
私は自分の手をかなり酷使している・・と思います。指先の指紋はあるの?くらい酷使。熱いものも冷たいものの素手。きれいなものも汚いものも素手。ゴム手袋をしたり、鍋掴みをはめたりするのは苦手。何でも素手で確かめたくなります。そしてその感触が一番大事だと思うから。そして当たり前ですが汚れれば洗えるし、切れても治るし、でこんなに都合のいい道具はありません。私は手を信じています。
私のこの性格はドイツ人と似ているんじゃあないかなあと思うときがあります。
人力に多くを頼っているのでは?と思おうところが多いからです。このドイツ人の性格は正にマイスター制度を残す理由なのかもしれません。どんなところかというと、例えば。一般家庭の日曜大工。ある一家が引っ越しの際、入らない物品を家の前にゴミとして出しておいたら、妙な家具のパーツとかただの板とかがどんどん持って行かれます。家で自分なりにアレンジするのでしょう。広告に、測定器??(道を造る人とかがよく道ばたで覗いて、曲がっていないかとか確認するような機器)の家庭用が売り出されているのには驚きました。ここまで本格的にするのだと・・。
それから、郵便屋さん。登校時間、郵便局の前を通りますが、自転車に手紙の入った郵便袋を下げた配達員が方々へ散っていきます。少しの坂道もどうってことない、と。このご時世チャリ配達です、チャリ。もしくは、(ある拠点までは車だと思うのですが)徒歩配達。これは、排気ガス問題云々の環境への配慮というより、私にはドイツ人の意地というか、自分の手足が最も信頼の置ける交通手段だ〜〜と考えているような気がするのです。(エコ概念では無いと思う理由は次回)。確かに、バイク配達していて、配達中に例えば、バイクが故障して立ち往生したら、何を恨んでいいのかわかりませんが、歩いて配達していてミスをしたら、それはあくまで自己責任。体調が悪くて配達しきれなかったとしても、それは自己管理できていない自分の責任。ということで、非常に明快です。自分の作った本棚が壊れても、自分の腕の問題ですし。
他人を信用していないわけではないんでしょうけど・・ね。
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