんでした。日本人も沢山いたので、日本語での会話がない日はありませんでした。
2回目はシンガポール。ここでは正に日本人社会の中で生活していました。シンガポール社会に馴染みたい〜!なんてこれっぽっちも思いませんでした。常に日本人として(日本人社会に積極的に参加していたわけでもないです。どちらかというと避け気味)。だから、今でもこの国で連絡を取れるのは、そこで働いている日本人だけ。シンガポールの友人と言えば、留学時代の友人ぐらいです。3年(も)いたのに、この交友関係は不思議です。(人付き合いわるいんでしょうね・・・きっと)
ですが、自分で言うのもなんですが、前述の時代にずーっと煩っていた心の病がありました。でも、(いろいろな理由があると思うのですが)ドイツに来ることなど自分の心の中にずーっと引っかかっていたものが実現すること、それから、(短い人生の中での)凹みの時期に出会った人・物事との関係などのおかげで、その病を乗り越えることができました。 まず感謝します。

そして今、野心は「ここに、1年以上住む。」です。目標でもあります。その為には、助けてもらう人を沢山作らねばなりません。ドイツ人のみならず、ここで生活を築いている外国人。沢山知り合って、一年後に「こびるのビザがもうすぐ切れるらしい。ここに留まれるように、みんなで何とかしよう」な〜んて言ってもらえるような、知り合いをいっぱい作らねばなりません。こう思えるのは、(人嫌いの?)私には奇跡みたいなもので、心が健全な証拠かな〜とひとり喜んでおります。

ということで、毎週の教会通いは欠かせません。おばさんとおじさんばかりですが、毎週会うことが大切。存在を覚えてもらうことがまず第一。そして、長期プランが嫌いな私には珍しく、あるプロジェクトに参加することにしました。内容はおいおい・・・と思いますが、2ヶ月に一度の集いを経て、来年5月に大きな会が催されるという半年以上に及ぶプロジェクト。来年5月なんて、資金が尽きていないことを祈るばかりですが、とりあえず、ブレーメンに留まっていないといけない理由ができました。どうやら、相当ドイツが好きなようです。(←自分でも驚き)
いろいろ寄り道しましたが、少々の犠牲を払って来て良かったな〜〜とただ幸せです。10年以来の夢でしたから。思えば、いつでも実現可能(強行突破すれば)だったので、もっと早く来ていればよかった〜〜?と思う人もいるかもしれないけど、私にとっては、全てが偶然で必然のような気がする。寄り道して凹みの暗黒時代を経て、病を克服して・・この10年心に留め続け温め続けたからこそ今の生活があるんじゃあないかと。

はあ、長くなった・・。ここまで一字一句読んでくださった方、すみません。長文でした。。。。長文にした理由は、あまりにも個人的感情の吐露なので、読まずにスルーしてもらおう!という隠れた意図です(笑)。

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