かつて無いほどにブログの更新が滞っていました。ほぼ一ヶ月。ということで、この一ヶ月を振り返っておきます。
滞在許可を更新した後の出来事。
時間があれば参加している教会シニアクラスにおける、3ヶ月に一度の誕生会カフェ。この9月から教会に赴任した牧師さん夫婦(2人で1ポストを分ける)の片割れ、女性が参加。性格上シニアクラスの代表とウマが合わないのか、私でも「?」と思うような、言動で、シニアと決裂。シニアクラス代表は後日、直訴状を牧師さんに送りつけるという行動にでる。シニアの頑固さを考えると修復の見込み無し。と見た。
その後、以前に書いた「Nacht der Kirche」「教会の夜」イベント。ゴスペルクワイアとして歌いつつ、教会カフェでも働く。18時から深夜までのイベントであるため、疲れる。が、2年前ブレーメンに来て、ゴスペルクワイアに入って初めて歌った機会がこのイベントだったので感慨深し。
翌日眠いけれど頑張って参加したのが「秋市」。所属協会ブルーキャラバンの地区で、食べ物から植物から雑貨から・・出店される市場。裏方というか、協会のブースの会場設定・撤去の手伝い。力仕事は嫌いではないのでいつも手伝いますが、男性より小さい身体は、狭いところ、細かい事をするには結構役立っているらしい。あいにくの雨でしたが、協会側の稼ぎはそこそこにあったとか。
そしてやってくるのが9月末。一番の友達の誕生日と、その翌日に私の誕生日。友人の誕生日は、午後からすでに友人宅で祝われており、私は遅れて参加。日を跨いで、深夜0時。つまり私の誕生日になるまで数人残ってくれ、乾杯して散会。当日は仕事。
この界隈・・誕生日だというのにイマイチ気分の乗らない、毎日が続く。
9月末からブレーメンは騒がしくなる。20周年ドイツ統一記念日がブレーメンで行われた為。私はブレーメン代表で高脚グループと一緒にパレードに参加。なかなか思い出に残る一日。統一記念日というから何をどう祝うのかと思いきや、単に、各州のテントが立ち並びお国自慢&国会、内閣等政府の紹介ブース。たくさん無料の配布物(CDとかトランプとか買い物エコバックとか)をもらって帰ってきた。大漁。
10月。中旬〜下旬以降の大学生活を見据え、初旬はバイト三昧。基本暇な早朝バイトとはいえ、毎日早起きはしんどい。もちろん定期的に教会カフェで働き、高脚グループでも働き・・と忙しい。加えて、摂食障害に関する講演を聞きに行ったり、ブルーキャラバン新聞への記事を書いたり、教会クワイア以外のクワイアで初めてのまともなコンサートとその為の追加練習があったり・・と落ち着く暇無し。もちろん12月の帰国と家族イベントのことも視野に入れつつ、やらねばならない事山ほど。これに学業が加わったらどうなるのか?????と思案しまくりの10月。大学の授業時間割とにらめっこ、あーでもない、こーでもない、と履修する授業を検討する。できるだけ3つの仕事をそのまま維持して・・と欲張っているので・・。
残念な事に友人と2人で計画していたフェストが、友人の体調不良により延期。
でも先週末は友人主催のパーティ。
なんやかんやと忙しく過ごし、今週からブレーメン大学のオリエンテーション週間始まる。
今後の生活は・・さてどうなることか。
以上この一ヶ月の穴埋めブログ。
水曜日, 10月 20, 2010
火曜日, 9月 21, 2010
Bremenからこんにちは(125)信じられない〜
誰がどこで発した“名言”か、もう忘れてしまった人もいるかもしれない..けど、本当に今日はこんな気分。
そう、今日は外人局に滞在許可の更新に行ってきたのです。ワーホリビザから滞在許可(ビザではない)への切り替えをして1年の滞在許可をもらったのが2009年7月。それの延長に訪れたものの、正式に入学許可が下りていない事を理由にひとまず9月末まで延長してもらいました。その頃までには進退が明らかになっているであろう、ということで。
幸いに大学に学籍をもらったので、延長が困難であることは有り得ない・・とまあ、特に“構えて”はいませんでした。ただ、何かしら不測の事態が起こる事をみこして、月末までの滞在許可に対し、21日という日を選びました。(*でもこれって本当は嫌なのです。どんどん、更新に訪れる日が前倒し前倒しになっていくことが明らかなので)
さて、今回もやはり“不測の事態”発生。それは、「残高証明」。今までは、滞在許可更新・延長時点での銀行口座の残高証明だけで良かったのが、数週間前から過去3ヶ月分必要になったということ。知らなかった・・ということで、一回家に戻って出直す事になりましたが、さほど混んでいなかったこともあり、無事一日で済みました。
更新料を払い、いざパスポートを受け取ってびっくり。有効期限・・・
なんと2012年9月30日まで。なんと2年以上。*の気持ちも加味されている。
これから学業を始める未知数の人(真面目に通う補償が無い)に2年もいきなりあげていいの???間違いでは??と思いましたが、まあもらったもの勝ち。
(次の更新が怖くも有りますが)
効果があったのかどうか・・分かりませんが、担当官のうち一人は大のサッカーファン。バイエルン・ミュンヘンの大ファンで、ここがブレーメンであることを物ともせず、部屋中ポスターで赤に染まっています。それは私の中で周知の事実だったので、少しでも印象を良くしようと、((嘘でも)サッカー好きですよ。をアピールするため)、サッカー関連のTシャツを着ていきました。わざとらしく見せびらかしもせず、自然に自然に・・振る舞い、でもサッカー好きならきっと気がつく!ことを信じて・・。
功を奏したのかどうか不明ですが、とりあえず2年と10日の滞在許可ゲット。
信じられない・・けど素直に嬉しい。
そう、今日は外人局に滞在許可の更新に行ってきたのです。ワーホリビザから滞在許可(ビザではない)への切り替えをして1年の滞在許可をもらったのが2009年7月。それの延長に訪れたものの、正式に入学許可が下りていない事を理由にひとまず9月末まで延長してもらいました。その頃までには進退が明らかになっているであろう、ということで。
幸いに大学に学籍をもらったので、延長が困難であることは有り得ない・・とまあ、特に“構えて”はいませんでした。ただ、何かしら不測の事態が起こる事をみこして、月末までの滞在許可に対し、21日という日を選びました。(*でもこれって本当は嫌なのです。どんどん、更新に訪れる日が前倒し前倒しになっていくことが明らかなので)
さて、今回もやはり“不測の事態”発生。それは、「残高証明」。今までは、滞在許可更新・延長時点での銀行口座の残高証明だけで良かったのが、数週間前から過去3ヶ月分必要になったということ。知らなかった・・ということで、一回家に戻って出直す事になりましたが、さほど混んでいなかったこともあり、無事一日で済みました。
更新料を払い、いざパスポートを受け取ってびっくり。有効期限・・・
なんと2012年9月30日まで。なんと2年以上。*の気持ちも加味されている。
これから学業を始める未知数の人(真面目に通う補償が無い)に2年もいきなりあげていいの???間違いでは??と思いましたが、まあもらったもの勝ち。
(次の更新が怖くも有りますが)
効果があったのかどうか・・分かりませんが、担当官のうち一人は大のサッカーファン。バイエルン・ミュンヘンの大ファンで、ここがブレーメンであることを物ともせず、部屋中ポスターで赤に染まっています。それは私の中で周知の事実だったので、少しでも印象を良くしようと、((嘘でも)サッカー好きですよ。をアピールするため)、サッカー関連のTシャツを着ていきました。わざとらしく見せびらかしもせず、自然に自然に・・振る舞い、でもサッカー好きならきっと気がつく!ことを信じて・・。
功を奏したのかどうか不明ですが、とりあえず2年と10日の滞在許可ゲット。
信じられない・・けど素直に嬉しい。
木曜日, 9月 16, 2010
水曜日, 9月 08, 2010
Bremenからこんにちは(123)私が私を見る。Karawaneで元気に。

題名は「Das Narrenschiff」。Narrenschiffとは何ぞや?という話題はさておき、これは私の所属団体「Die Blaue Karawane」の映画です。昨年参加したベルリン〜ブレーメンの1ヶ月のキャラバン旅行に、映画作成チームが常に同行、そのキャラバンを撮影したドキュメンタリーフィルムなのです。単にキャラバンでの活動を時間軸に沿って追うというより、「Die Blaue Karawane」(青いキャラバン)という団体がどういう団体なのか、を伝える映画です。52分の短編。
昨年のキャラバン旅行中常に回るカメラ・・を避けたり避けなかったり、インタビューされている人を眺めたり・・してきましたが、そのひと月のキャラバンが52分に集約された訳です。監督の編集視点も、重点もまったく知りませんが、とにかくキャラバンが映画になる、とそれだけ聞かされていて1年経ち。
すっかりこの団体にも慣れ、というよりマンネリ化してきていました。
そんな中での映画公開。
この日は、キャラバンを共にまわったベルリンチーム(映画チームはベルリン人)や、キャラバンメンバーが映画館に集合。そして映画が始まりました。
知っている顔がスクリーンに、自分が居合わせた場面がスクリーンに・・。不思議な感覚。そして、同時に昨年感じたいろいろな思い出が蘇ってきました。
「幸せとは?」とのお題に、その時の私はこう答えていました。「ドイツにいること。この団体にいること」。そうカメラに答えた事、もちろん忘れたりはしていませんでしたが、最近ちょっと心に余裕が無くて、いっぱいいっぱいの私に、大切な事を思い出させてくれました。
ドイツにいること、ここにいる事、それだけでまず感謝すべきだということ。
キャラバン旅行に参加して、「生きてる〜〜」って実感したこと。
それを思い出して、改めて思って、心がふ〜〜っと軽くなりました。元気になりました。
映画には思ったより自分の姿を見かけ、個人的には使用カットが偏っているのでは?との感も。でも、団体の目指す共生社会を表現するのに、ドイツ人とは一風変わった顔立ちの人間のカットは、いいフィギュアなのかもしれません。
観賞後、舞台挨拶ではありませんが、映画製作、公開にあたっての功労者が前に呼ばれ花束贈呈。なぜか、「あんたも前に来ないと駄目だ」と言われ・・。身に余る恐縮でした。はっきりいって、映画に関しては何もしていません(プロの仕事ですし)。ただ、私はキャラバン旅行をしただけ。うろちょろしてただけ。上映日などはまさに映画を見ただけ。なのに?? 恐縮しまくり。
いずれにせよ
この団体が私を助けてくれている事、しっかり心に刻んで、私は私でこの団体に対してできることをやろうと思います。
今後ともどうぞよろしく、です。
Bremenからこんにちは(122)だまされたと言うべきか?は??

私がこの教会に足を運んだきっかけは、あるパンフレットでした。
キリスト教信者ではないので、礼拝にとりあえず興味はありませんでしたが、日本でも歌っていたゴスペル、しかも聖歌隊のようなクラシックなゴスペルではないブラックゴスペルをどうしても続けたいと思っており、手っ取り早く教会に行けば何かしらクワイアがあるだろう・・と考えました。しかし教会等星の数ほどあります。
そんな時に目にしたのが「Nacht der Kirchen」教会の夜。という催しのパンフレット。ブレーメンの至る所の教会で深夜まで音楽等の催しが繰り広げられるというイベント。このパンフレットに今所属する教会のクワイアが載っており、その写真が、黒人さんの歌っている様子、でした。「これだ・・」と思い、次の日曜日情報収集にその教会に足を運び、トントン拍子に加入。結局その「Nacht der Kirchen」イベントでも舞台に立たせてもらう、という素早さでした。
あれからもう2年。実は初回の「Nacht der Kirchen」だった2008年から2年経ち、20101年の今年第2回目の「Nacht der Kirchen」が開催されます。私にとっては思い出深いイベント。
でも、今年のパンフレットも私が目に留めたおんなじ写真。実際問題写真に映っていた女性は、正式なメンバーというよりセミプロみたいな方で、ポイントポイントのコンサート等で手伝いにきてくれる、というだけ。しかも最新の写真ではなかった模様。
つまり、この写真が使われた事に、特別な意図は特になく、ただあったから使った、という感じ。今年も然り。私はその写真にころりと騙された?わけです。
まあ、よしとしましょう。
木曜日, 9月 02, 2010
Bremenからこんにちは(121)憧れのあの地へ・・・
高校時代から憧れを抱いていた土地・・ドイツ・・。これは、大真面目に理由無く好きで住んでみたかった土地。それはさておき、もう一つ、小さな憧れを抱いていた所がありました。それは“ホットスポット”。今度このホットスポットを肌で感じることができそうです。
テンションあがりまくり・・・・!!!!!
今流行のパワースポットではないのでお間違いのないように。
ホットスポットです。ホットスポット。私の10年以上前からのの記憶によると、ホットスポットの上をプレートが動く。ホットスポットのからはマグマが吹き出て火山となる。よってプレートが動くのと反対方向に火山が連なる・・という“ホットスポット”・・。
素直にとっても楽しみです。
ペレーの毛とかペレーの涙とかも見られるのかな・・。わくわく。
テンションあがりまくり・・・・!!!!!
今流行のパワースポットではないのでお間違いのないように。
ホットスポットです。ホットスポット。私の10年以上前からのの記憶によると、ホットスポットの上をプレートが動く。ホットスポットのからはマグマが吹き出て火山となる。よってプレートが動くのと反対方向に火山が連なる・・という“ホットスポット”・・。
素直にとっても楽しみです。
ペレーの毛とかペレーの涙とかも見られるのかな・・。わくわく。
月曜日, 8月 30, 2010
Bremenからこんにちは(120)そしてすべて終わり


自分のステージも、劇グループのステージも、私自身の評価は60−70%。でも観客&他のメンバーからすると上出来だったらしく、私って自分に厳しい??と思わなくもないステージでした。
でも昔と比べて全く異なるのが、舞台に立った時の緊張感。私・・はっきりいって緊張ゼロ。前はもっと緊張して台詞もどっかへ飛んでいってしまう位だったけれど、今では、観客の反応を楽しんだり、アドリブかませたり・・な余裕まであります。尤も、このステージが、金銭の絡まないステージである事、観客がいわば身内である事、レベル的に高い物を求められていない事、など理由はありますが、練習よりも本番の方が余裕な自分が居ました。心臓強くなったのかな。且つ、ドイツ語でのフリートークも臆せずに発せるようになったし、昨年のキャラバン旅行でのドイツ語レベルよりは、少しは進んだかな、と思います。
しかも、昨年のキャラバン旅行を共に過ごしたベルリンの仲間もやってきてくれ、久しぶりの懐かしい再会を果たしました・・。
ま、このイベントのステージに当たっては、日本から多大なる援助を頂きました。この場を借りてもう一度御礼申し上げます。
ということで、2ステージとも楽しめましたし、次に繋がる終わり方が出来たかな・・と思います。劇グループの活動が今後も続くのは時間的に厳しいけれど、有無を言わさず参加させられそうな予感。
とまあ、こんな感じで8月は過ぎていきます。もう気温は日中でも20度以下。暖房を入れたいけれど、10月になるまでは我慢。洗濯物の乾きも悪い。
さて、今日から何を目標に頑張ろうかな〜〜。日本行きかな。
(写真は出来上がった竹テントとベルリンリームによる出し物)
日曜日, 8月 22, 2010
Bremenからこんにちは(119)あと一週間ですべて終わり


昨年の夏、Die Blaue Karawaneという団体のキャラバン旅行に参加してからもう一年が過ぎました。キャラバン旅行の終わりと共に始まったのがこの団体の25周年記念イベントを催す事の計画。2010年8月に。それから一年。この日に向けて、ほんの少しずつ話を詰めてきました。
個人的には、「私の日本と水」というタイトルでの講演?&音楽演奏があります。想像に反して、プログラムにも、ポスターにもタイトルが印刷されており、恐縮。単なる“前説”か“つなぎ”程度に時間を取ってもらえれば・・と思っていたのに、なんだか大げさな事になってきました。一応、やる事は決まっていますが、どうなることやら。失敗も愛嬌でごまかすしかありません。でも、この出し物に際し、日本からの多大な援助を頂いた事は事実ですし、出身県にもご協力を頂きました。県へは報告義務もあるようなので、それはまた終わってから・・・。ひとまず、この場を借りて皆様に感謝申し上げます。
それから、一緒に活動してきた劇グループの舞台も控えています。演出を担当してくれていた役者さんの病気等あり、新しく劇グループを率いる人材を探す事からやりなおし、なんやかんやでごっちゃごちゃのぐったぐただったグループですが、この週末の連日の通し稽古で、何となくですが出来上がってきました。もともと変わり者ばかり集まっているので、大凡のあらすじはあれども、決まった台詞、会話は特になし。毎回違ったダイアログで劇が進む・・アドリブ劇。私にはそれが特に大変だったのですが、(まあ、自分の話す事は決めています。じゃないとついていけないので)、ようやく慣れてきたかな・・と。
2つの出し物準備に大わらわ・・の8月。あと一週間で終わりです。この劇が終わったら、この団体との活動は少しお休みしよう・・と考えていましたが今になって、なんだか寂しくなってきました。終わりが見えたら、もっと続けたくなりました。うーん。まあ、とりあえず終わってから考えようっと。とりあえず、来週の発表に全力投球、と。
仲がいいとは決していえないグループの仲間ですが(笑)、頑張ろうね。
写真は会場となる、自力建設のテント。来週までに間に合うのか??と疑問の残る進み具合です。8月5日と8月19日撮影。2週間でもこんだけしか進んでない・・ってことだから(汗)


水曜日, 8月 18, 2010
Bremenからこんにちは(118)集まれ〜〜
ということで、実家からの招集(?)。
学校が始まるし、バイトも始めたし、これからの(本気度の低い)大学生活にお金がどんどんいるのに、一時帰国。故郷へ錦を飾る帰国という訳には・・全くいきませんが、とりあえず結構ぶりに日本の地を踏む事になりそうです。
帰国は年末年始。まだまだ先。よってこの先何が起こるか分からないので、確定!と言えませんが、帰国便は購入しました。以後は、この帰国を前提に身の振り方を考えることになります。(諸々動く為には、何か確定事項が無いとやりにくいので)。学校の冬休みを大幅に越えての帰国。学業への心配特大。
帰国便は・・・私には今まで手の届かなかったルフトハンザ。ドイツのナショナルフラッグ!!!!!!これがかなり嬉しい。決して飛行機マニアではありませんが、ルフトハンザに乗れるのは素直に嬉しい。
時期が時期なだけに、いろいろ調べたり、友達に聞いたりしました。経由に経由を重ねたり、溜まっているマイルを使ったり・・。格安航空会社の飛行機を使って、地道に日本へ近づいていく??とかまで(笑)。最終的にエミレーツ航空が安いよ、とのことで、そればかり値段チェックをしていましたが、購入ボタンをポチッと押す前に、最終確認・・と除いたルフトハンザの価格が許容範囲&身体に優しい価格。ということで決めました。
でも。はっきりいって、希望通りに帰れるのか疑問です。
でもまあ、今回は家族の「集まれ〜」があるので、諸々犠牲にしても帰国を適えようと思います。
帰国までの目標としては、
1.自発的に帰国不可能になる理由を作らない事。
(要するに、他に約束をしないのは勿論、病気にならない、怪我をしない、罪を犯さない等々)
2.少しは痩せたい
ここでは目立ちませんが、私の今の体型は日本では浮くこと間違いなし。あんまり期待は出来ませんが少しは絞りたい・・(涙)
そして帰国中の目標??
これも折角の機会なので、何か「これ」っていうことしたいなあ。
単発バイトがあると嬉しい。
もちろん親孝行。
友達とも会いたいなあ・・。
ま、とりあえず先走って航空券を押さえましたが(空席があるうちに&安いうちに、ということで)、なんとか諸々折り合いを付けて帰国できますように。(祈)(航空券代金が無駄になりませんように・・という事に対する祈りが最大(汗))
学校が始まるし、バイトも始めたし、これからの(本気度の低い)大学生活にお金がどんどんいるのに、一時帰国。故郷へ錦を飾る帰国という訳には・・全くいきませんが、とりあえず結構ぶりに日本の地を踏む事になりそうです。
帰国は年末年始。まだまだ先。よってこの先何が起こるか分からないので、確定!と言えませんが、帰国便は購入しました。以後は、この帰国を前提に身の振り方を考えることになります。(諸々動く為には、何か確定事項が無いとやりにくいので)。学校の冬休みを大幅に越えての帰国。学業への心配特大。
帰国便は・・・私には今まで手の届かなかったルフトハンザ。ドイツのナショナルフラッグ!!!!!!これがかなり嬉しい。決して飛行機マニアではありませんが、ルフトハンザに乗れるのは素直に嬉しい。
時期が時期なだけに、いろいろ調べたり、友達に聞いたりしました。経由に経由を重ねたり、溜まっているマイルを使ったり・・。格安航空会社の飛行機を使って、地道に日本へ近づいていく??とかまで(笑)。最終的にエミレーツ航空が安いよ、とのことで、そればかり値段チェックをしていましたが、購入ボタンをポチッと押す前に、最終確認・・と除いたルフトハンザの価格が許容範囲&身体に優しい価格。ということで決めました。
でも。はっきりいって、希望通りに帰れるのか疑問です。
でもまあ、今回は家族の「集まれ〜」があるので、諸々犠牲にしても帰国を適えようと思います。
帰国までの目標としては、
1.自発的に帰国不可能になる理由を作らない事。
(要するに、他に約束をしないのは勿論、病気にならない、怪我をしない、罪を犯さない等々)
2.少しは痩せたい
ここでは目立ちませんが、私の今の体型は日本では浮くこと間違いなし。あんまり期待は出来ませんが少しは絞りたい・・(涙)
そして帰国中の目標??
これも折角の機会なので、何か「これ」っていうことしたいなあ。
単発バイトがあると嬉しい。
もちろん親孝行。
友達とも会いたいなあ・・。
ま、とりあえず先走って航空券を押さえましたが(空席があるうちに&安いうちに、ということで)、なんとか諸々折り合いを付けて帰国できますように。(祈)(航空券代金が無駄になりませんように・・という事に対する祈りが最大(汗))
火曜日, 8月 10, 2010
Bremenからこんにちは(117)これからが本当の始まり

選考に通り、10月1日からの入学許可がでました。学生の選抜のある学科だったので、(外国人枠はあるだろうけど、建前上“選抜あり”となっていました)書類提出後今まで返事を待っていました。無事、選考に通った、ということです。(まあ、たいした選考は無かったと思われ)
半年分の学費214ユーロ(かなり安いです。これに救われてます。公共交通期間の定期代半年分込みなので)と、健康保険の証明を提出すれば入学が認められます。ぱちぱち。
ここにとどまりたい。ただそれだけの理由で始めた学生への道。入学タイミングは一年に一回しかないから、待ち時間&テスト挑戦、受験期間も長かったけど、これで外国人としてドイツ人の新入学生と同じスタートラインにたった事になります。
はっきりいって勉強はもういいです。勉強しても卒業したらいったい何歳??卒業して職にありつける保証も無い(そういう学部の専攻。役に立ちそうな学部には興味湧かない)。
バイトはなんとか始まったけど、それはそれ。
お金だって足りないし、ドイツの学生がめちゃくちゃ忙しくてバイトする暇もない事はよく聞く話。学業と生活をバイトで成り立たせるのは簡単ではないと思う。そもそもそれほど稼げない。
学期が始まったらまた生活に大きな変化がやってくる。それも不安。
自分で立っていない不安。
先の見えない不安。
何がしたいのかだんだん分からなくなってる不安。
本当は喜ばしい入学許可通知なのに、全然嬉しくない。
無条件に、理由も無く・・ただドイツが好きな気持ちだけは、誰にも負けない自信はあるけど、それだけじゃ足りないんだよね。きっと。
2年弱住んで、いろいろ経験させてもらって、ドイツ人にいらいらする事も、悲しくなる事も、やっぱり外国人・・だと思う事も一杯あって、でもでもブレーメンが好きです。ドイツが好きです。ここに居たいです。ただそれだけです。
現実の話、この入学許可で9月末までしかもらえなかった滞在許可の更なる延長ができる・・でしょう。
日曜日, 8月 08, 2010
Bremenからこんにちは(116)もはや歯医者マークではない


約二年前ブレーメンに来たとき、私はサッカースタジアムの近くに住んでいました。試合の度にごった返す人・・騒ぐ人、酔っぱらい・・。嫌悪感しかありませんでした。そしてブレーメンのチーム、Werder Bremenの「W」をかたどったようなマークは私には歯医者が掲げる「歯」のマークにしか見えませんでした。
しかし今年は・・。なんとファンの集いを覗きにいくまでに成長しました。
中央駅の裏、ブレーメンアリーナで行われたファン感謝祭ともいうべきイベント。選手のサイン会なども行われていた模様(もちろん入場制限があり、一日前から並ぶのも普通の事、と)。他には・・ファンショップやもろもろスポンサー関係のブースや・・とまあ、チームカラーの緑&白でいっぱいの感謝祭でした。一応、選手陣、コーチ陣のお披露目会?もあり、知らないながらにとりあえず雰囲気だけ楽しんで来ました。プロの人たちって(アスリートのみならず、舞台の人でも、歌手でもなんでも)、オーラと言うかパワーと言うかがあるので見るだけでそのお裾分けがもらえる気がします。
何がこんなにみんなを熱くさせるのか・・・グッズが飛ぶように売れるのか・・まだよく分かりません。ただ、今日この集いにいた人たちは、あくまで普通の人たち。特に熱狂的ファンでもなさそうで、でも少しファン的な。もしかしたら大多数はそんなものなのかも。「特に気にしてないし、特に考えたこともないけれど、いつも側にあるもの、サッカー&WerderBremen」なのかもしれません。
ブレーメン&ブレーメン市民を知るには格好の実地体験(?)となりました。
水曜日, 8月 04, 2010
Bremenからこんにちは(115)明るい都市 ラトビア リガ





7泊8日のラトビア旅行から戻ってきました。今回はゴスペルのプロジェクトの一環での滞在であり、首都のリガに7泊したものの、リガで1回、他2都市(200キロ以上離れた都市)にも日帰りで出かけてそれぞれ1回のコンサート、計3回のコンサートを行ったため、(まあそれが主目的)7泊したと言えども、観光できたのは、大部分がリガだけ。合間の自由時間&自由日でリガの街はかなり隈無く歩いて回りました。合計1000枚以上の写真撮影。
ラトビアについての事前の知識は・・バルト三国の中の一つ。エストニア・ラトビア・リトアニア・・と口をついて出るから、3国の中間に位置する・・旧ソ連の国。以上。きっと、薄暗く、貧しく、寂れた国なんだろう・・というのが先入観。でもドイツ人にとっては、ラトビアは「音楽の盛んな国」で、ラトビア出身のドイツ人もいること、特にブレーメンとはハンザ都市としての関連もある事から、近しい国として認識されているようでした。
私の中ではあくまで、“東”的なイメージが抜けずにリガに降り立ちましたが・・いやはや・・びっくり。季節的(緯度が高いので日が長い)なことも関連したのか、明るい明るい国です。ブレーメンより天気がいい。貧しさを感じさせない。やはり鶏口牛後・・なんでしょうか。わかりませんが、なんだかとっても発展した、先進国に引けをとらないレベルの都市・・の印象を受けました。先進技術がありながら、文化財保護の観点から古き良き街並を保存している・・という余裕さが伺えるような都市。(実際はそうではないんでしょうけれど)。でも、人口が少ない、自然が豊か(森ばっかり?)、内海に面する・・などなど地理的&空間的余裕・豊かさを感じるような所でした。きっと過大評価し過ぎなんだろうと思いますが、ブレーメンと大差ないくらいの、安堵感を覚える街でした。
リガは特に、アールヌーボー建築のメッカでもあります。なんと今でも850ものこの様式の建物が残っているとか。これについては・・また今度にします。(多分)
ゴスペルの仲間とはイマイチ仲良くなれずじまいでしたが(個人ペースで行動しすぎた為、経済的理由もあり)、いい体験をさせてもらいました。ゴスペルがあって本当によかった。
とりあえず街の様子が分かるような大雑把な写真をアップします。
日曜日, 7月 25, 2010
Bremenからこんにちは(114)1年11ヶ月ぶりの


火曜日早朝飛行機にてラトビアへ発ちます。こちらにきて1年と11ヶ月ほど。初めての飛行機。到着して以来の空港です。
団体旅行だし遅れる訳にはいかないので、ということで下見を兼ねて一度空港まで行ってきました。
空港のない都市に育ったので、空港=遠い イメージがありますが、ブレーメン空港は私の住まいからトラムで10分ほど。
ただ、私の家の方向に飛行機は飛んでこないので、空港を感じないだけなのです。場所によっては、着陸寸前でごっつい腹を見せる飛行機や、離陸して飛び立って行く飛行機をひっきりなしに見られるところもあります。飛行機を見るといつも思うのが、「飛びたい」。その飛びたいの中には、家族や友人に会いたいな〜〜という思いが含まれています。日本で生活したくはないですが、やはり家族には会いたい。母親の事を思うと、(レベルが違いすぎて不謹慎かもしれないですが)、東南アジア等へ出征した若い兵隊さん、シベリア等に抑留していた兵隊さんのことを考えます。長期にわたり家族に会えず、生きて会える保証も無い。多分何度も何度も思い出し、声に出して「お母さん」とつぶやき、涙し、自分を鼓舞させたんだろうな・・と考えてしまいます。
ま、そういう話はさておき。下見の空港。ブレーメン空港ってこんなんやったんや〜〜というのが正直な感想。
結構綺麗な空港です。私は、別の棟に追いやられている格安航空会社の飛行機で到着したので、全容を知らなかったようです。そして、今日やっと、1年11ヶ月前、私がどこに到着し、どの出口からでて、街までやってきたのか、それがやっと分かりました。
今度は飛行機でもゆっくり眺めに、カメラを持って来ようかな。
水曜日, 7月 21, 2010
Bremenからこんにちは(113)最近のこと
ブログの更新が・・すみません。特に何も無い毎日を送っていました。
週に何回かバイト。週に2回は高足のパフォーマンスグループの手伝い&練習。
あ、私もこも竹馬的高足で歩く練習を始めました。歩くだけならなんとか・できますが、段を登ったり、跳ねたり・・自分の足の一部として機能させることができるようになるまでには、まだまだ時間がかかりそうです。その他、イラストレーターやiMovieでの個人的&非個人的な作業@家、か、まあ、いろいろ。
まったく暑い日が続くのでやる気も起きない。でもボチボチ旅行準備(27日から)。ゴスペルコンサート衣装である、全身白もしくは全身黒を靴まで一緒にスーツケースに入れると、それだけで結構な荷物。これは意外。もっとスコスコ状態で行けると思ってました。あ、行き先はラトビアです。できればいろいろ物を減らして戻って来たいけれど、今回はサバイバルなバックパック旅行ではないから、決して捨てられない(捨ててはいけない)服やタオルや・・を持参する(独り部屋でもないし、恥ずかしくない程度の)物を同行させます。ああ、帰りが今から心配(スーツケースが閉まるか&飛行機の超過料金が取られないか)。そして準備もまだ完璧ではありません。
先々月に安売りで買ったDVDを2本見ました。(暇なのか??)何度か見た事のある映画。大好きな映画ではないけれど、総合的に好きな映画2本。安売りの狭い選択肢の中にあった2本なので仕方ありません。「仮面の男」と「12人の怒れる男」。共通点無し。(男優数>女優数が共通点????)
まず一つ目「仮面の男」。アレクサンドル・デュマの「ダルタニャン物語」をベースに、ルイ14世、鉄仮面伝説、三銃士+ダルタニャンを描いたフィクションの歴史映画。ディカプリオ好きではありません。念のため。まず映画内の音楽が素敵。サントラは映画を見た当時に即買いしてましたが、映画は久しぶりに見ました。私がミーハーなのか(?)、みんな格好いいです。“男っていいなあ”と素直に思えます。(自分が“女”であることが嫌な訳ではありませんが、ああいう“男のあり方”は“女”には決して真似の出来ない境地なので、純粋に憧れます。)。ネタばれしていないので、“なんのこっちゃ”でしょうが、映画の中を貫く“芯”のようなものがあって、それがブレない。そこに感動が生まれます。
そういえば、こういう“一本筋”の通った映画が好きなのかなあ。それで思い出したのが“ラスト・サムライ”。これも密かに好きです。トム・クルーズ好きではありません。念のため。
この2つの映画が好きな理由は多分同じ。単に戦う男に憧れるのでしょうか??(そうでは無いと思いたいけど)。社会的に見て正しいこと、間違っている事ってその時代・時代や、もしくは日ごとに変化するけれど、でもそれにとらわれず、自分の“正しい”と思った道、“信念”を貫き通す“男”の姿が格好いいのでしょう。“女”にはどう足掻いても太刀打ちできない“芯”があるように思うのです。(買い被りすぎ??)。
恐らく、このどちらの映画も、映画好きから言わせると“大作なのに(制作費だけは莫大にかかったのに)駄作”と言われる類いのものかもしれません。史実にも忠実でないし。でも、いいんです〜〜。スケールの大きな映画が好きなタイプではないので。(ハリウッドもの、CGを駆使したような大作は、SF、戦闘もの、は、基本的に好きではありません。疲れるので。好きなのは以下に書くようなやつ。)
で、次の映画。「12人の怒れる男」。これは私の一番好きな映画であり、邦画である「12人の優しい日本人」の原作とも言える作品。12人の陪審員の話です。外国語で見るのは結構厳しい作品(雰囲気で乗り切れない&分かった気になれない、一語一語スルーできない)ですが、脚本の翻訳を所持し(in日本)、字幕付きで映画も見た事があるし、そのパロディ「12人の優しい日本人」は100回くらい見ているので大丈夫。個人的には「12人の優しい日本人」のどんでん返しっぷり&これでもか・・と言わんばかりの縺れ具合とほどけ具合が大好きなので、「12人の怒れる男」は物足りないと言えば物足りないのですが、台詞一つ一つが全て“フリ”とも言え、後から“効いて”くる・・のを見るのが、私が見るときの醍醐味。まあ、いろんな見方があるでしょうし、自分の人生を重ね合わせてもいいでしょうが・・。敢えて、役者さんには言及しません。
ということで、リスニングの練習に今後もちょくちょく鑑賞しようかな、と思います。同じ映画を繰り返し見る事で覚える単語もあるだろうし。
週に何回かバイト。週に2回は高足のパフォーマンスグループの手伝い&練習。
あ、私もこも竹馬的高足で歩く練習を始めました。歩くだけならなんとか・できますが、段を登ったり、跳ねたり・・自分の足の一部として機能させることができるようになるまでには、まだまだ時間がかかりそうです。その他、イラストレーターやiMovieでの個人的&非個人的な作業@家、か、まあ、いろいろ。
まったく暑い日が続くのでやる気も起きない。でもボチボチ旅行準備(27日から)。ゴスペルコンサート衣装である、全身白もしくは全身黒を靴まで一緒にスーツケースに入れると、それだけで結構な荷物。これは意外。もっとスコスコ状態で行けると思ってました。あ、行き先はラトビアです。できればいろいろ物を減らして戻って来たいけれど、今回はサバイバルなバックパック旅行ではないから、決して捨てられない(捨ててはいけない)服やタオルや・・を持参する(独り部屋でもないし、恥ずかしくない程度の)物を同行させます。ああ、帰りが今から心配(スーツケースが閉まるか&飛行機の超過料金が取られないか)。そして準備もまだ完璧ではありません。
先々月に安売りで買ったDVDを2本見ました。(暇なのか??)何度か見た事のある映画。大好きな映画ではないけれど、総合的に好きな映画2本。安売りの狭い選択肢の中にあった2本なので仕方ありません。「仮面の男」と「12人の怒れる男」。共通点無し。(男優数>女優数が共通点????)
まず一つ目「仮面の男」。アレクサンドル・デュマの「ダルタニャン物語」をベースに、ルイ14世、鉄仮面伝説、三銃士+ダルタニャンを描いたフィクションの歴史映画。ディカプリオ好きではありません。念のため。まず映画内の音楽が素敵。サントラは映画を見た当時に即買いしてましたが、映画は久しぶりに見ました。私がミーハーなのか(?)、みんな格好いいです。“男っていいなあ”と素直に思えます。(自分が“女”であることが嫌な訳ではありませんが、ああいう“男のあり方”は“女”には決して真似の出来ない境地なので、純粋に憧れます。)。ネタばれしていないので、“なんのこっちゃ”でしょうが、映画の中を貫く“芯”のようなものがあって、それがブレない。そこに感動が生まれます。
そういえば、こういう“一本筋”の通った映画が好きなのかなあ。それで思い出したのが“ラスト・サムライ”。これも密かに好きです。トム・クルーズ好きではありません。念のため。
この2つの映画が好きな理由は多分同じ。単に戦う男に憧れるのでしょうか??(そうでは無いと思いたいけど)。社会的に見て正しいこと、間違っている事ってその時代・時代や、もしくは日ごとに変化するけれど、でもそれにとらわれず、自分の“正しい”と思った道、“信念”を貫き通す“男”の姿が格好いいのでしょう。“女”にはどう足掻いても太刀打ちできない“芯”があるように思うのです。(買い被りすぎ??)。
恐らく、このどちらの映画も、映画好きから言わせると“大作なのに(制作費だけは莫大にかかったのに)駄作”と言われる類いのものかもしれません。史実にも忠実でないし。でも、いいんです〜〜。スケールの大きな映画が好きなタイプではないので。(ハリウッドもの、CGを駆使したような大作は、SF、戦闘もの、は、基本的に好きではありません。疲れるので。好きなのは以下に書くようなやつ。)
で、次の映画。「12人の怒れる男」。これは私の一番好きな映画であり、邦画である「12人の優しい日本人」の原作とも言える作品。12人の陪審員の話です。外国語で見るのは結構厳しい作品(雰囲気で乗り切れない&分かった気になれない、一語一語スルーできない)ですが、脚本の翻訳を所持し(in日本)、字幕付きで映画も見た事があるし、そのパロディ「12人の優しい日本人」は100回くらい見ているので大丈夫。個人的には「12人の優しい日本人」のどんでん返しっぷり&これでもか・・と言わんばかりの縺れ具合とほどけ具合が大好きなので、「12人の怒れる男」は物足りないと言えば物足りないのですが、台詞一つ一つが全て“フリ”とも言え、後から“効いて”くる・・のを見るのが、私が見るときの醍醐味。まあ、いろんな見方があるでしょうし、自分の人生を重ね合わせてもいいでしょうが・・。敢えて、役者さんには言及しません。
ということで、リスニングの練習に今後もちょくちょく鑑賞しようかな、と思います。同じ映画を繰り返し見る事で覚える単語もあるだろうし。
日曜日, 7月 11, 2010
Bremenからこんにちは(112)勝手な言い分
FIFAワールドカップ南アフリカ大会2010はスペイン(すごっ。パウル君の予言百発百中や)の優勝で幕を閉じました。いやあ楽しませてもらいました。4年に一度のお祭りイベントとして十分に堪能しました。我らが(?)ドイツ代表は2大会連続3位。素晴らしい事だし、素敵な試合で楽しませてくれました。ドイツ代表ありがとう。
さて、日本においては依然としてドイツサポーターは少数派のようです。ニュースや試合の実況等でもどちらかというと相手国目線の解説が多かった、と見聞きしました。それだけ前評判は思わしくなく、スターも居らず、注目度は低いチームだったのでしょう。だから(か?)よく目にしたのがこの言葉“ゲルマン魂”。いずれにせよ従来よりドイツサッカー代表チームを描写する際によく使われる言葉のようですが、個人的には非常に違和感があります。そもそもゲルマン魂って何ですか?頑強で根性があって不屈の精神があって、質素倹約・・そんな感じですか?大移動した(?それに耐えた?)歴史的背景から想像しうる民族のイメージで、なんとなく“ゲルマン魂”って使ってるのでしょうか???もしくは、ドイツ人が頑張ればそれはすべて“ゲルマン魂”によってもたらされた、と解釈できるのですか?
個人的にはこのひとくくり感“ゲルマン魂”には違和感あり。なぜなら、現在のドイツ代表が非常に・・多文化背景を持った選手で構成されているから。選手23人のうち、実に11人が何らかの異文化(ドイツ以外の)背景を持ちます。名前だけ見ても一目瞭然。明らかに“ゲルマン”でない名前の選手もいますし、容姿を見れば、さらに明らか。思うに、彼らに“ゲルマン魂”は無いと思うのです。というより、持つ方が無理だと思うのです。彼らには彼ら独自の文化背景があり、それはどう足掻いても別のものに取り替えられないほど心の深奥に位置するものだと思うから。例えば私。ドイツ大好き。ブレーメン大好き。自転車で毎日街を走って、空気を吸い込んでいると、幸せだと感じ、ブレーメンをとっても愛しく感じます。でも、ゲルマン魂は残念ながら無い。あるとすれば大和魂かは。それと同じ。
ドイツのW杯における躍進に対し、トマス・メデジエール内相兼スポーツ相が「移民のお陰」と発言したそうです。ドイツのサッカーが政治や社会の仕組みと切り離しては考えられないことを考えさせられます。また、首相が公費で観戦したことをも鑑みると、「サッカーってドイツ人にとってどういう存在なの?」と思わずにはいられません。答えは・・たぶん見つけられないと思いますが・・。
さて、日本においては依然としてドイツサポーターは少数派のようです。ニュースや試合の実況等でもどちらかというと相手国目線の解説が多かった、と見聞きしました。それだけ前評判は思わしくなく、スターも居らず、注目度は低いチームだったのでしょう。だから(か?)よく目にしたのがこの言葉“ゲルマン魂”。いずれにせよ従来よりドイツサッカー代表チームを描写する際によく使われる言葉のようですが、個人的には非常に違和感があります。そもそもゲルマン魂って何ですか?頑強で根性があって不屈の精神があって、質素倹約・・そんな感じですか?大移動した(?それに耐えた?)歴史的背景から想像しうる民族のイメージで、なんとなく“ゲルマン魂”って使ってるのでしょうか???もしくは、ドイツ人が頑張ればそれはすべて“ゲルマン魂”によってもたらされた、と解釈できるのですか?
個人的にはこのひとくくり感“ゲルマン魂”には違和感あり。なぜなら、現在のドイツ代表が非常に・・多文化背景を持った選手で構成されているから。選手23人のうち、実に11人が何らかの異文化(ドイツ以外の)背景を持ちます。名前だけ見ても一目瞭然。明らかに“ゲルマン”でない名前の選手もいますし、容姿を見れば、さらに明らか。思うに、彼らに“ゲルマン魂”は無いと思うのです。というより、持つ方が無理だと思うのです。彼らには彼ら独自の文化背景があり、それはどう足掻いても別のものに取り替えられないほど心の深奥に位置するものだと思うから。例えば私。ドイツ大好き。ブレーメン大好き。自転車で毎日街を走って、空気を吸い込んでいると、幸せだと感じ、ブレーメンをとっても愛しく感じます。でも、ゲルマン魂は残念ながら無い。あるとすれば大和魂かは。それと同じ。
ドイツのW杯における躍進に対し、トマス・メデジエール内相兼スポーツ相が「移民のお陰」と発言したそうです。ドイツのサッカーが政治や社会の仕組みと切り離しては考えられないことを考えさせられます。また、首相が公費で観戦したことをも鑑みると、「サッカーってドイツ人にとってどういう存在なの?」と思わずにはいられません。答えは・・たぶん見つけられないと思いますが・・。
月曜日, 7月 05, 2010
Bremenからこんにちは(111)まだまだ現役
私の愛用MacさんはPowerBookG4。インテルマックになる前の最後のPowerBookG4です。購入は確か2004やったかなあ。かれこれもう5年以上、いや6年?使っている訳です。DVDも作れるし、メモリも奮発して積んでおいて、購入当時は最強マシン!でした。(使いこなせるかは別として)。それ以後インテルマックになってしまい、諸々との連携がはかれなくなり、OSのアップデートもできなくなり、(だからといってストレスは溜まりませんが)、次にやってくる(いつの話かは不明)マックとの格差に驚くんだろう・・とそして、いつコンピューターがフリーズしてしまうか・・と毎日の酷使を申し訳なく思っている次第。でも愛おしくてたまらないMacさんです。
このOS10.3.9で十分古い・・のに、今日久しぶりにクラシック環境で仕事してきました。ある印刷所の単発不定期バイト。なんでもロゴをスキャンして白黒のコマ広告を作る作業。スキャンしてフォトショップで処理、その後はフリーハンドでレイアウト。OSは9。9と10の違いは・・そりゃあ大きい・・のです。見た目、デスクトップの有り様が全く違う。仕様アプリのバージョンはフォトショプ6。フリーハンドこそ8でしたが、イラストレーターも入っているから・・ということで個人的にはそっちの方が慣れているので使おうとしたら、なんとバージョン5。・・・初めて見ました・・・。世の中CS。私もCS使ってみたいけど、高度すぎて使いこなせるのか心配・・ダッタリしますが、一線で仕事をし、顧客も抱え、顧客のニーズに合わせて(顧客がOKをだす)広告や冊子を作る(小さくても)会社が・・まだクラシック環境だなんて・・。しかも、作られる広告の適当な事適当な事・・・。私が顧客だったら絶対OKしません。でもこの会社はそれで儲けてるんだからねえ・・・世の中不思議です。
ということで、私の知識も独学&CS非対応ですが、なんとか(というより)かなり役立って戻ってきました。あれくらいのレベル&作業なら余裕でできます・・まあいつも着いて回るのが、果たしてやっていることは正しいのか?だけれども。(独学だから特に・・・)
また何か仕事あったら読んでください。ちなみに、クラシック環境のままなのにはとりあえず理由あり。他の桁違いに高い機械がクラシック環境でしか動かない、のだそうです。
このOS10.3.9で十分古い・・のに、今日久しぶりにクラシック環境で仕事してきました。ある印刷所の単発不定期バイト。なんでもロゴをスキャンして白黒のコマ広告を作る作業。スキャンしてフォトショップで処理、その後はフリーハンドでレイアウト。OSは9。9と10の違いは・・そりゃあ大きい・・のです。見た目、デスクトップの有り様が全く違う。仕様アプリのバージョンはフォトショプ6。フリーハンドこそ8でしたが、イラストレーターも入っているから・・ということで個人的にはそっちの方が慣れているので使おうとしたら、なんとバージョン5。・・・初めて見ました・・・。世の中CS。私もCS使ってみたいけど、高度すぎて使いこなせるのか心配・・ダッタリしますが、一線で仕事をし、顧客も抱え、顧客のニーズに合わせて(顧客がOKをだす)広告や冊子を作る(小さくても)会社が・・まだクラシック環境だなんて・・。しかも、作られる広告の適当な事適当な事・・・。私が顧客だったら絶対OKしません。でもこの会社はそれで儲けてるんだからねえ・・・世の中不思議です。
ということで、私の知識も独学&CS非対応ですが、なんとか(というより)かなり役立って戻ってきました。あれくらいのレベル&作業なら余裕でできます・・まあいつも着いて回るのが、果たしてやっていることは正しいのか?だけれども。(独学だから特に・・・)
また何か仕事あったら読んでください。ちなみに、クラシック環境のままなのにはとりあえず理由あり。他の桁違いに高い機械がクラシック環境でしか動かない、のだそうです。
Bremenからこんにちは(110)何故なのか考えてみる 独断と偏見
W杯関連の話題・・続けます。すっかりこの時期だけのにわかファンと化している私ですが、折角ここにいるので、今後もサッカーというものに触れていよう、その方がここでの生活がもっと潤うのではないか、と考えています。私のここでの今の状況は、大阪に住んでいてアンチ阪神だったり、読売社員でアンチジャイアンツだったり、静岡清水出身でサッカー嫌いだったりするのと、同じだから。
でも、その前に、何故自分がサッカーに耐えられるようになったか(競技側ではなく観戦側)を考えておきます。以下長くなります。
私のサッカーのイメージ。つまらない。かなり独断と偏見による意見ですが、日本(代表)のサッカーってなんだかつまらない。消極的なパス回しに、日本ではトップ、でも世界的には「?」付きの司令塔がいて、彼に頼るかと思い気や、彼のレベルは知れていて結局アテにならない。かといって、チームワークで勝負するのか、と思えば、なんともむちゃくちゃなぎくしゃく感。逆に海外のチームには、ファンタジスタ、スター、神・・・なるような存在が必ずいて、彼がボールを操る度にスタジアムが湧く。彼の調子のいい時は、見ていて面白いけど、彼も人間、浮き沈みあり。他のプレイヤーも彼には一目置き、彼を立てるような試合運びをしようと心がける。そして、(歴史的な背景もあり?)スポーツマンシップに則っているとは言えないようなラフなプレー、審判への抗議・・爽やかさとはかけ離れた要素満載。ということで、いずれも、私からすれば「11人のチームである意味って何???」で、チームスポーツの醍醐味がひとつも感じられないサッカーはとってもつまらない、という印象でした。この印象を早くに持ってしまってからは、先入観からサッカーを見る事はありませんでした。
しかし、W杯が始まり、ドイツ戦で初めて90分の観戦に挑戦。終わる頃には、すっかりドイツ代表サッカーに魅せられている自分がいました。何故でしょうか???その理由が、どなたか(複数)の“書き込みコメント”でやっと明らかになりました。ドイツ代表は決してややこしいことをやっていない。ボールを止めて蹴って、走って・・。基本的な事を選手全員が非常に高度なレベルでやっている、ということでした。だから、サッカーについては素人以下の私にも、とっても分かりやすい。そして、彼らは全員で戦っている感が見て取れます。一人一人の個人プレイに頼らず、全員でプレイしています。そして(だからこそ)強い。私の好きな三谷幸喜さんのドラマみたいです。主役はいなくって、登場人物一人一人にストーリーがある。12人の優しい日本人や、王様のレストランの登場人物のまとまり具合、チームワークに通じるものを感じてしまいます。だから、選手全員が多かれ少なかれ絡んでゴールを目指し、得点する姿に本当に“スカっ”とさせられるのです。
「奇跡を見たければ・・・」というミッシェル・サラゲッタ(分かる人には分かる)の言葉があります。次の試合でも、チームの一体感を持って、「奇跡」というか「必然」?の素晴らしい試合をしてほしいです。
追記・・。ドイツ代表サッカーが(私にとって)面白いのは、得点が入り、強いから・・ということも否めないようにも思います・・。今後私の心情がどう転んでいくか、自分でも分かりません。でも、サッカーに対する“食わず嫌い感”が薄らいだのは確かか・・と思います。
でも、その前に、何故自分がサッカーに耐えられるようになったか(競技側ではなく観戦側)を考えておきます。以下長くなります。
私のサッカーのイメージ。つまらない。かなり独断と偏見による意見ですが、日本(代表)のサッカーってなんだかつまらない。消極的なパス回しに、日本ではトップ、でも世界的には「?」付きの司令塔がいて、彼に頼るかと思い気や、彼のレベルは知れていて結局アテにならない。かといって、チームワークで勝負するのか、と思えば、なんともむちゃくちゃなぎくしゃく感。逆に海外のチームには、ファンタジスタ、スター、神・・・なるような存在が必ずいて、彼がボールを操る度にスタジアムが湧く。彼の調子のいい時は、見ていて面白いけど、彼も人間、浮き沈みあり。他のプレイヤーも彼には一目置き、彼を立てるような試合運びをしようと心がける。そして、(歴史的な背景もあり?)スポーツマンシップに則っているとは言えないようなラフなプレー、審判への抗議・・爽やかさとはかけ離れた要素満載。ということで、いずれも、私からすれば「11人のチームである意味って何???」で、チームスポーツの醍醐味がひとつも感じられないサッカーはとってもつまらない、という印象でした。この印象を早くに持ってしまってからは、先入観からサッカーを見る事はありませんでした。
しかし、W杯が始まり、ドイツ戦で初めて90分の観戦に挑戦。終わる頃には、すっかりドイツ代表サッカーに魅せられている自分がいました。何故でしょうか???その理由が、どなたか(複数)の“書き込みコメント”でやっと明らかになりました。ドイツ代表は決してややこしいことをやっていない。ボールを止めて蹴って、走って・・。基本的な事を選手全員が非常に高度なレベルでやっている、ということでした。だから、サッカーについては素人以下の私にも、とっても分かりやすい。そして、彼らは全員で戦っている感が見て取れます。一人一人の個人プレイに頼らず、全員でプレイしています。そして(だからこそ)強い。私の好きな三谷幸喜さんのドラマみたいです。主役はいなくって、登場人物一人一人にストーリーがある。12人の優しい日本人や、王様のレストランの登場人物のまとまり具合、チームワークに通じるものを感じてしまいます。だから、選手全員が多かれ少なかれ絡んでゴールを目指し、得点する姿に本当に“スカっ”とさせられるのです。
「奇跡を見たければ・・・」というミッシェル・サラゲッタ(分かる人には分かる)の言葉があります。次の試合でも、チームの一体感を持って、「奇跡」というか「必然」?の素晴らしい試合をしてほしいです。
追記・・。ドイツ代表サッカーが(私にとって)面白いのは、得点が入り、強いから・・ということも否めないようにも思います・・。今後私の心情がどう転んでいくか、自分でも分かりません。でも、サッカーに対する“食わず嫌い感”が薄らいだのは確かか・・と思います。
日曜日, 6月 27, 2010
Bremenからこんにちは(109)ドイツの歴史、私の歴史、私とドイツの歴史


結果。4対1の圧勝。前回不出場のクローゼも、セルビア戦でFKを外したポドルスキーもミュラーも決めてくれました。俄かサッカーファンというか、(ただの)ドイツ(国自体の)ファン・・・と言えども、ドイツ代表にそろそろかなりの愛着がわいてきており、嬉しい事この上無し。ああドイツ・・愛おしい限りです。試合後は自主?パレードで大盛り上がり〜〜〜。
その愛おしさを再確認させてくれたW杯を記念?してドイツのユニフォームを奮発しちゃいました。私の中では尋常じゃない金額ですが、まあ、この気持ちには返られないので。選手の番号と名前も入れられたけど、とりあえずは無し。初戦のオーストラリア戦から注目(というかこの試合で初めてドイツでサッカーを見た。)してたエジルかなあ・・。入れるなら。「8」の数字も末広がりで尚よし。(つーか日本人だけ)
ま、とりあえず、次回もユニフォームで応援します。ゲンを担いで同じ服装、ピアスにしよう・・っと。(日本戦もそうしようかな)
試合内容は・・まあ、4点も入ったので、個人的には次がなんだか不安ですが、ラインをゆうに越えていた(であろう)“疑惑のゴール”がありました。44年前の“疑惑ゴール”の借りを返した・・との声もありますが、いずれにせよ、またまた後世まで語り継がれる歴史がひとつ刻まれました。因縁の対決!というにふさわしい(?)“疑惑”付き。
そして、私にも、ドイツの勝利をドイツでドイツ人と体感したという歴史が刻まれました。ドイツ・・ますます好きです。
個人的には、バイトを探す関係で必要に迫られた、“衛生講習”なるものを受講し、その証明をもらいました。そしてバイト始まりました。また別には、職探しの為に、別に新聞広告を打ち、一つ面接に呼ばれているところです。(バイトでしか無理みたいだけど)。
ドイツに残るため、やる事はやらねばなりません。でも不安ばっかり。ドイツが好きだから・・だけでは生きていけない(どころか滞在もできない)のも事実。
月曜日, 6月 21, 2010
Bremenからこんにちは(108)やっと 収入?
滞在許可に学生としての就労許可が着いて、正式にアルバイトの許可が下りてから一ヶ月あまり、ドイツに居なかったりする時間もあったので、今になってしまったけれど、やっとバイトを見つけました。駅前のゲストハウスの朝食サービス係。勤務時間は午前中。
バイトを探す上で一番重要だったのが、内容と勤務時間。ホール係は(性格的に)向かない。そして自分の他の約束を考えると、17−18時には仕事が終わってほしい。ということで、事務とかそういうアルバイトが希望でした。本当は。でも外国人だし、言葉の面での障害がやはりあるし、一応学生の身分だし・・で、なかなか折り合いませんでした。
でも、やっと、とりあえず事務ではないけれど、まあ納得できるバイトが見つかりました。ゲストハウスなので、多国語話せる方が有利?なのか、もしくは外国人学生を雇うのが好きなのか、バイトは多国籍のようで、だから雇ってもらえたのかもしれません。
仕事内容は朝食ビュッフェの準備と後片付け。通常は一人で行うのだとか。今日の月曜日が試アルバイトであり、急募であった為かすぐに決定、土曜日から一人で働く事に。まあ、やってはいけない事さえやらなければ、いいのかもしれません。オーナーの人もそれほど心配していないようでしたので。私からすると、今日初めて仕事を見た人間に、次から一人で任せるそのあたりが理解できませんが。今までカフェとか、スキー場ロッジとかで働いて、まあキッチンの常識はある程度分かるけれども、やっぱり不安はあります。
残念なのは、一緒に働く人が居ないので結局会話の練習にはならないという事。
それから。今まで無給で働いていた教会のカフェ。好意で少しお金をもらえるかも、と言ったところです。教会のカフェなので、営利目的の営業はしていないので、その日の売り上げが人件費で消えてしまう(原価を考えるとマイナス)ので、心苦しいのですが・・。
加えて、これも長きに渡り無給で手伝ってきた高足(ステルツェン)のグループ。ここからも少しの生活援助を働きに応じていただける事になりました。
いずれにせよ、今まで無給で働いてきて、それで楽しくてよかった・・ところから賃金を頂くのは気が引けますが・・。
ということで、少しの収入ができる目処がたった反面、いろいろ考える事も増えそうです。頭回るかなあ・・。もうそんなに柔らかくないだろうし。
バイトを探す上で一番重要だったのが、内容と勤務時間。ホール係は(性格的に)向かない。そして自分の他の約束を考えると、17−18時には仕事が終わってほしい。ということで、事務とかそういうアルバイトが希望でした。本当は。でも外国人だし、言葉の面での障害がやはりあるし、一応学生の身分だし・・で、なかなか折り合いませんでした。
でも、やっと、とりあえず事務ではないけれど、まあ納得できるバイトが見つかりました。ゲストハウスなので、多国語話せる方が有利?なのか、もしくは外国人学生を雇うのが好きなのか、バイトは多国籍のようで、だから雇ってもらえたのかもしれません。
仕事内容は朝食ビュッフェの準備と後片付け。通常は一人で行うのだとか。今日の月曜日が試アルバイトであり、急募であった為かすぐに決定、土曜日から一人で働く事に。まあ、やってはいけない事さえやらなければ、いいのかもしれません。オーナーの人もそれほど心配していないようでしたので。私からすると、今日初めて仕事を見た人間に、次から一人で任せるそのあたりが理解できませんが。今までカフェとか、スキー場ロッジとかで働いて、まあキッチンの常識はある程度分かるけれども、やっぱり不安はあります。
残念なのは、一緒に働く人が居ないので結局会話の練習にはならないという事。
それから。今まで無給で働いていた教会のカフェ。好意で少しお金をもらえるかも、と言ったところです。教会のカフェなので、営利目的の営業はしていないので、その日の売り上げが人件費で消えてしまう(原価を考えるとマイナス)ので、心苦しいのですが・・。
加えて、これも長きに渡り無給で手伝ってきた高足(ステルツェン)のグループ。ここからも少しの生活援助を働きに応じていただける事になりました。
いずれにせよ、今まで無給で働いてきて、それで楽しくてよかった・・ところから賃金を頂くのは気が引けますが・・。
ということで、少しの収入ができる目処がたった反面、いろいろ考える事も増えそうです。頭回るかなあ・・。もうそんなに柔らかくないだろうし。
日曜日, 6月 20, 2010
Bremenからこんにちは(107)ドイツ大好き

結果は残念だったけど。まあ、お祭りの一こまということで楽しい時間を過ごしました。
ドイツ国歌を聞き、ドイツ人と一緒に応援し、PK場面では「ポドルスキー」コール。他人にはどう映っているか分からないけれど、自分では全く違和感無し。
改めて自分がドイツに居られること、多少のドイツ語が理解できること、こうやってドイツを応援できること、ここに居場所があること、に感謝し、やっぱりドイツ大好き!(W杯ドイツ代表という意味ではなく全体的に)って思いました。ドイツに来てよかった。諦めなくてよかった。
まだまだ生活は厳しいし、将来の展望も無いけれど、“後悔の無い事”が一番大事。(と思い込む)
あ、もちろん日本代表のこと、試合の事も気になります。これは言うまでもなく別次元の話。日本はどう頑張ってもドイツと同じ層には並びません。逆も然りで、ドイツはどう足掻いても日本と同じ基準では測れません。次元が違う、とはそういうこと。比べる事自体が無意味。日本は母国、ドイツは祖国?意味的には間違いだけど・・。
水曜日, 6月 16, 2010
Bremenからこんにちは(106)ワールドカップ始まる
先週から始まったのがワールドカップ南アフリカ大会。ドイツも日本に負けず、いやそれ以上に盛り上がっています。バンクーバー冬季オリンピックの時も、ベルリンの世界陸上の時もこんなには盛り上がってませんでした。ドイツの選手が何百人と参加していたオリンピックより、ドイツで開催されていた世界陸上より、異国開催のサッカーの世界大会で、何よりも街が熱いです。サッカー恐るべし。
ということで、ドイツの初戦、オーストラリア戦を家で観戦。諸事情あり一人で見ましたが、なかなか楽しめました。4点も入ったからかな?
ドイツのブンデスリーガも見た事が無い私。サッカーにはまるで興味なしの私。でもワールドカップはお祭りなので・・と。私の目に一番とまったのが、O(ウムラウト)zilという8番を付けた選手。(私の目から見て、独断と偏見&素人判断で“良い動き〜〜”という意味で)ブレーメンの所属の選手だそうです。ふうん。あと、他にも3人もブレーメン(WEDER BREMEN)から代表入りしているとか。へええ。(あくまで他人事)。一番ボールに触っていたのは7番のSchweinschteigerかなあ。一番実況でよく聞きました。攻撃の起点なのかもしれません。よく分からないけど。
あと、10番を付けた、Podolskiという選手。この選手の名前は・・。Goooooogleのように見えます。ドイツのユニフォームは要注意!!。というのも、細い自体で背中に書かれた大文字での名前は、PODOLSKI。「ODO」(オーディーオー)がすべて「OOO」(オーが三つ)に見えます。愛称なのか、それともギャグなのか・・と思いました。(笑)。
ということで14インチのテレビでの観戦は迫力に欠け、画面の文字もよく見えず、名前は実況で聞いて覚えるような観戦でしたが、ふむ。ちょっとずつ親近感沸いてきました。次の試合も多分見れるかな〜〜。
ということで、ドイツの初戦、オーストラリア戦を家で観戦。諸事情あり一人で見ましたが、なかなか楽しめました。4点も入ったからかな?
ドイツのブンデスリーガも見た事が無い私。サッカーにはまるで興味なしの私。でもワールドカップはお祭りなので・・と。私の目に一番とまったのが、O(ウムラウト)zilという8番を付けた選手。(私の目から見て、独断と偏見&素人判断で“良い動き〜〜”という意味で)ブレーメンの所属の選手だそうです。ふうん。あと、他にも3人もブレーメン(WEDER BREMEN)から代表入りしているとか。へええ。(あくまで他人事)。一番ボールに触っていたのは7番のSchweinschteigerかなあ。一番実況でよく聞きました。攻撃の起点なのかもしれません。よく分からないけど。
あと、10番を付けた、Podolskiという選手。この選手の名前は・・。Goooooogleのように見えます。ドイツのユニフォームは要注意!!。というのも、細い自体で背中に書かれた大文字での名前は、PODOLSKI。「ODO」(オーディーオー)がすべて「OOO」(オーが三つ)に見えます。愛称なのか、それともギャグなのか・・と思いました。(笑)。
ということで14インチのテレビでの観戦は迫力に欠け、画面の文字もよく見えず、名前は実況で聞いて覚えるような観戦でしたが、ふむ。ちょっとずつ親近感沸いてきました。次の試合も多分見れるかな〜〜。
火曜日, 6月 15, 2010
Bremenからこんにちは(105)ブレーメンの一員として


14日はその開会式。ブレーメン市のホールで開催されました。4500人ほどの参加者と、その付き添い者等8000人ほどの選手、観客で埋まったホール。私は何をしていたかと言うと、この開会式にステルツェン(高足でのパフォーマーの)グループと出演。(補助も兼ねて)
夜19時半からの開会式に、11時から準備を始め・・まったく長い一日になりました。
でも、ブレーメンでの開催を支え、ドイツ各地からの参加者を歓迎する立場に立っていた訳ですからなかなか感慨深いものがありました。
屋内でのパフォーマンス、多くの団体、参加者が出入りする、狭い空間の中でのステルツェン(高足)の脱着は大変でしたが、まあ、数回練習していた事もあり、パニックは無し。無事終わってほっとしました。
さて、私も一度ステルツェン(高足)に乗ってみました。竹馬の手のほうが無いバージョンなので、重心の位置が微妙に違うのですが、小股で前進はできました。これからも少しずつトレーニングを重ね、いずれは、みんなとステルツェン(高足)で出演できるようになりたいな(?。個人的には地上での補佐の方がよっぽど向いているはずで、メンバーも誰かが地上に居る方が安心)。まあどうなることやら。
月曜日, 6月 07, 2010
Bremenからこんにちは(104)急展開・・何が起こるか分からない
先日ブログに書きました。ナイジェリア行きのプロジェクトが中止になったと。でもそのかわりに、どこかから振って沸いたわけではなく、一人にの参加者の尽力でラトビア行きが浮上。ほぼ同じ日程で、ラトビア3カ所で歌えるかも、と。おおおお急転回。急展開。
先日の土曜日、プロジェクトが破綻したのにも関わらず集まり&練習があり、50人居るはずの参加者の中でも来たのは15人ほど。ここでラトビア行きが正式に発表され、参加者にラトビアへ行く意志確認。ナイジェリアだから、という理由で参加した人はもちろんNOである可能性があるので、参加意志の確認は必須。20人を切るようだと、遂行は困難だし・・。ということで、まあ恐らく50人中20人は練習に来なかったとしてもプロジェクトには戻ってくるはずなので、楽観してよいかと。そのうち本決まりになるでしょう。
今度心配になるのは、治安とかより金銭問題。スポンサーが居ないので。一緒に行くプロのギャラ等もあるし。難しいところです。
私は、とにかく、払い込んだお金以上の支出が無いことを切に祈るばかりです。
先日の土曜日、プロジェクトが破綻したのにも関わらず集まり&練習があり、50人居るはずの参加者の中でも来たのは15人ほど。ここでラトビア行きが正式に発表され、参加者にラトビアへ行く意志確認。ナイジェリアだから、という理由で参加した人はもちろんNOである可能性があるので、参加意志の確認は必須。20人を切るようだと、遂行は困難だし・・。ということで、まあ恐らく50人中20人は練習に来なかったとしてもプロジェクトには戻ってくるはずなので、楽観してよいかと。そのうち本決まりになるでしょう。
今度心配になるのは、治安とかより金銭問題。スポンサーが居ないので。一緒に行くプロのギャラ等もあるし。難しいところです。
私は、とにかく、払い込んだお金以上の支出が無いことを切に祈るばかりです。
火曜日, 6月 01, 2010
Bremenからこんにちは(103)やっとすっきり
4月20日。この日は、私が最後に受けたテストの日でした。それから6週間。やっと結果が発表されました。結果・・・17点。・・・及第点です。
思えば昨年7月の受験(14点)、11月の受験(14点)と失敗し、4月20日が3回目の受験でした。でもこのテストとは別のテストに合格して大学応募条件は満たしたため、結果はもうあまり関係ないけど、今までドイツに来てからこのテスト対策のような授業を受けて来たので、どうしてもクリアしておきたいテストだ・・という理由で受験した3回目、4月20日。何回受けても点数が延びない人を見てきた中、まあ、上記理由から気楽と言えば気楽、でも合格しないままではすっきりしない・・し・・と複雑な思いでの受験。
結果、大幅アップの17点。ちなみに、最高得点は20点です。このテスト、読解、リスニング、筆記、口述の4部門あって、各部門5点が最高得点。成績の5段階評価のようなもので、3と4と5の間には大きな差があります。例えば読解で言えば、全30問のうち、得点3をもらうには、16−18問正解、得点4で19−21、22問正解あたり、得点5は25問正解以上・・のように幅があり、その都度のテストの難易度により異なるので、一得点差は、一問の正誤に関係ありません。というテスト。
今回もこけた気満々でしたが、今までより3得点アップしたいうのは、私の中では非常に大きく、大満足の結果。ただ、一つ欲を言えば、一回目から得点4だった読解が今回も4だったということ。・・ココは・・・伸びてないっていうか、伸びが(伸びたと思いたい)得点に直結しなかったって事。これが悔しい。
ま、でもでも。これで大腕振って街が歩けます。(大げさ?)
証書入手までには少し時間がかかりますが、楽しみです・・。
というか、このテストでつまづいている時点で、まだまだ・・なんですけどね。
身を引き締めなければ。
思えば昨年7月の受験(14点)、11月の受験(14点)と失敗し、4月20日が3回目の受験でした。でもこのテストとは別のテストに合格して大学応募条件は満たしたため、結果はもうあまり関係ないけど、今までドイツに来てからこのテスト対策のような授業を受けて来たので、どうしてもクリアしておきたいテストだ・・という理由で受験した3回目、4月20日。何回受けても点数が延びない人を見てきた中、まあ、上記理由から気楽と言えば気楽、でも合格しないままではすっきりしない・・し・・と複雑な思いでの受験。
結果、大幅アップの17点。ちなみに、最高得点は20点です。このテスト、読解、リスニング、筆記、口述の4部門あって、各部門5点が最高得点。成績の5段階評価のようなもので、3と4と5の間には大きな差があります。例えば読解で言えば、全30問のうち、得点3をもらうには、16−18問正解、得点4で19−21、22問正解あたり、得点5は25問正解以上・・のように幅があり、その都度のテストの難易度により異なるので、一得点差は、一問の正誤に関係ありません。というテスト。
今回もこけた気満々でしたが、今までより3得点アップしたいうのは、私の中では非常に大きく、大満足の結果。ただ、一つ欲を言えば、一回目から得点4だった読解が今回も4だったということ。・・ココは・・・伸びてないっていうか、伸びが(伸びたと思いたい)得点に直結しなかったって事。これが悔しい。
ま、でもでも。これで大腕振って街が歩けます。(大げさ?)
証書入手までには少し時間がかかりますが、楽しみです・・。
というか、このテストでつまづいている時点で、まだまだ・・なんですけどね。
身を引き締めなければ。
Bremenからこんにちは(102)居ない間に大変な事に
私がデンマークのカーニバルに出ている間に、少し大変な出来事が起こっていました。昨年末からちょっとしたオーディションを経て、ブレーメンだけでなく界隈の都市から参加者が集まる夏のナイジェリア行きプロジェクト。諸々の事情から中止・・とな。先日土曜日の練習日に発表されました。
スポンサーが下りた、受け入れ先教会等が安全面を懸念、バンドが下りた・・等々プロジェクト遂行するに無くてはならない数点が欠けたため、中止、と。
私はこの発表の際に居合わせていなかったので、なんとも言えませんが、恐らく大変な論議がなされたのではないでしょうか。
私の懸念事項は以下の通り。振り込んだお金は無事戻ってくるのか。注射代、ビザの写真代等・・までとは言いません。(地方都市の人は毎回練習の旅に3、4時間かけてブレーメンまで来ていたのです。12月から予定が組まれ、休みの調整等みんな必死だったのです。それがお金に換算できるとしたら・・損害賠償請求を考えてる人もいたりして)とにかく、参加費として振り込んだ分は戻ってくるのか?
今後予定されていた、ドイツ国内でのお披露目(金稼ぎ)コンサートはどうなるのか?今後の練習日は??何もかも明らかならず。
昨日の月曜日、そのプロジェクト代表に会いましたが、周囲の怒り&落胆とは裏腹に暢気なものです。アフリカの人が持つ、特有の楽天さ・・からくるのでしょうか?? ま、私は常日頃からこの代表にはお世話になっていると言えば世話になっているので、ぶつぶつ文句は言いません。ナイジェリアに行って、何か大変な事が起こってからでは遅いので、彼の決断は勇気ある後退・・であり英断であるとも言えるでしょう。
ま、でも予定が立たないので、6月に控えていた練習やコンサートがどうなるのか、だけはっきりしてね〜〜。
スポンサーが下りた、受け入れ先教会等が安全面を懸念、バンドが下りた・・等々プロジェクト遂行するに無くてはならない数点が欠けたため、中止、と。
私はこの発表の際に居合わせていなかったので、なんとも言えませんが、恐らく大変な論議がなされたのではないでしょうか。
私の懸念事項は以下の通り。振り込んだお金は無事戻ってくるのか。注射代、ビザの写真代等・・までとは言いません。(地方都市の人は毎回練習の旅に3、4時間かけてブレーメンまで来ていたのです。12月から予定が組まれ、休みの調整等みんな必死だったのです。それがお金に換算できるとしたら・・損害賠償請求を考えてる人もいたりして)とにかく、参加費として振り込んだ分は戻ってくるのか?
今後予定されていた、ドイツ国内でのお披露目(金稼ぎ)コンサートはどうなるのか?今後の練習日は??何もかも明らかならず。
昨日の月曜日、そのプロジェクト代表に会いましたが、周囲の怒り&落胆とは裏腹に暢気なものです。アフリカの人が持つ、特有の楽天さ・・からくるのでしょうか?? ま、私は常日頃からこの代表にはお世話になっていると言えば世話になっているので、ぶつぶつ文句は言いません。ナイジェリアに行って、何か大変な事が起こってからでは遅いので、彼の決断は勇気ある後退・・であり英断であるとも言えるでしょう。
ま、でも予定が立たないので、6月に控えていた練習やコンサートがどうなるのか、だけはっきりしてね〜〜。
木曜日, 5月 27, 2010
Bremenからこんにちは(99)ポーランドに行ってきた




ブレーメンで最初に通っていた語学学校で半年以上に渡り同じクラスで学び、同じ年齢、誕生日も5日違いと言うポオーランド人女性マルタ。この女性と久しぶりに再会した縁で、彼女が近くに里帰りをする事を知り、突然突然ポーランドに行く事に。明日28日からはデンマーク行きだというのに忙しい日程で20日午後遅くのバスで21日早朝着。25日夜現地発、26日朝にブレーメンに帰ってくる、と。
ブログに書くのはデンマークから戻ってから余力があれば、にします。
とりあえず写真アップ!!
訪れたのはLegnicaというドイツとの国境からそんなに離れていないポーランド南西の都市。
90%以上がカトリックということで、マルタのご家族の家には、イエスキリストやローマ法王の写真が・・。街には、カトリックの教会、修道院等々。
中心部分はこじんまりして、徒歩で観光。人々は優しく穏やか。でも、東欧ならではの貧しさ、古さのようなものを感じるところもあり、その古さが日本の古い街(整備が追いつかない市の路地裏とか、築云年の家が建ち並ぶところとかそんなの)の懐かしさを感じる部分も往々にしてあり。
特に食べ物は、“日本食にあるコク”を思い出すような感じ。ドイツの料理に“表面的な味”だと憤慨する私ですが、そういう感想は皆無。家庭料理ばかり頂きましたが、味付けはとても日本的。特にマヨネーズ。ドイツのマヨとは全く違う・・。
訪れた観光都市がブレスラウ。ここはポーランドでも3本の指?にははいるかも?という観光地。観光客を迎えるのが小さな小人の像たち。探して回るのも面白い。
まあ、私にはポーランドの日常をマルタとともに体験する事の方がよっぽど楽しかったです。
ポーランド。東欧な部分、EUとしてのヨーロッパな部分、日本的にな繊細さや真面目さを感じる部分・・。派手さは無いけれどとても印象深い国でした。
マルタといつもごちそうしてくれたご家族に感謝します。
まずはLegnicaの写真をいくつか。600枚以上撮ったので整理も並大抵の事ではない・・。(汗)
月曜日, 5月 17, 2010
Bremenからこんにちは(98)ひとつひとつ
月日が経つのは早い。
テストが終わったのが4月20日。その週末コンサートがあって、5月頭に友人が日本から来て、もう一つ小さなコンサートがあって、書かねばならなかったテキストを3、4つドイツ語で、2つ日本語で書いて、個人的な計画の外堀埋め、打診、メール打診等々行い・・外付けHDにもろもろ保存したり、写真を整理したり、滞在許可の更新にいったり、それに伴い、バイト探し&履歴書書きにいそしんだりしているともう5月17日。早い・・。
ということで、これも2月くらいから気になっていた事。
1:お世話になっている教会シニアクラスの人数が思ったより増えない事に対ししばしば話し合われていたのだが、個人的に密かに、張り紙でもしよう(といっても、教会の建物内に。公にする物ではない)と思っていた。張り紙を作ってから提案しようと。今までシニアの大きな行事の際にはカメラを携えて行き、撮影していたので、その写真を使って、張り紙を作る事。

2:これもお世話になっている、高脚パフォーマンス集団の写真も溜まってきて、最近は写真やヘルパーではなく、そのメンバーの一員参加が増え、写真のタイミングがもうないので、そのグループの張り紙も作る事。アトリエの扉にでも貼ってもらおう、と。(公にする物ではない)

で、私の愛用古いマックでせくせく。作業開始の前に、とりあえず空き容量を(かろうじて)14GBに増やし(他のデータを別保存して消去)、開始。そもそも、パソコンの古さはさておき、張り紙作りの第一工程=写真の準備(クリッピング)で、一枚に2時間ほどかかる。容量が大きすぎて動かないのではなく、細かいから。もしかしてもっとスムーズなやり方が有る??間違ってる??無駄にややこしくしすぎ??
そして更に、写真をいじって、フォトショップで背景作りするだけで、パソコンがフリーズしないまでも、作業&保存に鬼ほど時間がかかる。あっという間に空き容量は一桁に。
続くイラストレータでの保存にも、時間はかかり、パソコンはうなり・・。そのうち火でも吹くか、バチっといって固まってしまい、画面が黒くなるか・・と思うくらい。どれほど時間がかかるねん〜〜。合間に何でも出来るわ・・くらいの待ち時間を経て、保存、変更、保存・・。気の遠くなるような作業。
でも、せっかちな私が、待っていられるのは、こういう細かいというか自己満足と言うか・・の作業が結構すきだから。でも今まで何度となく、こういう酷使はしてきたけど、パソコン君は無事だった、というマックとの信頼関係があるから。
ということで、夜なべをしつつ、(でももう変更して再保存は面倒。もう動かしたくない・・という希望を込めて無理矢理終わらせた感もあるが)、2月以来貯めていた作業をまた一つ終わらせました。
一つ一つ確実に終わっていっています。大学も無く、語学学校も無く、テストも無く、仕事も無い・・でも身辺整理するにはちょうどいい。天気も思わしくない日が3週間ほど続いたので、更に○。
でも、時間があると、妙にメールを書く。買い物をして、買いだめをしたくなる。(いずれは使う消耗品を一気に買うのが好き)という弊害もあります。それはさておき、はあ、やっと印刷までこぎ着けました・・・。と。
テストが終わったのが4月20日。その週末コンサートがあって、5月頭に友人が日本から来て、もう一つ小さなコンサートがあって、書かねばならなかったテキストを3、4つドイツ語で、2つ日本語で書いて、個人的な計画の外堀埋め、打診、メール打診等々行い・・外付けHDにもろもろ保存したり、写真を整理したり、滞在許可の更新にいったり、それに伴い、バイト探し&履歴書書きにいそしんだりしているともう5月17日。早い・・。
ということで、これも2月くらいから気になっていた事。
1:お世話になっている教会シニアクラスの人数が思ったより増えない事に対ししばしば話し合われていたのだが、個人的に密かに、張り紙でもしよう(といっても、教会の建物内に。公にする物ではない)と思っていた。張り紙を作ってから提案しようと。今までシニアの大きな行事の際にはカメラを携えて行き、撮影していたので、その写真を使って、張り紙を作る事。

2:これもお世話になっている、高脚パフォーマンス集団の写真も溜まってきて、最近は写真やヘルパーではなく、そのメンバーの一員参加が増え、写真のタイミングがもうないので、そのグループの張り紙も作る事。アトリエの扉にでも貼ってもらおう、と。(公にする物ではない)

で、私の愛用古いマックでせくせく。作業開始の前に、とりあえず空き容量を(かろうじて)14GBに増やし(他のデータを別保存して消去)、開始。そもそも、パソコンの古さはさておき、張り紙作りの第一工程=写真の準備(クリッピング)で、一枚に2時間ほどかかる。容量が大きすぎて動かないのではなく、細かいから。もしかしてもっとスムーズなやり方が有る??間違ってる??無駄にややこしくしすぎ??
そして更に、写真をいじって、フォトショップで背景作りするだけで、パソコンがフリーズしないまでも、作業&保存に鬼ほど時間がかかる。あっという間に空き容量は一桁に。
続くイラストレータでの保存にも、時間はかかり、パソコンはうなり・・。そのうち火でも吹くか、バチっといって固まってしまい、画面が黒くなるか・・と思うくらい。どれほど時間がかかるねん〜〜。合間に何でも出来るわ・・くらいの待ち時間を経て、保存、変更、保存・・。気の遠くなるような作業。
でも、せっかちな私が、待っていられるのは、こういう細かいというか自己満足と言うか・・の作業が結構すきだから。でも今まで何度となく、こういう酷使はしてきたけど、パソコン君は無事だった、というマックとの信頼関係があるから。
ということで、夜なべをしつつ、(でももう変更して再保存は面倒。もう動かしたくない・・という希望を込めて無理矢理終わらせた感もあるが)、2月以来貯めていた作業をまた一つ終わらせました。
一つ一つ確実に終わっていっています。大学も無く、語学学校も無く、テストも無く、仕事も無い・・でも身辺整理するにはちょうどいい。天気も思わしくない日が3週間ほど続いたので、更に○。
でも、時間があると、妙にメールを書く。買い物をして、買いだめをしたくなる。(いずれは使う消耗品を一気に買うのが好き)という弊害もあります。それはさておき、はあ、やっと印刷までこぎ着けました・・・。と。
金曜日, 5月 14, 2010
Bremenからこんにちは(97)なるほど。こういうやり方も

以前劇場で普通の舞台を見た事があったので、今回は場所が違い、屋外では有るけれども、屋外ならではの演出&夏だからということで、屋外舞台でのマスク劇なのだと思っていました。
題名は「Dem Himmel so Nah」。死を意識した題名で、老いや、死やといった暗くなりがちなモチーフをマスクを用い、ブラウマイヤー的に表現していました。
表現方法は、会場の特徴を存分に生かしていました。
まず、会場は、スポーツやキャンプや川遊びや・などを楽しむウェーザー川沿いの施設。道に面した管理棟を通り抜けると、森やスポーツ場などになっているのです。その各施設の建物や、平地を利用し、まさに動物園のように、縄で中に入り込めないようにした、各コーナーが設けられています。老いや死や、死後向かうであろうHimmel=空を意識した表現がそこにはあります。鑑賞者は、順路に従い、その各コーナーを歩いて巡って回るのです。万国博覧会のパビリオン的です。
老人ホームや、空に近づこうとする飛行機技師、掘られたお墓に飛び込むかどうか躊躇っている人、墓の中でけんかする夫婦、天国の天使・・キリストの昇天祭のこの日にまさにふさわしい催しでした。
驚くのは、演じているのは素人で、私の友人も何人かいるほど。マスクをして別人になりきりやすいとはいえ、その音楽に合わせたゆっくりとした動き、マスクの表情にぴったりの動作は、私を十分に感動させてくれました。さすがブラウマイヤー・・。音楽も、ライトも、大道具も、すべてがこの会場の条件にマッチし、素晴らしい!!の一言。“死”等の感じ方は人それぞれでしょうが、私はこういう魅せ方もあることを学んだ気がします。なるほど・・。
私の出入りするラクダの団体は、元はと言えば、ブラウマイヤーと共に、ある団体の傘下にあり、非常に強い関係をもっていたのですが、諸事情あり現在ではほぼ別団体として活動しています。でもラクダの団体と、ブラウマイヤーと両方に参加している人も多いのが現状。私も十分に興味はあるのですが、如何せん何かとやる事が多く・・叶わないのが現状。

月曜日, 5月 10, 2010
Bremenからこんにちは(96)母の日と父の日
母の日も終わってしまった・・と思ったら、やってくるのが父の日。間髪入れずに父の日。だって、ここでは父の日は(今年は)5月13日。6月の第三日曜日ではないのです。
私の住むドイツでは、母の日は日本と同じく5月の第二日曜日。しかし、父の日は、昇天祭というキリスト教の祝日そのものになります。イースターの復活祭から数えて40日後の木曜日にやってくる祝日。移動祝日になりますので、4月末から6月初旬にあたります。(簡単に説明すると、十字架にかかり、死に至ったイエス・キリストの復活を祝うのがイースター。その40日後に昇天したことを祝うのが昇天祭です)
ただの日曜日に毛が生えた程度の“母の日”と、国民の祝日と制定されている“父の日”。ドイツにおいては、果たしてどちらの存在が大きいのでしょうか??
“母の日”の“母”はあくまで“親族間の女性、母親”。それら女性への感謝を表す機会となる日です。逆に、“父の日”の“父”には、“親族間の男性、父親”の意味は感じられません。“父”すなわち、“天のお父様”“天の神様”なのです。国民皆でキリスト教における“父”を祝う。この時に用いる“父”という単語は、家族構成を表す“父”“母”とは切り離して考えるべきで、もはや、別格なのです。
そうなると、“親族間の女性、母親”に対する“親族間の男性、父親”に感謝する日が存在しない事になりますが、そこにはやはり、どこにでも存在するであろう「家庭・家の内における“母”と“父”の役割の差」が物申しているのかもしれません。
父の日、という祝日だけれど、この日はとっくに、“家族で過ごす祝日”になっている・・と年配の方が言っていました。キリスト教関係の祝日は得てして“家族の”日にあたるのかもしれません。生命の、生活のベースに“天の神様、イエスキリスト、そして精霊”の存在が無意識に存在しているのでしょう。
私の住むドイツでは、母の日は日本と同じく5月の第二日曜日。しかし、父の日は、昇天祭というキリスト教の祝日そのものになります。イースターの復活祭から数えて40日後の木曜日にやってくる祝日。移動祝日になりますので、4月末から6月初旬にあたります。(簡単に説明すると、十字架にかかり、死に至ったイエス・キリストの復活を祝うのがイースター。その40日後に昇天したことを祝うのが昇天祭です)
ただの日曜日に毛が生えた程度の“母の日”と、国民の祝日と制定されている“父の日”。ドイツにおいては、果たしてどちらの存在が大きいのでしょうか??
“母の日”の“母”はあくまで“親族間の女性、母親”。それら女性への感謝を表す機会となる日です。逆に、“父の日”の“父”には、“親族間の男性、父親”の意味は感じられません。“父”すなわち、“天のお父様”“天の神様”なのです。国民皆でキリスト教における“父”を祝う。この時に用いる“父”という単語は、家族構成を表す“父”“母”とは切り離して考えるべきで、もはや、別格なのです。
そうなると、“親族間の女性、母親”に対する“親族間の男性、父親”に感謝する日が存在しない事になりますが、そこにはやはり、どこにでも存在するであろう「家庭・家の内における“母”と“父”の役割の差」が物申しているのかもしれません。
父の日、という祝日だけれど、この日はとっくに、“家族で過ごす祝日”になっている・・と年配の方が言っていました。キリスト教関係の祝日は得てして“家族の”日にあたるのかもしれません。生命の、生活のベースに“天の神様、イエスキリスト、そして精霊”の存在が無意識に存在しているのでしょう。
Bremenからこんにちは(95)ダシの人。


別に、本格的にとったダシの味を求めているわけでは有りません。顆粒のお手軽だしの素で十分なのです。このダシの味って、ブイヨンとかコンソメ等、野菜や肉系の味のベースと似て非なる物で、やっぱり“ダシ”じゃないと満足できない・・。
それってやっぱり、生まれ育った環境が大きく左右するのでしょう。“ここの料理はどれも大味で、味が表面的に感じる。ダシがないから”と言ったら、“マスタードなしでソーセージを食べるようなものかなあ?”とドイツ人。まあ、そんな感じでしょう。
この地にも中国人、韓国人を始めとしたアジア系の人間はそれなりにいるので、SUSHIという食べ物も比較的知られています。
ドイツ人の作った寿司、と韓国人の作った巻き寿司=所謂キムパブを頂く機会がありました。残念ながら、寿司はそれほど私の郷愁をそそらないようです。だって、寿司は濃い口醤油で食べるから。キムハブは醤油は使わないから。関西人の味付けは、ダシは、・・薄口醤油を使って仕上げる!!!!!薄口の味でないと、どうやら心には響かないようです。
薄口醤油をブレーメンで見かけたことはまだありません。あったとしても贅沢品なので買いませんけれども。
水曜日, 5月 05, 2010
Bremenからこんにちは(94)進歩 と思う事にする。なんか最近これ関係の話ばっかり。
こんな話ばかりでごめんなさい。本日5月5日こどもの日。こちらでは普通の水曜日。久しぶりに大学併設の役所へ。
滞在許可延長のため。原稿の滞在許可は7月1日まであるので急ぐ必要はまったくないけれど、
1)ぞろ目の日付が気持ちいい&行く気になった
2)ナイジェリア行きのビザ申請のためパスポートが徴収される“その日”がやってくる可能性がある
3)現行滞在許可に付随する備考頁の就労許可の条件を、普通の正規学生レベルに引き上げてもらい、あたらな備考頁を得るため
の3理由があったから。
私の装備としては
1)大学側が役所にあてた手紙「この人物は大学応募の条件を満たしており、学生選抜の結果が出るのを待つだけである」的な。
2)役所が提出を求める書類すべて
の至って普通。
担当官は、私が正式に学生として登録されていない(学生選抜に通れば晴れて10月1日より新学期が始まる)ことを理由に、9月30日までの滞在許可延長を許可しました。
なぬ〜〜〜〜〜〜〜〜。一年じゃないの?(怒)
と思ったかといえば、今回はそう思えない理由がありました。
担当官の思いは、
9月末までに大学側の答えが出ているだろうから、それをもってもう一度滞在を延長しろ、ということ。「もし、今1年延長して、大学に籍がもらえず、帰国(を私が望む事態)・・となったら、滞在許可1年延長費を無駄に払う事になる。この短期の延長はならば手数料15ユーロですむので、この子にはこの方が得だ」ということです。そして、学期の区切れとビザの区切れをうまくリンクさせてやろう.・・という担当官のプラス意図が読み取れました。
決して追い出される危機や、大学に正式に受け入れられていない輩に1年の滞在許可はやれない!という厳しい現実を感じる対応では有りませんでした。
ということで、延長はたったの5ヶ月分。そして正式に学業が始まっていない身分。だから今回も、学籍が確定し、学生になるまでは正規学生同等のアルバイト許可が貰えないだろう・・とちょっと沈んだのですが、最大の武器1)を携帯していたため、就労許可も頂けました。よかったーー。よく考えたら、学業もないし、むっちゃ働くチャンス??なのでしょうか。でも残念ながら、バイトの出来そうな時間はほとんどない。趣味関係の活動が多すぎる・・。どうしよ。
ま、今回の役所の対応は、すごく筋が通っていて、論理的で、分かりやすく、理不尽さが皆無。素直に納得&得心して戻ってきました。
さて、バイト探そうっと。
滞在許可延長のため。原稿の滞在許可は7月1日まであるので急ぐ必要はまったくないけれど、
1)ぞろ目の日付が気持ちいい&行く気になった
2)ナイジェリア行きのビザ申請のためパスポートが徴収される“その日”がやってくる可能性がある
3)現行滞在許可に付随する備考頁の就労許可の条件を、普通の正規学生レベルに引き上げてもらい、あたらな備考頁を得るため
の3理由があったから。
私の装備としては
1)大学側が役所にあてた手紙「この人物は大学応募の条件を満たしており、学生選抜の結果が出るのを待つだけである」的な。
2)役所が提出を求める書類すべて
の至って普通。
担当官は、私が正式に学生として登録されていない(学生選抜に通れば晴れて10月1日より新学期が始まる)ことを理由に、9月30日までの滞在許可延長を許可しました。
なぬ〜〜〜〜〜〜〜〜。一年じゃないの?(怒)
と思ったかといえば、今回はそう思えない理由がありました。
担当官の思いは、
9月末までに大学側の答えが出ているだろうから、それをもってもう一度滞在を延長しろ、ということ。「もし、今1年延長して、大学に籍がもらえず、帰国(を私が望む事態)・・となったら、滞在許可1年延長費を無駄に払う事になる。この短期の延長はならば手数料15ユーロですむので、この子にはこの方が得だ」ということです。そして、学期の区切れとビザの区切れをうまくリンクさせてやろう.・・という担当官のプラス意図が読み取れました。
決して追い出される危機や、大学に正式に受け入れられていない輩に1年の滞在許可はやれない!という厳しい現実を感じる対応では有りませんでした。
ということで、延長はたったの5ヶ月分。そして正式に学業が始まっていない身分。だから今回も、学籍が確定し、学生になるまでは正規学生同等のアルバイト許可が貰えないだろう・・とちょっと沈んだのですが、最大の武器1)を携帯していたため、就労許可も頂けました。よかったーー。よく考えたら、学業もないし、むっちゃ働くチャンス??なのでしょうか。でも残念ながら、バイトの出来そうな時間はほとんどない。趣味関係の活動が多すぎる・・。どうしよ。
ま、今回の役所の対応は、すごく筋が通っていて、論理的で、分かりやすく、理不尽さが皆無。素直に納得&得心して戻ってきました。
さて、バイト探そうっと。
日曜日, 5月 02, 2010
Bremenからこんにちは(93)したためる 認める
「○○したため」
と読んだら、何を思うか? 私って少数派でしょうか?
本日、また日本へ逃避行・・的に動画サイトを見ていました。いつも同じようなジャンル、出演者の番組ばかり再生するので、サイト側が気を利かせて、
「あなたへのオススメ」をトップページに提示してくれます。その動画の小窓のしたに「Aを再生したため」と出ます。
つまり、「Aという動画を再生したことを理由に、あなたは、**系統の番組を好むと判断、よってBという動画をお薦めします」ということ。
この解釈にたどり着くのに、数ヶ月、いや半年?一年?かかったことになります。
ずーっと「したため」(認め)やと思っていました。動画サイトの表現になんだかそぐわないなあ・・という違和感はありましたが、こういう少し文語チック語彙は大好きなので、むしろ好感を持って眺めていました。
私の解釈はこうです。
「A動画をアップしている人が、動画を検索する人に気を利かせ、Aやそれに関連するBに同じタグを埋め込み、検索等にヒットするように、意図的に動画のURL等を操作してくれている状態」のことをが「再生したため」だと。AとB動画の関連付けを行うこと、そのタグをURLに“したためる”ことがつまり「再生したため」。
しかし「Aを再生したため」を私流に解釈する場合、格助詞「を」に違和感が残ります。「Aを」は不要だし、「タグ埋め込み済み」という意味を表したいならば、「再生したため済」等が適当なはず。文章的におかしい。けれども、“思い込んだら”的な性格のため、勝手に「A を(を・にも)再生したため」→「Aにも再生したため」と転じ、(つまり、画面に小窓状態であるのはお薦めされているB動画であり、過去に見たA動画は、無い訳だから)、「ここに表示されているB画像にももちろん“したため”てありますが、あたながかつて見たA動画にも実は“したため”があったのです。その“したため”つながりで今、ここにB動画があがってきています。決して怪しくはありません」。とまあ、こういう風に言われているのだとずーっと思っていました。
こういう風に思っていた人、特に少なくないのでは?と思うのは私だけでしょうか?
(最近写真が少なくてごめんなさい。カメラは順調ですし、撮影もしてます。しかしブログ用に携帯での撮影が減ってるかな・・。)
と読んだら、何を思うか? 私って少数派でしょうか?
本日、また日本へ逃避行・・的に動画サイトを見ていました。いつも同じようなジャンル、出演者の番組ばかり再生するので、サイト側が気を利かせて、
「あなたへのオススメ」をトップページに提示してくれます。その動画の小窓のしたに「Aを再生したため」と出ます。
つまり、「Aという動画を再生したことを理由に、あなたは、**系統の番組を好むと判断、よってBという動画をお薦めします」ということ。
この解釈にたどり着くのに、数ヶ月、いや半年?一年?かかったことになります。
ずーっと「したため」(認め)やと思っていました。動画サイトの表現になんだかそぐわないなあ・・という違和感はありましたが、こういう少し文語チック語彙は大好きなので、むしろ好感を持って眺めていました。
私の解釈はこうです。
「A動画をアップしている人が、動画を検索する人に気を利かせ、Aやそれに関連するBに同じタグを埋め込み、検索等にヒットするように、意図的に動画のURL等を操作してくれている状態」のことをが「再生したため」だと。AとB動画の関連付けを行うこと、そのタグをURLに“したためる”ことがつまり「再生したため」。
しかし「Aを再生したため」を私流に解釈する場合、格助詞「を」に違和感が残ります。「Aを」は不要だし、「タグ埋め込み済み」という意味を表したいならば、「再生したため済」等が適当なはず。文章的におかしい。けれども、“思い込んだら”的な性格のため、勝手に「A を(を・にも)再生したため」→「Aにも再生したため」と転じ、(つまり、画面に小窓状態であるのはお薦めされているB動画であり、過去に見たA動画は、無い訳だから)、「ここに表示されているB画像にももちろん“したため”てありますが、あたながかつて見たA動画にも実は“したため”があったのです。その“したため”つながりで今、ここにB動画があがってきています。決して怪しくはありません」。とまあ、こういう風に言われているのだとずーっと思っていました。
こういう風に思っていた人、特に少なくないのでは?と思うのは私だけでしょうか?
(最近写真が少なくてごめんなさい。カメラは順調ですし、撮影もしてます。しかしブログ用に携帯での撮影が減ってるかな・・。)
木曜日, 4月 29, 2010
Bremenからこんにちは(92)次の 一歩 そして備忘録
今日みどりの日。ブレーメン大学の国際秘書課に、英語レベルの証明書を提出し、(2009年12月3日付けで取得したB1レベルのもの)し、これで全ての書類を提出し終わった事になります。後は、応募者数が受入数を上回る為に実施される選抜を経て、8月末に結果が来るようです。
先にも書きましたが、大学入学の流れを、別方面からまとめておきます。
ブレーメン大学 学部生応募 私の場合
1)2009年4月頃
Uni-assistというセンターに、書類送付。大学入学資格を有する事の証明(私の場合、日本の大学学部卒なので、その証明等)と、各大学毎に用意されている願書。
(学部志願者はUni-assistへ、修士以降は大学への直接応募になります。つまり、このセンターで、“大学で学ばせていいものかどうか”が試験されます。)
2)2009年5月
Uni-assistから返事。Eingangsbest閣igung が届く。受け入れ許可のようなもので、書類の審査に通ったので、手数料なるもの55ユーロを払えと言うお達し。→払い込む
3)2009年6月初旬
更に、Uni-assistからメールと封書。このお達しは、ブレーメン大学に、「これこれこういう輩が、大学に応募している」旨が伝わしましたよ、という報告。
4)2009年6月中頃
Uni-assistから連絡を受けた大学が、私へBest閣igungを送りつける。いわば、応募受付の認可証のようなもの。
このBest閣igungは滞在許可延長云々の作業の際にも一役買います。
無事2009年7月1日 新滞在許可入手。但し、真の学生ではなく、“ただ勝手に応募したい気持ちがある人”なので、就労は認められず。
5)世の中夏休み
6)2009年10月
学生の身分はもらえないのか?の相談。1)の書類は、時期的に見て、2009/10の冬セメスター(つまり。2009年10月新学期)から学業開始の人と同じタイミングに送付したけれど、語学等必要な前提が欠けていたため、勿論、学生にはなれない。不合格。よって、1)〜4)の作業は無駄??になるかと思われた・・ところに登場したのが“準備学期”。外国人に認められた、語学力等の準備期間。準備学期の準備学生は正規の学生と同じ学費を払い、公共交通機関の切符をもらえます。
国際秘書課の言い分としては、今学期は間に合わなかったけれど、入学を目指して、語学学校に通っていれば、準備学生として受け入れてやろう。というもの。しかし語学コースをの開講は無いブレーメン大学。自分でコースに申し込み、その証明をもってして、Einschreibung 所謂入学許可、但し、準備学生としての。をゲット。
7)2009年10月
6)のEinschreibung しかし、正規学生ではない。お陰で、滞在許可に就労許可がつく。但し、語学学校等に通わないとならない身分であることは、そのEinschreibungからは明らかであるため、法律で定められた学校のお休み期間のみ可能という条件付き。そんな状態で、長期のバイトは・・・ということで仕事は無し。
8)2009年10月〜2010年4月
(落ち続けている)TestDaF、C1(この合格書で、ドイツ語力の証明書の代わりとする)、TestAS、応募学部により課される英語力、等のテストを受け、証書を集める。(テスト関連は、先のブログを)
9)2010年2月
4月からの春セメスターの学費を振り込む。それにより、学生証や、定期が送られてくる。同時に、Uni-assistで昨年査定されていた、私の全書類は、すべてブレーメン大学へ移送。以後、Uni-assistは関与しません、とのお達しを受ける。
10)2009年4月末
滞在許可延長の為、も含めたBest閣igungを入手。入学の為の全書類、全証書を大学側に提出し、後は、選抜を待つのみです、ということを認める手紙。お役所提出用。
やっと10)まで来ました。これで、滞在許可を延長する際に、恐らく、日数の制限はあれども、期間の制限は無いアルバイト許可が貰えるはず・・。選抜があるので、学生になれるかはおいといて。ただ、次の段階が目の前に来ている事は確か。気を引き締めつつ、喜びつつ・・。
これからドイツで学ぼう(学部で)と思っている方、短期留学や、交換留学、芸術系の大学でない方・・はまあだいたいこんな感じの流れだと思います。
ご参考までに。
先にも書きましたが、大学入学の流れを、別方面からまとめておきます。
ブレーメン大学 学部生応募 私の場合
1)2009年4月頃
Uni-assistというセンターに、書類送付。大学入学資格を有する事の証明(私の場合、日本の大学学部卒なので、その証明等)と、各大学毎に用意されている願書。
(学部志願者はUni-assistへ、修士以降は大学への直接応募になります。つまり、このセンターで、“大学で学ばせていいものかどうか”が試験されます。)
2)2009年5月
Uni-assistから返事。Eingangsbest閣igung が届く。受け入れ許可のようなもので、書類の審査に通ったので、手数料なるもの55ユーロを払えと言うお達し。→払い込む
3)2009年6月初旬
更に、Uni-assistからメールと封書。このお達しは、ブレーメン大学に、「これこれこういう輩が、大学に応募している」旨が伝わしましたよ、という報告。
4)2009年6月中頃
Uni-assistから連絡を受けた大学が、私へBest閣igungを送りつける。いわば、応募受付の認可証のようなもの。
このBest閣igungは滞在許可延長云々の作業の際にも一役買います。
無事2009年7月1日 新滞在許可入手。但し、真の学生ではなく、“ただ勝手に応募したい気持ちがある人”なので、就労は認められず。
5)世の中夏休み
6)2009年10月
学生の身分はもらえないのか?の相談。1)の書類は、時期的に見て、2009/10の冬セメスター(つまり。2009年10月新学期)から学業開始の人と同じタイミングに送付したけれど、語学等必要な前提が欠けていたため、勿論、学生にはなれない。不合格。よって、1)〜4)の作業は無駄??になるかと思われた・・ところに登場したのが“準備学期”。外国人に認められた、語学力等の準備期間。準備学期の準備学生は正規の学生と同じ学費を払い、公共交通機関の切符をもらえます。
国際秘書課の言い分としては、今学期は間に合わなかったけれど、入学を目指して、語学学校に通っていれば、準備学生として受け入れてやろう。というもの。しかし語学コースをの開講は無いブレーメン大学。自分でコースに申し込み、その証明をもってして、Einschreibung 所謂入学許可、但し、準備学生としての。をゲット。
7)2009年10月
6)のEinschreibung しかし、正規学生ではない。お陰で、滞在許可に就労許可がつく。但し、語学学校等に通わないとならない身分であることは、そのEinschreibungからは明らかであるため、法律で定められた学校のお休み期間のみ可能という条件付き。そんな状態で、長期のバイトは・・・ということで仕事は無し。
8)2009年10月〜2010年4月
(落ち続けている)TestDaF、C1(この合格書で、ドイツ語力の証明書の代わりとする)、TestAS、応募学部により課される英語力、等のテストを受け、証書を集める。(テスト関連は、先のブログを)
9)2010年2月
4月からの春セメスターの学費を振り込む。それにより、学生証や、定期が送られてくる。同時に、Uni-assistで昨年査定されていた、私の全書類は、すべてブレーメン大学へ移送。以後、Uni-assistは関与しません、とのお達しを受ける。
10)2009年4月末
滞在許可延長の為、も含めたBest閣igungを入手。入学の為の全書類、全証書を大学側に提出し、後は、選抜を待つのみです、ということを認める手紙。お役所提出用。
やっと10)まで来ました。これで、滞在許可を延長する際に、恐らく、日数の制限はあれども、期間の制限は無いアルバイト許可が貰えるはず・・。選抜があるので、学生になれるかはおいといて。ただ、次の段階が目の前に来ている事は確か。気を引き締めつつ、喜びつつ・・。
これからドイツで学ぼう(学部で)と思っている方、短期留学や、交換留学、芸術系の大学でない方・・はまあだいたいこんな感じの流れだと思います。
ご参考までに。
月曜日, 4月 26, 2010
Bremenからこんにちは(91)すでに4度目。Ein alter Hase----
マスクワイアで歌うプロジェクトsingout。去年から参加し、そのプロジェクトリーダーが別に教えるクワイアで歌っている事もあり、すでに(プロジェクトの練習には参加しないけれど、最後のコンサートにだけ出させてもらう・・を含め)4回目のコンサート。これが24日の土曜日にありました。今回は、過去に、ブレーメンを初め、ニーダーザクソン州の各地でこのプロジェクトに参加し、それぞれの都市で過去に行われたコンサートに出て、プロジェクトの終了を迎えていた人も、追加の練習とワークショップに参加すれば今回24日のコンサートに出れる、というシステムがありました。ブレーメン界隈でプロジェクトが煮詰まった感があり、その北ドイツでの集大成的なコンサートだったことになります。
本来、通常半年続き、最後のコンサートで終了するこのプロジェクトに参加するには50ユーロかかり、今回の例外措置(追加練習とワークショップ(プロによる)&コンサート)だけならば25ユーロ・・が参加費でした。
他の参加者に言うと、怒られると思うのですが、私に対する例外中の例外措置。すべて無料でさせてもらいました。ありがたいことです。収入の無い事は、親しくしているプロジェクトリーダーも周知の事実で、それでも歌いたい気持ちだけは人一倍あり・・(このプロジェクトの一環でナイジェリアに行きます。この費用は払っています)、その辺の気持ちを汲んでくれているのです。
本当に有難い・・。
観客よりも、プロジェクト参加者のコンサートで歌う側が一番楽しんでいるであろうコンサート。はっきりいって、私。かなりディレクションに従順で、優秀な方なので、そこを買ってくれているのかもしれません。マスクワイアにはある程度のまとまりが必要で、好き勝手歌ってばかりでは駄目だし・・。歌っている時は、随時ディレクションをガン視。アイコンタクトとりまくり。比較的“使える”クワイアの一人・・なのかも、と喜んでいいのかも知れません。
ふむ。
本来、通常半年続き、最後のコンサートで終了するこのプロジェクトに参加するには50ユーロかかり、今回の例外措置(追加練習とワークショップ(プロによる)&コンサート)だけならば25ユーロ・・が参加費でした。
他の参加者に言うと、怒られると思うのですが、私に対する例外中の例外措置。すべて無料でさせてもらいました。ありがたいことです。収入の無い事は、親しくしているプロジェクトリーダーも周知の事実で、それでも歌いたい気持ちだけは人一倍あり・・(このプロジェクトの一環でナイジェリアに行きます。この費用は払っています)、その辺の気持ちを汲んでくれているのです。
本当に有難い・・。
観客よりも、プロジェクト参加者のコンサートで歌う側が一番楽しんでいるであろうコンサート。はっきりいって、私。かなりディレクションに従順で、優秀な方なので、そこを買ってくれているのかもしれません。マスクワイアにはある程度のまとまりが必要で、好き勝手歌ってばかりでは駄目だし・・。歌っている時は、随時ディレクションをガン視。アイコンタクトとりまくり。比較的“使える”クワイアの一人・・なのかも、と喜んでいいのかも知れません。
ふむ。
水曜日, 4月 21, 2010
Bremenからこんにちは(90)なんかイライラする。なんかちょっと違うんだねえ。
誰しも、生活の中で身についたというか癖や習慣になってしまっている、言い回しや文調がある。だから作家さんの作品を読んでいても、読みやすい人、読みにくい人(あくまで自分から見て)がいたり、翻訳作品でも、上手い訳(自分が理解しやすい、読んでいて気持ちがいい日本語)の時とそうでない時がある。
でも、絶対的に(相対的にではなく)美しい日本語は、読んで気持ちがよく、声に出して読むと更に気持ちがいい。物を書く事を生業としている人は、こういう読み手の感じ方を考慮しながら言葉を選び、文を組み立てているはず。だから、不快な気持ちにさせる文を故意に書いたりもできる。(ンだと思う)。でも残念ながら一般人は、自分の言葉の、自分の文における特徴やそれが他人に与える印象等を、自分で感じることができない。周りからのフィードバックに頼るしかない。大半の人は多分、そもそも、特におかしな日本語を使っているわけでも、素敵な日本語を素敵な文を書いている訳でもない、あくまで普通・・だと思っている。
知人友人とはメールを介してのやり取りが主流になっているけれど、「性格上の書き回しかなあ〜〜」と思える程度の特徴を持つメールが大半で、きわめて普通のメール、文。尤もメールで奇をてらう必要は無く、必要な情報、お知らせが、誤解無く伝わればそれでいいわけなので、頑張って美しい日本語を書く必要はない。だから特に特徴のない文章になるのは、当然。
ただ・・。一人見つけた。ちょっと“違うんじゃない?”と思うメールを書く人を。仕事柄大丈夫なのか?と思ってしまう。
今まで気に留めていなかったけれど、その人のメールを“おかしな日本語。伝わらない日本語”であると定義すると、これまでの事がすべて納得できた。
それほど酷い状態ではないけれど、なんだかとっても理解しにくいメール。書くにも時間がかかる(話すより)のがメールなので、出来れば簡潔に誤解無く伝えたいはずなのに、その辺の考慮はなく、かといって長く書いてくる訳でもなく、情報不足の、どちらとも意味が取れるような、判断材料に欠ける、曖昧な、はっきりしない、短いメールを送って来る。いつも肝心なところを抜かして・・。疲れる。
私はどちらかと言うと“長い”人なので、そこは反省すべきところ。“大は小を兼ねる”ではないけど、書くべき情報を漏れなく網羅するためにそうなっているだけで・・(と自己擁護)。
ちなみに、我が母親は、時々ちんぷんかんぷんなメールのやり取りで笑わせてくれる。これは、もう仕方が無い、と諦めの域。その点父親は簡潔明瞭(感情隠しのため?)。対照的で面白い。
でも、絶対的に(相対的にではなく)美しい日本語は、読んで気持ちがよく、声に出して読むと更に気持ちがいい。物を書く事を生業としている人は、こういう読み手の感じ方を考慮しながら言葉を選び、文を組み立てているはず。だから、不快な気持ちにさせる文を故意に書いたりもできる。(ンだと思う)。でも残念ながら一般人は、自分の言葉の、自分の文における特徴やそれが他人に与える印象等を、自分で感じることができない。周りからのフィードバックに頼るしかない。大半の人は多分、そもそも、特におかしな日本語を使っているわけでも、素敵な日本語を素敵な文を書いている訳でもない、あくまで普通・・だと思っている。
知人友人とはメールを介してのやり取りが主流になっているけれど、「性格上の書き回しかなあ〜〜」と思える程度の特徴を持つメールが大半で、きわめて普通のメール、文。尤もメールで奇をてらう必要は無く、必要な情報、お知らせが、誤解無く伝わればそれでいいわけなので、頑張って美しい日本語を書く必要はない。だから特に特徴のない文章になるのは、当然。
ただ・・。一人見つけた。ちょっと“違うんじゃない?”と思うメールを書く人を。仕事柄大丈夫なのか?と思ってしまう。
今まで気に留めていなかったけれど、その人のメールを“おかしな日本語。伝わらない日本語”であると定義すると、これまでの事がすべて納得できた。
それほど酷い状態ではないけれど、なんだかとっても理解しにくいメール。書くにも時間がかかる(話すより)のがメールなので、出来れば簡潔に誤解無く伝えたいはずなのに、その辺の考慮はなく、かといって長く書いてくる訳でもなく、情報不足の、どちらとも意味が取れるような、判断材料に欠ける、曖昧な、はっきりしない、短いメールを送って来る。いつも肝心なところを抜かして・・。疲れる。
私はどちらかと言うと“長い”人なので、そこは反省すべきところ。“大は小を兼ねる”ではないけど、書くべき情報を漏れなく網羅するためにそうなっているだけで・・(と自己擁護)。
ちなみに、我が母親は、時々ちんぷんかんぷんなメールのやり取りで笑わせてくれる。これは、もう仕方が無い、と諦めの域。その点父親は簡潔明瞭(感情隠しのため?)。対照的で面白い。
Bremenからこんにちは(89)それだけのことなのに
アイスランドの火山の灰でヨーロッパの空は、ある意味すっきり。でも人はそれを“交通マヒ”とのたまふ。
こういう火山噴火とか地震のニュースを見聞きする度に、高校の地学を思い出すのだけれど、(もろに文系の頭しか持ち合わせていないけれど、地学は好きでした)、まあそれは置いておいて。あ、高校で思い出したけれど、(あ・・・また話が脱線しそうな予感)高校1年やったか2年やったか・・の現代社会の夏休みの宿題で、「戦争体験の聞き取り」をしました。私は、未成年で出征し、終戦後もシベリア抑留を経て、終戦2年後(やったかな?)帰国した祖父に話を聞き、レポートにまとめましたが、思えばそんな辛い話をよく語ってくれたものです。思い出すのも嫌だったろうに。で、今思うこと。あの時書き留めた内容をあんまり細かく覚えていないこと。高校時代は未だ手書き時代。録音したりデータ保存していたりすることはありません。宿題として提出した用紙も未返還(これが本来ならおかしいのですが)。私の希望としては、あの用紙を返してほしい。そして祖父の語ったことをもう一回、少しはあの時より成長した自分の目で読み返したい(たいした内容にまとまっていないと思いますが)。もう他界してしまい、二度と同じ話を聞くことは出来ないから。もしくは、先生・・返してください。(あ、名前ど忘れした。)
話を元に戻して。15日からストップ状態の空の便が20日ようやく動き始めましたが、まだ完全な状態とは言えません。飛行機が飛べない・・ってこんなに大変なことだったんだな・・と思い知らされる出来ことですが、よく考えれば不思議です。飛行機が飛ばない。飛べない。それだけなのに・・。それだけじゃない。
人の移動手段といえばそもそも・・。走る、歩く等、身体機能に依存した方法。泳ぐ、流れる等も含む。次に動物に頼る=ウマ、ラクダ等。そして車輪に頼る=馬車、牛車等。多分平行して、風&帆に頼る=ヨットなど。車輪または帆&火力に頼る・・・と水陸移動の方法が発達し(多分)、そして、人類の転換期?とも言えるのではないかという、飛行機の発明。空の時代に。移動距離やスピードが飛躍的に発展し、グローバル社会の構築にかなりの影響を及ぼしているであろう飛行機。その最新に最も近い移動手段である飛行機(仮に移動手段ピラミッドの頂点に君臨しているのが飛行機としましょう)が、今、使えない。つまり、ピラミッドのさきっちょがちょっと欠けた状態。でもさきっちょがほんのちょっと欠けただけなのです。車は走るし、馬も走るし、船も走るし、人は歩けるし・・。ピラミッドの土台はかなり強固で揺がず。揺るがないはず。でもこの、不安定感というか、混乱の様はいったいなあに???
例えば、船も無く、車もなく、飛行機などもちろんなく、全世界の人が、一人一人別々に、畳一畳分くらいの小島に住んでいたとしましょう。隣の島は遥か遠い。隣に行くための手段は・・。泳ぐ。泳ぐ以外の移動選択肢しかなくなれば、慌てるのも頷けます。“歩くことすらできない”のであれば、移動手段ピラミッドはとっくに破壊しているので。でもでも、たかが飛行機・・。(されど飛行機か・・。うーむ)
そもそもきっと、いろんな“便利”に頼りすぎなんでしょう。飛んで当たり前の飛行機。ドイツから日本まで十数時間で到着して当たり前。輸出入品は、空を、海を越えて日々供給され、納品されて当たり前。それだけ“早く”事が進んで当たり前。“早い”ことが既に“価値”。私たちはその“便利”や“早さ”をお金で買っている。
ヨーロッパなんて、各国ほぼ陸続き。ユーロ圏内なんだから、国境もすんなり通れます。空交通が無く、すべて陸移動で動いた時代もあったでしょう?ゲルマン人だって移動したでしょう??陸だけで何かと出来るはずでは??って思うんは私だけ? でもそうしたくても、それを許さないのが、今の時代。
今回のこの出来事は、なんだかいろいろ見直すいい機会になった気がします。
それにしても、ここ数日、空は晴れ渡り、火山灰の影響はいずこ?状態の澄んだ空。そして、飛行機の離発着無し。静か。こっちのほうがよっぽどいいかも・・。
こういう火山噴火とか地震のニュースを見聞きする度に、高校の地学を思い出すのだけれど、(もろに文系の頭しか持ち合わせていないけれど、地学は好きでした)、まあそれは置いておいて。あ、高校で思い出したけれど、(あ・・・また話が脱線しそうな予感)高校1年やったか2年やったか・・の現代社会の夏休みの宿題で、「戦争体験の聞き取り」をしました。私は、未成年で出征し、終戦後もシベリア抑留を経て、終戦2年後(やったかな?)帰国した祖父に話を聞き、レポートにまとめましたが、思えばそんな辛い話をよく語ってくれたものです。思い出すのも嫌だったろうに。で、今思うこと。あの時書き留めた内容をあんまり細かく覚えていないこと。高校時代は未だ手書き時代。録音したりデータ保存していたりすることはありません。宿題として提出した用紙も未返還(これが本来ならおかしいのですが)。私の希望としては、あの用紙を返してほしい。そして祖父の語ったことをもう一回、少しはあの時より成長した自分の目で読み返したい(たいした内容にまとまっていないと思いますが)。もう他界してしまい、二度と同じ話を聞くことは出来ないから。もしくは、先生・・返してください。(あ、名前ど忘れした。)
話を元に戻して。15日からストップ状態の空の便が20日ようやく動き始めましたが、まだ完全な状態とは言えません。飛行機が飛べない・・ってこんなに大変なことだったんだな・・と思い知らされる出来ことですが、よく考えれば不思議です。飛行機が飛ばない。飛べない。それだけなのに・・。それだけじゃない。
人の移動手段といえばそもそも・・。走る、歩く等、身体機能に依存した方法。泳ぐ、流れる等も含む。次に動物に頼る=ウマ、ラクダ等。そして車輪に頼る=馬車、牛車等。多分平行して、風&帆に頼る=ヨットなど。車輪または帆&火力に頼る・・・と水陸移動の方法が発達し(多分)、そして、人類の転換期?とも言えるのではないかという、飛行機の発明。空の時代に。移動距離やスピードが飛躍的に発展し、グローバル社会の構築にかなりの影響を及ぼしているであろう飛行機。その最新に最も近い移動手段である飛行機(仮に移動手段ピラミッドの頂点に君臨しているのが飛行機としましょう)が、今、使えない。つまり、ピラミッドのさきっちょがちょっと欠けた状態。でもさきっちょがほんのちょっと欠けただけなのです。車は走るし、馬も走るし、船も走るし、人は歩けるし・・。ピラミッドの土台はかなり強固で揺がず。揺るがないはず。でもこの、不安定感というか、混乱の様はいったいなあに???
例えば、船も無く、車もなく、飛行機などもちろんなく、全世界の人が、一人一人別々に、畳一畳分くらいの小島に住んでいたとしましょう。隣の島は遥か遠い。隣に行くための手段は・・。泳ぐ。泳ぐ以外の移動選択肢しかなくなれば、慌てるのも頷けます。“歩くことすらできない”のであれば、移動手段ピラミッドはとっくに破壊しているので。でもでも、たかが飛行機・・。(されど飛行機か・・。うーむ)
そもそもきっと、いろんな“便利”に頼りすぎなんでしょう。飛んで当たり前の飛行機。ドイツから日本まで十数時間で到着して当たり前。輸出入品は、空を、海を越えて日々供給され、納品されて当たり前。それだけ“早く”事が進んで当たり前。“早い”ことが既に“価値”。私たちはその“便利”や“早さ”をお金で買っている。
ヨーロッパなんて、各国ほぼ陸続き。ユーロ圏内なんだから、国境もすんなり通れます。空交通が無く、すべて陸移動で動いた時代もあったでしょう?ゲルマン人だって移動したでしょう??陸だけで何かと出来るはずでは??って思うんは私だけ? でもそうしたくても、それを許さないのが、今の時代。
今回のこの出来事は、なんだかいろいろ見直すいい機会になった気がします。
それにしても、ここ数日、空は晴れ渡り、火山灰の影響はいずこ?状態の澄んだ空。そして、飛行機の離発着無し。静か。こっちのほうがよっぽどいいかも・・。
火曜日, 4月 20, 2010
Bremenからこんにちは(88)大学入学のために あくまで備忘録
4月20日。語学のテストが終わりました。世界中で同じ日にちに同じ内容で開催されるテスト。TestDaF(テストダフ)。ドイツにある大学等の高等学校で学びたい外国人が、語学力の証明として受験するテストです。外国人学部生はほぼみんなこのテストをクリアしています。私の受験は3回目。いい加減諦めればいいのに・・という域です。まあ、1月に受けた試験の合格書でもって、このテストダフ証明の免除を申請し、許可を頂いているので、大学入学時に提出すべき語学力証明は、既に不要。今回の受験はただ、自分の力試し&納得したい・・ただそれだけの受験。そのために175ユーロという、下手したら一ヶ月は生活できそうな大金をはたいて受験。
・・の割にはコケた感が漂ってますが、自分でも成長を感じられる部分は少なからずあったので、よしとします。前回の受験より更に、テスト全体を俯瞰した回答の仕方が出来た気がします。
ここからは読み飛ばすほうが賢明。////
一応主な大学等(ブレーメン大学を例に)の外国人向け入学前提を書いておきます。
1 テストダフにおいて、読解、ヒアリング、筆記、口述の4部門のいずれも、各TDN3(3点)以上、計16点(つまり、4部門各4点ずつでもいいし、3、4、4、5点という配点でも可)を獲得すること。年6回開催。結果は6週間後。
2 テストAS という、一般常識かSPIか・・的な、高等学習機関で学びたい人間ならば最低限持っているべき思考回路を問うような核テストおよび、大学で学びたい学部により問題が異なる専門試験(といえども、この学部を学ぶにあたり、最低限こういう“頭”を持っていてね、という難しくはないテスト)(*語学力を問う試験ではないので、英語での受験も可能)。年2回開催。結果は5週間後。結局2つのテスト(語学テスト部門の受験が必要な場合もあり(B2レベルの語学力証明で免除))を受けるのですが、核テストでパーセンテージランク50%以上もしくは、核テストと専門テストを合わせた、合計パーセンテージランク50%以上で、OKというのがブレーメン大学。この基準は大学により様々なはずです。
3 受験学部により英語の語学力証明。中高と英語を学んだ日本人なら普通は余裕でクリアできるレベルB1の証明。(学部により更に上が求められることも。B1は最低ライン)(*ドイツ語頭になってしまってからの英語試験はストレスでしかありません。受験タイミングの考慮を)
1〜3の試験で手にすることの出来る証明書は、原則的に生涯有効なので、思い当たる人は早めの受験を。B1の結果は即。
注1)1の語学証明の代わりに、ゲーテインスティチュートのC1試験や、DSHなどを認める学校、その証明書にて語学試験の免除を受けられたりもします。
DSHを開催している大学は、独自に外国人入学希望者を対象に語学コース等を開講している大学が多いようです。勝手な推測ですが、DSHという試験&それを念頭においた各レベルの語学コースを格安で提供する大学は、学期事の学費が高く、DSHや大学が独自に語学コースを開講していない場合(入学希望者は独自に語学学校を探すことになり、この私立の語学学校の学費は高い)は大学自体の学費は安い・・、というカラクリがあるのでは?と思っています。
注2)2のテスト受験の代わりに、ブレーメン大学では“PREPARE”という一般常識取得コースが開講されています。4月頃までの申し込みで、10月1日の入学を目指す人向けなので、もちろん開講は6月の年1回。このコース受講でテストは免除。但し。コース受講には400ユーロほどかかります。逆に、テストASは2010年の受験は無料。
注3)大学学部入学の願書は、各大学が個別に受け付ているわけではなく、センターがまとめて管理しています。そこには、各種卒業証明書などをも送付する必要があります(英文で可)ので、諸々早めに入手しましょう。そのセンターで一度、ドイツの大学で学ぶにふさわしい基礎学力?があるのか云々が試験されて、応募の旨がセンターから大学へ通知される仕組みになっています。そのタイミングと、直接大学へ示すべき、上記1〜3の書類が、晴れて入学できるか、来年まで持ち越しか・・の分かれ目になります。この待機期間というか、外国人の入学準備学生期間(語学試験にいそしむ期間)は2学期(1年)認められ、第2学期の学費等を応募大学に払い込むことにより、センターに送りつけた願書、各種個人の書類はセンターの元を離れ、大学側へ届く、とまあこういう流れのようです。
10月1日始まりの新学期に向けての応募の締め切りは、7月15日。余裕を持った受験を!
誰に向けて書いているのかわかりませんが、まあこういうことです。
・・の割にはコケた感が漂ってますが、自分でも成長を感じられる部分は少なからずあったので、よしとします。前回の受験より更に、テスト全体を俯瞰した回答の仕方が出来た気がします。
ここからは読み飛ばすほうが賢明。////
一応主な大学等(ブレーメン大学を例に)の外国人向け入学前提を書いておきます。
1 テストダフにおいて、読解、ヒアリング、筆記、口述の4部門のいずれも、各TDN3(3点)以上、計16点(つまり、4部門各4点ずつでもいいし、3、4、4、5点という配点でも可)を獲得すること。年6回開催。結果は6週間後。
2 テストAS という、一般常識かSPIか・・的な、高等学習機関で学びたい人間ならば最低限持っているべき思考回路を問うような核テストおよび、大学で学びたい学部により問題が異なる専門試験(といえども、この学部を学ぶにあたり、最低限こういう“頭”を持っていてね、という難しくはないテスト)(*語学力を問う試験ではないので、英語での受験も可能)。年2回開催。結果は5週間後。結局2つのテスト(語学テスト部門の受験が必要な場合もあり(B2レベルの語学力証明で免除))を受けるのですが、核テストでパーセンテージランク50%以上もしくは、核テストと専門テストを合わせた、合計パーセンテージランク50%以上で、OKというのがブレーメン大学。この基準は大学により様々なはずです。
3 受験学部により英語の語学力証明。中高と英語を学んだ日本人なら普通は余裕でクリアできるレベルB1の証明。(学部により更に上が求められることも。B1は最低ライン)(*ドイツ語頭になってしまってからの英語試験はストレスでしかありません。受験タイミングの考慮を)
1〜3の試験で手にすることの出来る証明書は、原則的に生涯有効なので、思い当たる人は早めの受験を。B1の結果は即。
注1)1の語学証明の代わりに、ゲーテインスティチュートのC1試験や、DSHなどを認める学校、その証明書にて語学試験の免除を受けられたりもします。
DSHを開催している大学は、独自に外国人入学希望者を対象に語学コース等を開講している大学が多いようです。勝手な推測ですが、DSHという試験&それを念頭においた各レベルの語学コースを格安で提供する大学は、学期事の学費が高く、DSHや大学が独自に語学コースを開講していない場合(入学希望者は独自に語学学校を探すことになり、この私立の語学学校の学費は高い)は大学自体の学費は安い・・、というカラクリがあるのでは?と思っています。
注2)2のテスト受験の代わりに、ブレーメン大学では“PREPARE”という一般常識取得コースが開講されています。4月頃までの申し込みで、10月1日の入学を目指す人向けなので、もちろん開講は6月の年1回。このコース受講でテストは免除。但し。コース受講には400ユーロほどかかります。逆に、テストASは2010年の受験は無料。
注3)大学学部入学の願書は、各大学が個別に受け付ているわけではなく、センターがまとめて管理しています。そこには、各種卒業証明書などをも送付する必要があります(英文で可)ので、諸々早めに入手しましょう。そのセンターで一度、ドイツの大学で学ぶにふさわしい基礎学力?があるのか云々が試験されて、応募の旨がセンターから大学へ通知される仕組みになっています。そのタイミングと、直接大学へ示すべき、上記1〜3の書類が、晴れて入学できるか、来年まで持ち越しか・・の分かれ目になります。この待機期間というか、外国人の入学準備学生期間(語学試験にいそしむ期間)は2学期(1年)認められ、第2学期の学費等を応募大学に払い込むことにより、センターに送りつけた願書、各種個人の書類はセンターの元を離れ、大学側へ届く、とまあこういう流れのようです。
10月1日始まりの新学期に向けての応募の締め切りは、7月15日。余裕を持った受験を!
誰に向けて書いているのかわかりませんが、まあこういうことです。
土曜日, 4月 17, 2010
Bremenからこんにちは(87)竹でテント

更新が久しぶりになってしまいました。20日にテスト・・ということで許し下さい。
でも今日は、出入りする団体の25周年記念祝賀会が8月にある関係で、その日に自力で建設する“竹テント”の試建設を行いました。この団体に出入りするのは、変わった人ばかりなのですが、一人一人の長けたところが十分に生かされるような不思議な団体で、竹を組み立てて行く間も、(そもそも設計図も、建てる方法も、全員が熟知している訳ではない(数人しか理解していない)という状態でスタートする)、ただ、押さえるだけの人(ねづっちみたいや・・と思った(笑))、子どもと戯れているだけの人、うろうろするだけの人、喋るだけの人、いろいろ居ながらもとりあえず“試し”に建ててみました。このテント建設地であり、25周年記念祝賀会開催地は、団体が進める“住まいプロジェクト”建物の建設予定地として団体が購入している土地であり、自治体が新たに開発を進めていく区域にあります。この竹のテントはとりあえず3日崩れなければ大丈夫、とまあそういうことのようです。ちなみに、何故竹なのか・・は、素人でも扱いやすい事は然ることながら、この団体の存在意義とも深く関わる・っているのですが、(忘れました(汗))。用事があり、途中で退散しましたが、とりあえずこんな感じ。
春・・。タンポポやパンジーかな?いろいろと咲き誇っています。
火山の灰云々で騒がしいですし、ブレーメンも地図上ではしっかり“域”に入っているのですが、空は澄み渡り、空気も特に気にならない。でも飛行機は飛べないんだよねええ。イマイチピンと来ない。


(どうでもいいこと)
それから、ねづっち絡みで**トーークのことを書いておきます。先日やっとゴールデン自粛の人見知り完全版を見ることが出来ました。と同時に、ゴールデン人見知りの後半もようやくヒットして視聴しました。最後に女性ゲストが舞台の宣伝してましたよね。客席参加でストーリーが進んでいく・・みたいな。幅15センチあるかないかのパソコン上の映像画面では、舞台のポスターの細かい部分はもちろんわかりませんでしたが、女性ゲストのこの発言だけで、私はこの作品が誰の物か、どの団体が演じる物かピンと来ました。作品名で調べてみたらやっぱりそうでした。勘はまだまだ衰えてないようです。よかった〜〜。
日曜日, 4月 04, 2010
Bremenからこんにちは(86)アフリカの夜

ゴスペル関連のコンサートに行くと、(今回はアフリカの方々の教会が主催であり、休暇の中日であり、大多数は黒人さんでしたが、それでも)知っている顔をちらほら・・見かけます。
アフリカ人の歌うゴスペルは本当にパワフル。人種の差による身体的能力の違い、育って来た環境、それから地域が抱える歴史的背景など、一言ではすまされないような“重い”ものを感じます。メロディ、リズム、ノリ・・体にしみ込んだ習慣なのか、天性なのか・・素直に羨ましいです。
特にゴスペルを歌って、神を賛美している彼らは、なんと言うか・・とてもリアリティがあるというか、真に迫っていると言うか、切実というか、本当に心から“歌って”います。一言一言が重い・・それでいて明るく、ポジティブな感じ。
背負っているものが違うから、私には到底たどり着けない領域なんだろう・・と改めて感じました。
さて、イースターの日曜日。今日は私の通う教会での礼拝で私の所属するクワイアが歌いますが、さてどうなることやら。ドイツ人にとっても“イースター”の意味は大きいですが、それでもアフリカ人のパワーには・・。
金曜日, 4月 02, 2010
Bremenからこんにちは(85)人生分のちゃりんこ?

今の季節はサイクリング。20〜30キロ片道こぐのは最近ではもう当たり前の域。4月2日の今日は、ブレーメンから走る事20数キロのFischerhudeに行って来ました。川沿いの牧草地、でも今は水位が高くて水に覆われている・・の堤防を走りたどり着いた小さな村がFischerhude。サイクリングロードも村自体も本当にきれいなところでした。
水があるって本当に素敵。
ブレーメンにゆかりのある芸術家もこの界隈を沢山描いています。ブレーメンに美術館のあるパウラ・モーダーソンの夫であるオットー・モーダーソンの美術館や、詩人リルケにゆかりのあるカフェなどもあります。
モーダーソンの2人や同時期の画家が描いた、沼地や牧草地、村の小道、そして白樺並木・・水のある自然が今も残っています。先日自転車で訪れたのは、美術家の集まる集落Worpswedeでしたが、

今日は本当に天気がよく、本当に気持ちのいい一日を過ごしました。
そして少しのサプライズもありました。
皆さんは覚えていますか??(覚えている人がいたらすごい)。確か昨年5月に“通学中に、モップ犬(と私が勝手に名付けた)を散歩しているオジさんに毎朝会う。ちょっと友達になった”と書いた事を。その後、学校が変わってしまい、オジさんと会う事もなくなり、私もわざわざ会うために朝早く、通学路を走る理由もなく、そのままになっていたのですが、そのオジさん&犬と今日、再会したのです。ブレーメンを20キロも離れたFischerhudeで。驚きです。自転車で走っていて、「あ、久しく見ていなかったモップ犬(的な装いの)犬だ〜〜」(決して可愛くてつい見てしまうタイプの犬ではない)と通りすぎタラ・・なんと側にいたのは、そのオジさん。まったく偶然。世界ってやっぱり狭いです・・・。

ということで、キリスト受難の日は過ぎていきます。そして3日目に復活!!と。イースターですね。
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